Ⅲ53.八番隊騎士は伝える。
「………………。~~~っ……」
休息時間を与えられて時間が経っても尚、落ち着かない。心臓どころの話じゃない、身体の臓器全てだと。そうノーマンは心の底から思う。
ラジヤ帝国の属州パボニアに到着してから一日が経過し、もう夜になっている。今のところ王族が住まう宿には何も異変はない。寧ろ平和そのものだ。つい今しがた通信兵が二名も同時に王族から出動要請があり、僅かに慌ただしくはなったがその程度。あくまで順調なのは変わらない。
しかしそれでも胃が裏返るような、臓器全ての浮遊感が昨日から変わらずノーマンを蝕んでいた。口を結び、護衛配置から離れたまま騎士である自分達の休息部屋のベッドで背中を丸くする。
女王付き近衛騎士である彼らは、他の騎士とは異なる部屋に隣同士の二人ひと部屋で配分された。
女王の近衛護衛を隊長格二名が行っている今、自分とそしてもう一人の近衛騎士は休息時間を与えられている。同室であるケネスが近衛騎士任務中の今、部屋に入ったところでノーマン一人である。
しかしもう暫く経てばケネスも護衛時間を終えて戻ってくる頃だろうかと時計を確かめたノーマンは、ベッドから起き上がる。ほんの短時間の仮眠だったが、お陰で少しは頭の靄は晴れた。肉体的疲労はないのに、女王の護衛というだけで戦闘の倍は精神をすり減らした。
一日の前半が女王の護衛担当だったノーマンだが、ただ傍にいるだけで威厳に圧し潰されそうだった。
宿の一室とはいえ女王の部屋の片隅で控えていた間、ローザがあまりにも完璧すぎた。摂政から一日の予定を伝えられてから、殆ど休むこともせず着々と書類や報告書に目を通す。新たな情報を得ればその度に摂政へ命じ、更なる調査へと騎士を派遣する。更にはフリージア王国内でなくとも取り組める女王だけの公務を淡々と続ける。
ミスミのオークションについても何度も何度も繰り返し摂政と打ち合わせ、時には騎士を呼びつけ護衛形態の確認も重ねている。今回はハナズオ連合王国、そしてアネモネ王国の王族とも連携していることもあり、常に最悪の事態に備えていた。
一部の騎士隊は一足早くミスミ王国へ馬で向かい、詳細調査と宿の確保を行うように今朝から命じられた。
治安が悪いだけのラジヤ属州と異なり、ミスミは各国の王族が集まる場所だ。女王が訪問してもきちんと安全が確保されるか、ミスミにラジヤや反勢力の気配はないか。自国の王族だけでなく、三国の王族全員の安全を確保する為に全くの抜け目がない。
馬車での移動時は寧ろ全く動きがなく、休憩地で軽く散歩する時があるくらいで人形や彫刻のように窓の外を眺めるだけで止まっていた。そこまで何日も何もしなくても飽きないのか暇にはならないのかとノーマンすら疑問に思うほどの不動だった。
その女王が宿に泊まった途端、別人のように忙しない。朝の挨拶時から女王としての身支度も完璧に自分達を迎えてくれた後は、本当に無駄口の一つもなかったとノーマンは思う。
仕事、食事、仕事、仕事、食事と。近衛騎士になった自分達にも就任後から大して興味を持つことはなかった。初日ですら「よろしくお願いしますね」と気品のある微笑で笑いかけられた後は自分達が空気になったかのように全く気にされない。彼女の人間らしい動作と言えば、馬車でも宿でも空き時間を見つけては美しい黄金の髪を何度もブラシで梳いていたくらい。
やはり王族ともなると身嗜みにも倍は気を払うのだなと関心を覚えたノーマンは、未だに女王に欠点の一つすら思いつかない。
