そして下働きをする。
「あの、ほほほ、本当に、本当にすみません……。あとは私がやるので、そ、その、本当に男の人に頼むような仕事じゃないですし……」
「いえ、新人ですから。他にできる業務があれば何でも仰ってください」
すみませんすみませんと、頭を下げる前から腰の低い女性にカラムは優しく笑いかける。
女性が運ぶ筈だった大ぶりの洗濯籠を一度に二つ抱えていた彼は、目的場所であるテント裏の物干し場でそっと降ろした。カラムの背に続くように小さく背中を丸めた女性は、感謝こそするがそれでも上手く目も合わせられない。
サーカス団でも新入りの中で一番の下っ端仕事を進んでやっていた女性は、身体だけでなく手足も細い。
力仕事でまともに役に立てたことのない彼女にできる仕事は、このサーカスでは雑用ぐらいだ。サーカス団員全員分の洗濯物や衣装等の繕い、水場関係の掃除など一番嫌われ面倒がられる仕事を自ら任されている。しかしそれの程度に今更不満はない。
面倒な仕事なのは違いないが、だからこそそれを一任されている自分はその分他の人の役に立てていると思えば安心感もある。その中で最も彼女が苦手なのは汚く不潔感のある業務の方ではなく、清潔な水を吸ったまま本来の姿の何倍も重くなった洗濯物運びだ。それを移動させる時だけは休み休みに運ぶか、少量ずつ何度も往復するか、手の空いている人に手伝ってもらうしかない。荷車すら彼女には重すぎた。
昨日までは団員もただでさえ不足で自分一人でなんとかすることが多かったが、今日は久々に違った。いつものように洗濯物を運ぼうとコソコソ小ぶりの籠に移そうとしていたところで、自分から話しかけてくれたのが昨日突然現れた新人だった。
「お手伝いしましょうか」と声をかけられ、最初はいつもの団員の誰かが手が空いたのかと何も考えずお願いしますと受けてしまった。しかし振り返ればそこにいたのは当然ながら今まで会話をしたことがないピカピカの新人だ。
慌てて遠慮したが、それでも女性一人には大変でしょうからと流されるまま結局全て運んでもらってしまった。
「それにしても大変ですね。これだけの量を毎日お一人でされているのですか」
「いっいえ……!きょ今日は久々かな~と……最近公演もなくて皆練習に身も入らないから練習着も袖を通すことがなかったので……。けど、昨日の……ぁ、し、しししし新人さん?のお二人も入ったお陰で本格始動かもとか練習する気になった人も多いみたいだし、ちょっとでも衣装とか練習着とか綺麗に洗って干された方がその、やる気というか元気になるかなーとかあの、ごめんなさい何だろ私の自己満足で本当に恥ずかしいごめんなさい」
あははははは……と、言いながら途中から緊張で涙目になる。結局自分で仕事を増やしている。
昨日までは団長不在やサーカス団内の不穏もあり、なかなか練習にも手がつかない団員がいたが昨日の脅威の新人と共にサーカスの開演も前向きな方向が発表された。自分にできることは日々の雑用しかないのだから、せめて少しでも皆に喜ばれるのをと考えたら皺や埃の被った練習着や洗濯着を洗うことだけだった。もともと一度着ても何度も何度も使い回すことが多い洗濯物は籠にいれられず放置されたままだったが、今日は自分で一人一人の元へ回って許可を得て回収した。
びしゃびしゃと洗った後の洗濯物は彼女のボロの長袖の袖を色が変わるほどびしょびしょに濡らし、手を指の感覚が失うほど冷やしたがそれでも彼女は達成感の方が勝った。回収に回った時、何人かに「ありがとう」「ごくろうさん」と言われただけでいつも胸がいっぱいになる。
しかし、それが結果として仲も良くない新人の男性に無駄に荷物を増やして運ばせたと思うと申し訳ない。新人の一番の下っ端だった時は気が楽だったし、その後に入ったのが演者に抜擢されるような大型新人の時は演目もしんなり決まって練習に取り組んだからすぐ自分が下に戻れたし、新人が子どもだった時も自分はその子を助ける気になれた。
