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フリージア王国備忘録<第三部>  作者: 天壱
越境侍女と属州
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そして和らげられる。



「…………邪魔をしたな。残りは良い、好きにしてくれ」


自分でもわかるほど声が低くなったセドリックは、今度はゆっくりと席を立つ。

口をつけていない酒は捨てるなり店主が自分で楽しむなりすれば良いと任せ、代金だけを支払った。最後に、男への伝言だけはくれぐれも頼むと念を押し、店を出る。市場の位置は聞かなくても頭に地図ごと入っている。


王族として教養も受け、プライドに出会ってからは勉学にも力を入れた己がまだ知らず、そして受け入れられない常識がこの地では多過ぎたことに自分でも驚くほど打ちのめされる。

宿を出た後と異なり、明らかに顔色も悪く口数も少ないセドリックにエリックも僅かに顔を覗かせながら眉を垂らした。

自分もフリージア王国の城下で生まれ育ち庶民として比較平穏な世界で生きてきたが、騎士になってからは当然そういう世界だけではないことも知った。ラジヤの地を探索など今回が初めてだが、人身売買組織や奴隷被害者に関わった数は少なくない。一番隊として、ラジヤほどではなくとも遠征で治安の悪い地を経由したこともある。

人身売買の中にも何故自分達が重罰を受けるのか〝一部だけ禁止商品を取り扱ったからとしか理解できない〟人間もいれば、奴隷本人もまた自分が奴隷であることに疑問もない成人もいた。

しかし、セドリックは王族だ。国中の全てで守られ、王族としての健全な教育を受け、あの心優しい国王の兄達に育てられた彼が衝撃を受けるのも無理はないとエリックは思う。自分だって最初に目の当たりにした日は食事が喉に通らなかった。


「……。ダリオ様、突然ですが発言を宜しいでしょうか?」

「!勿論です。どうかなさいましたかエリック殿」

「自分には弟が二人いまして、末の弟から出国前に少しだけこの地のことについて聞けたのですが……」

そしてその現実を〝受け入れられない〟セドリックのままでも良いと、エリックは純粋に思う。

今はフリージア王国の民となっているセドリックだが、もともとはハナズオ連合王国の王族。そしてどちらも奴隷否定国だ。

目を背けないで欲しいとは思うが、自分達にとっても気分の良いものではない奴隷国の常識は全てを全て理解できなくて良いと思う。できることならセドリックにも、そして自国の王族であるプライド達にもその感覚は持ち続けて欲しい。

その善性が国へ反映されるのこそが王族であり、権力者なのだから。


意識的に柔らかな笑みを浮かべてみせるエリックは、敢えての声色にも明るさに注意した。

セドリックにあくまでさっきのやり取りをなかったことにしようとしてるとも気にしていないとも思われたくはない。だが、それ以上に今は彼が気に病み過ぎないでもらえるようにと願う。

何故こんな時に身内の話を王族にと、他の騎士が瞬きを繰り返す中、末の弟という言葉にセドリックはすぐにキースという記者を思い出した。

存じております、と言いかけそうなところで唇を絞った。エリックの身内については他の騎士にまで無遠慮に語るのは悪いと考える。

遠慮してくれた様子のセドリックに、エリックは笑みのまま「ご存じの通り記者なんですが」と続け、頬を指で掻いた。


「少なくとも弟が聞いた話……まぁそれこそここ近年のことでしょうが、観光客の話では治安の悪さはそこまでではなかったようです。スリには気を付けないといけなかったそうですが、一般観光客はその程度だと」

「?それは、……今は少々治安が悪化しているということでしょうか」

「申し訳ありません、そこまでは断言できません。が、……もともと我が国も城下が治安が良いだけで、全体で見れば人身売買に狙われやすい国でもあります。それに、国によっては首都でも軽犯罪の多発は珍しくありません。ただ少なくとも自分の肌感では、喧嘩程度で違法に奴隷にされる人身売買が黙認されるのも、観光初日から数人がかりで金を強奪されかけるのも、酔っているのがバレただけで明るい場所でも朝から標的にされる可能性があるのも〝大した〟ことだと思います」

あはは……と、我ながらやはり役に立たない毒にも薬にもならない情報だと自覚したエリックは、最後は空っぽの笑いを零す。

せっかくキースから聞いた話だが、残念ながら根も葉もない噂や評判ばかりだった。サーカスの存在を示唆されたりはしたが、サーカス団で特殊能力者の存在の噂もプライドが予知済みの内容だ。治安は大して悪くないらしい、という情報もふわりとしてとても事前にプライド達にも話せる内容ではなかった。

アーサーとノーマンのような裏側に通じるような情報だったら良かったが、残念ながら平和な情報だけだ。

こうして口にしてみてもやはり、言わなくても良い「へぇそうですか」で済む話だ。


しかしここで今、このセドリックにだからこそ話の出だしにはちょうど良く、役立ってくれた。

エリックの言葉に、示し合わせずとも騎士二名も同意を示すようにうんうんと頷いた。セドリックが疑問に思うように、自分達騎士にとっても今のこの地の状況は決して〝普通〟ではないと示す。決してセドリックがおかしいのではないのだと。


エリック達騎士からの意思表示に、セドリックも自然に呼吸が深く通った。

そうですか……と話し方も丸くなり、普段の自分の声色に戻って来た。もう子どもの頃のように、記憶した全てで自分の価値観や考え全てが侵されるとは思っていないが、それでも今までの常識をひっくり返されそうな感覚がやっと落ち着いた。

そのまま自然に自分からエリックの斜め前ではなく横に並ぶ。

セドリックの顔から力が抜けてきたことを確かめたエリックも、今は遠慮せずに彼の表情と呼吸を優先させた。


「まぁ今はこの地の変化よりも、サーカス団の団長捜索とジャンヌさんの案じている件の方だと自分達も承知しております。申し訳ありません、弟から聞いた情報もあまりお役に立てることがなく」

