そして対立する。
「貴方が、この貧困街の代表ということで宜しいですか?」
「今はな。不服なら帰れ、誰も引き止めねぇ」
「その場合は僕らもこの場所を衛兵に告げ口させてもらいますが?」
「言ってみろフリージア。居場所がバレて困るのはお前らの方だ。街中の奴隷狩り連中に触れ回ってやる」
どうせ自分達の根城など衛兵どころか街中の誰もが知っている。
治安維持組織が機能しておらず捕まらないからこうして堂々と基地を構えていられる。制服だって衛兵から見返りと引き換えに手に入るような地だ。
自分達のような端金にしかならない人間よりも、フリージア王国の人間の方が遥かに価値はある。フリージアへの完全返還は噂で聞いているが、それでも市場価値は変わっていないこともよく知っている。
フリージアの王族であれば流石に狙おうとは思わないが、いくら上級層であれたかが商人ならば利益を優先して欲しがる人身売買商人はこの街にまだ多い。護衛に騎士がいると敢えて言わず広めれば、余計に数も集まりやすくなる。
「たかだか五人の騎士で町中の奴隷狩り連中から守り抜けるかどうかは知らないが」
「守れますよ?絶ッッ対」
ギラッと蒼の眼光が走る。
見れば、黙していた筈の騎士の発言だった。テントの端際に佇む侍女を背中で守りつつ、見開かれた眼だけが獣のように光っていた。
さっきまでおどおどしていたのが嘘のように、今は通った声だった。
商人を脅したのが引っかかったのか、それとも騎士の力を甘んじたからかとエルドは考える。
あまりの覇気に触発されホーマー達も無意識に身構える中、一度合ってしまった目をエルドは意識的に顔ごと動かし逸らす。フリージアの騎士の強さは隣国のアネモネ王国には嫌と言うほど有名な話だ。化け物をまともには相手したくない。
意図しなかったアーサーからの切り返しに、ステイルも小さく笑んだ。
王族の来訪が知られている以上、〝たった五人〟とは比べものにならない数の騎士が今この町にいることを切り返せば良い。もしくは偶然掴んでいないのか、敢えて口に出していないのかまだこの場に名前もでなかった〝アネモネ騎士団〟の滞在もチラつかせればと、手段はいくつかあった。が、それをするまでもなくアーサーの意気で顔色も空気もわかりやすく変わってくれた。
「失礼しました」とアーサーの発言を軽く自分から謝罪する。これ以上揺さぶる必要はないと判断し、このまま流れの内にと本題へ移った。
「こちらの望みは二つ。一つはケルメシアナサーカスについてわかるだけの情報を提供して頂きたい」
ケルメシアナサーカスの傍に本拠地を構える貧困街。サーカスの観客収集力を見通し待ち伏せを狙っているのなら、当然その決断に至った前後分サーカスのことも知っている。スリなどを繰り返している集団である以上、収益を得た後のサーカスも標的の範囲内である可能性もある。今サーカスの現状を知るにこれ以上の相手はいない。
過去のサーカスの経歴、団員、演目、噂話全てをと。そう続けるステイルにエルドも何も言わずに沈黙で先を促した。
情報提供だけならば安いものである。いつ自分達に危機が及んでも察知できるように、良いカモの情報が手に入るように、町中に張り巡らせた貧困街の人間は生命線でもある。
フリージアもアネモネの王族が入り込んだことも、大勢の護衛騎士団を連れていることも知っている。たかが魚の糞の商人達はまだしも、王族の侵攻などは見逃さない程度はエルドも自負がある。
「そして、今回のような盗みや強盗まがいを二度と行わないと約束頂けるのなら」
「それは無理だな」
流れるように続けられた二つ目を、最後まで言わせずにエルドは遮った。
止められたステイルもそこで口を閉ざす。二つ目は自分達が捕まえた青年達を衛兵に突き出さない代わりの提案だったが、断られるのも想像はできていた。
貧困街は裏稼業とは異なる。それは今こうして実際に足を運ぶ前からわかりきったことだ。
