面倒がり、
「折角だし友人の視点も理解したいなぁと思っただけだよ。ダリオやフィリップも好きなようにしてただろう?君こそ、そういうのが理想だったのかい?」
「あー?ンなわけねぇだろ。大概はフィリップと同じだ。テメェに都合が良いから弄らせただけだ。お蔭で簡単に舐め腐ってくれる」
「ああ確かに君、もう今日だけで四回狙われているよね」
楽しいかい?と純粋な疑問をレオンが投げかければ、ヴァルからはハッと鼻で笑われた。
貧困街の青年の後も三回、二人で歩いていてもヴァルだけが盗みや恐喝の標的にされていた。その度に特殊能力で足元を狙い返り討ちにするか、衛兵に突き出している。しかも本人は被害者どころか愉快そうに嬉々として片付けているのもレオンは見ていた。
スリにまた狙われた時など、プライドから許可を思い出したヴァルがスリの手を掴み上げていた時の姿は魚を釣った時のような表情だったとレオンは思う。寧ろわざと狙われに行っているようにしか見えなかった。
「もしかして最初からそれがしたかったのかい?面倒ごとは嫌いだと思っていたけれど」
「人混みに紛れる目当てだっただけだ。テメェがいなけりゃもっと目立たず歩けてる」
もともとは雑踏で注目を浴びず空気のように歩き抜け、面倒ごとを避けるための擬態だった。
ただレオンの見立て通り、わざと狙われに振る舞っていた節もある。幼少の頃はおいても、身体の成長とともに周囲から怯え慄かれることの方が人生で大半のヴァルにとって、見てくれに騙されノコノコと自分を狙ってくる、そういう輩が返り討ちに遭い間抜けな顔をするさまが面白くて仕方がなかった。
まさか自分のせいで目立っていたのかと、あまり自覚がなかったレオンは首を捻る。
ならば悪いことをしてしまったなと少し思った。ヴァルの視点を知りたかったというのは本音だが、それが結果として今まで通りに彼が自分と一緒に注目を浴びてしまうことになった。だが、やはり今の彼はわりと楽しそうだとその結論に帰結する。
プライドも目立たない素朴な女性に扮していたことを考えれば、自分ではなく今の彼女とヴァルならば二人歩いていても綺麗に人波に溶け込み、そもそも誰かの目につき狙われることもなかったかもしれない。そう思えば、今度は特殊能力を受けている今だから視認できた本来のプライドの姿が目に浮かんだ。昨日までは体型や美しさ所作以外別人だった侍女だ。
「……プぁ、……ジャンヌ。あの格好、可愛かったなぁ」
「うっかり口滑らせかけてんじゃねぇ」
グビグビと連続して喉を鳴らしヴァルは酒瓶を傾ける。
うっかり素で零しかけた彼女の名に、レオンも指摘されて流石に口元を両手で包むように覆った。ジャンヌ呼びや他人行儀はプラデストの時でも上手くやれていたという自負があったが、彼女の姿を思い出すとついだった。
手の下に隠した唇をきゅっと結び、それから手を下ろす。代わりにグラスを手に、自分で酒を注いだ。うっかりいつもヴァルといる癖で彼の飲むつもりだった酒瓶を奪ってしまい、まだ動揺が隠しきれていない自分に少し焦る。
「ごめん」と若干噛みかけるレオンに、ヴァルは睨みながらもどこで動揺してんだと思う。目の前の店主に酒瓶を更に二本追加注文した。
「前の格好と大した違いもねぇだろ。テメェなんざ似たような恰好の連中を毎日見ておいてよく言うぜ」
「ジャンヌだから意味があるんだよ。それに、服装の違いも結構あると思うよ?君だってどうせプラデストの姿より今の彼女の方が好きだろう?」
「…………。テメェとこれ以上そういう話はしたくねぇ」
何の話をしてんだ、と。先にヴァルの方が我に返る。
どうせとはなんだとも牙を剥きたかったが、これ以上プライドの姿や格好だけの話で会話をもたせたくない。
酔わない自分とレオンが酒場でそういう話をしている事実に自分が気持ち悪くなる。急激に不味くなった口の中を酒で洗い流しながら一度目を逸らす。
「良いじゃないか」とそれでも寧ろ少し楽しくなってきたレオンはせがむが、ヴァルは完全に顔ごと視線を正面に戻しレオンに向けなくなった。
やっぱり妙なところで逃避してやがんのかと過り、すぐに考えを打ち消す。そろそろ五件目に移動するかと思考を塗り替えながら口を動かした。
「そういう話がしたけりゃあフィリップか、……。……その相方とやれっつってんだろ」