〝女王〟という名の偶像をそのまま人間にしたかのような存在だと、そう印象を覚えたのはノーマンだけではなく女王の傍に付く近衛騎士全員の総意だった。
真剣な表情と物思いに耽る表情以外、美しく化粧で整えられた顔はぴくりとも動かない。民の前だけならばまだしも護衛である自分達の前でもとなるとあれが自然体なのかと思えば、ノーマンは近衛騎士として自分が選ばれた理由を早くも見失いそうになる。
『正しいことを絶対貫こうとするノーマンさんになら安心して陛下をお任せできます』
「…………~……もうあの御方は誰がどう見ても最初から最後まで完璧じゃないか……」
口の中だけで呟き、記憶の中の上官に頭を抱える。
むしろ、そういう人間だと証明されるからこそ推薦されたようなものだとわかっていても、一つも女王の欠点弱点一つ見いだせない自分が少し不甲斐ない。あれだけ上官や先輩である騎士達には偉そうな口を叩いておいて、王族を相手にした途端に怖けて良いところしか見ようとしていないんじゃないかと何度も自分を疑ってしまう。
就任してから今回の遠征で初めて本格的に任務に就いた時は、女王相手にも自分は本当に何か提言できるのか、もしくはちゃんと我慢できるのか、失礼な物言いをしてしまわないかと不安ばかりだったが、結果として女王は最初から最後まで完璧だった。
あんな、どんなことにも動じなさそうな鉄の仮面を被っているような女王の、その娘が何故プライドとティアラなのかと不思議に思う。
あの王女二人は揃ってにこにこ笑顔を絶やさず、しかも祝勝会では騎士にも隊長格かどうかも関係なく親し気に話しかけていた。ならば中身は父親である王配似なのかとも考えたが、王配は王配で愛想が良いとは思えない。自分達が就任挨拶へ伺った際と今回の遠征で発つ時に見送りで訪れた時には直接顔も合わせたが、口角だけ上げたまま常に睨むような鋭い眼光を向けられた。
まさか女王の傍に立つ護衛に対し嫉妬を向けるとは思わないが、他の騎士はともかく騎士隊長でもなければ特殊能力者でも貴族出身でもない自分では女王の傍に立つには不足と心の底では思われたのではないかと案じた数は数えきれない。
「……駄目だ……そろそろ部屋出ないと……。演習……いや、外で夕食を……」
宿には食堂もあり食事が部屋まで運ばれる王族と違い、騎士は外食だけでなく食堂での食事も許されているが、ノーマンは外を選ぶ。
騎士団演習場なら食堂での食事に抵抗はないが、今はなるべく部屋を長時間開けられる理由が欲しかった。そろそろ同室のケネスが戻ってくると思えば、彼が食事と身支度を終えて入眠するまでは部屋にいたくない。
いっそこのままベッドに潜り込んで眠り続けるのも良かったが、それではケネスが気を遣って部屋で寛げない。後輩であり下官である自分が部屋を譲るしかない。何よりも、……一緒の部屋で気まずい空気が流れるのが一番嫌だった。
これから共に近衛騎士として女王を守る者同士だというのに、長い沈黙程度ならばまだしも自分はまた余計なことを言ってしまうかもしれない。連携を必要としない八番隊とは違う。
ただでさえ実力が騎士隊長より劣る自分が、こんなことで連携に支障をきたすわけにはいかない。
こういう時やっぱり八番隊は居心地も楽だったと、そう息を吐きながらノーマンは起き上がった後のベッドを未使用のように手早く整えた。騎士の団服ではなく外出用の服に着替え、鏡を前に丸渕眼鏡の位置を直す。外出は許可されているが、おいそれと大勢いる騎士があちこちに存在を周知させるわけにはいかない。あくまで目立たず一般人として装うノーマンは、最後に忘れ物がないかを確認し扉に手をかけ
