Ⅲ42.越境侍女は近付く。
「なんでたかが五人増えるだけでそっちも化け物増やすんだ」
「良いではありませんか。こちらは三名だけですし、貴方方が数では有利なのは変わりません」
ハッと鼻で不満を吐き出すエルドに、ステイルもにこやかに受け流す。
エルドの命令でテントの中に更に五名の人間が呼ばれたことにより、ステイル達もまたテントの外に控えさせていた近衛騎士のエリックとアラン、そしてハリソンを呼び込むことに成功した。
既にわかりやすい人質がエルの膝元、もとい玉座の肘置きに座している以上こちらも何かあった時の為にも万全の態勢を固めなければならないと考え進めた。エルドもまた、眼前に自分の武器を奪った侍女がいる上で安易に逆らえるわけもない。
部下達の手前、平然を取り繕うが本音を言えば今すぐこの危険人物を自分の半径十メートルから引き離したい。武器を降ろしてはくれたが、だからといって剣を手放してもくれない。無理矢理奪うことも不可能ではないと考えるが、自分の腰の剣を一瞬で奪い突き付けてきた手並みの速さを思い返せば、自分が反撃で斬られる方が早いことも少し考えてわかった。自分が鈍いのではなく、目の前の侍女が速すぎる。
五人の男女と共にテントの中に入ることを許されたアラン達もまた、中の光景に一度は目を見張った。
待っている間も気配や耳でテントの向こうの様子を聞き窺ってはいたが、まさかよりにもよってプライドがエルドの傍でまるで共謀者のように掛けているのは衝撃だった。人質かとも考えたが、その手に剣を握っている彼女が危機的状況とはエリック達も思わない。彼女が本気を出せばエルドの取り巻き達も一人で倒せる。
自分達が入ったところで、顔の前で小さく手を振りながら苦笑気味にはにかむ彼女を見れば、深刻な状況ではないことはわかった。
「カラム・ボルドー。特殊能力と先程聞こえたが?」
「……。その話はあとだ。ジャンヌは今侍女としての判断で座している」
テントの外から拾い聞いていた会話で、自分にとって最も重要な情報をハリソンが確認すればカラムはすぐには返せなかった。
自分が使用したことをここで安易に認めれば、ハリソンが次の瞬間には文字通り高速でプライドを取り返しエルドに一撃は加える。自分の場合は必要な状況で、しかも暴れる為に使ったわけではない。
少なくとも一応は交渉が成立して早速情報収集が進んでいる今に高速の足で暴れ回れられてしまえばその瞬間プライドの苦労も無に帰する。ここでハリソンが特殊能力者であることを無駄に知らせることもない。
的確な判断で言葉を返すカラムは、ジリジリとハリソンからの刺すような視線を浴びながら眉の間を寄せて口を閉ざす。
ハリソンの場合は自分とアーサーがいながら敵の懐にプライドが座していることも恐らく許せないのだということも理解している。しかし、ここでその状況を説明しても混乱を招くだけだ。目にした自分達でさえ、プライドの突飛過ぎる行動に戸惑いが隠せないだから。
カラムの苦悩の表情と、申し訳なさそうに肩を丸めるセドリック、そして自分達に礼をした後はなんとも言えない表情で取り繕い顔のエルドとプライドを見比べ続けるアーサーを見れば、ステイルが黒い気配を醸し出しているのにも比較的アランとエリックも冷静でいられた。
ステイルが腹に据えかねている理由は火を見るよりも明らかだが、取り合えずプライドの安全は自分達も参入したことで更に固められた。
「あの、え……エルド。俺達に何か御用でしょうか……」
「一応確認だ。…………ア、ンガス……だったか。お前ら全員、こいつらに覚えはあるか?フリージア人だ」
おずおずと最初に口を開いたのは、屈強な腕を持つ男性だった。
男らしい背を少し丸め、頭を掻くアンガスに、エルドは自分の真横に座る侍女を軽く親指で示し、それから手を払うような仕草でステイル達を差した。