「アーサーのことかい?君、結構名前忘れるね」
「呼ぶ気がねぇだけだ。もうサーカスのネタがねぇんなら次行くぞ」
騎士のガキと呼びたかったが、この場で騎士の存在も安易に示唆できない。そしてプラデストでの彼の呼び名も今はもう頭に浮かばなかった。
レオンからの指摘に舌打ち混じりで応えるヴァルは、再び酒に口をつける。いっそ服や姿の話ならティアラに押し付けても良いと思う。もしくはセフェクやケメトでも良い。少なくともレオンが話したい今の話題に、自分は絶対そぐわない。
新たに注文した酒瓶二本がカウンダ―に置かれたところで、今飲みかけだった瓶を一気に仰ぎ空にする。
レオンもその言葉を聞き、店の掛け時計を確認しながら「そうだね」と軽く首を傾け応じた、飲みかけだったグラスの中身を味わいながら飲み切り、カウンターに置かれたばかりの二本を見つめたまま腰を上げた。ヴァルが自分用に一本余分に注文してくれたとは思っていない。二本ともヴァル自身が飲む用であることはわかっている。毎回次の店を決めるまでに瓶二本を軽く飲み切っているのだから。
そのまま懐に手を伸ばし「代金は」と店主に投げかけたのと殆ど同時にだった。
「サーカスか??サーカスのことなら何でも話してやろう。ケルメシアナサーカスなら夜通しでも足りはしない」
ふと、二人と店主しかいなかった店に別の太い声が投げられた。
突然間に入って来たその声と言葉にレオンとヴァルが同時に振り返れば、店の開けっぱなしになっていた扉からちょうど男が店内へ入って来たところだった。
「いらっしゃい」と店主も軽く両眉を上げればほっと息が零れる。目の前の酒の魔人二人と違い、今回は顔見知りだ。
店主へ軽く手を上げて挨拶を返す男は、ニマニマと機嫌の良さそうな笑みを変わらずヴァル達へ向けていた。そのまま酒で覚束ない足取りで壁やカウンターに手をかけながら二人に歩み寄る。
新たなサーカスの情報源らしい男性に、レオンとヴァルもその場を去ろうとは思わなかった。
二人が出方を探る間にも、男は「ハハハ……」と一人満足げに笑いながら無遠慮にヴァルの隣の椅子へどっかり腰を下ろす。「いつものを」と店主に酒を注文し、深くかぶっていた帽子をカウンターへとポイと置いた。二十年以上は使い古しているだろうと一目でわかる帽子は、皺だらけな上に小さな穴も開いていた。
不審者かと考えたレオンだが、名札のついたボトルを棚から取り出した店主の様子ややり取りから見てもここの常連かなと見当づける。
下級層のようなボロボロの格好だが、先ほども見た貧困街の住人達と比べれば差は殆どない。帽子を脱げば薄茶色の髪はボサついているが、蒼色の瞳を持つその顔つきはどこか気品も感じられた。
没落貴族の成れの果てような恰好の男性は「やっぱここが一番だ」と呟きながら帽子と同じように皺と穴だらけの薄手コートを座ったまま背凭れに雑にかけた。
「何が知りたい?お兄さん達この街は初めてか?サーカスは??ケルメシアナのファンか?だったらお目が高い!あそこは世界一のサーカスだ」
ハハハッ!と楽し気に笑いながら両手を広げてみせる。一人陽気な男に、ヴァルは顔を顰めながら僅かに身体全体をレオン側に引く。
今にも肩へ腕を回してきそうな男を睨みながら、今だけは元の姿に戻されたいと思う。話を聞く価値はありそうだが、この慣れ慣れしさは好きではない。
無精ひげの生えた男は、血色や肌の艶は良く更にはそれなりに身体も引き締まっていることも加えて若々しい。それでも風貌や目尻の皺からレオンの目には五十代かその手前くらいかなと見えたが、ヴァルの目には正確な年齢も確信を持って割り出せた。四十代前半だろうことを理解した上で、それでも「ジジイ」と頭の中で呟きながらゆっくりと一度上げた腰を再び椅子に落ち着ける。間違いなく目の前の男に話を聞けば長くなると尋ねる前から知った。
ヴァルが腰を下ろせばレオンも共に椅子へ座り直した。共に財布を出そうとした手も降ろせば、やっと代金にありつけると思っていた店主の肩ががっくり落ちた。
青年二人が椅子に腰を下ろしたところで、自分の話を聞く気になっていると理解した男は「何から話そうか」と笑い、店主に酒を注がれたグラスをくるりと手の中で回した。