Ⅲ43.越境侍女は探る。
「元はオリエとかだったか……オリウィエルは団長が付けた」
サーカスじゃ珍しくない。そう続ける元サーカス団の話を聞きながら私は口の中を飲み込んだ。
ああそういえばそんな設定だった気がする。まだゲームは全体の流れ以外アレスルートぐらいしか思い出せないけれど、早々にラスボスの名前が思い出せたことは幸いだと思おう。
オリウィエル。サーカス団に拾われた彼女はその容姿の美しさから〝オリウィエル〟という名前を与えられたサーカス団の一員だった。……そしてゲームでは完全にケルメシアナサーカスの支配者として君臨していた。
団員曰く、彼女が現れたのは一年半近く前らしい。
今までの団員と同じように団長が引き入れた。それ自体は珍しくなかったし、彼女は容姿が恵まれていたから客前に出すにも申し分はなく、だからこそ団長もそれに相応しい名前を彼女に与えた。
けれど、彼女は結局一度も客前に出たことは……というかサーカス団になってから仕事らしい仕事をしたことはない。それどころか新入りなのに個室を与えられ、団員の誰の目にもわかる特別扱い。そして今では団長がいなくなって彼女がその後釜に座している。
「団長はあの女に全部譲って出ていったとか……。朝になったら急にそんなこと言われて納得できねぇよ」
「ひと月近くいなくなるのは昔もあったらしいが、そんな冗談残す人じゃねぇ。団長から直接言われたわけでもねぇ」
「彼女への特別な扱いは団長の意思ですか?他の人間は何も言わなかったのですか」
今まで何もしてこなかった、それどころかサーカス団員の前にすら出てこなかったと溢すサーカス団員に、ステイルが的確な問いを投げる。
彼らはそれに全員がそれぞれ首を横に振っていた。何度も言ったけれど団長は認めてくれなかった。自分達を家族のように平等に扱う団長だけど、そういうことも初めてではなかった。「彼女のことは任せてくれ」「今は待つ時だ」「また話してみよう」と言うだけで一年以上経ったらしい。
それでも、まだ彼女が個室とただ飯食らいということ以外はそこまでサーカス団員達に不満もなかった。
けれど団長が突然消えて、後釜に彼女が座ると言われれば不満が爆発するのも当然だ。
興行の為にこの街へテントを張ってから間もなく団長が消えてしまった。ミスミへの経由客をどっと捕まえるぞと意気込んでいた矢先のことだったらしい。団長が出ていって彼女に全部譲ったことを証言できるのも、オリウィエルをいれてもたったの三人、その内の一人がアレスだ。
「結局団長に成り代わったところであの女は一度も俺達の前に挨拶にすら出てきてねぇ。絶対あの女が団長に何かやったに決まってるんだ!!」
アンガスさんは最後に固く拳を握り、行き場もなく怒鳴った。だから、団長を探し連れ戻す為に彼らは五人でサーカス団から抜け出したと。……綺麗にゲームの設定と一緒だ。サーカス団の状況、全てが。
これもやっぱりゲームの強制力なのだろうか。フリージア王国とは別の国だし何も影響がなかったといえばそれまでだけれど、第二作目と比べるとこんなにも状況が綺麗にゲーム沿いに揃っているのを聞くと気味が悪くなってくる。
ゲームでもサーカス団は突然団長を失い、それから彼女が舵を取ることになっていたと思う。
姿は滅多に見せず、カーテンの向こうで不気味な笑みを浮かべていたその光景が頭に浮かび上がる。
名前は「オリエ」ではなく「オリウィエル」のまま名乗り続けていた彼女は、サーカスに拾われたのをきっかけに別人として生きたと言っても過言ではない。
ゲームでの彼女はオリウィエルではなく「女王」か「あの女」と呼ばれていたし、彼女を名前で呼ぶ登場人物なんて攻略対象者にはー……、…………あれ?