貧困街の全員を覚えてはいないエルドだが、入ってきて新しい彼らのことはうっすらとだけ頭に名前も残っていた。先ずは本当にリディアも含め彼ら全員が商人達と初対面なのか改めて確認するエルドに、彼らはそれぞれ視線を向け最後は全員が首を横に振った。
フリージア人と言われた途端に目を見張りはしたが、彼らに覚えがあるかと聞かれれば全くない。フリージアに住んだ記憶もない彼らは判断も早かった。総意を確認し「全員ありません」と答えるアンガスも、未だ自分達が呼ばれたことへの困惑が晴れない。
どうやら本当に無関係同士らしいと。そう確認したエルドが短く息を吐けば、そこでプライドも「宜しいでしょうか」と軽く笑いかけた。
容疑も誤解も晴れたのなら、早速今度は自分達が事情聴取だ。剣の先を地面に片手で握りもう片手を柄の上に置くプライドの姿は、エリック達にはエルドとどちらが首領かわからなかい出で立ちだった。少なくとも威厳であれば圧倒的にプライドが勝っている。
プライドからの促しに、エルドも眉を寄せながら「お前らに聞きたいことがあるらしい」と彼らへ続けた。
「サーカスについて答えてやれ。アンガス、リディア、ビリー、クリフ、ユミル」
そう一人一人の名を呼べば、セドリックもぴくりと肩が揺れた。全員アレスがプライドに尋ねていた名前だと絶対的な記憶力を持つ頭で思う。
五人それぞれへと目を向ければ、自分がその名を聞いた時に呼ばれていたクリフだけでなく他の男性二人も彼の傍に並んでいた面々だ。やはり新人だったかと検討づけながら、言葉を飲み込んだ。
エルドからの指示に、彼らもまた警戒の姿勢は残ったままではありながらステイル達へ少し身体を向けた。
サーカス……?と、何故フリージアの人間がそんなことを自分達なんかに聞きたがるのかもわからない。しかし、目を向ければ見覚えのある長い黒髪の男に一気に背筋が凍った。部外者がエルドの元へ行ったというのは貧困街の端にいた自分達の耳にも届いていたが、まさかあの男だったのかと気付いた誰もが半歩後ずさる。
ハリソンに注意を向けられるより前から怯えだす彼らに、最初にステイルが「ご安心を」と柔らかな声で笑いかけた。
「先ほどの件で追って来たわけではありません、話もついています。それよりも、皆さんはケルメシアナサーカスに所属しておられたということで宜しいでしょうか」
社交的な笑みで話しかけるステイルに、アンガス達の警戒も僅かにだが薄まる。くすんだ赤髪と貧弱そうな顔つきの青年は、騎士達と比べたら威厳のかけらも見えない。意識的に柔らかくされた声色のお陰で、肩の力も幾分抜ける。自分達でも倒せそうな貧相な男だからこそ、警戒も緩む。
こくりこくりと頷く彼らに、一言返した後にステイルはセドリックにも目を向ける。この中にクリフは含まれているのか確認すれば、それもすぐに頷きが返って来た。
前途多難であったとはいえ、なんとか無事にサーカスの内部を知る情報源から話を聞くことができる。しかもつい最近まで所属していたサーカス団員であれば情報も有用なものを期待できる。
結果としてセドリックは良い情報網を捕まえてくれたものだとステイルは思う。そうでなければエルドと協力関係を締結できたところで上手くサーカス関係者張本人からは離されていた可能性もある。セドリックからの指名にも警戒してきたところからも容易に考えられる。
すると、そこまで考えていたところで「フィリップ様」と声を掛けられ振り返る。エルドの傍らに座するプライドが真剣な眼差しを自分に向けていた。
「何故そちらの方々はサーカス団から抜け出されたのでしょうか……?」
あくまで自分が直接ではなく主人に尋ねる形で尋ねるプライドに、それが彼女が一番確認して欲しいことだとステイルも理解する。
「そうですね」と返しつつ、今は聴取へ集中する。既に彼女から予知としてケルメシアナサーカスについての情報を知らされているステイルにとってもそれは知るべき疑問だった。プライドの促す通りに彼らへと第一の質問を図る。「何故」と。