「!お、疲れ様ですノーマンさん」
……た、瞬間だった。
扉を開けたところで、ばちりと扉前に立っていた人物と目があった。あまりの不意打ちに扉を開けた手のまま固まるノーマンは、眉と目の間が伸びる。
自分とケネスの休憩部屋だった筈のそこで、扉前に立っていたのはアーサーだ。
ちょうど今ノックをしようとしたと言わんばかりの拳の構えで止まるアーサーも、間が悪かったと大きく見開いた目でノーマンを見返した。「すみません、今ノックを……」と驚かせてしまっただろうことを謝罪するが、その間もノーマンは何故ここにアーサーが立っているのかの疑問しかない。
一瞬自分が間違えてアーサー達第一王女付き近衛騎士の部屋に入ってしまっていたのかと考えたが、間違いなく自分の私物のある自分の部屋だ。ならばアーサーが間違えたかとも考え掛け、それは途中で止まった。目の前に立っているアーサーはお忍びの護衛用よりも更に身軽で、必要最低限の装備しか身に付けていない。一度着替えに戻っただろう部屋を間違えるわけがない。
考えれば考えるほど自然に伸びていた眉間が狭まり、そこでやっと「お疲れ様です」と挨拶を返せた。
「何か御用でしょうか。ケネス隊長ならばまだ戻っておられません。ブライス隊長かローランドさんの部屋は隣です」
「いえ、ノーマンさんに……。あの、……だ、大丈夫っすか?」
ビキィッ、とノーマンの頭の中に亀裂音が響く。
てっきり自分以外の騎士に用があると思ったところで指名には驚いたが、いきなり直球を投げられたと思う。しかも想定できる域を超えた剛速球だ。
苦そうな表情で自分を見つめるアーサーの言葉とぎこちない言い出しに、バレているとノーマンの肩が不自然に上がった。同時に眉間も倍狭まる。じっと返事よりも先に眼光でアーサーを睨み上げながら、奥歯を食い縛った。
鏡を見た時点では自分の顔色には何ら問題はなかった。近衛任務中は、早朝にプライド達と外出したアーサーには会わなかった。ならば一緒に近衛任務を行っていたローランドか、もしくは交代の引継ぎ時に顔を合わせたケネスかブライスに聞いたのだろうと考える。
仮眠を取ってはいたが、決して寝込んでいたわけではないノーマンにとっては心外この上ない。
「何方に聞いたかは知りませんが……」と低めた声と共に睨まれ顎を僅かに反らすアーサーがたじろげば、向こうの言い訳の前にノーマンの口は更に動く。
「ご心配は不要です。今も少々休息を取っていただけです。御推薦頂いた期待を違えるつもりもありませんし、まだ滞在から一日しか経っていないにも関わらずそう過度に心配されても逆に迷惑です。自分はあくまで女王付き近衛騎士とはいえこの騎士団が大勢滞在する宿で陛下を御守りするだけですし、ラジヤ帝国属州で立場を伏して王族の方々と調査に明け暮れるアーサー隊長とは負担も違います。休息時間を得たならば先ずはご自身の体調管理に目を向けられるべきではないでしょうか」
またやってしまっている。そう自覚しながらもやはり思ったことが間違っていないと思えばそのまま口に出る。
容赦ないノーマンからの言葉の銃撃にアーサーも背中が丸くなる。す、すみません……と思わず反射的に謝罪から始めれば「ですから謝って頂かなくて結構です」とまた鞭のように強い声が放たれた。
