Ⅲ50.越境侍女はお願いする。
「話はわかりました、愛しき娘。騎士の潜入とそれに伴う護衛の人員確保。私も賛成しましょう」
ありがとうございます、と。いつものドレスではない侍女の服で深々母上に感謝する。
並んでいるステイルも頭を下げる中、なんだか今は侍女の格好だから余計に深く頭を下げないといけない気がしてしまう。着る服の魔力ってすごい。
ジルベール宰相との打ち合わせ後、騎士団長への報告より先に母上へ騎士の護衛増加の許可を願えば、現状報告と合わせて幸いにもすんなりと通った。
エルヴィンとホーマーのことは伏せて一部街の住民に協力者も得たという形で報告はした。サーカスの場所もすぐに確認でき、予知した我が国の民の一人は思い出せて接触もできたと。
言葉にしてみると初日にしてはなかなかの成果だったことも功を奏したのかもしれない。サーカスへ潜入させる騎士を他の騎士にするよりも、私やステイルとも親しい騎士の方が連携を取りやすいと言えば納得してもらえた。……実際には、私というよりもステイルが直接瞬間移動できる相手は騎士団の中じゃ近衛騎士達くらいだからなのだけれども。あとは騎士団長と副団長も可能だろうか。
私が予知したことも全体的には伏せられている以上、やっぱり実質的に動いて貰うのは事情を知る近衛騎士達の方が母上側も都合が良い。
「その騎士二名に関しても異存はありません。明日から早速連れて行きなさい。……ただし」
どきり、と。
柔らかな口調と声量なのに優雅な動作と響きの所為で、少し声を低められただけで心臓がひっくり返りそうになる。
ミスミ王国へ移動する日まで宿で騎士達に守られて厳重態勢の母上は、衣服こそいつもの人前用ドレスの豪奢さはないけれどそれでもすごく緊張する。相変わらずの王の風格は衣服程度では崩れないのだとつくづく思い知る。私なんて侍女の服着てるだけでこんなにちょっぴり揺らぎ気味なのに。
母上の静かな声と覇気をステイルも感じたらしく、言葉を切られた数秒の間にちらりと目を向ければ冷や汗が伝ったままお互いに目があった。
まさか貧困街のことからエルド達のことまでまるっと見透かされたんじゃないかと怖い。
背後に控えているだろう近衛騎士のエリック副隊長とハリソン副隊長も身じろぎ一つどころか布の擦れる音すら立てない。完全に全員を制圧している母上に、どうかバレませんように!!と祈る。
ぴりぴりと皮膚表面が張り詰めるのを感じながら母上の続きを待つ。
思ったよりも長い溜めに、怒っているのかどうかしたのかと恐る恐る見上げる。いつの間にか怒られる体勢のまま俯きがちになってしまっていたと今気付く。
見上げた先の母上は怒っているような様子はなく、むしろ何か考えているようだった。優雅に椅子に掛けながら、視線がぼんやりと私達ではない方向へと浮いている。憂いも感じられた表情に、何か心配ごとか、引っ掛かることかとお説教以外の可能性も鑑みる。
曲げた指関節を口元へと置く母上は、そこでゆっくりと唇を動かした。……直前に、フッと口元を笑みに引き上げてから。
「私の近衛騎士も連れて行きなさい」
えっっ。
一瞬、言っている意味がよくわからず自分でも目が点になったとわかる。口をぽかりと開けたまま固まる私を前に、母上は楽しそうに笑みながら髪を払った。隣に並び佇むヴェスト叔父様もちらりと母上へ横目を向ける。
母上の近衛騎士、その存在はよく知っている。つい最近発足されたものだし、選別には私やステイルも少なからず関わっている。
けれど、その母上の近衛騎士を何故私に付ける必要があるのか。私の近衛騎士達がそうであるように、近衛騎士は決められた護衛対象の為にいる組織だ。母上の為に発足された近衛騎士を私に付けるのでは色々とおかしなことになる。
思わず首を捻りたくなりながら、母上の前だからと首の筋肉に力を込める。それでも間伸びした表情筋は変わらない。
ステイルも言葉が出ない中、母上は「勿論全員というわけではありません」と優雅な動作で笑った。流石に全員じゃないことにはほっとしたけれど、余計よくわからない。
つい今さっき二名の護衛補充を許可してもらったところで更に一名追加だなんて。まだ二名中一名は母上の近衛騎士にと言われた方が戸惑わなかった。
「私の近衛騎士を一名貴方に貸しましょう。共に行動を取り、今後一日一回、そして何かあった場合もその者に報告に来させなさい」
「?そ、それは……今後は母上へ直々にこうしてお伺いに来るのは控えよという意味でしょうか?」
「いえ、可能な限りはそのままになさい」
じゃあどういうことなの!!!!