「それとも、そちらのサーカス団は定期的に団員の入れ替えを行われるのでしょうか」
「そりゃあ昔から逃げ出す奴らは珍しくもねぇけど……」
なぁ?と、ステイルに応えたアンガスは同意を求めるように仲間達にも視線を散らした。
誰もがその投げかけに深くそしてはっきりと頷いて答える。「逆に短期間で増えることも」「一気に減った時もある」「もともと大所帯だから」「仕事もきついし危ないし」とそれぞれだ。
サーカス団は決して表向き通りの明るく馬鹿騒ぎをするだけの集団ではない。その裏側を知る人間になれば、血の滲む努力と下準備も時間も人力も労力も必要になる。それはこの場の誰もが想像できる通りのものだった。
しかし、彼らが去ったのはそういった労働に嫌気がさしたからではない。
「団長いなくなって探しに行きたかっただけなのに……」
そう、ぽつりと呟いたのは小柄な少女だった。
他の団員の影に隠れるようにして小さくなる少女は、元々行くあてもなければサーカス団を抜ける気もなかったのにと思う。
「団長?」と聞き覚えのある情報にステイルがすかさず尋ねれば、代わりにもう一人の女性が彼女を抱き締めるように庇いながら口を開いた。
「うちのサーカス団の団長だった人です」と細い声を響かせる女性は、眉を垂らしながら説明した。
いなくなったサーカス団の団長は、金も行く当てもない自分達に居場所をくれ家族のように養ってくれた。サーカス団の団員は長い者ほど彼を慕い、お陰でサーカス団も国々を渡り歩きながらも上手く回っていた。自分達はそこに不満はなかったし、このままサーカス団に居続けるつもりだった。……ただし。
「団長がいなくなったと。……確かにアレスという青年もそう言っていましたね」
「アレスさんに会ったのか?!」
ざわり、と。ステイルの呟きに今度は少年が声を上げ、アンガス達も声を漏らした。
直後には「クリフ!!お前は黙ってろ!」ともう一人の青年が少年の後ろ首を掴んで窘める。しかしクリフと呼ばれた少年は「アレスさん大丈夫だった?!」と声を上げる。心から心配するようなその少年に、カラムは「無事だ」とその最低限の情報だけでもこの場で返した。元気、と言えるかはわからないが、少なくとも彼らの按じているような緊急の事態ではない。
それを聞いた途端、クリフだけでなく少女の方もほっと目に見えて安堵の息を吐き出した。そのまま俯けた眼差しが寂しげに揺れていく。
お知り合いですか、と。当然予想できていた関係にステイルが確認を取れば、アンガスは低い声で「そりゃあ」と一度濁してから答えた。
「アレスはユミルと近い時期に入った同士だからな。ユミルが団長探しに行くっつった時も、最初はアレスも付いてくると思ったんだが……」
『やめとけ。そんなことより〝あの女〟を何とかすることの方をお前らも考えろ』
ヒュッ、とプライドが息を引く。
アンガスの語ったアレスの言葉に「あの女」が口にされた途端、心臓がけたたましく鈍い音を鳴らした。唇を結び、表情を隠しながら全員が注視する彼らに視線を注ぐ。頭の中ではやはりあのテントの中には〝彼女〟がいたのだと思い知る。
あの女とは、とステイルがさらに言及を深めれば、そこでとうとうプライドにとっての確信へと現実が到達していく。ステイル達に語った予知と言う名のゲームの設定が先に頭を駆け巡る。
グレシルと同じように、また彼女もこの世界で動いていたのだと理解すれば静かに肌が粟立った。震えそうな指先をぐっと剣を握ることで押さえ付ける。
元サーカス団員は語り出す。何故自分達が親しんだサーカス団を抜け出したのか、そして今も戻っていないのか。それまで平和だった筈のサーカス団をたった一夜で、そして今も水泡に消しかける元凶と思える
現サーカス団長〝オリウィエル〟の存在を。
ゲーム第四作目の記憶が廻るのを感じながら、プライドは静かにそのラスボスと同じ名に奥歯を噛み締めた。