何故ノーマンが怒っているのかいまいち掴めないまま、それでも最後まで言い分は聞く。「なんでもかんでも謝る癖などがついたらどうなさるおつもりですか」とまで言われ、もうその癖は遅いかもとうっすら自覚する。
ノーマンの言い分を頭でしっかり反復し、彼が口を一度閉じてからアーサーはひと呼吸後に宿の外を指差した。
「あのっ、……じゃ、じゃあつまり今はお暇ってことで合ってますか……?」
「ええそうです。これからちょうど食事に外へ出るところです。体調管理も騎士として留意しておりますので、重ね重ね申しますがご心配頂かなくて結構です」
「!良かったです、ありがとうございます。店とかは決めてますか?」
「は??」
思わず間の抜けた声が出てしまう。
眉を寄せたまま今にもアーサーと扉の間を抜けて去ろうと思っていたノーマンが、今度はアーサーの言っている言葉の意味がわからなかった。
うっかり失礼な返事になってしまったことに「失礼致しました」とそこは一言謝罪をするが、頭は全く理解できないままだ。
あきらかにほっとした表情で笑いかけてくるアーサーに、自分が何か変なことを言っただろうかとも考える。しかし、どう考えてもお礼を言われるようなことは言っていない。何でも謝罪どころか礼まで言うようになったのかと思考しながらアーサーを見つめ返せば、きょとんと丸みを帯びた眼差しで返された。「どうしました?」と心から不思議そうにするアーサーに、ノーマンもここはうやむやにはしておけない。
「失礼ですがアーサー隊長、自分の申し上げた言葉は正しく伝わっていますか?部下の言葉を中途半端な判断で済ませられるのはどうかと思います。大変失礼とは存じますが、もう一度はっきりと自分のお伝えした意図を言語で反復願えませんでしょうか」
とても下手に頼んでいるとは思えない口調ではっきりと、自分が何を言ったか繰り返せと言うノーマンは第三者が見ればどうみてもアーサーに説教している側だった。
しかしその言葉にもアーサーは変わらず「はい!」と完全に立場逆転するように姿勢を正す。ステイル達のように記憶力が特別優れているわけではない為、全てを正確には言えずともノーマンがさっきから言っている要件だけならすぐに思い返せる。
ええと……と、最初から纏めようと思考を少し浮かせた後、アーサーは自分なりの言葉でノーマンの言い分を確認した。
「今〝大丈夫〟なんすよね?休息も取られてそこまでお疲れもなく予定有無の心配はないと仰られて、ちょうど外食に行かれるところで気兼ねの必要もないと仰られたのでてっきり食事ご一緒して下さるという意味かと……。…………違いました?」
「……………………」
カチカチカチと頭の中で歯車が回り出す。
アーサーの言い分が合っているようで、どこか間違っている。ハリソン副隊長でもないのにこの人もこんなに要件を省略する人だっただろうかと、ノーマンは考える。しかし、そのまま誤解で流れに任せるようなことをノーマンはしない。
口を閉じ、アーサーと焦点だけは合わせながら冷静に思考する。アーサーの直前の発言だけでなく、自分の発言も省みればやっと大いなる歯車の掛け違いに気が付いた。
じわっ、と自分の耳が熱くなるのを気付いた瞬間に自覚する。思わず目をアーサーから下げ、俯き気味になってしまいながら唇が震えそうなのを一度噛んで紛わした。
「あの」と今度はノーマンから覚束ない出だしが発せられる。
「……先ほどの「大丈夫か」とは、…………~……「今、時間はあるか」のご確認で宜しいでしょうか……?」
「?はい」
やってしまったー---------------!!!!!
