Ⅲ60.越境侍女は辿る。
「あの、最後に。最近お仲間になった元サーカス団の方々は見かけませんでしたか?」
ああそれなら多分、と。
さっきまで私達の問いに答えてくれた貧困街の人達は、一方向を指差して教えてくれた。
ステイル、そして護衛のアーサー達と一緒に貧困街へ訪れた私達は昨日に続いて一応は順調に聞き込み調査を続けていた。
本当は一番最初に話したかった元サーカス団の人達だけれど、一人も見かけなくて結局他の情報も聞き回りながら彼らも探すことになった。てっきり昨日お話したあたりに行けばすぐに会えると思ったのに。
近くの人達に尋ねると、貧困街の人達は動ける人間から優先的に仕事や生活基盤を支える作業に回るから、寝る時間まで仮住まいにいない場合の方が多いらしい。怪我人や病人、老人とかは別らしいから、むしろそういう人達を支える為の仕組みでもあるだろう。
私達の約束通りにしているなら今はスリとか犯罪系の稼ぎ方のお仕事はしていない筈だけれど、それでも貧困街全員分の水汲みとか洗濯、食糧や薬の保管庫管理もある。それに剣や槍、数少ないけれど銃とかの武器庫の掃除と管理、炊き出しや食料調達とかもあり、とにかく朝は特に忙しいらしい。
昨日はまだエルド達との話し合いを終えた時にはお昼は過ぎていたからあの場所に全員いたのだろう。一番小さいユミルちゃんも身体は元気いっぱいの女の子に見えたし、多分他の人達のお手伝いとかしているのだろう。
「でっかい奴らはわかんねぇけど、子どもは大概今頃洗濯してるころだ」
ありがとうございます。と、ステイル達と一緒にお礼を告げて早速示された方向へ向かう。
貧困街の人達は、昨日と変わらず本当に協力的だった。特別親しくしてくれるとかじゃないけれど、エルドの情報共有が早かったお陰もある。結構な規模の集落だったにも関わらず、全員が私達の問いにすんなり答えてくれた。
「ああアンタらが」「はいはいフリージアの」と、自己紹介すれば本当に初対面とは思えないくらいのがっつり質問時間を得られる。
サーカス団についてもここ例年通り来るサーカス団の様子や噂から、毎年サーカス団を観覧に……無料でこっそり覗きに通っているという人もいて、客観的な視点でのサーカス団の様子も聞けた。今貧困街にお世話になっている元サーカス団員のファンもいたくらいだ。
まさかサーカス団を抜けると思わなかった、けど団員と直接会えて感激と喜んでいる人もいて、ケルメシアナサーカス団がこの街でも評判なのだとそれだけでもよくわかった。
貧困街にお世話になった経緯も一応本人達以外からも確認しておこうと尋ねたけれど、皆情報のまちまちさはあっても内容は一緒だった。
ひと月ほど前に、路頭に迷っていた彼らを貧困街の人が見かけて奴隷狩りに遭う前にと貧困街へと招いた。そのまま首領の許しを得て、サーカスに帰るまでは貧困街の一員として保護することになったらしい。
貧困街の手伝い以外は団長を探しに出ていることも多いけれど、それでも貧困街にいて暇な時はサーカスの要領で皆を楽しませてくれるからなかなかこ人気者だ。
貧困街の人達は、協力的である今は話してみると本当に普通の人達だと思う。
皆、一歩間違えれば奴隷になる危機感があるからか、感覚も一般のこの街の人達よりも我が国の感覚に近いのもそう感じる要因の一つかもしれない。それに、今私達自身が王族として見られていないお陰もある。
王族として城下に下りた時よりも、生徒としてプラデストに潜り込んだ時に似た感覚だ。しかも今回は全員協力的だから正直すごく助かる。
市場で聞き込み調査のセドリック達や奴隷市場に調査に行っているレオン達よりもずっと効率的に動けてはいるだろうと思う。……ただし。
「貧困街については話せない」
