Ⅲ58.貿易王子は尋ね、
「貧困街がああも最近とはなあ?三件目入ってどこも口を揃えてやがる」
「僕はそれよりも彼らが口を噤む理由の方が気になるよ」
奴隷市場の中央を堂々と歩きながら、欠伸を零すヴァルにレオンは軽く肩を竦めて笑う。
「まだ回るのか」と既に今日だけで十度目になる彼の愚痴も聞き慣れた。それほど面倒でありながら、結局は付き合ってくれているところはやはりプライドの為なのだろうなとレオンは察する。
プライド達に任された奴隷市場の散策と調査を順調にこなしていたレオンとヴァルそして護衛のアネモネ騎士達だが、あくまで順調なのはその道行だけだった。昨日ほど有力な情報源が現れることもなく、昨日以上の真新しい情報も貧困街の創設時期くらい。ただその結成の詳細を求めると、誰もが「まぁもう終わった話だ」と口を噤む。
「人身売買相手にもって相当だよね」
「ハッ。ああいう含みは大概どいつも理由は同じだろ」
思考するレオンに、そこは深く考える気はないと言わんばかりにヴァルが投げる。ここまで同じ質問を繰り返すことにもだいぶ飽きてきていた。
フリージア王国や現アネモネ王国と異なり、奴隷産出国であるこの地では奴隷市場は数も段違いである。宿の主人から奴隷市場の位置も地図も得た二人は順調にめぐることこそできたが、どこも結局は人を売っているということと治安の悪さは変わらない。
時折金目のものを持っているのではないかと狙われることはあったが、護衛の騎士が身体つきも良い二人組だったお陰で変装する二人も事なきを得た。
「それより仮にもお偉いさんがこんな掃き溜めばっか散歩してよく飽きねぇもんだ」
「飽きる……というか勿論気分の良いものではないよ。けれど、奴隷自体は別に今日見るのが初めてでもないから」
ケッと吐き捨てるヴァルに、レオンも首を小さく傾けながら周囲へ視線を向ける。
アネモネ王国も数年前までは奴隷容認国ではあった為、レオンも奴隷は城下に降りれば目にしていた。貿易に関わるようになってからは貿易先の国が奴隷容認国であればそれこそラジヤと同じように当然のように奴隷を労働力として使う国もある。中にはもうちょっと品を上乗せしてくれるなら代金の代わりに奴隷と交換でどうだと肉や酒のような感覚で交渉してくる国も普通にある。
しかしそんなレオンでも、やはり市場の奴隷に関しては不快に思う部分の方が多い。
奴隷の市場といってもここまで粗末で酷い扱いかと、流石に眉間を狭めてしまう時もある。同じ血が流れ同じ地で生まれた民であっても商品であれば民同士で蔑み貶める仕組みは、奴隷制の愚かさを見るにちょうど良いとだけは少し思う。
しかし、自分がどう思おうとこの国の動きや在り方も民も、たとえ王族である自分でもどうにもできない。
「いくら胸を痛めても、国そのものを変えないとどうしようもないものだと割り切っているだけさ。それこそラジヤ帝国の考えで言うなら〝支配〟か〝侵略〟かな」
「おーおー、随分と野蛮なこと言うじゃねぇか、リオサマ」
アネモネ王国第一王子の物騒な発言に、わざとらしく引っ掛けてやるヴァルにレオンは滑らかに笑んだ。「今はただの商人だから」と、王子としての立場ではない今だから口にできると思う。そうでなければ軽口でも不用意な発言などとてもできない。それは、背後に控える騎士達も理解している。
つまりはそれほどレオンがこの国の在り方を快く思っていない証拠だと思えば、奴隷市場を進んで歩く王子へ安堵すら覚える。むしろこの光景を前に「参考になる」と言われた方が遥かに彼らの胸をざわつかせた。
アネモネの民である騎士達もまた、今では奴隷が目につかない自国の方が風通しも良く何より清々しく思う。地に倒れ伏す民へ手を差し伸べることにも迷わずに済む。
「君こそ平気かい?」
軽く振り返った先の騎士達も落ち着いて受け取ってくれていることをその顔色で確認したレオンは、そこで逆にヴァルへ投げかける。自分は王族として色々な意味で理解もあれば見慣れているが、元裏稼業である彼にも不快なものはあるだろうと思う。
投げかけに「何がだ」と片眉を上げるヴァルは全くわからない。自分の以前の仕事を知っている筈のレオンにしてはあまりに白々しい。遠回しの嫌味か過保護かとも思ったが、レオンの眼差しはそのどちらでもなかった。
