Ⅲ38.越境侍女は様子を窺い、
「今少し思い出した。確かにお前みたいなのもあの時いたな」
足を組み椅子の手すりに頬杖を突き、腰の剣を見せびらかすように一人椅子に掛けてカラムを睨む。その男に、プライド達は固唾を飲んで出方を窺った。
藍色の髪と翡翠の瞳を持つ男性は、間違いなく自分達が知るレオンの弟だった。当時のような煌びやかさは欠片もなく、着古したシャツとズボンだけの格好は汚れが目立たない上下黒系統で統一されていた。髪も整えられず、乱雑に乱されたまま整えようとする素振りもない。
目の下には離れた距離でもわかるほどのクマも見えたが、元々レオンと似た中世的な顔立ちで、以前より寧ろ整った顔が際立つとプライドはこっそり思う。以前は昔のセドリックほどではないが装飾をゴテゴテと身に着けていた青年が、今は何もない。
エルヴィン、と。そう呼ばれた男は、装飾など身に着けてなくても一目で別格だとわかった。
明らかに他の四人とは立場が違う。部屋の中央奥の椅子で誰よりも偉そうに寛ぐ男は、背凭れに寄りかかりながらもその目は一度も逸らさない。
弟であるホーマーから報告を受けても全く思い出せなかったエルヴィンだが、こうして相対すれば少しだが当時の嫌な記憶が蘇った。自分達が全てを失うことが決したあの日、確かにフリージアの騎士が同行していた事実はよく覚えている。
〝仕事〟に行った部下達が大勢返り討ちに遭っていると聞いた時から嫌な予感はした。結果的には全員戻って来たが、代わりにその相手を丸ごと連れて来られたと聞いた時は耳を疑った。しかも説明を聞けば、相手は自分達の過去を知っている騎士だ。
盗みをする時は相手をよく見て狙えと何度も稼ぎに行く班には言ったのに、よりにもよって騎士を狙うとはとそれだけで苛立ちが募る。
目の前の騎士を見れば、確かに騎士にしては細身の男だ。一般人と比べればしっかりして見えても、ひと目で舐めてしまったのも仕方がない。しかしだからといって騎士を五人も連れて来たことには今も腹が煮える。これが終わったら誰に怒鳴るかと考えながらエルヴィンは部屋の状況を静かに確かめた。
自分とホーマー、そして幹部の三人。対する相手は見覚えのない商人二人に、侍女と騎士が二人。騎士が一人増えたことは厄介だったが、どうせ騎士一人でも自分達五人では太刀打ちできないのだから同じだと考えることにする。
最悪の場合、あの侍女を人質にすれば良いと思う。相手は化物であるフリージアの騎士なのだから正攻法で勝てるわけがないと知っている。
「俺と話がしたいなら二度とその名で呼ぶなよ。ここではもう〝エルド〟で通ってる」
釘を刺すように言いながら、ちらりとホーマー以外の三人に目を向ける。
幹部である彼らもまた自分の過去を一部知っている数少ない相手なのは〝エルド〟にとっても幸いだった。ここで無駄に過去をほじくり返される心配もない。捨てた名前以外は過去も彼らに知られたくはない。
ホーマーを脅した後は自分達の過去について仲間にも仄めかすことはしなかった騎士に、この後も絶対に語らせるものかと考える。今の自分が安易にそれを貧困街全体に知られれば立場を脅かされるどころの問題じゃない。〝首領〟と呼べと言っても良かったが、この場ではまだしも外でその名も混合されればもっと面倒になる。
一方的なエルドからの命令に、カラムは一言で応じた。外の彼らにも注意しておこうと続けながら、ステイル達にも目配せで確認を取った。今の自分達の狙いは彼らの過去を暴くことではない。
カラムからの快諾に胸中だけで安堵を落とすエルドは、そこでまた眉に力を込めて口を開く。
「で?俺と交渉したいのは誰だ。ホーマーを脅した卑怯者の騎士か?それとも騎士に守られて小さくなってるそこの腰抜けか?随分態度のでかいそこの大木か?」
カラム、ステイル、セドリックを順々に嘲りながら、品定めをする。
ホーマーからは騎士達が商人二人の護衛であることと、その商人達が何かしら目的があって自分と話したがっていることは説明された。あの場にいた全員が衛兵に突き出されるか、ここに案内するかどちらかしかなかったと。だが、その結果こうして貧困街全員の巣窟に踏み込まれ危険に晒されているのだと思えばやはり憤慨しかない。
