Ⅲ57.騎士隊長は観察し、
「お前らマジなんなんだ……」
ぐったりと、その声が掛けられたのは午前過ぎ。
手を顔を当て、肩どころか背中ごと丸くなる青年は茶髪黒毛を垂らしながらも佇んだ。早朝からの自分の仕事を一区切り終え、次の用事にかかるべく足を運んだアレスだったが、もう到着前から疲れていた。
早朝の掃除や準備、練習が疲れたわけではない。まともに寝つけない日は続いているがそれも大した問題じゃない。問題なのは、自分が任され押し付けられた眼前の新人にだ。
お疲れ様です、と。佇む彼の存在に気が付いた新人は、真っ先に振り返り挨拶をした。更にはその周りにいた面々もまた、アレスに気付けば一斉に振り返り手を振り笑いそして声をかける。アレス、おはよう、お疲れ様さん、おはようございますと、それぞれ立場や関係によってその言葉は異なる。
そしてアレスは地面に視線を落としたまま、手だけを肩の位置まで上げ小さな振りでそれに応えた。自分へ挨拶を返す全員に。……そう、“全員”に。
「お前ら。いつからそんな新人相手にちやほやするようになったんだ……」
はぁぁぁ……と、重い息を吐くアレスはちらりと視線を上げたがすぐにまた下げた。
目の前では、自分が呼びにきた新人一人ではない。その新人を中心に十人近いサーカス団員が集まり団欒を重ねていた。
それぞれ早朝の役割を終え、自己判断での休憩を取っている。団員が立ち話をするのも大勢でまとまって休憩を取るのも、この時間帯には珍しくない。しかし、彼らが新人の相手をしているのは珍しい。
まるで背に大荷物でも背負ってそうな重そうな姿勢のアレスに、他でもないその新人が言葉を返す。
「申し訳ありません、新人なので色々とサーカス団について先輩方から伺っていました。お陰で午後からはもっとお手伝いに回れそうです」
「いやだからなんでお前ら揃ってそんな懇切丁寧に教えてんだよ。いつもの陰険無愛想遠巻きはどうした」
ユミルにだってそこまですぐには馴染まなかっただろ、と心の中で今はいない最年少サーカス団員を思い出しながら眉を寄せる。
小さな少女のユミルにすら、入団当初は冷たくとは言わずとも誰もがよそよそしかった。それは新入りに対しての通過儀礼とも呼べる距離感だ。
新入りが珍しいわけではなく、勿論数日もすれば馴染むことの方が多い。しかしどう役に立つか足を引っ張るか裏切るか裏の顔はあるのか、そしていつ消えるかもわからない相手への警戒心とサーカスは強い。それから遠巻きに時間をかけ、新入りの存在が視界に入っても珍しく感じなくなったところで少しずつ自分の出方から距離を縮めていくのが通常の新入りへの馴染み方だった。
なのに今、目の前では新人のカラムに対して大勢が打ち解けている。
「お前かアンジェ。さっさと練習戻れ。なんだその格好絶対まだ練習してねぇだろ」
「アンジェリカですぅ。団長いないしやる気でないからむりぃ。カラムが雑用他にも紹介して欲しいって言うから仕方なくだし。私だって自分のと友達のしか知らないもーん」
「んなもんどうせこれから回る時に聞けば済んだだろ……」
二、三日も経てばどうせ誰かしらがサーカス団の中を案内する。そして今回任されたのがアレスだった。なのに自分が呼ぶ前から既にこれだけの団員と打ち解けるなど自分の知る限りは初である。
アンジェリカと呼ばれた少女の言う通り、確かにカラムの周りにいるのは全員がサーカス団でも下働きの面々だ。演者でありながらレラを介し下働き達とも関わりのあるアンジェリカが紹介するのも流れとしては納得できた。しかし、彼らが馴染んでいるのは納得できない。
「ふざけろよお前ら……俺が新人の頃は一週間は腫れ物みてぇに無視しやがったくせに……。なんだこの違い……俺だって特殊能力者だぞ……」