「!とんでもない!!情報に精した立派な弟君をお持ちで、羨ましい限りです。私よりも遥かに視野が広い」

情報自体は意味のない会話をしたことにやんわりと謝罪をするエリックに、セドリックは思わず声を張る。

そうだ今はこの地の成り行きよりもと、今自分が最も向き合うべきプライドの予知の阻止と捜査を思い返しながらも、心からの賛辞を送った。自分のように教師や本から聞いたことだけではなく、大勢の民の話に耳を傾けそれをまた大勢に広める記者という仕事も新聞という読み物も素晴らしいと本気で思う。

ゆらりと瞳の焔をゆらめかせれば、同時に顔全体から生気が戻った。市場に向け歩きながらも、視線は真っすぐに隣に並んでくれるエリックへ注がれる。


「エリック殿は御兄弟揃って優秀で才能に恵まれておられ、ご両親にも賛辞が絶えません。さぞもう一人の弟君も素晴らしい職に就いておられるのだとお察しいたします」

「あ、りがとうございます……。ですが、そこまでお褒め頂くほどではありません。真ん中の弟は結婚もして両親に孫の子も見せてくれたので長男としても色々助かってはいます……」

思った十倍以上の熱量でまさかの弟への賛辞に食いつかれたエリックも、思わずここで背中を僅かにだが反らしてしまう。

セドリックの調子が戻ったことも、弟達や両親が褒められることも嬉しいが、それを郵便統括役である王弟に言われるとなんとも返しに困ってしまう。しかも自分だけでなく、騎士二名も聞いている中でこれ以上自分の家族事情を話すのも躊躇われた。しかも話している相手は王族だ。

できれば真ん中の弟の話題だけでもこれ以上は広げたくないと思いながら、やんわり話題の方向性を逸らす。


全く何の嫌味も探りもなく天然でセドリックから「エリック殿とキース殿は御結婚は?」と尋ねられてもここは逃げずに「まぁ機会さえがあれば」と典型文で受け流した。

じゅわりと耳が熱くなるのを自覚しながら、気付かれないように呼吸を整える。

社交でこういった受け流しに慣れているセドリックも、そこで根掘り葉掘り言及することはしない。「そうですか」と一言返し、しかし尊敬の眼差しは変わらない。


「いつかエリック殿のご両親にご挨拶してみたいものです」

「い、いえっ……本当に、本当に我が家は普通で、お恥ずかしいくらいでして、ダリオ殿にお会い頂くほどの家では……」

勘弁してください……!と心の中で叫びながらエリックは背中が丸くなる。

せっかく学校潜入をやり過ごしたばかりなのに、プライド達の次はセドリックにまで会いたがられるとは思わなかった。首だけでなく両手も左右に振りながら、本当にどう誤解されればそうなるのかと思う。

自分は本当に騎士の中でも平凡で、末の弟も記者という珍しい仕事には就いているが社会的地位としてはむしろ低い。そして真ん中の弟もわざわざ王族に会ってもらいたがるほどの立場ではない。

しかも、こうしている今はセドリックだけでなく、セドリックから身に余り過ぎる賞賛を受けていることに他の騎士まで自分へ感心の眼差しを向けているのが背中に痛い。完全に過剰賞賛で、セドリックが大袈裟に褒めすぎなだけだと弁明したいが、今ここでそんなくだらない私語もできない。

実際はセドリックに賞賛されていることにではなく、ただただ王弟と肩を並べ親し気なエリックの人柄に対しての賞賛だが、彼らもまたそれをわざわざエリックに言うほどの状況ではなかった。


「カラム隊、さんやアランさんと比べれば自分など本当に……」

「?カラム殿は存じておりますが、アラン殿も何か特別な家柄で……?」

思わず自分よりも遥かに尊敬する二人の上官の名前を出してしまうエリックに、セドリックは首を軽く傾ける。

いえ家柄というわけでは……。とまでは口に出たエリックだが、そこからは口を結ぶ。

自分の話題を逃げたいからといって、むやみに隊長達の私的なことを話すわけにもいかない。別にカラムからもアランからも口留めを受けたことはないが、それでも憚られた。汗がじんわりと額を湿らす中、取り合えず言えることはと「自分と同じく特別な家柄では」とやんわり誤魔化した。セドリックもそれには「ああ!」と今気が付いたかのように声が上がる。


社交界の会話に慣れて、うっかり出身を前提で話してしまったが、エリックもまた庶民の出である。

セドリックから「失礼いたしました」と謝罪をされれば、この絶好の機を逃すまいとエリックも「いえ」と断りながら今度は半ば必死に話題を大きく変えた。


「今頃お二人ともどうされておられるか。団長を確保できていれば何よりなのですが」

「そうですね……。それに、アラン殿もカラム殿もご無事だと良いのですが」

「それは問題ないと思います」

あははっ、と今度は素で明るい笑いが零れた。

あまりにも断言に近くあっけらかんと言うエリックにセドリックもきょとんと眉の間を伸ばす。更に二人の騎士に視線を向ければ、彼らもそれには頷きよりも遠い目と半笑いを浮かべていた。

プライド達から説明を聞いた彼らもアランとカラムの潜入は知っている。……そして、思うことはエリックと同じだった。


「寧ろ、アランさんはわりと楽しんでおられるかもしれません……」


はははは……と、自分の隊長をよく知るエリックの遠い眼差しはセドリックではなく進行方向先の空へと向けられた。

これもエリックなりの信頼の表れなのだろうかと見当づけながら、セドリックは「なるほど」とだけ肯定を溢した。


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