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フリージア王国備忘録<第三部>  作者: 天壱
越境侍女と属州
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Ⅲ51.女王は嘆く。


『ローザ、まだ通信兵を介して話してから三時間も経っていないだろう。てっきり緊急の用事かと思えば……』

「姉君。いやローザ、私用で振り回される騎士達の苦労も考えろ」


だって!だって……!と、通信兵から送られる映像を前にローザは顔を両手で覆ってしまう。

宿で最高級の部屋には、今は女王と摂政だけだ。プライド達が退室してすぐ通信兵を呼びフリージア王国にいる王配へと二度目の通信を繋げさせた彼女は、寝衣にもまだ着替えていない。右腕であるヴェスト以外は侍女も護衛の騎士も全員人払いをし、部屋にぽつんと二人きりの今は取り繕う必要もなかった。


通信兵からの連絡を受け、急ぎ王配の執務室ではなく私室へ急いだアルバートも今は少なからず背凭れに体重を預けていた。

女王である妻から連絡が来ることは何らおかしいことでもない。フリージア王国の最高権力者が自国の状況を夫に確認するのも、そして自身の無事を直接伝えるのも至極当然のことだ。

出国から昨日までは報告も騎士団の通信兵に任せ、今日が久しぶりでもある直接お互いに顔を確認しての会話ですらある。……ただし、今日は既に〝二度目〟の会話だ。


一度目の会話はアルバートとローザのみでだった。

私室でローザとの通信を行い、お互いの近況と無事を確認し合うことが主な目的だ。執務室では今はジルベールだけでなくティアラ、そして多忙な王配を補佐すべく大勢の従者や仕官大臣、上層部関係者が訪れることも多いため、補佐のジルベールに執務室の留守は任せ、最も落ち着いた場所である私室でアルバートは通信を繋げていた。

最初こそお互いに問題なく会話できた夫婦だったが、途中からはアルバートもうすうす想定した自体になった。プライドを連れてラジヤ経由のミスミ王国遠征と決めた日から落ち着きが減った妻のことはよく理解している。数日掛けた遠征よりも、ミスミ王国のオークションよりも、ラジヤでの極秘滞在よりも遥かに彼女の不安要素になるのは、自分の娘だと。


「プライドと同室になった途端にこれだ。もう子どもではないのだから我慢しろ」

『ヴェスト、すまないがここからは私の入れ知恵もある。あまりローザを頭ごなしには怒らないでくれ』

「説教が欲しいからわざわざ夫婦の時間に私を呼んだのだろう」

厳しい言葉を女王へ浴びせるヴェストは、椅子に掛ける女王の横に佇みながらその眼差しはいつもの柔らかな目元かおらは想像できないほどに厳しい。

アルバートと一度目の通信をした時は何ら問題はないと判断していたヴェストだが、まさかプライド達が宿に帰ってきてから間もなくローザに部屋へ呼ばれるとは思わなかった。ただでさえついさっきまではプライド達に対し女王らしく振舞い、お目付け役の騎士までつけた彼女である。

その彼女が今は見る影もないほどに椅子の上で小さくなっている。愛する男を前に弱い自分をさらけ出せていると思えば良いことだが、自分を呼び出された時点でこれはもうと映像向こうのアルバートから要件を聞く前からヴェストは溜息が零れた。

顔を覆ったまま伏してしまうローザに代わり、困り顔のアルバートから説明を受ければ今すぐにでも自室で報告書整理に戻りたくなった。


昨夜、上手く理由立ててプライドと一緒の部屋をきっかけに親子らしいやり取りをほんの一歩だが叶えられたローザは、夢のようだったと心から思った。報告を終えた後には三十分以上ひたすらにアルバートへ娘の惚気を零し続けたほどである。

しかし今後はプライドが部屋に戻ってくるかどうかもわからない。せっかくの機会に親子としてのやり取りの機会がほんの僅かだったことも残念だったが、それ以上に彼女が帰ってくるかどうかがすぐにわかる寝室共有は別の弊害があった。


