Ⅲ4.騎士隊長は意する。
「わかりました。その間、二番隊は自分の一番隊で預かります」
そう、背筋を伸ばしたアランは張りのある声と共に礼をした。
いつもの気の抜けた様子は一つもない、頭の先から靴の先まで緊張感を走らせた彼は一番隊騎士隊長として返事をした。背後で一番隊が演習の後片付けをしている中、一人呼び出されたアランは演習所から外れた位置で騎士団長ロデリックと相対していた。
突然呼ばれた騎士隊長に一番隊騎士も気にしながらも、手は休ませない。少なくとも騎士団長室まで呼び出されていない分、緊急性はあっても秘匿性が低いことは間違いない。つい三日前に呼び出された近衛騎士達は全員演習中にも関わらず騎士団長室へと呼び出されたのだから。
アランの覇気のある受け答えに、騎士団長のロデリックも深く頷いてから「頼んだぞ」と彼の肩を叩いた。本来ならば演習後に伝えても良い内容だったが、ちょうど次の演習へ取り掛かる前のアランを見かけた為の呼び出しだった。
午前の近衛任務へ出ているエリックとアーサーと同じく、第一王女の近衛騎士であるアランも機会を逃せば命じるだけの時間が一気に後回しになってしまう。実際、あと三時間もすればアランは王居へ出る予定だった。
「すまないなアラン。一番隊もお前とエリックで近衛任務で忙しいのはわかっているが」
「いえ!ブライスの長期遠征前の休暇はいつものことですので」
寧ろ自分もエリックも近衛任務で忙しい中、二番隊に助けられることの方が普段は多い。
そう思いながら緊張で喉を鳴らしかけるアランは、腕を背中で結んだ。自分よりも背の高い騎士団長を見上げながら、騎士団長室で会う時とも違う威厳に圧倒される。
アランからの明るい返事にロデリックも安心して任すと、それ以上の立ち話はせずその場を後にした。一番隊と二番隊は同じ前衛部隊でありながら一番隊の方が格上とされている立場上、上下関係ができやすい二隊だが幸いにも隊長の代替わりも関係なく良い関係を保っている。
上下関係よりも持ちつもたれずの関係を築けているのも、それだけ彼らが代々選ぶ騎士隊長の人徳故だろうとロデリックは考える。
去っていくロデリックの背中に深々と礼をしたアランに倣い、他の気付いた一番隊騎士達も一斉に礼をし騎士団長を見送った。軽く手を挙げてそれに応えるロデリックの姿が小さくなってから、アランは勢いよく頭を上げ大きく息を吐き出した。
未だに騎士団長相手には緊張は拭えない。じんわりとした緊張の汗を額から手の甲で一度に拭いきってからくるりと部下達に振り返った。
「んじゃ爆発物演習所行くぞー!気ぃ抜いたら死ぬから各自ちゃんと確認と準備運動し直しとけよー!」
はっ!!と、アランの打って変わった気の抜けた声に騎士達が一斉に声を張る。
後片付けを終えた班から次々と駆け足で次の演習所へと向かう中、今回はアランも急ぐことはなく足を伸ばした。背中に回していた両手を後頭部に置き、ちらりと目を向ければ自分達と同じく演習所移動中の騎士が目に入った。自分達一番隊と合同演習相手だった九番隊の騎士隊長、ケネスだ。
おーいケネス!と声を掛ければ、ケネスもすぐに振り返った。アランの顔色に騎士団長との話は大したことではないらしいと察しつつ、足を緩めて背後から近付くアランを待つ。
「騎士団長との話は良かったのか?」
「あーブライスが再来週三日間休暇取るからその間俺んとこで二番隊預かってくれって」
「いつものか……」
早速騎士団長とのやり取りを訪ねてくるケネスに、アランも隠す必要なく答える。
いつもならばひと月以上前に休暇申請を出す二番隊隊長のブライスだったが、今回は休暇が必要と決まったのが二日前だった為、帳尻合わせも緊急性が出てしまった。一番隊隊長アランも、そして九番隊隊長ケネスもブライスの休暇の取り方は慣れている為、今更疑問にも思わない。
騎士団長も大変だな……と呟くケネスに、アランもあっけらかんと笑う。立場としては自分達と同じ隊長格であるブライスだが、年齢も経歴も遥かに格上である。
一時期は騎士団長のロデリックよりも立場が上だった時期もあるブライスと現騎士団長の関係を知れば、ブライスもそういうところは遠慮しないのだろうと考える。彼にとって遠征前に取る休暇が大事なものだということは、騎士団の殆どが知っている。
「下の娘さんまだ十三だからなー」
「いや、確か半年前にもう一人産まれたんじゃなかったか?」