「アレスさんは目つき悪いし愛想もない上に喧嘩腰だったってグレイクストーンさんから聞きましたけど」
「あ〜そうそう!今だって演目の役入ると全然客と話さないじゃーん!話さないっていうか話せない⁇その顔で逆に口下手とか笑える〜切り替え下手なラルクとお揃いべった下手」
ぶつぶつと呟きながら肩まで慄わすアレスに、今度はジャッキーが容赦ない。更にはアンジェリカもけらけら笑う。
グレあの野朗!!黙れアンジェ!とアレスも顔を上げ、この場にいないサーカス団員に歯を剥く。
「まぁアレスは」「団長が決めたからまぁ」「こいつのせいで火の車だし」「今までの新人でお前が一番可愛くなかった」とボロクソに下働き達から続けられる。ギリギリと歯を食い縛り手を怒りに振るわせるが、そこから暴れようとはしない。
カラムにとっても初対面はどこか人を突き放す印象があったアレスだが、団員達とのその様子にサーカス団内では親しみやすい方らしいと静かに見当づける。彼自身から放った「こっからは別世界」という言葉からも、内側に入ればいくらかは聞く耳も持ってもらえるようだと考える。
サーカス団内とはいえ、すんなりと特殊能力者であることも明かしている。プライドの予知とレオン達からの情報も重なり察してはいたカラムだが、サーカス団からは初めて聞く情報に敢えて驚いたように表情を合わせた。
彼も?と傍にいた下働きの一人に軽く尋ねれば、やはり「外には秘密だけどな」と言われるだけで肯定された。
「カラム。アレがうちじゃ特殊能力を持った唯一の演者だ。こいつの地位は特殊能力が百で築かれてると言って良い」
「マルコ!!!百じゃねぇよ誰がお前らの金勘定やってると思ってんだ!!」
「でも馬鹿じゃーん。アンジェリカってアレスだけいつまで経っても私のこと呼ばないしぃ」
「うるせぇ一回覚えると直す方がめんどくせぇっつってんだろ。本名最初に名乗ったテメェが悪い」
「あの時はぁー馴れ馴れしく呼ばれたくなかったしー?アレス態度悪かったしーー?今は本名呼ばれる方がきもーい」
「昔の名前捨ててるやつもいんのにいっそ嫌がらせだろいい加減覚えろ直せ名前長くても横着すんな」
「良かったなカラム。こういう性格でも演者になれるから、お前なら即で花形もいける」
「給料削られてぇのか性悪共‼︎」
サーカス中に響いてもおかしくない声で怒鳴り上げるアレスに、怯む者は誰もいない。
気の弱い下働き女性レラすら、おろおろとはするがそこには怯えの色は一つもなかった。アレスが怒鳴るのも聞き慣れている。何より、いくら怒鳴っても手を出される恐れも喧嘩の恐れもなければ怖くない。
そしてカラムの目にも、彼らのやりとりは信頼の上で成り立っているのがはっきりとわかった。騎士団内でもよく目にする、軽いじゃれあいだ。
そう考えればいっそ見慣れたを通り越して馴染む感覚すら覚える。しかもこちらは男女も上下関係も分け隔てない。幹部はさておきサーカス団の所属年数がここでは重視されることも把握した。
昨日は一日通しても自分達を前に口数が少なかったアレスも、今はアランと気が合いそうだとカラムは思う。
……真面目な部分はアーサーやエリックとも気が合いそうだ。
「だってぇカラムは少なくともアレスみたいに厄介客に絡まれても相手を半殺しなんかしないしぃ」
「うるせぇ俺はジジイが嫌いなんだよ!!」
「団長のこともたまにジジイ呼びしてるじゃないですか」
そう考えながら、彼らの会話に必要以上は言葉を挟まずにやり取りから推測する。
給料の経理も任される幹部。特殊能力者ということはフリージア王国の人間であることも全員が把握済み。その上での遠慮のない関係性は彼がかなりの古株なのかとも考えたが、下働きの彼らから「まだ入って一年そこらだろ」「経理任されたばっかで偉そうに」と言われれば寧ろ新入りに近いと思い直す。