ノーマンの頭にその叫びが響く。きょとんと瞬きを繰り返すアーサーに、完全に顔が上げられなくなる。まさかのアーサーではなく自分自身の早とちりが原因だった。
自分一人が部屋を出る前に悶々と考えて悩んでいた所為で、その後ろ向きの思考でアーサーの言葉を受け取ってしまった。アーサーは単純にこれから部屋を出るところだったノーマンへ急いでいないかと尋ねただけだった。
更にはノーマンからよくわからないまま連撃で怒られ、しかし簡潔に言えば「時間も余裕がありますし疲れていませんお気遣いなく」と聞こえた。そのまま「ちょうど食事に外へ」と言われれば、初めてノーマンが自分から食事へと促してくれたと受け取るのは当然だった。
ノーマンが休息時間に入っていると、同じ八番隊として把握していたアーサーがノーマンを食事に誘おうと最初から思っていた所為もある。以前も自分が食事を誘い、それに受けてくれたノーマンが今回も受けてくれたと思えばアーサーにとってはごく自然なやり取りだった。
一人で思い込んで誤解で怒ってしまったノーマンは、一人羞恥で死にそうだった。気を抜けばこの場で頭を抱え蹲りそうになりながら、気力で俯きだけに抑える。
「……。大変申し訳ありませんでした。自分の誤認でした。先ほどの自分からの言葉は全て撤回致します。自分の方が思慮に欠けていました」
「?!いえ!っつーか!えっ!それって駄目ってことっすか……!?」
突然俯いたままに深く謝罪の角度に腰まで曲げてくるノーマンに、アーサーの目が限界まで開かれる。
何が誤解だったのかどころか謝られる覚えもないが、それよりも誤解と撤回ということはノーマンにしては珍しい遠回しなお断りかと考える。
扉をノックしようとする前から、ノーマンに断られる反応ばかりが頭に廻っていたアーサーにとっては持ち上げて落とされたような感覚だった。むしろ自分が何か悪いことを言って断られたのかとも考える。
一気に慌て出すアーサーに、ノーマンは頭を下げ切ったまま口の中を飲み込んだ。今度はきちんと間違いなくアーサーの問いかけを理解する。
「…………。申し訳ありませんが三十秒だけお待ち頂けませんでしょうか。忘れ物をしました」
「はい…………????」
失礼致します。と、アーサーの返事を受けたノーマンは素早く扉を閉じる。なるべく乱暴にならないように細心の注意を払い扉を閉じ切ったところで、……一気にその場へしゃがみ込んだ。
馬鹿か僕は!!!!と声に出さず叫びながら、思う存分自分の頭を抱え顔の筋肉全てに力を込めた。
全身が燃えるように熱く、死にたくなる。ちゃんと気持ちを切り替えたつもりだったのに、勝手に勘違いしてアーサーに悪態を吐いてしまった。最初からアーサーは自分の能力不足を心配して様子を見にきたのではなく、それどころか貴重な休息時間に話にきてくれただけだった。今更ながら思っていた以上に自分がいっぱいいっぱいになっていたのだと痛感する。
正直に動けるならば、もうこのまま夕食も放棄してベッドで朝まで寝込んでしまいたい。しかし、ここまで失礼な誤解をしてしまった相手であるアーサーに、しかもせっかく食事に誘ってくれたというのに断れない。断りたくもない。
声にも出せず歯を食い縛り耐える。自分の自意識過剰さの羞恥に涙目になりそうになりながら、目で飲み込む。フーハー、と呼吸をはっきり繰り返しゆっくりと立ち上がった。自分の血色が濃くなっているのを鏡で思い知りながら、今は掻き毟りかけた髪を両手で整える。
中指で眼鏡の位置を整え、呼吸の前に今度は扉に手を掛けた。
「お待たせました。ありがたくご一緒致します」
「!ありがとうございます!!」
軽く一分は経ったなと思ったところでのノーマンからの返事に、アーサーの顔がぱっと輝いた。
俯いていた時にはわかりにくかったノーマンの顔は明かに赤らんでいたが、それよりもノーマンにしては珍しく何か取り繕っているような表情の方がアーサーには気になった。