しかし、今回の新人はどちらも立派な新人男性で、演目は決まってない。こんな情けないし使えない新人の下っ端女なんか見下されているのだろうと自分の頭の中ではひたすら新人の目に映っているだろうみずぼらしい姿の自分の想像が膨らんでしまう。
目も合わせられずゆっくり話すこともできず、いつもの条件反射で動く。張った紐に順々に洗濯物を通しては固定していく。
作業している時が一番落ち着くが、やはり自分より絶対立派で役立つ新人を相手に上手く会話ができない。二人とも立派な身体つきで絶対自分より役に立つのに、特に今自分を手伝ってくれている男性は〝特殊能力者〟だ。団長がいればさぞかし大喜びしただろう、垂涎ものの存在である。自分とは世界が違う。
「あの、あのの、もう良いので、ありがとうございました。あと全部私やれますし慣れてるのでもっと役に立てるお仕事に戻ってください……」
「いえ。……もし宜しければ、お手伝いさせて貰えますか。貴方の仕事も間違いなく団員を支える立派なお仕事です」
目どころか顔も合わせられず新人相手に背中を向けながら言葉を続けた女性に、カラムは腕をまくりながら歩み寄る。
湿った洗濯物で裾が濡れないように留意しつつ、女性の手並みを参考にしながら洗濯籠の一つを持ち上げ直した。洗濯紐が張られているのは一か所だけではない。
騎士団では定期的な洗濯は城の洗濯侍女が請け負ってくれるが、それ以外の時は新兵や騎士自身で片付けることも多い。
カラム自身新兵の時は洗濯作業を任されたこともあれば、騎士になっても不必要に汚してしまった団服や衣服を自分で処理したことは何度もある。騎士団演習場ではなく遠征中であれば特にそういった作業は必要になる。目の前の女性ほどではないが、洗濯について知らないわけではない。
なにより一枚一枚は大した重さではなくても、それを何度も何十も繰り返し干す作業は決して簡単なものではない。しかも団員の為に自らと聞けば、彼女の志は素晴らしいものだとカラムは思う。
「今は手が空いてますし」と笑いながら洗濯物を一つずつ手に取るカラムは、実際まだ具体的な業務は命じられていない。
演目が決まっていないアランと違い、カラムの場合は自身の特殊能力をどういう演目にするのかは上の人間同士で検討中だ。今日のところはサーカスの生活に慣れるようにと言われた今、下働きである雑用も立派な業務である。
「ありがとうございます」と何度も何度もその一言だけでも噛みながら頭をぺこぺこ下げる女性と少し距離を開けた場所で、またカラムも干し始めた。
このまま作業の間だけでも彼女からいくらか話を聞いてみたいが、明らかにまだ緊張が解けていない。自分が継続して質問ばかり話しかけても緊張するだけだろうと理解する。ただでさえ自分に話しかけられてからずっと顔色が優れない彼女にいきなり問いを重ねるのも悪い。
ならばいきなり聞き込みよりも、先ずは自分の存在に慣れてもらえるように他愛もない雑談で交流を図ろうかと考えた時だった。不意に近づいてくる気配に軽く注意を向け、首を各所へ順に向ける。
「!レラちゃんお疲れ様〜!!暇だから手伝ってあげるぅ〜!」
「レラー、手足りてるかー??」
不意にテントの中と外、両方から殆ど同時に声がかけられた。
レラと呼ばれた下っ端女性もおっかなびっくりに全身を上下させながら振り返る。見れば、同じサーカス団の女性と男性がそれぞれ自分の方に歩み寄ってきていた。
正直、あまりにも親切な男性と二人きりというだけで心臓が口から出そうだったレラには天の助けだった。
「彼女と彼は?」と、カラムも駆け寄ってくる男女それぞれをレラに尋ねる。
まだサーカス団員の紹介もされていないカラムは流石に顔に覚えがあっても、名前や立場まではわからない。二人とも十代中盤から二十代くらいの年齢に見える、比較サーカス団の中では若い層だ。
レラはカラムからの問いにどもりながらも、時々自分の洗濯物運びや干すのを手伝ってくれる二人だと説明する。