捻た軽口や悪態に反し、穏やかな空気感へ浸りながらやはり今はプライドの予知の状態前なのだなと思考した。少なくとも団長の不在とまだ見ぬ団長代理の女性以外は何ら不穏は感じられない。
むしろサーカス団という娯楽商業組織の中で団員仲は良好だと思える。一番立場が悪い筈の下働き同士でさえこの気楽さである。
「クッソ……もう良い。とにかくお前!付いて来い。新人纏めて今日色々回ってやる」
「え〜早くない?昨日の今日でもう??ずっるぅ」
「昨日の今日でベッタベタなお前らに言われたくねぇよ。こっちは買い出し行く前にさっさと終わらせてぇんだ」
頭をガシャガシャ掻きながら投げ出すアレスに、アンジェリカの不服も一蹴だった。
アレス本人も早すぎるのはわかった上で不満もある。今までのやり方ならば二、三日の様子見後にサーカス団員として紹介し挨拶周りからこれからすべき役割や仕事も考える。
特殊能力者であるカラムは別として、本来はそこで彼らのできることも下働きか演者が、演目や機材を通して本人に意見を聞きながら打ち合わすものだ。にもかかわらず、昨日の今日で早速など例外的な手法はアレスもしたくはなかった。……しかし。
「文句ならディルギアのおっさんに言え。朝っぱらから泣きつかれてこっちだって迷惑してんだよ」
面倒ごとばっか押し付けやがってと。そう悪態吐くアレスに、団員達も今度は目配せだけだった。
あー……と音にも出そうな口だけを開け、ここで何か文句を言えばアレスではなくサーカス団の面倒な古株を敵に回すとなればもう文句を言う気になれない。
全員からの沈黙を返事として受け取り、一度カラムを手招きで自分の横にアレスは立たせる。先に彼らを自分の口からも紹介しようかと思ったが、どうせもう一人にも挨拶し直すと思えば「あとでまた回る時に紹介するけど」と前置き、雑にだけ説明する。
「こいつらは下働きだ。うちのサーカス団はなんだかんだこいつらの働きでまともに回ってるから雑用だからって見下すな。演者が手伝うこともある。アンジェのことは後で説明してやる」
「アンジェリカですぅ。じゃ、カラムまた後でねー」
ばいばい、と軽い挨拶と共にアンジェリカが手を振れば、他の団員達もそれぞれ見送る方向に声を掛けた。
既に彼女が何の演者だということは把握しているカラムだが、ここはアレスとアンジェリカ互いを立てる為にも敢えて言葉を飲んだ。失礼致します、ありがとうございましたと礼儀正しく礼をし、アレスの背中に続く。
ずんずんと早足でその場から去るべく進むアレスは、彼らの声が聞こえなくなるまでは何も話さなかった。やっと距離が開き、テント内の別区間に入ったところで「ほんっとよぉ」と一人舌を打つ。
「あいつもあいつならお前もお前だな。新人二人して初日から飛ばしやがって」
「申し訳ありません。アランの方は噂に聞きましたが、テントの屋根掃除のことでしょうか」
「それだけなら厄介でもなんでもねぇよ」
うんざりと、また息が長く吐き出される。
肩が内側に丸くなり、カラムに背中を向けたままのアレスの目が死んでいく。ただでさえ悩みが尽きない今、面倒ごとは積み重なるだけ。何人も団員が抜けて参っていたところに新人二名。一人は自分と同じ特殊能力者という、演者不足の悩みが一つ解消するかと思えば、妙に人の懐に入っている。以前もサーカス団かこういう集団組織の幹部か、もしくは集団生活が長い奴なのかと考えるが、事実はわからない。更にはもう一人の新人がまた別方向に厄介だった。
カラムが「ならば何が」と言及するよりも前に、目的地へ近づいた証が響かされる。
「ああわかった!!つまり俺も出てけって言いてぇんだな?!!」
違う!!そういうつもりじゃなくてだな?!と、野太い怒鳴りに更に野太い声が重ねられた。