これだ。
向かう途中また話しかけた人に、貧困街についての質問をすると綺麗に全員が口を揃える。
私達の存在が周知されているのと同じように、きっと貧困街については口留めがされているのだろう。なんというか流石エルド達というべきだろうか。言い方が悪いけど、隠し事についてはなかなかの徹底とプロぶりだ。
貧困街の規模も具体的な人数も、稼ぎ内容からいつ頃からどうやって出来た組織なのかも謎のままだ。
当然、エルドやホーマーを始めとした幹部達についても情報どころか彼らをどう思っているかの感想すら聞くことができなかった。それ関連は尋ねた時点で答えられないの一択だ。
けれど、私達への質疑応答以外は会話をしたくないというわけでもなく、天気の話や貧困街内の道案内とかご時世とか身の上話もしてくれる人までいる。さっきだって武器庫の存在はさらっと教えてくれたもの。
ただ貧困街関連の情報だけは完全戒厳令は敷かれているという印象だった。
皆して「エルドの命令だから」「エルドに言われているから」と子どもからお年寄りまで貧困街の掟は絶対守るという見事な統率だった。……そういう能力をもっと早々に良い方向に伸ばせなかったのかしらと思わなくもない。
そこまで考えてしまうと、ついつい眉間に力が入ってしまう。歩きながらぎゅむぎゅむと指で押さえてマッサージするように伸ばした。駄目だ、レオンは距離を取っていてセドリックもお冠中に私まで引き摺られてちゃいけない。貧困街の歴史については、外部にいるレオンやセドリック達に期待しよう。
取り敢えず他の人達と同じくサーカス団についての情報を聞きながら、少しずつ元サーカス団達へ接近していく。
洗濯場へと歩みながら、住宅区域から水場区域へ渡る間のほんの数メートル間は人影も少なくなった。流石に川に面してはいないけれど、それでも洗濯から干すまでは場所も取る上に量も多いから場所も開けたところにまとめているらしい。本当に、内部に入れば小さな街のようだ。まさか軽犯罪込みの集落組織とは誰も思わないだろう。
「大丈夫、ですか。ジャンヌ、さん。……侍女とはいえ女性にも歩くのは負担でしょうから」
ハァ……と、ステイルが直後に深い息を零しながら眼鏡の黒縁を指で押さえ付ける。まだそんなに時間は経っていないのに大分疲れた印象だ。
ええ大丈夫ですと、言葉を返しながらも苦笑してしまう。今朝からなるべく私に言葉は整えたままとはいえ主人らしく振舞ってくれるステイルだけど、やっぱりまだ馴染まないのか自分の発言を顧みるようにぎこちない。自分の侍女に話すように言ってくれれば良いのに、どうしてもつっかえてしまっている。お蔭でこの疲弊ぶりだ。
主人らしく私の前を意識的に歩いてくれるステイルの顔を覗きつつ、そこで今度は自分の背後へ振り返る。
アーサーも、私と同じことを思っているのか曖昧な笑みで返してくれた。ハリソン副隊長の方は相変わらずの無表情のままだけれど。
そこまで確認してから、私はここにいる筈のもう一人の人物にも声を潜めつつ呼びかける。
「……あの、いらっしゃいますか……?」
カチャッ、と。言葉の返事の代わりに剣を敢えて鞘に納め直したような音が耳にかかった。
最後方でもなく隣でもない、私とそして近衛騎士二人のちょうど間、外れて斜め横の位置からの音だ。アーサーもハリソン副隊長も手を身体の横に降ろしている今、この音の出所は間違いない。
誰かに聞かれても問題ないように、声は出さずに私達に存在だけを主張してくれるのは今回護衛に同行してくれている母上の近衛騎士、ローランドだ。
今回、面通しとエルドから許可を得ている私達はともかく、初公開のローランドは特殊能力で姿を消して貰っている。