あれ、と。そう言いながら指ではなく視線だけでレオンが示すその先に、自然に自分も視線が向いていく。
今日だけでもう何度も見た、何の変哲もない奴隷売り場の一角だ。それも特別酷い扱いをされているでもない、自分達を積んできた荷馬車を後ろに鎖で繋がれ広い檻に纏めて積み込まれた男達はそれこそヴァルにとってはどうでも良い分類だ。が、……そこでヴァルも、レオンが言いたいことを理解した。
あ゛ー……と一音を低く漏らすが、舌打ちにまでは至らない。代わりに「うぜぇ」と、レオンからの気遣いに対しての感想だけを零し、再び視線を進行先へと戻した。
「〝同じ〟肌の人種。君もこんなところで会うのは本意じゃなかったんじゃないかなと思って」
「言わなかったか?坊ちゃんが。別に俺様はそっちの人間ってわけじゃねぇ。大体肌の色だけで言えばテメェも主も馬鹿王子も同じ国の人間ってことになるじゃねぇか」
面倒な気を回すんじゃねぇ、と。吐き捨てながら後は一瞥もなく進んでいく。
通り過ぎた横では、自分の本来の肌と同じ褐色肌の男達が何人も檻に詰め込まれていた。しかし、今更それをどうとも思わない。昔ならともかく、肌の色だけで全員に仲間意識を覚えるような年でもない。
しかも、裏稼業で人身売買をしていた頃にもほんの一握りではあるが自分と同じ肌の人間に会ったことはある。その殆どが〝商品〟送りで、自分の手で奴隷送りにしてやった連中もいる。明らかにどこかの国から丸ごと攫ってきたとわかるように奴隷市場で取り扱っている商品全員が自分と同じ肌の人間だったこともある。
もともと同郷のフリージアの人間を選別して構わず奴隷商に流してきた人身売買組織だった自分が、肌の色程度で情を覚えることもなかった。
ただ、今この場を歩くのは自分とレオン〝だけ〟で良かったとは頭の片隅で思った。
自分は気にしなくても、たかがそれだけで情を傾けそうな二人は今は安全で平和な学校にいるのは正解だった。自分の目には肌の色が同じなだけで顔も違う赤の他人だが、裏稼業時代にはただ肌の色や顔立ちの雰囲気だけで「そっくりじゃねぇか」と同業者に嗤われたことも、商品の列に並んで見ろと馬鹿にされたこともある。
相手によって無視するかナイフを投げつけるかのどちらかだったか、今自分と並んで歩く人間はそういう形で冷やかしてくる相手ではないことは理解している。
そっか、と。レオンもヴァルの言い分にはささやかに眉を垂らすだけだった。彼が平気なら良いと、そう思う。まだ、視野の狭い自分の目には肌の色だけで全員が彼の血縁のように見えてしまう時もあるが、少なくともヴァル本人には全員が他人であることに今は安堵する。
良くも悪くも、彼にとっての家族はフリージアの学校に預けた少年少女二人だけなのだと理解する。
「別大陸の異国じゃあ、ああいうのも多いんだろ。俺自身はどの血が混じってるかも知らねぇのに肌だけで仲間意識なんざ持てるかよ」
「……君のそういう惑いのないところ、時々羨ましく思うよ」
「あー?そりゃあテメェはあるって話か。結局引き摺ってやがんじゃねぇかめんどくせぇ」
どきり。と、自然とレオンの心臓が一度だけ大きく脈打った。
自分でも急に鳴り出した胸を片手で押さえてしまう。「そんなんじゃないよ」と口について返したが、それと裏腹に押さえた手の下でまだ心臓の拍動を感じてしまう。
明確に「何を」と言わずとも、差しているものをお互い理解できてしまう感覚は場違いにも少し嬉しく思ったが、しかしなかなか手痛い指摘だった。
昨晩一緒に酒を飲んだ時も部屋を分かれた時まで全くヴァルからはそういった話題は投げられなかったから余計に。てっきり今の今まで彼は本気で忘れてくれているのだと思いかけていたレオンには、ここで具体的な指摘をされなかったのは優しさだなと思う。
傍にいるのがプライドの近衛騎士達ならば未だしも、自国の騎士達は昨日自分が何者と再会したかまでは知らない。
額がうっすらと湿りながら、気遣ったつもりが自分の方が追い詰められてしまうことに視線が泳ぐ。しかし直後には、一つの可能性が頭にふと浮かんだ。
「……。それって、引き摺ってたら聞いてくれるって意味かい?」
「んなわけねぇだろ。なんで〝テメェの中で終わった話を〟俺がほじくり返してやんねぇといけねぇんだ。舐め合いなら主とやれ」