まさか体調でも悪いのか、もしかしてさっきの「大丈夫」に引っ掛かったのも体調が悪いのを指摘されて焦ったのかと最初よりも核心に近付いたが、それでノーマンが怒ったのならばここでもう一度尋ねてはもっと怒らせるだけだと思う。
二人で歩きながら、上手く会話の糸口が出てこないアーサーに、ノーマンが口を開いたのは宿を出てからだった。
「……アーサー隊長は何故自分をお誘い下さったのでしょうか。どこか気になる店でもあるのなら、自分よりも同じ近衛騎士をお誘いするべきではありませんか」
「いえ、店はノーマンさんが希望ないなら適当に近場でって思ってますけど。ノーマンさんからも色々近況聞けたらと思って。陛下の方でも情報収集されていたんですよね」
あっちに酒場あったんですよ、と。アーサーはそのまま宿から七十メートルほど先にある酒場を指差す。朝に出掛けた際に見かけた酒場だ。
本来ならば今も三名は休息時間を得ている筈のプライドの近衛騎士だが、アランとカラムがサーカス団へ潜入を行っている今は手が空いているのはアーサーしかいない。一人で食事を済ませようかと思っていたが、近くに酒場があればノーマンを誘ってみようかと考えた。プライドの近衛騎士同士が情報共有を行っているように、女王の近衛であるノーマンからも今日一日で共有できる情報があれば聞いておきたかった。
酒場に着き、テーブルについてから簡単に注文を済ませた時にはノーマンも外の風で幾分頭が冷えた。
そういうことかと納得しつつ、しかし自分はそんなに話せることを持っていないと顔を一人顰める。
「申し訳ありませんが、自分の方からはあまりお話できるようなことはないと思います。周辺の安全確認が主ですし、今日はこの街についての情報ばかりでした」
「そうっすか。街については何か変わったところとかありました?」
「いえ別段とは。そちらでも察しがついた通り治安の悪い土地ということしか。貧困街……という名も既に把握済みではありませんか?」
どきっ!とその言葉にアーサーの肩が上下する。
プライドからローザに報告は行ったが、その場にはアーサーもそしてノーマンも居合わせていない。しかし貧困街と関わりを持ったことまでは言ってはいけないとプライドからも頼まれている。まさかもう貧困街との繋がりもバレてるのかと思いながら固まれば、じわじわと汗が滲んできた。店員が素早くジョッキを二つテーブルへ運んできても返事一つできずジョッキを置いたまま掴めない。
アーサーのわかりやすい反応に、やはりその程度は知っているかとノーマンは見当づける。
残念ながらやはり自分が女王付き近衛として持つ情報でアーサーに役立つものはなさそうだと少し肩が落ちた。そうでなくともどうせ女王と王女との情報共有程度、報告の際に行われている。自分が話しても話さなくても明日にはアーサー達が知る情報だ。
「あっ!ノーマンさんからは聞きたいこととかありますか?話せないこととかもあるんすけどそれ以外なら……」
「結構です。緊急のことでしたら遅かれ早かれ共有されますし、あくまで自分の役目は変わりません」
きっぱりとまるで会話の流れを拒むように叩き切るノーマンに、アーサーも勢いを止められる。
あくまで自分は女王の近衛任務として今回の遠征に加わっている。自分の知る情報がアーサーやプライド達に役立つのなら協力したいが、自分がプライド達の動向を逐一探りたいとは思わない。
すみません、とまた口につきそうになるアーサーはそこで慌て気味にジョッキを手に取った。
「お疲れ様です」と引き攣った顔でそれでもジョッキを向かい席へと掲げれば、それにはノーマンもジョッキを持ち上げ応えた。
ガチャンッと軽くジョッキが当たる音を残し、アーサーは酒で喉を洗う。
ノーマンもせっかく話題をくれたのにはっきり断ってしまったことに酒を飲む前から胃を重くしつつ、ジョッキに口をつけた。個人的に気になる分でも尋ねてみようかと考えるが、やはり別段探りまではいれたくない。どうせ客が入れ替わり誰が聞いているかわからない酒場では、お互い抽象的な言葉の往来でしか会話できない。