いた?いや居なかった?モブ??まだアレス以外のゲームの攻略対象者どころか主人公のことすら思い出せないのになんだか引っ掛かる。
頭の中に霧がかかっている感覚が気持ち悪くて、空いている指先で頭をこちょこちょと掻いてしまう。取り敢えずアレスは、基本女王かあの女呼びかのどっちかだった気がする。
少なくとも現実でのあの様子では、今の彼女を女王どころか団長とも呼ぶ気はないだろう。ゲームが始まるまで、何年後かすらまだ不明のままだ。
第二作目みたいに学生じゃないからゲームでの年齢設定もヒントがない。第一作目みたいにティアラの16歳誕生日にイベントスタートとか何かしら目測になりやるい年齢がわかれば前後関係とかで思い出しやすいんだけれど、それもないし……唯一の手掛かりはレナードだろうか。
ライアーの記憶とレナード設定を比較すればざっくりとゲーム開始何年前かはわかりそうな気がするけれど、まだ情報が足りなすぎる。せめてあの攻略対象者を思い出せれば……。
「団長がいつまで探しても見つからず、探している内にこちらの貧困街に助けてもらいました」
「貧困街にもしかしたら団長が居るかもと思ったのに……」
悔しそうにはを食い縛るアンガスさんに変わって、女性がぺこりとエルド達へ頭を下げ、少女が俯きがちに呟いた。確かリディアさんとユミルちゃんだ。
助けて、ということはやっぱり貧困街ではお金のない人達皆で支え合っているのだろうなと考える。いくら大規模サーカス団の人間でも皆がお金をいっぱい持っているとは考えにくいし、こうやって聞くと貧困街も悪いだけの組織じゃないかもと思えてくる。だからって裕福だろうと罪もない人から盗みをして良い理由にはならない。……今回狙われたのは前科者のヴァルだったけれども。
「貧困街じゃ誰でも受け入れる代わりに首領の元へ一度挨拶に来るのが掟だ。その団長は少なくともこの貧困街に来ていないことは確かだ」
「サーカス団の資金は手をつけられてはいなかったのか?団長ということはそれなりに資産を保持していただろう」
断言するエルドに今度はセドリックが彼らに向け投げかける。
もし団長がお金を持って消えたのなら貧困街に居なくても当面の生活はできるし、もしかしたら街や国を出ている可能性もあると考えたのだろう。
けれど彼らはそれぞれ首を横か捻るかのどちらかだ。そこまではわからない、少なくとも盗まれたとは聞いていないと答える彼らは、きっと本当に心から団長を心配しているのだろう。
少なくとも私もゲームの設定で思い出せる限りはその団長が悪い人とは思わない。アレスだって慕っていた人だ。……だから、それがそのまま心の傷として刻まれた。
サーカス団から抜け出した彼らの中にもう一人くらい攻略対象者に会えれば良かったけれど、そう都合良くはいかない。この人達は攻略対象者でもなければ主人公でもない。ならば、残りの全員はサーカスの中かそれとも。
「……。お尋ねしても宜しいでしょうか」
全員が一度口を閉じたのを確認してから、今度は直接尋ねる。
自己防衛として剣を握る手に力は込めたまま、肘置きに腰かけていた状態から立ち上がる。私がまさかその首領ご本人様をお互い人質状態とは思いもしないだろう彼らは、視線をこちらに向けたまま不思議そうな眼差しだけを送ってきた。
ステイルからも頷きが返され、エルドにも目配せすれば眉間に皺を寄せた状態で睨み返す形で頷かれた。セドリックからも「言ってくれ」と許可を得れば、私は静かに息を吸い上げる。
わかっている、全員があのサーカス団にいるとは限らない。
第二作目だってブラッドがそうだったようにゲーム開始と別の人生を歩んでいる可能性は充分にある。少なくとも今聞く限りサーカス団は〝まだ〟非道な労働組織ではないと考えられる。
彼らが団長を探しに来ているのだってそうだ。彼女が君臨してからまだひと月程度なら、まだ救えるものが多いと思いたい。なによりアレスが、そして我が民が一人でもあそこにいるのならやっぱりケルメシアナサーカスを野放しにはできない。それが〝これから〟なら猶更だ。
「ケルメシアナサーカス団で非道な扱いを受けている人間は、……奴隷はいますか?特殊能力者やフリージア王国の人間はサーカスに所属しているかについても教えて頂きたいのですが」
できるだけ詳細に、と。そうはっきりと声に響かせ望む。
すると、さっきまでは言葉か首振りですぐに答えてくれた彼らの目が泳ぎ出した。ぞわりと、なんだか嫌な予感が背中を摩りながら過ぎていく。既に何か起きているのだろうか。
唇を結んで待ち続ける間、彼らはわからないというよりもお互いの出方を伺っているようだった。
もともと団長を探しに出ただけだし、いつかサーカス団に戻りたいと考えているとしたらあまりラスボス以外の悪い噂や内情も言いたくないのかもしれない。
ステイルから「誓って秘密は厳守します」と、セドリックからも「お前達の助けになれるかもしれない」とそれぞれ助け船が出される。隣からエルドの訝しむ眼光を感じながら、私からも重ねてお願いする。
特に、非道な扱いを受けているかどうかについては流石にこの国の事件でも見過ごせない。
やはりここまで口をつぐむということは、奴隷はいるというところだろうか。彼らもラジヤ国内も渡り歩いているとすれば、価値観や常識の基準もそちらであってもおかしくない。
沈黙がきんと耳鳴りのように感じられ、テントの外の音が際立って聞こえるようになってきた時。一番小さいユミルちゃんが、小さな口を開いた。
「……アレスお兄ちゃんは特殊能力者、です。あと……あと、特殊能力無いでも良いなら私もフリージアの生まれ、……らしいです……」
えっっっっっ。
まさかの覚えが全くない目の前の女の子からの告白に自分でも目が皿になるのがわかる。ちょっ、まさか目の前に我が民一人いた!!