今のところエルド達には会っていないから大丈夫だけれど、もし会った時に騎士が昨日と違うと怪しまれたら面倒なことになる。ローランドにも事情と共に説明して、宿から出たら姿を消して付いてきて欲しいとお願いしたら快諾してくれた。心なしか少しほっとしているようにも見えた顔の筋肉のやわらぎに、やっぱり流石の騎士も突然の任務変更は誰だって緊張するわよねと思った。しかも今回は女王である母上からの特別任務だ。
名目上は姿を消して、誰にも気付かれないようにそして対象から離れないようにというのは普通の護衛よりも大変な任務だけど、表情筋を気にしなくて良い分は気も楽かもしれない。私だって前世でもカメラ電話より普通に電話やSNSの会話の方が気が楽だったからちょっとわかる。
宿を出て、こちらから確認しない限りは全く問題なく空気のように私達に付いてくれているローランドとはまだ状況説明以外はじっくりとした会話はできていない。
母上に任命された時には軽く話せたけれどそれまでだ。現状までの口数の少なさにハリソン副隊長と同じ寡黙な人なのかなとも思ったけれど、以前話した時はどちらかというとカラム隊長と似た雰囲気の人だったし単に緊張と任務に没頭しているだけかなと思う。……明日は、貧困街をセドリックに任せて私達は市場にしようかしら。そうすればローランドとも問題なく歩きながら会話できるもの。
あくまで目的は調査で、親交を深めることではないけれど、これから一緒に行動するのにこの掴みようのない緊張感は申し訳ない。
そう思うと、私の近衛につき始めてくれた頃の近衛騎士達も緊張してたなぁとすごく懐かしく思い出す。今も昔も全く変わらないのはハリソン副隊長だけだ。
「!あっ、お兄ちゃん達!」
こんにちわ!と、元気な声が前方からかけられる。
やっと会えた、サーカス元団員の一人ユミルちゃんだ。隣にはもう一人少年と女性もいて、こちらも昨日お会いした同じ元サーカス団員だ。
良かった、ユミルちゃん一人だけでなく一緒にいてくれる大人も一人いるとほっとする。
葡萄酒でも作っているのかしらと思うくらいの大きな桶の中で裸足で足踏みをしている三人以外にも、大勢の女性や子どもが一緒になっては別の桶で同じことをやっている。本当は手や洗濯板とかでしっかりやった方が汚れも落ちるし服も傷まないのだろうけれど、住んでいる人達も多いし量もあるからこっちの方が楽で子どももやりやすいのだろうなと思う。
朝のいつから洗い始めているのかはわからないけれど、桶の中の水は遠目でもわかるくらいに黒に近い灰色だ。桶は古びているけれどしっかりしているのか、大人数がびしゃびしゃ足踏みしてもまったくびくともしていない。
クリフくんの方はちょっと睨むように眉を吊り上げていたけれど、リディアさんの方は会釈でもするかのようにぺこりと小さくこちらに頭を下げてくれた。ステイルもそれに「おはようございます」と片手を振って笑いかける中、その後ろで私も行儀よく頭を下げた。
他の洗濯中の人達が物珍しそうな目で私達を見る中、短パン以下の丈まで裾を捲し上げたままユミルちゃんが、桶から飛び出しこちらに駆け寄ってきてくれた。ペタペタペタと足が濡れたまま地面に足跡をつくり彼女の足裏をもれなく泥で汚していく中、桶の中にいたクリフ君とリディアさんが「こら待てユミル!」「ユミル!!」と心配するように声を上げた。
昨日今日知り合った妙な面々に警戒しているのだろう。けれどユミルちゃんは全く警戒心ゼロの満面の期待の笑顔のままステイル目掛けて声を上げた。
「団長見つかったですか?!なにかわかったですか?!」
きらきらとした笑顔が眩しい。私達が会いにきたイコール団長の情報があると信じてくれたのがわかる。良かった情報あって!!このきらきら期待に「いやまだ何も……」と言ったら次の瞬間確実に彼女の反応に胸が絞られる確信がある。