……プライドが帰ってこないのが気になって仕方がない。


今までは同じ城内とはいえ王宮と宮殿で建物も違い、別室だった期間が遥かに長いローザには同じ建物内で娘と顔を合わせない日など珍しくない。しかし同じ部屋であればいつかはプライドがこの部屋に帰ってくるという感覚がどうしても頭に残る。

そして、自分が起きている間に帰ってきてくれたらと僅かな期待まで覚えてしまえば余計に彼女の不在が長く感じられてしまった。こういう不安な時に抱き締めてくれる夫も今は映像の向こうだ。


『しかも通信兵からも報告は聞いたが、やはりそちらは治安も相当らしいではないか。近衛騎士が複数人、あの聖騎士もいるのだから安心だとは思うが……それでもローザは心配だと言っていてな。最初の通信でも、プライドの無事がわからないと夜も眠れないと私に零していたところだった』

「もうわかった……。なるほど、それで女王付き近衛騎士まで一人連れ歩けと……」

はぁ……と、ヴェストが大きく音を立てて息を吐く。

ここまで説明されればもう全てが理解できた。女王としては非の打ち所がない姉なのに、未だ母親としては不完全どころか不安定な上に経験値が浅すぎる。


心配で小さくなる女王に、王配からの提案こそが〝騎士を増員する〟だった。

プライド達が平気と言っても報告がないのがそんなに心配なのなら、その騎士に報告を任せれば良いと。そう提案したアルバートの言葉で、ローザが自身にとって信頼できる近衛騎士の一人を選ぶのは当然の流れだった。


それから三時間後、無事に帰って来たプライドが近衛騎士二名に潜入を任すから増員をと願えば、まさに好機だった。

その中で最も隠密に特化した特殊能力者の近衛騎士を選び、プライド達へ早速護衛につかせた。これを逃せば次に突然近衛騎士をもう一人付かせると命じたところでプライドにもステイルにも疑問に思われてしまうか、もしくは命じる機会もなく彼女達は宿に帰ってこないままかもしれない。

流石に突然の命令の為にプライド達に宿へ呼び戻して一人騎士を連絡係に付けなさいと命じるわけにもいかない。

これでプライドの無事も毎日しっかり把握できるし、なにより透明の特殊能力者が傍にいれば安全もさらに確固とされる。……しかし、それでも待っていた間に耳に通したヴェストからの周辺治安の報告とプライドの近況を聞けば落ち着いていられるわけもなかった。

しかも今夜はプライドも就寝時間までには部屋に帰ってこない。


「もうプライドが心配で心配で……!」

「単にプライドとまた就寝前に親子で過ごしたかっただけだろう。ステイルの心配もしたらどうだ」

「ステイルはとても強い我が可愛い息子です!アーサー・ベレスフォード騎士隊長が友人のお陰で新兵を遥かに凌ぐのではないかとも評判で、特殊能力だってあるのですから心配はいりません!」

「そのステイルも付いているのだから平気だと考えてはどうだ。あの子がプライドから目を離すとは思えない」

『ヴェスト……、この場合はプライドと同室になった所為で留守が気になるという話だ。そこがラジヤということもある』

お互いの部屋に他は誰もいない所為で完全に素が出てしまっているローザと、いつもより厳しめに窘めるヴェストとの姉弟喧嘩にアルバードの声から力が抜ける。

どこまでも合理的で法にも規則にも自他ともに厳しいヴェストだが、ローザにも容赦はない。せめて義弟であるヴェストも同席すれば少しは落ち着きを取り戻すかとローザに部屋へ呼ばせたアルバートは、映像の前で頬杖をついてしまう。