後方で二人のやり取りを聞いていたプライドも、顔に力を込めるが驚きはしなかった。頰杖から腕を組むエルドから続けられる言葉も予想はできた。
「俺達はこれで生活してる。こっちじゃ安い労働は全部奴隷に取られてる。奴隷になるか、もしくは金がある奴らから奪うしか生きる方法がない」
これでもある程度選んでやってると、自分達なりの選別も語る。
盗むのは身なりや馬車から判断し、金がある人間かその仲間しか狙わない。旅行者や旅人は良いカモだが、命は奪わない。
貧困街や仲間に危害を加えた相手は裏稼業だろうと報復と共に財産も奪う。だが〝稼いだ〟金を共有して生きるのが貧困街の生き方だ。
根本である稼ぎ方は、この地で生きていく以上変えられない。
「理由もなく一般人を殺しはないし怪我人も滅多に出さない。お前達を大勢で囲ったのも、全員で逃げ切る為だ。大人しくダリルを返せばあんな大ごとにもならなかった。」
「それは申し訳ありません。こちらも身の安全が大事だったもので」
「金持ちがケチるな。こっちが金が要り用な時にぼけっと歩いてるお前らが悪い」
口が悪い。
そう、プライドは思いながら胸の中に押し留める。三年前から性格は歪んでいた王子達だが、ここまで口は悪くなかったと思う。
完全に過去は無かったものとして語るエルドの口振りに、もしかしたらこの場の彼の仲間達もエルヴィンとホーマーが王族だったことまでは知らないのだろうかと考える。それほど今は溶け込んでいるようにみえる。レオンよりもヴァルと会話も成り立ちそうなほどだと考える。
ステイルから「それで許されるとでも?」と切り替えされたところで「俺らには俺らの生活がある」と開き直る始末だ。
互いに譲らぬ沈黙に、同席する幹部達も思わず互いに顔を顰めた。
「……。……ならこれでどうだ?お前らがこの国にいる間は、俺達も仕事をしない。裏方管理にも活動責任者にも俺から直々に命じる。お前らの欲しいサーカスの情報はくれてやるし、できる程度なら協力もしてやる」
少し口を閉ざした後、思考を回したエルド自ら妥協案が上がる。
想定したよりもこちら側に寄せたように聞こえる提案にプライドは目を丸くする。てっきりこのまま決裂も考えられた。場合によっては戦闘もありえる。スリをした青年に関しては互いに衛兵に突き出すか、守り抜くかが掛かっていたのだから。
盗みに関しては実際問題、一時的に控えられても意味はない。
長い目で見るならば盗みをした一人だけでも法に則って然るべき処罰を与えるべきだとプライドは思う。だが、ここで「わかった今後永久に盗みはしない」と言われたところで実質的な状況は変わらない。自分達が一時滞在者だと知っている以上、目の届かないところやこの国からいなくなってからいくらでも犯罪を再開できるのだから。
それならば自分達がいる間という期間でも犯罪抑制が確保される方が有益的でもある。
更にエルドから「どうせ一人捕まっても代わりが盗みはするだけで被害は変わらない」「衛兵も俺ら全員を相手にしたがらない」と重ねてくる。
カラムもこの条件には眉を顰めつつ自分から異論は唱えない。騎士として罪人を見逃したくないとは思うが、ここはフリージアではない。
一定期間犯罪が抑えられることも前に出されれば、頭から否定も難しい。寧ろこの場で今後犯罪行為をしないと安請け合いされた方が怪しんだ。自分の役目はあくまでエルヴィンを交渉台に立たせるだけ。決定権はステイル達にある。
寧ろホーマー達四人の方が、この提案には惑いを見せた。明らかに口答えはしないが、声を漏らし動揺をそのまま顔色に反映させているのが手に取るようにカラムにもわかった。
ステイルもセドリックへ顔を向けながら、ちらりと何気なく視線をプライドにも向けそこで彼女からも異議がないことを確認する。セドリックからも発言がない以上、ここはまだ交渉の余地があると判断した。
良いでしょう、と。その言葉をステイルが返せば、エルドは片方の口端だけを引き上げた。
「ただし、前払いで」