もう!もう!母上!!と緊張感が一周回って顔の中心に力が入る。その途端クスリと意地悪っぽく母上が笑ったからもしかしてわざとわかりにくく言っているのかしらと思う。本当こういうところは子どもっぽいんだから!!
さっきまでの威厳や緊張感もわざと狙ってやっていたのかもししれない。本当によくわからない。今日みたいな報告も今後は母上にではなく母上の近衛騎士を通しなさいという意味ならやっと納得できそうだったのに!!
今私もステイルも母上にはその姿のままに見えていても騎士達全員にではない。だからもし偽物の私が母上に接触を図ったりしても平気なようにとか!その為に直接会うのは駄目よとか!そういうことかと頭が切り替えようとしたところだったものを!!
ぷんすかと顔色にも出そうな私と、「どういうことでしょうか」と冷静に尋ねてくれるステイルに免じてやっと母上が丁寧に説明をしてくれた。
もともと私達は今後潜入の中で期間勝負だったこともあってその日に帰れる日があるか、深夜や明け方期間の可能性も鑑みて許可を得ていた。今日は一区切りついてもあり帰ってこれたけれど、門限のない今は毎日とは限らない。
だから今後何か問題があったり、今夜は帰りませんとかあれば母上の近衛騎士に頼んで、母上へ報告に行かせるようにということだった。だからこその二名プラスの母上近衛騎士増員一名だ。……そんな、わざわざ近衛騎士のお手数をお借りしないでも緊急報告ならステイルがメモでも直接でも瞬間移動してくれるのに。
最初から問題発生の時にはステイルを通じて報告もしくは避難するという約束は交わしている。私の補佐とはいえ第一王子のステイルの特殊能力をほいほい使うなと言われたらぐうの音も出ないけれど。
まぁ、今回の場合はステイルがというよりも私の御目付け役という方が正しいだろうか。やっぱり隠し事してるのが母上にバレたのかなぁと思う。
何かあったら報告!くらいの制限だったのに、毎日近衛騎士を通して報告になっているしこうなると近衛騎士の方にもご理解頂けるようにお願いしなければ。流石に近衛騎士に伏せて行動するのは今回難しい。特にエルドとホーマー!!せめて彼らの正体を知らない騎士だとありがたい……!と思わずこの場で指を結びそうになる。
「ローランドに任せます。彼ならば内密な報告も行き来もしやすいでしょう」
……ローランド。
透明の特殊能力者を持つ騎士の名を聞きながら、ひぇっと音が出そうになる。意外にも五分五分だ。
わりと若くて騎士歴もそこまで長くない人だけれど、確か貴族出身だ。いや貴族だったら全員がアネモネ王国の王族とお知り合いですなんてわけないけれど。
そうは思いつつ喉が乾くのを感じながら「ありがとうございます……」と絞り出す。いや、考えようによってはとても助かる逸材でもある!!