「ヤンさんは私と同じって言ったら失礼ですけど、うっ裏方の方で、私より労働量すごいのに手伝ってくれてアンジェリカちゃんなんて演者さんなのに女同士ってだけで優しくしてくれてちょちょちょっと前にはユミルちゃん達もいたですけど……」
ぼそぼそと途中からは声が小さくなる彼女の言葉を聞きながら、ユミルという名前にカラムは口に出さず理解する。
貧困街で出会った少女。彼女ともきっと親しかったのだろうと理解しながら、今は「そうですか」と微笑んだ。
目の前の女性の頑張りをちゃんと理解してくれている存在がいることに安堵する。駆け寄ってきた後もレラへ向けて「今日洗濯物集めてくれてたから」「テントの屋根掃除しないで済んだ分間に合って良かった」と笑いかける二人は、良い友人に見えた。
しかし、直後にレラへの視線が自分に来れば警戒の眼差しがそこには含まれた。レラと違い、カラムとは昨日が初対面の為当然だ。
「え〜〜〜っとぉ、レラちゃんを手伝ってくれてありがと〜……?けどもう私達がやっておくから。じゃっ」
「新人だよな。あの、テントのやばい奴と同じ。アンタ隠し玉だし作業しなくても怒られねぇよ」
アンジェリカに続き、レラを守るように間に立ちながらヤンと呼ばれた青年が一歩前に出る。
ここ最近はテントの掃除で時間をかけていたが、今日は脅威の新人が入った分余裕ができた。手が空いた時はなるべく下働き仲間を手伝うようにしている彼だが、まさか新人とレラが一緒にいるのは驚いた。
しかもさっきの新人と違い、こちらの男性は特殊能力者だ。パッと見ではまともそうに見えるが、下手に喧嘩するのも危険な相手なのだろうと僅かに肩がヒリつくほどに身構えた。
そして警戒するのはアンジェリカと呼ばれた女性も同じだ。
本当は今日は久々に練習を頑張ろうと思ったが、それよりもカラムと並んだレラを見て心配になった。
同性である自分にも未だに緊張するほど気弱な彼女が、男性のしかも昨日現れたばかりの相手にすぐ打ち解けられるわけがないと知っている。しかも洗濯物に気合をいれていた彼女の洗濯物量も考えれば、それを干し終わるまでほぼ初対面の相手と作業しないといけない。レラにどう思われているかさておき自分にとっては女友達でもある彼女をほうっておけるわけもなかった。
二人からの警戒に、仕方ないとは思いつつカラムも少し考える。このまま手伝わせて欲しいが、しかし無理に通せば二人にレラへよからぬ探りを入れようとしたと警戒されてしまう。ここは素直に引くべきかとも考える。
「あ、あああ。あのアンジェリカちゃんヤンさん違うのごめんなさいこの、この人ずっと手伝ってくれて重いのに全部、それで今も手伝ってもらうところで、本当に悪い人とかじゃ……」
あわわわわわ……と涙目になりながら二人の腕の裾をレラが指で掴む。
突然のレラからの仲介に、庇う二人も目を丸くして振り返った。手伝ってくれるところで悪いことを何もされていないと、どもりながら必死に訴えるレラの言葉に二人も顔を見合わせる。
彼女が怯えて自分達の影に隠れることは常にあっても、こうやって訴えるのは本当に誤解だった時だけだ。なら、変なことを言われていたわけでも纏わりつかれていたわけでもないのかと、もう一度カラムへ目を向ける。
腕をまくり、洗濯物を今も通そうとしていたように見える彼は、確かに悪人には見えない。何より、レラが緊張こそしても直接怯えていない相手であればそれだけで信頼材料にはなった。彼女へ一度でも横柄に振舞えば、そのあと人が良さそうに取り繕うと脅そうと、彼女の意思ではどうにもならず異常に怯えられるのはサーカス団の誰でも知っている常識だ。
立場と腰の低い人間に対してほど、新人の本性は出やすいことも。
「……。そっかーじゃあ四人で片付けちゃおっ。レラちゃんこれ終わったらまた見てくれる?ユミルちゃんもリディアちゃんいなくて寂しいの〜お願い!ちゃんと褒めてね??」
「ていうかアンタと一緒の新人。あいつやばくね?ディルギアさんもジャッキー達もドン引きだぞ。ウチ来る前もあいつはどっかのサーカス団いたとか?」
「いえ、彼は昔からああです。何かありましたか?」