しかもその後に「ユージンさんとか料理長と先生と他にも確か……」と続く。多くない⁈アレスが特殊能力者なのは私もわかっていたけれど、これにはステイル達も驚いたらしく口が俄かに開いて彼女を見つめていた。
ステイルだけじゃない、一緒にいた人達もぎょっとした目で彼女を注視している。クリフ君が「ばかっ」と言うのがうっすら聞こえた。更にはリディアさんが守るようにしてユミルちゃんを抱き締めて、更にアンガスさんが彼女を背中に隠すようにして立ち位置を変えた。彼らが口をつぐんでいた理由を理解する。
仲間に守られ隠されて見えなくなったユミルちゃんは、それでも消え入りそうな声で言葉を続ける。
「けど団長……私達が探してる団長は皆に優しいです。私は奴隷だったですけど、そういう奴隷だった人にもちゃんと優しくしてくれて……アレスお兄ちゃんだって絶対団長のこと好きです」
どうしよう、まだ十歳前後にしか見えない少女からの告白に呆気を取られて言葉が出ない。ここが奴隷国なのだと改めて思い知らされる。
しかも今の言い方だとフリージア出身でなくても奴隷だった人も結構多い可能性がある。そして消えた団長はそういう人達にも優しいまさに人格者だったと。……ああ、またアレスルートがじわじわ思い出してきた。そうだ、アレスも確か前団長はすごい良い人だったって話すシーンや過去に苛まれる場面がいくつも頭に浮かぶ。
こうやって思い出すと本当にアレスはその団長のことを慕ってた。
なら、やっぱり今はまだ非道な扱いを受けている人はいないということだろうか。ユミルちゃんも奴隷〝だった〟ということはサーカス団に〝奴隷扱い〟はいないと考える方が自然だ。……というか駄目だ、こんなところにもポンッと我が国の奴隷被害者居たのが辛い。しかもこんな小さい女の子だ。
本人が「らしい」と言っていることから察して、サーカスに入るまでどういう扱いを受けて来たのかも察しがいくらかついてしまう。この子を奴隷扱いどころかちゃんと保護してくれていたらしい団長に今は物凄く感謝したい。
条約に則って今すぐにでも彼女を我が国に連れ帰りたい欲が湧くけれど、今こうして少なくとも彼女は自分を守ってくれる人達と一緒にいるのだと思うとそれも悩ましい。今は奴隷というよりも本当にちゃんと元ではあるけれどただのサーカス団員という印象だもの。本人に帰る気も帰る必要もないなら無理強いする方が悪い。
なんとか思考がまとまって、最初に「ごめんなさいね」と隠されたまま見えない少女に向けて言葉を掛ける。
そんな小さい少女で、奴隷が常識の国でも口にするのは辛い筈だ。自分の配慮が足りなかったことにぐっと降ろした拳に爪を立てる。
「……。辛いことを言わせてしまい、申し訳ありませんでした。ジャンヌの主人である僕からも謝ります。そしてどうか力を貸してください。サーカス団の全貌について、もっと詳しく教えて欲しいのです。お礼は必ずします、貴方方の望む形で」
アレスの特殊能力についても教えて頂ければ、と。そう続けながらステイルが自分の胸に手を当てて彼らに歩み寄る。
変わらず壁になるアンガスさんを押しのけることはせず、肩膝を折ってしゃがむ形でユミルちゃんに呼びかける。アンガスさん達がステイルの壁になったことで、私の位置からは再びユミルちゃんの姿が見えるようになったけれど、お姉さんのリディアに抱き締められながら顔はステイルの方へと向いていた。
けれど今度は言おうとしたところでクリフ君の方がユミルちゃんの口を手で塞いだ。当然だろう、私達はまだ信用されていない。
「そんなこといってアレスさんを売るつもりじゃないのか?!」
「エルド!!こいつら本当に信用できるんですか!!」