ステイルが答える前から大きく息を吐いて胸を撫でおろす中、遅れてユミルちゃんを追ってリディアさん達もこちらに駆けてきてくれる。
「お忙しいところ申し訳ありません」と、私達も洗濯中の皆さんに声をかけ、それから彼女へ肩膝をついて目線を合わせた。
ステイルの口から団長らしき人物の目撃情報を得たと、そう告げるとユミルちゃんは嬉しそうに「本当?!」と泥ごと飛び跳ねてくれた。
リディアさん達もびっくりするように目を丸くする中、そこで周囲の洗濯係の方々も興味深そうに「おお」「良かったな」と声を漏らした。
「団長元気?!!無事!?ユミル達のこと何か言ってた?!なんでいなくなっちゃったか聞いた?!」
「いや、俺達もまだ直接会ったわけではない。君達に確認したいこともあって、少しこのまま話せるかな」
「話す!!ねっ、ねっ!良いよね?!クリフ君リディアお姉ちゃん!!」
まだ興奮が収まらないと言わんばかりにその場でぴょんぴょんと短く跳ね続けるユミルちゃんに、クリフ君もリディアさんもそれぞれ一言肯定を返してくれた。
リディアさんが心配するように洗濯桶の方に振り返ったけれど、一緒にやっていた貧困街の人達からは「いいよいいよ」と笑顔で手を振ってくれた。皆、彼女達の探し人が見つかることを望んでくれていたのがわかる。
こうやって見ると本当に普通の……どころか、温かい人達だ。
洗濯作業中の彼女達を借り、私達は少しだけ場所を移す。
洗濯場から少しだけ離れた木陰だ。膝上まで袖を捲っていた三人は少しの距離を歩くだけで濡れた足が泥で汚れていて、タオルはと顔ごと動かしたけれどそもそも今は洗濯中だ。
ステイルが足は痛くありませんかと尋ねたけれど、三人ともこれくらいは全然平気だから話の続きをと求めてくれた。まだ冬ではないけれど肌寒いし風邪を引かないかちょっと心配だ。
「因みに、他の方々は……?できることなら全員にお話しできればと思ったのですが」
「あっ……、その。……アンガス達は、今はちょうど出ていて……大丈夫です。私達から話すのでどうか教えてください」
大人代表であるリディアさんが、ステイルの問いに少し目を彷徨わせた。
まさか、約束違反のお仕事中……?と心配になったけれど、どちらかというと団長捜索中の方が可能性としては高いだろうか。他の人達ならともかく彼女らがこうして働いているということは、男性陣は朝一で団長捜索中と考えた方が良い。……でもそれだと、何故ここで隠すのか。
ステイルも気になるのか「そうですか」と言いながら振り返ったと思えば、私ではなくさらに背後に立つアーサーの方に漆黒の視線を向けていた。
私も釣られるように振り返れば、口を一文字に結んだアーサーが明らかに眉を顰めて首を傾けていた。寄った眉が「なんか妙だ」と言っているのが口にされなくてもわかる。やっぱり何か隠されているのだろうか。
アーサーの表情を確認してから「わかりました」と再び彼女達に向き直るステイルから、改めて昨日私達が得た情報が語られる。
流石に私達の仲間が早速遭遇しましただとあまりにも怪しまれそうだから、少し信憑性を加えて〝酒場の客から聞いた〟で落ち着いた。
酒場で出会った男性が彼らの語る団長と身体的特徴がぴったりで、更には関係者としか思えないほどサーカス団に詳しかったことを詳細に説明すると、途中でユミルちゃんだけでなくクリフ君からも「団長だ!!」と声が上がった。特に語り口調の流暢さをレオンから聞いた通りにステイルが語ると「それ絶対団長!!!」と二人の声が合わさった。
リディアさんは声こそ上げなかったけれど、口を両手で押さえたままこくこくと何度も二人に同意するように頷いていた。