ローザは決してステイルを血の繋がらないからといって軽視しているわけではない。遠方であるフリージアに一人残ったティアラが恋しくないわけでもない。

ただ、一緒の部屋という好機を掴んだことと引き換えに娘の留守が身に染みてしまっているだけだ。

こんなことになるのなら同室にさせない方が良かったとアルバートは静かに思う。ジルベールから提案された時はローザも目が輝き、アルバートもヴェストもローザがまた少しずつでも歩み寄れるのならと黙認したが、結果ローザ本人がまた娘の可愛さが爆発させた。

今もアルバートからの助け舟に「そうです!!」とキッと化粧を落とさないままの強い眼差しをヴェストへ向ける。


「貴方が報告したことではありませんかヴェスト!奴隷の不正な売買も当然のように横行し、人狩りや組織も数えきれないと。貧困街という組織もあると聞きました!観光客すら狙い金を毟り取る集団でしょう?プライド達が無事に帰ってきたのは安心したけれど、貧困街にいつ狙われるかもしれないし……もう、いっそ騎士隊一隊くらいつけさせようかしら」

「ローザ。あくまで今は水面下であの子達は正体を隠している。いくら騎士団が優秀でもそんな大勢を誰にも気付かれず王族に付けられるわけがない」

わかってるわ!と、どこまでも正論で駄目出ししてくるヴェストにローザは細い眉を吊り上げる。

プライド達が不在の間、ローザやヴェストそして護衛の騎士達もただ時間を浪費していたわけではない。周辺を中心にして騎士を使いこのパボニアの地の治安や政治状況を詳細に調べ上げていた。

本命はプライドの予知だが、表向きはラジヤへの偵察でもある。ラジヤがフリージア王国の民を売買していないか、また属州とはいえラジヤの動向を探るのにも重要な滞在である。

そして調査の結果、当然出て来たのは単なる娯楽行商であるケルメシアナサーカスではなく、貧困街の方だった。


奴隷でも裏稼業でもなく、しかし人狩りや人身売買組織にも対立している集落。

生活が苦しい者同士身を寄せ合っていると聞けばいじらしいが、その為に集団で窃盗や強盗など盗みを頻発させている。特にここ最近はその動きが酷く、貧困街周囲には誰も近づきたがらないという悪評ぶりだ。

貧しい立場の人間が、裕福な人間を妬み標的にすることもローザは理解している。だからこそ、王族であることを隠しても商人として歩き回る娘達のことを考えれば心配は尽きなかった。


更には、プライドの報告を聞けばサーカス団に予知した一人は実在した。

現在奴隷のような扱いを受けているかはわからない、しかし今後そういう扱いをしそうな人物の存在について情報を得た。

予知した民全員の無事と、奴隷扱いされている人間の有無を確認する為にも近衛騎士を先行させ、安全を確認できそうならば自身も潜入したいと。

あくまで騎士の護衛を付けた状態であること前提は変わらないが、安心できるわけがない。プライドからの報告後すぐにまたアルバートへ通信兵に繋げてもらわずにはいられなかった。

「プライドが今夜も遅くなるんですって」から始まり「早速命じてしまったわ……」「つい、まるで天から授かったような機会だったんだもの」「どうしようプライドとステイルに面倒な母親だと思われたら」「でも怒るプライドも可愛くて」と自分の駄目っぷりを吐露せずにはいられなかった。

涙目で早速「どうしましょうアルバート」の始まる妻に、話を聞くよりも先にヴェストを呼ばせた。

直接肩を叩くことのできない自分と違い、ヴェストが傍にいればそれだけでもローザも少なからず落ち着いて客観的な視点も取り戻せる。……筈だった。


「ヴェストはいつもそう!私だって女王として私情で判断を違えたりはしません。だからこうして愛する夫や家族である貴方の前で零すくらいは良いじゃない」

「もうお互い良い年なんだ。泣き言の為だけにアルバートと通信兵に苦労をかけるな。私もまだ書類仕事が残っている」

『いや私は良い。妻の泣き顔を見れるのも夫の特権だ。が、……ヴェストすまない、お前も忙しかったな』

今回ばかりはヴェストも手厳しい。そんなことで騎士団の特殊能力者や王配を右往左往させるなと切に思う。

女王の通信内容を知らない騎士や従者達が、二度も女王が城に繋いだということで何か問題が発生したのではないかと心配しているのをヴェストは知っている。これが本当に王族や国を揺るがす心配事であれば別だったが、まさかの過保護な母親の泣きごとだ。