「すみません、これ以上仲間の情報まで話すのは……。私達は過去を捨てたつもりで生きている者が殆どです。ですから、どこの生まれかもわからないのが殆どで……」
クリフ君とビリーさん、そしてリディアが続けて声を張る。
アレスの特殊能力も、奴隷狩りに狙われるのを恐れて安易に話せない。仲間の過去についてもお互い詮索しない。ユミルちゃんへの扱いを見ても彼女達の言い分は本当なのだろうと納得できた。
けれどユミルちゃん本人は今も塞がれた口を解こうと首を大きく振っている。
ビリーさんからの訴えに、エルドも答えない。ステイルも状況を判断したようで、一度首を垂らした後にゆっくりと立ち上がった。……うん、これ以上は難しいだろう。
ラスボスのことも、ゲームでの設定状況がどこまで進んでいるかもある程度は把握できた。アレスが特殊能力者ということは公言も貰った。そして私の〝予知〟もまだ起きていない状況なのだということが証言された。
アレスに会っただけでははっきりしなかったことに判を押されただけで充分だ。まだ、貧困街にはサーカス団のことを第三者として知っている人もいるだろうし、聞き込みは彼女達だけに絞る必要も
「……ユミル達に聞かなくても、そういうのが目的なら自分で調べたらどうだ?」
不意に、さっきまで黙していたエルドが独り言のような丸い声で呟いた。
顔を向ければ、空いた肘置きに頬杖を突きながら冷めたような落ち着き払った眼差しをステイル達に向けている。どういう意味だろう。
調べるもなにも、だからこうして彼女達から話を聞いている。これを調べると言わず何というのか。それともやっぱり他の貧困街の子達にも聞いてみろという意味だろうか。
そう考えていると、エルドは「貧困街のアンガス達以外はどうでも良い」と捨てるように投げてから、今度はハリソン副隊長、アラン隊長、エリック副隊長と近衛騎士達へ順々に視線を向け出した。
「直接入団すれば良い。ケルメシアナサーカスが特殊能力者を常時欲しがっているのは有名だ。ちょうど団員も重要戦力が二人も欠けた後だから人間離れた奴でも充分可能性はあるだろ」
エルド達が今の縄張りに張って、アンガスさん達が貧困街に入ってからケルメシアナサーカス団へ入団希望者が行き来することは一度もなかった。直接入団すれば内情も知れるし、どうせサーカス団は入れ替わりも激しいから急に団員が入ったり消えたりしたところで大した痛手にもならない。むしろ団員も減った今なら歓迎されると。……確かに、言われてみると急に喉が渇いた。気を抜けばごくりと喉がなってしまいそうなほど、初めてエルドに身体が強張る。
まさか特殊能力者を、とそれが有名なのも驚いたけれど、よく考えれば自然な流れだろう。
特殊能力者は奴隷としての価値が高い。そして同様に、彼らの能力をこの目にしてみたいと考える人間は多い。我が国フリージアの城下では珍しくない現象でも、そうではない地では集客にこの上ない見せ物になりえる。
いやでも、と。その場合潜入することになるのは誰かと思考がまわれば汗がひんやり額を伝った。私が潜入できれば良いけれど、まさかそんな見せ物みたいなのに少なくとも一人もしくはそれ以上の数を我が国の誇る
「お前らフリージア王国誇る騎士団だろ?特殊能力者も少なくとも一人はいる。騎士ならテメェの牙で情報取ってこい化け物集団」
最後はこの上なく口が悪くなるエルドは、そこで今日一番の勝ち誇った嫌な笑みを浮かべて来た。
視線の先はアーサーと特殊能力者であることを披露したカラム隊長。そして最後に「化け物」と私にも目を向けて来た。今は私の握る剣にも恐怖を感じる気配はない。
「良かったな?お前らが入団すれば全部解決だ」
せいぜいがんばれ。そう言い捨てる彼に、今は誰も言い返せなかった。