中にはやっぱりというか、サーカス団員じゃないと知らないような話や客への口上も入っていたらしく、話せば話すほど彼らの団長という確信は固まっていった。
ただ、たった一つだけステイルの話に確信を持って聞いていた彼女達が最後まで聞き終えても尚、納得がいかないように確認を二度以上取ったのは。
「本当に団長、ぼろぼろだった??」
いつものピカピカおしゃれじゃなくて?と、ユミルちゃんだけでなくクリフ君も首をわかりやすく捻っていた。
リディアさんもこれには納得いかないように顔を困惑に視線も斜め下にうろうろと彷徨っていた。その酒場のことも団長が名乗っていた仮名も三人は知らなかったけれど、一番納得できないのがそこらしい。
予想はしていたものの彼女達にとってズタボロの格好の団長は想像もつかないらしい。ここまで本人と確信を持った上で、それでも疑問を持つということは本当に団長さんはとてつもないおしゃれ思考だったんだなと思う。
リディアさんに至っては血色まで段々悪くなってきた。……多分、いなくなっている間に酷い目にあっていたのかと心配しているのだろう。けれどレオンの話し方から察するにどちらかというと、……、…………あれ?
自分で思考しながら、ふと何かが引っ掛かる。酷い目に……、……そうだ。確か、だから彼もそう思ったから自分を余計に責めて……。………?
さっきまでは全く気にしなかった細かいことが今はものすごく引っ掛かる。私まで血の気が自然に引いていくのを感じる。
ユミルちゃんとクリフ君が「どんな服??」「汚れていただけじゃなくてか?」「団長何かあったんじゃ」「無事??」とステイルに次々と問いを投げる中、私は段々と記憶が波のように襲ってくる。
アレスの、ルート。大丈夫、だからきちんとアラン隊長とカラム隊長にも伝えてある。なのに、なのにどうしてだろうこの胸騒ぎは。
ざらざらと砂利でも飲んだかのような不快感に、無意味に何度も口の中を飲み込む。「ジャンヌ?」とそっとアーサーが心配するように声をかけてくれる中、私は必死に記憶を手繰る。一度は大まかであれ思い出せた、アレスのルートだ。
『団長は、ボロボロだった。なのに俺はそれまで──』
「……アレス」
苦し気なアレスの顔が、主人公へ懺悔のように告白する横顔が頭に浮かぶ。ゲームの場面だ。そうだ彼も、確かに団長が〝ボロボロだった〟と話していた。けれどそれは服とかそういうんじゃなくて。……いや、違う。
無意識に零れてしまった彼の名に、ステイルだけでなくユミルちゃん達も気になるように私へと顔を向けた。ぼんやりと焦点の合わない視界で彼女達の注目が私に移るのが熱でわかる。
どうしよう、この違和感そのままにしちゃいけない。しっかりと確かめて輪郭付けないと駄目だ。ここで記憶が止まってしまった私は、少し口の中を噛み勢いよく顔を上げる。
突然私の目つきが変わったことにびっくりしたようにユミルちゃん達の肩が身体ごと跳ねた。「ユミルちゃん!!」と私も思わずその名と共に大きな声が上がってしまう。
「アレスっ……アレスについて、もう一度詳しく聞かせて貰えますか……?!他の、団員の方についてももっとできる限り……!」
もう、昨日も散々尋ねた筈の問いをまた望む。
昨日だって、エルドと話した後もいくつも尋ねた。団員や内部のことを詳しくは話せないと断られたばかりだ。それでもこの焦燥感がどうにもならない。情報が欲しい、彼ら以上に詳しい人はいない筈なのだから。
私の方に振り返ったステイルも驚いたように両眉を上げてから察するように表情を険しくさせた。
いきなり言葉で迫る私にユミルちゃん達は怖気るように細い眉を歪めて全員が目を泳がす。当然だ、いきなりこんな風に迫られても困るに決まっている。しかも今の私はただの侍女だ。