「おっ!そうだったそうだった!念願の男だっけ?」
そこまでははっきりとは……、とケネスも首を捻る。
隊長格同士で情報共有している部分もあるが、隊が違えば知らないことも当然ある。
あとでカラムかブライス本人に確認してみるかーと気楽に考えるアランも、さっきまで忘れていた。男でも女でもブライスが自分の子を大事にすることはわかっている。
アランやカラム、そしてケネスよりも隊長歴の長いブライスだが、本人は基本的に遠征を好まない。
だからといって拒んだことは一度もないが、その代わりに必ず遠征前には最低二日以上は休暇を入れる。隊長という責任ある立場でありながら、必ず自分の休暇を騎士団長相手に通すブライスは、他の騎士達にもいっそ尊敬の的だった。
あのロデリックから毎回どんなに急な遠征前でも休暇をもぎ取っていること自体が凄まじい。
「そういやケネスは良いのか?お前も所帯持ちだろ」
「騎士団に所帯持ちなんか珍しくもないだろ。全員がブライスみたいに休んだら回らなくなる」
まぁそうだよなと、アランもその言い分には同意する。
自分は所帯など持つ気は最初からないが、騎士団で所帯を持つ者は普通にいる。そんな中で、ブライスのように無理矢理扉をこじ開けてでももぎ取る人間が珍しいだけだ。
今回だけでなく女王付き近衛騎士になれば、女王の外交と共に必然的に遠征も増える。それでも休暇ももぎ取れば、近衛騎士の座もがっつりしがみつくところはケネスらしいとアランは思う。
昔は尊敬する先輩だったが、一番隊二番隊の隊長として肩を突き合わせるようになってからは親近感を覚える方が多くなった。今では同期のケネス同様良い友人である。
九番隊次は?素手での戦闘訓練だ、と。何でもない会話を交わしながら、途中まで共に行く。お互いの演習所へ向かうまでのほんの少しの時間だが、アランにとって話したいことは騎士団長からの命令とは別にあった。
「いやー、本当三日前聞いた任務驚いたよなぁ」
ぼやかしながら告げたその話題に、ケネスも小さく口の中を噛んだ。
三日前。自分が騎士団長室に呼び出された日のことだ。自分だけではない、女王付き近衛騎士全員も一同に呼び出されその中で女王の護衛に隊を率いる自分とブライスがそのまま王居へと向かうように命じられた。
ミスミ王国オークションへと訪問する女王の護衛任務。並びに、奪還戦後初めてのラジヤ帝国停泊と横断。
更には七番隊から派遣される騎士以外にも数名護衛対象と連携する隊も増えるかもしれないと。そう騎士団長に説明をされた二人だったが、女王の執務室へ訪れれば覚悟した以上の事態だった。挨拶へ訪れた自分達を待っていたのは女王だけではなかったのだから。
プライド第一王女、そしてステイル第一王子。その二人も同行が決定し、ただの女王の外交遠征だけではなくなった。
その後に女王からの正式な任命を受け、改めて騎士団長室へ呼ばれれば今度は女王付き近衛騎士だけでなく第一王女付き近衛騎士三名も呼ばれた。
何も知らないハリソンだけでなく、女王の執務室前の廊下で控えていたアランとエリックも共にロデリックから任務を聞けば、誰もが第一声も暫く出なかった。
女王と摂政、第一王子のミスミ王国護衛。そして〝第一王女の極秘護衛〟……その全貌真奥までを知るのは護衛につく大勢の中で、近衛騎士達のみ。
翌朝の朝礼で騎士団長から騎士団へも正式に女王付きとそして第一王女の近衛騎士にも出向の命が出たことを告げれば、騎士達もその殆どはが声には出さず察した。第一王女がなんらかの形でミスミ王国へ極秘に向かうのだと。その為に近衛騎士達も同行が命じられた。
しかし、敢えて騎士団長の口から語られない以上中途半端な憶測は誰もが口にせず胸の内に留めた。
ただでさえ、その前に騎士団長から正式に「ラジヤ帝国の皇太子と透過の特殊能力者の生存の可能性」という極秘情報が明かされた後である。そこで標的になる第一王女が極秘に国を出るのではないかと口にして、万が一にでも敵の耳に届くような危険を犯すような者はいなかった。
もしや第一王女は暫くの間国から人知れず姿を消して安全な場所に身を隠すのではないかと鑑みた者もいる。
「王族の護衛遠征なんて俺も久々だし。ここ最近はあっても討伐遠征くらいか。カラムんとこも多分治安維持遠征ぐらいか?」
「俺の隊もだ。同じ治安維持遠征でもカラムの隊とは主旨が違うがな」
騎士団で遠征が行われること自体は珍しくない。