それならいっそ任務に関係ない会話でもするべきかと考えれば、アーサーと共通の話題でやはり思い浮かぶのは国で待つ弟だ。
もう家に帰っている時間だろうかと考えたところで、……思い出す。
「そういえば。これは弟……いえ、祖父の遺した日誌に書かれていたことなのですが」
「あの、きっ……だったお爺様ですか?」
騎士だった、ノーマンの祖父。自分達の大先輩でもある。
言葉途中で零しそうな一音を噛み殺し、アーサーはノーマンへ前のめる。志半ばで殉職した騎士の日誌は、アーサーにとっても貴重な情報源である。
アーサーが興味を持ってくれていることに、ノーマンも口の中を小さく噛んでから視線を合わす。大したことない情報だとは思うが、それでもやはりブラッドに聞いておいて良かったとアーサーの見えない位置でぐっと拳を握る。
数十年前に祖父が参加した北大陸の遠征の時の話だと、そう語ればアーサーは興奮で心臓部がバクついた。そんな時代の話など今の騎士にはなかなか聞けない。
「当時から既にこの地はラジヤの属州で、まだ我が国の同盟国和平国どころか味方も少なかった時代です。そんな時代なので、今のように安全経路を選ぶにもそんな地帯自体少ない中、祖父達はこの地も経由したそうです」
へーー……と、アーサーは瞬きも忘れて口が開いたままになる。
ノーマンと会話自体少なかったが、当時の騎士の話など聞くのは始めてだった。料理が来るのを長く感じる間もなく、テーブルに腕を付き聞き入る。ノーマンの祖父であれば、自分の父親もまだ騎士になっていなかった時代だろうと思う。
ブラッドから聞いた日誌の話を、頭に焼き付けたノーマンは続けた語り口調も落ち着いていた。
「正直、自分はここに到着した時に最初は拍子抜けしました。祖父の記録ではもっと目に見えて酷かったそうなので」
治安は悪かったことは変わらない。だが、この程度ではなかった。そう続けながら窓の向こうにノーマンは視線を流す。
祖父の日誌によれば「街に入った途端に死体が転がっていた。恐らくは奴隷狩りから逃げようとし殺された民だろう。死後二日は経っていた」とそういう最悪の出出しから始まっていた。
更に住民街や市場に入れば、あまりに民の明暗が分かれていた。明るく店を出し買い物し微笑ましく行き交う民と、地面に転がる死体と這いずり鎖を引かれる奴隷の二色だった。更には人通りの多い道から少し外れるだけで、まるで獣の狩りかのように逃げ惑う貧民を堂々と人狩りが追いかけ回していた。
もともと奴隷という仕組みに否定的なフリージア王国の民としては、余計にその光景は衝撃だった。
「無法地帯とも異なる。様々な奴隷狩り組織が狩場を取り合う。上級層中級層下級層ではなく、奴隷かそれ以外かの二極端だったそうです」
金が無ければ全員がもれなく奴隷。家を持たなければ奴隷狩りに遭う。一定の収入を持つ者以外は奴隷しかなく、そういう者ですから一人夜道に歩けば狩られ、翌日には市場に繋がれる。
そんな環境を事細かに語るノーマンの話に、アーサーは無意識に顔が険しくなった。数十年前の話、そして今もこの地で奴隷の扱いは変わっていないとはいえ、やはりノーマンの祖父が体験した地は不快でしかなかった。
今朝にセドリックが果物屋に語っていた理論を思い出せば、やはり奴隷制に肯定的には全くなれない。プラデストで出会った下級層のクラスメイトも全員この国では奴隷にされるのだと思えば余計に胃が熱くなる。
料理の皿が全てテーブルに運ばれていたことにも気付かなかった。
「……ですから、少し気になっています。一体いつから〝彼ら〟が生じたのか」
「彼ら?」
「貧困街です」
ぱちり、とオウム返ししたアーサーは大きく瞬きをした。
ノーマンの水色の瞳と真っ直ぐに目が合い、そこで気付く。数十年前と今の決定的な差が何なのか。百年にも満たない間にその二極が、今は三層に分かれている。