尋ねるようにユミルちゃんかクリフ君やリディアさんへ顔ごと振り返る。言って良いか確認してくれているのかもしれない。二人も私の様子がおかしいからか、昨日のようにすぐに断らない。どうしようか考えあぐねるように唇を絞ってる。
落ち着かないといけないのに、呼吸が浅くてうまくいかない。頭の中では苦し気に後悔をするアレスの顔ばかりが映る。
もっと、彼が何を語るのかを聞かせてと頭に訴えかけるけれど、叶わない。
「アレスの……どんなことが知りたいのですか……?」
静かな細い声で、そう答えてくれたのはリディアさんだ。
三人のうち唯一の大人である彼女の答えに、クリフ君があんぐり口を開けて見上げる。まだ迷いのある、けれど眉を垂らしながらも優しい眼差しに、私も必死に縋るように言葉を重ねる。
潜入しているカラム隊長達だって初日でどこまでサーカスやアレスのことを探れているかもわからない今、目の前にいる彼女らが頼りだ。
「何でもっ……いえ、アレスはどんな人か、聞かせて下さい。昔の……っは話せなくても、せめて彼と親しい人の、その、名前っ……容姿までは言えなくても、せめてどんな方かだけでも……」
外見や特定できる内容じゃなくても良い。その人がどんな人間か、アレスの過去までは話せなくても彼が今親しい人や身の回りの人だけでも知れれば鍵になるかもしれない。攻略対象者の可能性だって充分ある。
本当はここで、もう少しだけでもサーカス団のことをまた聞ければとぐらいにしか思っていなかった。一番大事なのはステイルとユミルちゃんの約束をきちんと果たすことだったから。
団長の情報を伝えて、そこで彼らの意見を聞ければ充分だった。団長の酒場のことも服装のことも仮名のことも団員は知らない。それだけでも充分な情報だ。
だけど今はもっと情報が欲しい。できれば、この違和感が消えない内に早く。
どうかどうかと重ねる私に、リディアさんの方から今度はクリフ君とユミルちゃんと目を見合わせる。まだ少し混乱気味の話し方になってしまう私に、そこで今度はステイルが「お願いします」と落ち着いた声で援護してくれた。
ユミルちゃんに合わせて片膝をついたままリディアさんを見上げ、伸びた視線を倒し頭を下げてくれる。
「実は、その団長らしき男性がとてもアレスのことを気に掛けていたそうで。侍女のジャンヌはそのことがずっと引っ掛かるらしく、……お互いに団長さんへの認識を統一する為にも、もう少し歩み寄って頂けませんか」
あくまで団長を見つける為に。と、そう断言しステイルがそれらしい理由で誘導してくれる。
アレスには勝手に名前を使って申し訳ないけれど、すごくありがたい。更にもう一押しするように「話して頂ければ、その酒場の場所も教えます」とまだ出していなかった情報を掲げれば、とうとうリディアさんが頷いてくれた。
話せる範囲なら……と控えめな声と言葉にそれでも感謝する。今はそのほんの少しの情報でも思い出せるきっかけになるかもしれない。
ありがとうございます、と。私からもお礼を続けて一歩だけ前に出る。
バクつく胸を両手で押さえ、彼女のか細い声を一字一句も逃さないように耳を研ぎ澄ます。すると肩を狭くするリディアさんだけでなく、ユミルちゃんも「アレスお兄ちゃんはね!」と大きく口を開いて話し出してくれた。年長者の合意に、クリフ君も今度は止めようとしない。
「アレスお兄ちゃんはすっごく優しいです!サーカスの皆とも仲良しだし、団長とも仲良しで団長のことも大好き。自分の演目だってあるし、毎日いっぱい働いてなんでもできるのに私やクリフ君にも優しいの!」