その目的によって任命される隊も異なるが、しかし今回の遠征はその中でも大規模に値するものだった。王族が最低でも三名、もしくは四名よりにもよってラジヤ帝国を横断するのだから。
単純に考えれば勝利国であるフリージア王国が何ら恐れる必要はない。自分達は勝利の証として無条件にラジヤへ足を踏み入れることが条約で認められたのだから。
しかし奪還戦の首謀者である皇太子が生きている以上、その巣のどこに潜んでいるかもわからない。ラジヤ帝国ともう接触したのか、本国に帰ったのか、フリージア王国や国外に潜んでいるのかも全く見当がつかない。
そんな中、国で最も安全な城から出る第一王女がどのような目的で身を隠してまでして同行するのかは謎に包まれたままだった。
「で、アーサーとハリソンは討伐遠征だよなぁ」
「アーサーはともかくハリソンに治安遠征はさせられないだろ……」
ぞわっ、と言いながらケネスの背筋が冷える。
護衛遠征なら良いが、見回りの一種である治安遠征など任せた日にはいつか血の雨が降るかもしれない。低い声を漏らしながら自分の腕を交互に両手で摩った。
ハハッと明るく笑い飛ばすアランに、今だけは険しい顔で小刻みに横に振った。任務ごとに各隊へ任命するのは王族からの指名がない限りは騎士団長副団長だ。そして今回、副団長は残る。
騎士隊三隊をも出す大規模移動に、更に騎士団の要まで城を開けるわけにはいかない。女王や王族の護衛も当然だが、国や城を守ることも騎士団の役目なのだから。
「プライド様をいつどうやってラジヤが狙ってくるかもわからない。次は騎士団から切り崩しにかかるかもしれない」
「今のところ要人の護衛依頼とか近場の討伐依頼ぐらいだし、副団長が城にいてくれりゃあ平気だろ」
その要こそが騎士団長、そして副団長だ。
騎士団長が安心して任せられる為に騎士隊と率いる騎士隊長がいる。
騎士隊三隊が出動し、護衛対象は王族四名。守れない範囲ではないと、それは隊長であるアランとケネスに自信も覚悟もある。ただしその中で、極秘で守り抜かなければならないのが第一王女だ。
「取り敢えずお前は面倒みてやれよ。後輩でもあるんだし」
「誰のだ」
「わかってるくせに」
端的に返すケネスに、アランは悪戯するようにニカリと笑った。
その途端、ケネスの顔全体が苦々しそうに萎められる。顔の中心に筋肉が寄りながら、本心はわかっていると無言で告げる。
ノーマンと、ローランド。
同じ女王付き近衛でありながら隊長格同士であるブライスとケネスと違い、まだ一丸としては馴染んでもいない。第一王女近衛騎士のようにまとまりがあるとはケネスも思わない。険悪なわけではないが、親密でもない。
「まぁ、……ローランドは大丈夫だろ。十番隊でも評判は悪くないし、礼儀正しい奴だ」
十番隊騎士の彼とも交流することが少なかっただけ。連携自体は今でも問題ない。
しかしもう一人の騎士については安易に大丈夫とはケネスにも言えなかった。平均的な人格のローランドと異なり、もう一人は八番隊どころか騎士団の誰とも親密にならない。ここ最近ごく稀に隊長と食事をする時がある程度だ。そして今も。
ガキィンッ‼︎‼︎
「遅い温い。もっと早く喉を狙え」
演習所とは異なる場所から突如として響いた金属音と声に、アランとケネスの会話が止まる。
見れば演習所から移動中だった八番隊だ。まるで自分達が噂をするのを待っていたかのように、女王付き近衛騎士の一人が地面に転がっていた。剣を振り上げられる先へと一手読み、自身の剣を相手の喉元へとつきつけたところだった。
転がりつつも最後の反撃を見せたノーマンに、振り上げた側のハリソンも発言と共にそこで剣を収めた。
二言の助言を受けたノーマンも、呼吸を繰り返し切らせながら「ありがとうございました……」言葉を返した。またいつものように何の脈絡もなく奇襲をしてきたハリソンに、ノーマンも今更文句は言わない。
高速の足でハリソンが去ったところで、ノーマンも一人地面から立ち上がる。誰とも目を合わせず土埃を払いながら、ハリソンが去っていった演習所の方向へと駆け去った。
「……アラン。お前とカラムこそあのハリソンを本当に面倒見きれているのか?」
「いやそれは俺らじゃなくアーサーの担当だから」
どちらも八番隊兼問題児がいるのは変わらないと。
そうお互いの認識を改めながら、二人はそこで各々の演習所へと分かれた。