自分は幼いプライドを八歳から手元から離して、城に来て間もないステイルが体調を崩しても会いにいかず、幼かった子ども達を置いて国外への遠征にも何度も赴いていただろうと。……そう言いたいのを我慢するだけ優しさだった。

どちらもローザの本心がどれだけ会いたかったか心配していたかはヴぇストもよく知っており、寧ろその反動だろうと理解しているからこそも沈黙である。

だからこそ、せめてさっさとこの通信も終わらせて自分も部屋に戻りたい。

ローザのことを女王としても姉としても尊敬し心から感謝し親しい相手とも思っているヴェストだが、こういう時ばかりはアルバートに頭が下がる。今も自分を呼び出した上で気遣ってくれる彼は、助けを求めていた筈が逆に姉弟喧嘩の仲裁までしてくれている。

早々に仕事へ戻そうとしてくれるアルバートの配慮に、ヴェストも少なからず頭が冷えた。今も昔も自分とローザの間に入ってくれる友人に申し訳ないとも思いながら、一度静かに深呼吸する。


「…………私もプライドの報告には立ち会ったが、別段ローザに不快そうにまではしていない。ステイルも隠し事程度はあるかもしれないが、少なくとも今日の様子では状況も深刻ではなかった。姿も変え立場も偽装し騎士を五名もつけている」

『ならば問題はないだろう。……ローザ、私達の子ども達がその手で自らの意思で動いているんだ。せっかくだ、その部屋で今度はお前が無事を信じて待っていてあげなさい』

今日見た事実だけを必要情報だけ纏めて羅列するヴェストに、アルバートも大きく目を開きそしてローザへ笑んでみせる。

それだけでぐすんと鼻を鳴らしたローザは化粧が半分落ちた目元を指で拭いながらも言葉を返した。昔よりも涙もろくなった妻を可愛いと思いながら、その返事にアルバートも胸を静かに撫でおろす。

やはりヴェストを呼んで良かったと思いながら、今この場で妻を抱き締められないのもヴェストを手で労えないのも少々歯痒い。


どこか懐かしいローザへの今の宥め方に既視感を覚えれば、プライド達が子どもの頃だと思い出す。

自分が今回のように遠征中の留守を任されている時、通信兵で繋げた時はよくローザは子ども達が風邪を引いていないかと今日のように心配し項垂れていた。その度に彼女に落ち着けと窘め頭を冷やさせるのがヴェストで、そこで説き伏せ慰めるのが自分だった。



……まさか、子ども達が成人になってから再びこんな時がくるとは。



そう心の中で苦笑したくなりながら、アルバートは手の動きでヴェストに退室許可をした。

ローザの頭が冷え顔を上げたのならば、あとは夫の役目である。「すまなかったな」と一言労うアルバートとおやすみの挨拶をするローザへ深々と頭を下げてから、ヴェストはやっと退室を叶えた。


ラジヤ帝国属州への訪問と調査。しかし今はそれよりも溺愛する娘の無事と帰りが気になって仕方がない母親は、更にニ十分アルバートに説き伏せられてからようやく就寝準備を始めた。

もし深夜に帰ってきても、できる限りは起きて「おかえりなさい」か「おやすみなさい」は言いたいと思う。


いっそ足元に呼び鈴の仕掛けでもしておこうかしら、と大人げないことを考えながら女王は眠りに落ちた。


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