「ええ。ユミルの言う通りです。…………一応は。団員間でも今ではすっかり打ち解けていますし、団長のことも入団時から慕っているので、団長が心配するのも不思議じゃないことだと……思います」
思い切り両手を振りながらアレスを褒めるユミルちゃんに、リディアさんも頷き、……途中でちょっぴり首を傾けながら話してくれる。一応は、という部分がどこに引っ掛かるのかも気になるけれど、今はもっと他の部分が詳しく知りたい。
二人が話してくれるのに、じっと顔に力を込めながら聞くクリフ君が腕を組む。
彼がまだ言葉を止めさせないことにほっとしつつ、私は続く二人の話を聞き入った。
アレスは、いつからかは言えないけれどそれでもわりと最近入って来た面々の一人らしい。
団長が〝勧誘〟してサーカス団の一員になって、最初は口数も少なくて淡々と仕事をしてたらしい。今ではきちんと団員と打ち解けるし、立場の低い下働きや年下も関係なく接していると。ユミルちゃんやクリフ君にも良くしていて、二人から団長を探しに行こうと誘いもしたけれどその時は逆に止められたらしい。
当時のことを思い出したのか、その途端にユミルちゃんの顔が首ごとしょげた。
「街は危ないし、外にむやみに出ちゃ駄目だって。どうせ待ってたら帰ってくるからいつも通りにして団長を待てって。けど、やっぱりクリフ君もアンガスさん達も団長が心配だったから!」
「アレスと仲が良かったのも、やっぱり団長だったかと思います。ディルギアさんみたいな幹部やアンガスみたいに舞台に出る演者団員とも仲は良いと思いますけど、他は特にこれといった人は……」
「ッラルク!……アレスさんと絶対もとから知り合いだしアレスさんもあいつのことだけ絶対庇う」
突然、二人の間に割って入るように声を上げたのはクリフ君だ。…………ラルク?
ぴきんっ、と頭にまた冷たく何かが引っ掛かる。ラルク、ラルク、とその名前を頭で反復する。
二人が話し出してくれたからか、初めて彼からもアレスの情報が放たれた。しかも、団員の名前だ。妙に記憶に引っ掛かる名前はたぶん私が前世で知っている証拠だ。いや、でも、だけど彼は特殊能力者?
クリフ君の言葉に、リディアさんが「いやどうかな……?」と自分はそう思わないと首を傾げる。ユミルちゃんも「そんなことないよ!」と正面をクリフ君に向けて言うけれど、彼は頑として曲げないように腕を組んだままブンブンと首を振る。うん、私もそれを聞きたい。
この引っ掛かりはもしかしたら……!と期待に胸を膨らませながら、記憶の扉が開くのを待つ。
ステイルから「ラルクとはどのような人物ですか」と尋ねれば、口火を切った後そのもののようにまたクリフ君が通る声で話し始めた。
「ラルクは根暗の陰険野朗だよ。人嫌いなんだ絶対。ずっと誰にも偉そうで冷たくて、アレスさんの入団もあいつが絶対関わってるって皆言ってる。アレスさんもなんでかあいつのこと最初から庇うし、あそこまでするのラルクにくらいだろ」
途中からステイルにというよりも、リディアさん達に同意を求めるように投げかける彼の言葉に頭が鐘のように揺らされる。私には充分過ぎる情報量だった。
ラルク、とその名前に一瞬だけ天地がひっくり返るような感覚を覚える。本当にふらついて、頭を押さえたまま足元が浮いたと思えば本当に倒れかかった。
アーサーが両肩を掴むように背後から支えてくれて、それでも今はお礼を言う余裕どころか声も出なかった。ラルク、ラルクと。アレスだけじゃない、彼を語るのに外せない筈だったもう一人を今思い出す。
『ッいやだ!!!!!!』
そう泣き叫んだアレスの声が、まるで今ここにいるかのように鮮明に頭に響いた。
こんな重要なことを思い出さないままだったなんて。
アレスの悲劇と……ラスボスの、恐ろしさを。