アンジェリカがそっとレラの肩に触れ、早速手分けしようと笑いかければヤンも自然にカラムに並ぶ。
四人で早々に巨大な籠の洗濯物を手に取り、干しながらも会話が自然と一本の紐のように紡がれた。立場こそもっとも低かったレラだが、だからといってサーカス団での人間関係が何もないわけでない。
下働きをする彼女のありがたみは、サーカス団の誰もが知っている。そして身内に優しい人間まで弾くほどサーカス団は排他的ではない。人の出入りが多い一団なのだから。むしろ殆どの団員は、他人に慣れている。だからこそ無視もできるし受け流し方も距離の取り方も身についている。
しかし、話して見ればこの上なく常識も通じ礼儀もある新人相手に四人での会話が途切れない。
「えっ?!本当だテントすっごい綺麗!!え〜、あれ一人でって怖ぁ……。どうせディルギアさんの新人いびりでしょ。あれ?特殊能力者ってあっちの人だったっけ??」
「あああアンジェリカちゃんあんまりとく、とくしゅ能……とか外では言わない方が……」
「いいじゃん私達しか今いないも〜ん。どうせ演者でもこの人だけじゃないしぃほらアレスだって」
「アンジェリカさーん、レラの言う通りそれ以上はアレスさんに怒られまーーす」
「アランは特殊能力者ではありません。私の方は昨日口留めをされてしまったのでまだ言えませんが……」
「隠し玉になるっつってたもんなー。あの新人の名前アランか。あれ?アンタはなんだっけ??」
洗濯の皺を払い伸ばし、紐に通し、固定する。その単純作業は会話をするのには最も適していた。
山のようになった大籠二つ分の洗濯物は四人で干せば太陽が上りきる前には全て干せたが、新人一人が下働き同士で馴染むには充分の時間でもあった。
「今日天気良いしシーツとかも洗濯しちゃおっか。医務室のシーツそろそろ取り替えたいって先生も言ってたし、料理長もエプロンの色やばいし、テントの屋根も今なら使えそううだし男手二人もいるし〜あとディルギアさん達絶対シーツくっさいし」
「アンジェリカさん練習は良いんすか?」
「もし宜しければ、あとは私達でやっておきましょうか。レラさんも約束をされていたし休憩ついでにいかれては」
「あっい、いいいいいいえ、私もやります洗濯したいです洗濯は数少ない私のできる仕事なので……」
「やっだ〜レラちゃんを野郎二人に任すとか無理。カラムなんか顔ちょっと良いから無理中の無理。レラちゃんが取られたら私が寂しいじゃん!!リディアちゃんもユミルちゃんも駆け落ちしちゃったし本当やだー」
駆け落ちとは決まってませんよ、団長探しに行っただけかもとヤンが突っ込むが無視をする。
もともと言い出したのは自分だから手伝うと、アンジェリカは早速レラの手を取りテントの中へと戻っていった。
呆れながらその後に続く下働きの青年ヤンも、歩きながらそこで振り返る。新人の男性に「行くぞ」と手の動きで誘い促しながら、共に女性陣二人と共に寝具の洗濯業務へと向かった。
「力あるんなら明日猛獣小屋の餌やりの方も手伝ってくれよ。特に象は本当飯食う量尋常じゃねぇからさ。前はラルクがやってくれてたんだけど」
「!生きた象がここに……?こちらのサーカス団では大型動物も所有をしているのですか」
「そっか象初めてか。比較大人しいけど、うちじゃ象もライオンも狼も虎も纏めて猛獣って呼んでる。おーい!俺ら先に猛獣小屋の方から集めてくるから女部屋に先頼む」
俺は新人を猛獣小屋に案内してくる、と。そう告げるヤンの言葉に、女性二人もそれぞれ言葉と頷きで返した。
同じ下働き同士肩を並べて団員用テントとは別方向へ向かう。大型テントと団員テント、動物達のいる猛獣小屋は併設こそされてもまた別である。
案内されるまま付いて行きながら、テント内部では「ディルギア!こいつ何なんだ?!」「許せ!!」と盛り上がりというよりも悲痛な騒ぎ声がカラムの鼓膜に届いた。また何かやらかしているなと確信する。
サーカス団の深層へと目指す騎士二名は、互いが様子見をし合う必要もないほど団員の空気へ順調に浸透していた。