優秀な騎士が一人護衛に付いてくれる上に、透明の特殊能力者だ。今後身を隠す必要があれば頼りになるし、協力して貰えればサーカスに姿を消して侵入することだって不可能じゃないかもしれない。いっそ明日から早速アラン隊長とカラム隊長の潜入の様子見に行くのも予定に組み込むのも手法としてはありだ。
そう考えれば早々にローランドと作戦会議したい。まだ時間はあるし、騎士団長に報告したら早速彼を指名と共に打ち合わせよう。
「ところでプライド。……っ……今夜は、部屋に戻ってくるのかしら?」
ふいに、さっきまでの悠然とした声ではない角の取れた声を投げかけられる。
ちょうど徹夜覚悟で作戦の練り直しを決めたところだから、つい気の抜けた音が半分出てしまった。真っすぐではなくちらちらと目を合わすようにする母上に、もしかして深夜に寝室に入ってこられたら迷惑かしらと考える。ヴェスト叔父様が少し難しそうな顔のまま数秒目を閉じた。
これから騎士団長に直接私の口から報告とステイルと打ち合わせもし直したい。可能ならばローランドにも早めに私の方から母上の任命と一緒に明日からの形態についても相談したいと。そう説明すれば、心なしか母上の肩が少し下がったように見えた。
「そう……」と覇気のない声に、やっぱり睡眠を邪魔されたくないのかしらと思う。多分この予定だと深夜か場合によっては明け方になるもの。
必要であれば騎士達をこっそり多めに配備してもらって侍女用の部屋かそうでなくても別室を借りますと私から進言し、……「いえその必要はありません」とぴしゃりと断られてしまった。
「まだ初日です。あまり身体に無理をしないように。私は先に休みますが、ノックの後は気にせず寛ぎなさい」
コホンと小さな咳払いの後にそう言ってくれる母上の優しさをありがたく思いながら、ここは承知した。
よく考えれば、絶対じゃないけれどそろそろ寝衣に着替えていてもおかしくない時間なのに部屋着で留まっていた母上だし、もしかしたら今日も私達の帰還をちょっぴり待っていてくれたのかしらと思う。今夜は気配に気を付けて寝室に入らないと。間違って母上のベッドに忍び込まないように気を付けよう。
母上に許可と心遣いのお礼を告げ、はやめにおやすみなさいの挨拶を告げて私達は退室の許可を得た。
近衛騎士達と共に部屋を出る際に、……母上の傍に控えていた近衛騎士二人の目が何故か気になった。ケネス隊長は緊張感いっぱいに唇を結んだまま何か同情するような憂いを帯びた眼差しで、ブライス隊長は何故か目が遠い。部屋の奥にいる母上よりも遥か遠くを見ているようだった。
単純に王族相手に目を安易に合わせないようにしているだけかもしれないけれど、やっぱり近衛騎士の一員であるローランドへの扱いに思う所があるのだろうか。
あくまで母上の近衛騎士として信頼あるからこそ任されたわけではあるけれど、折角の近衛騎士任務が私の御目付け役だもの。しかも今の時間帯はちょうど休憩中に違いないのに私は呼びつけようとしている。
ローランドだけでなく、お二人にも申し訳ない気持ちで部屋を出た。もう一人の近衛騎士にも後日挨拶しようと決めながら。まぁ彼の場合は、もしうっかり厳しい一言を貰っても深くは気にしないようにしよう。
……とはいっても、今までだって王族である相手にはきちんと礼儀を尽くしてくれた彼だから、わりとそういう心配はないと思うけれど……、……そういえば。
「!そういえばステイル。いえ、フィリップ様?外でのジャンヌへの話し方なのだけれど」
ギクッ!!と次の瞬間びっくりするくらいステイルの身体が跳ねた。母上との対談よりも遥かに大きな反応に私の方が驚いてしまう。
そのままま少しずつ私の方に顔を向けてくるステイルは、本題を言う前からじわじわと顔が火照っていった。……多分、言わんとしていることには気付いているのだろうなぁとわかる。彼も彼でずっと考えていたのかもしれない。
この宿では良いけれど、外での私への話し方。今までは馬車で私と密室だったりこそこそ話で外では会話自体殆どしないで私は黙ってついて歩いていたから気付かなかった。けれど今回、私が出しゃばったこともありステイルが表向きで私に話しかける時にうっかり謙る敬語が出ちゃいそうになっていた。その後も妙な間だけで私には話しかけてこなかったり、返事が曖昧だったりと、流石に今後数日間このままでやっていけるとは思えない。
ステイルも今まで十年以上私を立てる形で言葉を整えてくれていたし、学校潜入の時もすごい嫌がっていたしそれだけ根づいちゃってるのだろう。アーサーと同じ感覚で話してくれれば私は全然嬉しいのだけれど。