「正直、祖父の時代から奴隷制も奴隷への考え方や扱いも変わっていないようです。法整備なども緩く大概の犯罪が罰金を払えば三日で保釈される環境にも関わらず、その存在が許されている方が不自然です。下級層の集落など、往来が許された奴隷狩りにとっては格好の餌場です」
一体この地に何があったのか。
店内にもチラチラとだが奴隷が料理を運ぶのが見えた。疑問を静かな声で提示するノーマンに、アーサーは喉が鳴る。やはり彼は賢いと感心させられながら、自分は窓の向こうに視線が動いた。
手のひらが湿るのを感じながら、やはりここがラジヤの一角なのだと理解する。自分達の理解できない薄気味悪さがここにある。
「まぁ今回の任務には関係ありませんが」と、ノーマンが話を切ってもやはり内側に残った。ノーマンにとっては祖父の記録と齟齬が引っかかる程度だが、自分は違う。
自分達が協力関係を結ぶことになった貧困街。しかし、その首領が何者なのかを知るアーサーは、やはり警戒しないといけない相手なのだと気を引き締める。たとえ今は味方になっていても、それだけの組織であることは変わらない。
フリージア王国では下級層に値する民を保護しまとめ上げているただの善人なのか。それとも、……そうできるだけの裏があるのか、と。
ただ運が良く、自然に、貧民同士が集まり身を寄せ合い、そのまま奴隷狩りにただの一度も標的にされることもなく、一般の民に恐れられるほどの力を付けられるのか。
「……明日、ジャンヌ達にも話してみます」
「別にわざわざ共有して頂くような内容ではありません。今回は具体的な目的がしかも短期間であるのですから、集中して頂く為にもわざわざ薄気味悪い不信感と不安感を煽るような話をする必要はないと思います。余計な興味が湧けば、その分集中力も散ります。大体必要だと思えば最初から自分が報告していました」
ぼそりと答えた意思に、話したノーマン本人から連続して否定が入る。
すみません、とまたうっかり口に出たままアーサーも首を垂らしてしまう。確かにノーマンの言った通りである。
話したとして、貧困街がここ数十年以内の組織かもしれないというくらい。貧困街に油断しない方がと言わずとも、全員がエルドとホーマーを警戒している。
たった一週間しかいられないのに、余計に気になる要素を入れても邪魔になるだけである。
「……けど、やっぱフィリップ様には話しといても良いっすか。必要かどうかは自分達が決めねぇ方が良いと思うンで」
苦笑気味に言いながら、お願いしますと情報源であるノーマンへ頭を下げる。
ノーマンの言った通り、無駄に不安を煽る過去との比較は言うべきではないと思う。女王にノーマンが報告しなかったのも当然だとわかる。しかし、自分には全く繋がらずただの疑問で終わることでもステイルならば別かもしれないと考えれば、やはりどんなことでもわかったことは教えておきたかった。
知らず、教えず伝えず、後から後悔するのは双方だとアーサーはよく知っている。
「……構いませんが」
「ありがとうございます。……!あッ?!すみません飯冷める前に食いましょう!!」
お待たせしました!と今やっと料理の存在に気付いたアーサーは慌ててフォークと取り皿を掴み手渡す。自分の所為でノーマンもなかなか食事をと言い出せなかったのかと思いながら遅れて汗が出た。
料理に手をつけ始めながら、それ以上はアーサーもノーマンに祖父の記録の話は振らなかった。少なくとも食事を不味くする話だということはわかっている。
アーサーに勧められるまま食事を摂るノーマンも、しばらくは食事に集中する振りをして視線をアーサーから逸らし続けた。
やっぱりこういう人が上に立つんだなと思いながら。
必要ないという考えは変わらない。しかし、祖父の記録とそれを確認した自分の努力が少しでも意味があるとアーサーに判断されたのが、やはり嬉しかった。
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Ⅲ7
 