単的にそう告げ、両指を数本広げて見せる。
曲げてる指の数の方が少ないその両手が示す数字の意味は、プライド達も一目で察した。試しにステイルから良識のある数値で確認を取ったが、間髪入れずに正された。二桁も違う数字を提示され、あくまで商人として立つ自分達は口を噤む。
フリージアの王族ならば確かに払えない額ではないが、上級商人でも決してポンと出せるわけのない大金だ。
「こっちも今忙しいし要り用で都合が良い。安いもんだろ?騎士を連れられるほどの大商人様だ。まさか見返りもなく俺達が譲歩するとでも思ったか?」
ははっ、と。せせら嗤い、椅子の背もたれに体を預ける。
上目線の踏ん反り返り方は、初対面のレイをプライドは彷彿とさせられた。元王族として金銭感覚がまだおかしいのかとも考えたが、今度はホーマー以外の仲間も納得したように顔色を正し視線を落ち着け、ゆっくり頷いている者までいる。
彼らにとっても桁違いの額のはずなのに!と思うプライドだが、だからこそ〝金持ち〟に対しての桁数も違うのだろうかと思う。隣に立つアーサーをちらりと目で見れば、あんぐり口を開けていた。庶民出とはいえフリージアの騎士隊長であるアーサーすらも絶句する値段なのだと再確認できた。決して騎士が薄給なわけではない。
「こっちは面倒を見てる連中が十や二十の規模じゃねぇんだ。大人しくしてやる間の生活費ぐらいは貰わねぇとな」
「たとえ一年掛けようと貴方方がそれだけの額を稼いでいるとは考えにくいですが」
「嫌なら良い。俺達は町中にお前らの情報を垂れ流すし、最後の一人になるまでこっちはこっちで仕事を続けるだけだ」
あくまでこっちも条件側だと、そこで軽く振り返る。
葉巻、と。その一言で仲間の一人が懐からエルの口へとそれを差し出した。そのままマッチへ火をつける。
所有数も限られる葉巻へ灯し、ひと月ぶりに口いっぱいに煙を頬張る。対して味わうことなく、吹き付けるように吐き出せばそのまま靄が対面のステイルまで届いた。葉巻の煙を吹きかけられたことよりも、葉巻の中でも上物どころかまともな質ともお世辞にも考えにくい粗暴な香りにステイルは顔を顰めた。
今は強気で睨むよりも眉を寄せるだけにとどめ、手で左右に大きく払う。元王族がよくそんな不味そうな煙を吹かせるなと心の底から思う。
ステイル達からしても、自分達の方が実質的は優位だと思う。フリージア王族の立場を使えば今はラジヤの総督へ貧困街の掃討へ圧をかける程度はできる。そうでなくとも衛兵の詰所へ駆け込もうと、この場で貧困街の全員を殲滅しようとも騎士がいるこちらが力関係も圧倒している。
商人としての情報をいくら流されようとも、その場合はまたフィリップの特殊能力で別人になれば良い。エルドからの脅しは脅しにもならない。しかし
─ ジャランッ。
「交渉成立だ」
懐の皮袋ごと放られ、縛られていた中身が衝撃で数枚溢れた。
突然目の前に現れた大金の塊に、ホーマー達だけでなくエルドもまた目を見開いたまますぐには反応できず固まった。視線だけは真っ直ぐに自分達の前に着地した皮袋へと刺さった。全てがラジヤ帝国で統一された通貨、その金貨ばかりが詰まっている。
まさかこの場で支払われるとは思ってもおらず、目を皿にしたままの彼らへ支払い者は前に出る。
立場を隠していたとはいえ、王族に対して堂々とその程度の端金でふんぞり返られたことは些か腹立たしい。自分は良くともステイルやプライドに対しては許せない侮辱だ。
しかも道中にステイルから語られた限り、相手はあのレオンを過去に陥れたという実の弟。出来の良い兄を弟二人揃って裏切ったという過去もまた許し難い。間違ってもそんな相手に下手に出たくはなかった。
所詮は提示された額も彼にとって〝手持ちの一つ〟でしかない。大国フリージア王国をも凌駕する金保有国である彼にとっては。
「もう、後には引かせんぞ」
サーシス王国の王弟が、瞳の焔を煌々と燃やし見下ろした。