ぷしゅぅぅ……と湯気まで見えて来たステイルは、口を中途半端に開いたまま何も言わない。唇が微妙に震えているし、何か言いたいのだろうとは察しがつくけれどそこから止まってしまった。足までぴたりと停止し、私達は廊下の真ん中で騎士達の護衛に囲まれる中で立ち話することになる。
相変わらず視線を床へと落としたままのステイルを、私から向き合いそっと覗き込む。
「多分今後もエルド達のことで私も会話することは増えると思うし、やっぱり何も言わないのは無理だと思うの。流石に〝主人〟を通して会話なんていうのも、逆ならばまだしも侍女としておかしいし」
「…………わ、かっています……。はい……。……」
「取り合えず、今日から少しずつ練習してみるのはどうかしら?宿でならいくら言い間違えても心配ないし、いっそ敬語も外してみるのはどう?ジャンヌ呼びはできているのだからきっとすぐ慣れるわよ」
「?!いえ!!!その!俺も侍女には実際に言葉を整えていますし!!そこまで話し方まで変える必要はないかと……!!」
さっきまでのしゅんとした状態から、いきなりステイルが大きく顔を上げて声を張る。
今私が目の前にいたことに気が付いたように、そのまま目を見張って大きく背中ごと仰け反った。両手を前に開いて私と自分の顔の間に置き、お断り姿勢を全身で示している。まさかの学校と同じく敬語設定続行希望だ。
うーん、とこれには私もすぐには返事できず首を傾けながら小さく唸ってしまう。確かに貴族でも「こうしてください」「そこの侍女、手が止まっていますよ」とか話す人はいる。ステイル自身、ロッテやマリーにも自分の本物の専属侍女に対しても整った口調で応答しているもの。けど、普段の私に対してと全く同じかというと……。
「ジャッ、ジャンヌは今回腕も立つこととも判断されましたし今後は俺の……ッ商人フィリップの、〝護衛兼補佐〟としての役割も強いということにしておきましょう!護衛であり補佐であれば、ジャンヌもある程度立ち入った言葉遣いをしてもそこまで不自然では」
「〝補佐〟ステイルも〝護衛〟騎士も未だに私に言葉砕けてないけれども……」
んぐっ!!と、大きくステイルが唇を絞ってたじろいだ。しまった、今のは絶対私が大人げなかった。
だって、だってここまで来てもステイルが言葉を砕くの全力で嫌がるし、今の話の流れだと私からステイルに敬語を使うのも無しにしようみたいな流れだったのだもの。私は別にこの話し方もステイル相手なら嫌でもないのに。
それでも今の揚げ足取りはやはりステイルにも手痛かったのか、そのまま言葉を止めてしまった。助けを求めるように私の背後に控えていた近衛騎士のエリック副隊長とハリソン副隊長へ視線を向けていて、私も振り返れば……エリック副隊長まで気まずそうな顔で眉が垂れていた。ハリソン副隊長に至っては完全に顔ごとステイルと私から逸らしている。
けれど、意外に効果はてきめんだったらしいステイルにここはもう少し押せば譲歩して貰えるかもしれない。
「それにステイルの設定を看板にして掲げ歩くわけにはいかないし、違和感だけが残ってしまうわ。少なくとも、いつものように私を立てる口調は駄目よ」
「……ッ‼︎そこはっ……気をつけます……‼︎」
ギギギギギッと、ステイルが奥歯を噛み締める音が聞こえる。
けれど効いた。やった、と心の中でガッツポーズする。みぎゅーと眉がこれ以上なく狭まって目が開かないほど顔に力が入っている。取り敢えずは補佐兼従者としての態度だけでも改めてもらえることには成功する。
単に「少し黙って下さい」とか「お静かに」くらいで済むのにステイルの場合は私に「申し訳ありません、少々考える時間を頂けませんか」とかになるからやっぱり商人から侍女への態度としては違和感がある。
そこを直すだけでも関係性は自然に近付く。悪いけれどステイルの口調は完璧過ぎる。
「貴方が言葉を整えてくれるなら私は余計に言葉は侍女らしくしたいわ。じゃないと関係性がおかしいじゃない。雇い主が敬意を払ってくれたのに侍女が砕けるなんて」
「……いっそ俺もセドリック王弟の従者役になりたくなってきました……」
頭を抱えながら背中を丸くするステイルから消え入りそうな声が溢される。
セドリックの、ってハナズオの王族にフリージアの王子王女二人が従者役は色々と問題が大きすぎるのだけれど。
取り敢えず私は侍女口調のまま、そしてステイルはせめて強気口調でとお互いに譲歩する形でステイルも納得してくれた。……なんか、そんなリハビリ訓練しないとダメなのかしらと思うけれども。
納得してくれた後も頭を痛そうに抱えるステイルと一緒に、先ずは騎士団長への報告へ向かった。呼び出すよりも私達から尋ねる方が早い。
何故か、母上の方も通信兵を要請したのが気になった。