「僕が」と、すぐに手を挙げたのは、エルドの目には一番弱弱しい青年だった。
今こうして自分達を目の前にしても震えてないのが不思議なほどに肝の一つもなさそうな青年だ。服の上から身体付きは平均程度に見えても、顔つきと背が高い所為で余計にひょろりとした印象を覚える。その下の筋肉質な身体つきまでエルドにはわかりはしない。燻んだ赤色髪と黄の瞳に、弱弱しい眼差しと目元には自分以上のクマまで見えた。高くはないのに尖った鼻と、肌が病人のように青白いのも相まってまるで鶏のようだと思う。笑っていても垂れてみえる細い眉は不健康さすら感じられた。
しかし話して見れば、その青年の口調は見かけからは想像できないほどにしっかりしている。自分の侍女を残させてくれという言葉すら、友人らしいもう一人の男に任せた様子からもやはり肝の小さい男だと思った。
しかし「突然お邪魔して申し訳ありません」と、さっき騎士を置かせて欲しいと言い出した時と同じ通る声で話す彼からは全く弱腰の気配もない。途中で騎士が入って来た途端そこまで偉そうにふんぞり返れるということは、あの銀髪の騎士はそれほどの実力者なのかと考える。
目の前の赤毛混じりの騎士と同じくらい見覚えがある気はするその騎士は、赤毛混じりの騎士と比べてもむしろおどおどして落ち着きもなく頼りなさそうに見えるが、特殊能力が化物であればそれも納得できた。
「申し遅れました。僕の名はフィリップ・アンカーソン。まさかカラム隊長とお知り合いとは驚きました。彼は今回、新たな貿易の為に訪れた僕たちの護衛に城がわざわざ派遣して下さった騎士でして」
「正直に言えよ。貿易ではなくフリージアの王族に付け纏う為に追いかけて来た魚の糞だと」
ピクッと、エルドの言葉にステイルだけでなくプライド達も僅かに肩が揺れる。
ステイルへ向けての口の悪さにではない、まだ滞在して一日しか経っていないにも関わらず既にフリージアの王族がこの国に来ていることを把握している事実にだ。
表向きのステイル達の立ち位置は、この国へ入国する前から決めている。ステイル、レオン、セドリック三人がフリージア王国の各商会を持つ上流商人。そして有名なサーカス団の噂を聞き、新たな商売の足掛かりにする為に訪れた。
エルドの語る予想も、大方その設定からは外れていない。もしフリージア王国の王族がこの地に来ていると知った相手には、敢えて狙ったともしくは同行させて貰ったのだと言い張るつもりだったのだから。しかし、それはあくまで滞在が数日経過して王族滞在が噂になった場合だ。
フリージアもアネモネも、国門を通る際に身分は明かしている。特殊能力こそラジヤとの和平条約のお陰で明かさずには済んだが、それでもフリージア王国の人間であることと王族であることは伝えて通された。アネモネも同様である。
しかし、入国内容など全て守秘義務内容だ。それがたった一日で漏洩しているとなると、それだけこの地の行政が腐敗しているか、もしくは彼らがそれだけの情報を掴んでいるということになる。
両方もしくは後者だと推測するステイルは、やはりここまで来たのは無駄ではなかったと考える。どうせどちらも仮の姿である以上、ここは相手に見透かせていると思わせた方が都合も良いと、わざとすぐには返さない。充分な間を取り、それからまた苦し気に小さく首を振ってみせる。
「……とんでもありません。僕らはケルメシアナサーカスに用があるんです。我が国にも風の噂で評判が届いていて、こんなところで燻ぶらせるのは勿体ないと……」
「あーあーーあーー。どうでも良い。で、何が欲しいんだ?」
「貴方が、この貧困街の代表ということで宜しいですか?」
言い訳にしか聞こえなければそもそもどちらが狙いでも興味のないエルドは虫でも払うように手を揺らす。
ステイルから質問に質問で返されれば、図々しさに顔を顰めた。腰が低い分際で頭が高い。このニワトリ男、と最初は頭の中だけで悪態吐いた。