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フリージア王国備忘録<第三部>  作者: 天壱
越境侍女と属州
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そして交渉する。


「ジャンヌ、申しわ」

「!フィリップ〝様〟少々宜しいでしょうか……?!ッあと言葉っ!!言葉!!!」


むぐっ?!と直後にステイルの口が舌を噛みそうな勢いで閉じられる。

うっかりいつもの調子で返したステイルだが、その声を慌ててプライドが上塗った。最後だけ声を潜め敢えての霞ませた声で警告するプライドに、ステイルもすぐに我に返った。

学校では〝ジャンヌ〟という親戚だったが、今は呼び名こそ同じでも立場は全く違う。表向きは商人と侍女、そして裏もあくまで第一王子と侍女だ。それなのに上の立場である筈の自分がジャンヌへ丁寧な口調ならばまだしも、敬語の中でも遜る言葉まで使うなど不自然でしかない。


今日今の今まで馬車では二人だけ、そして第一王子としてジャンヌを名指しで呼ぶことも会話もしなかった為、気付かなかった。

仮の姿の時でさえ、今の自分とプライドは対等ではないのだと思い知れば優秀な頭も働かなくなった。うっかり話し方を間違えたことにすら「申し訳ありません」と言うこともできず、しかし突然の言葉を整えない口になれず心も準備もできないまま結んだままの唇を内側で噛んでしまう。さっきまで考えていたことも一瞬消し飛んでしまった。


「す、みません……」

今からプライドへの言葉遣いを変えないといけないのだと、その事実にじわりと顔の熱だけが上がり染まっていく中、足まで止まりかけた。まさか敬語も駄目なのか、いや敬語なら自分は侍女にも使ってるから良い筈だと早々と言い訳と理由を理論武装する。普段自分が侍女にどう話してたかもわからなくなってきた。申し訳ありませんも使ったことがある気がするような、しないようなと混乱する。


ステイルの目の焦点が合っていない様子に、プライドうっかり言葉遣いを間違えたことに羞恥しているのか、それとも今まで補佐としての口調ばかりだった相手に変えないといけないことに緊張しているのかと考える。

プラデスト潜入時に望んでも断られた話し方を今度こそと期待しつつ、しかし今は自分が敬語を使わなければならない分やはり砕けた会話は叶わないことに心の底で落胆する。が、今はそれどころではない。


急激に動きが鈍り顔色の変わるステイルに「失礼致します!」と自分が駆け寄り、そして衛兵に見えないようにステイルと同じく彼らへ背中を向けて隣に並ぶ。念のためちらりと確かめたが今は衛兵もセドリックへ注視しこちらのことは気にしない。

そのまま耳元へ口を近づけてくるプライドに、ステイルも思わず肩が上下した。落ち着けこんなのいつものことだろと直後に自分の頭へ言い聞かせるが、彼女への言葉遣いの誤差を叩きつけられた今は過剰反応してしまう。

ひそひそと耳元で話しかけられる息遣いすらいつもの五倍擽ったい。心臓がバクつくのを服ごと手でわしづかみ押さえながら視界も朧になりかけるステイルは、必死に聴覚にだけでも意識を集中させ



「…………えっ」



冷える。

一気に、プライドの囁きかけられた内容の衝撃が全てを上書きした。

ハッと息を飲み、風を切る勢いで二方向を何度も顔ごと向けて見比べる。何故気付かなかったのかと別の恥が込み上げながら、思考を切り替える。自分にとっては記憶に止める必要のないものだったとはいえ、悔しさも沸く。

侍女であるプライドが動けずセドリックも膠着している今、この状況を動かせるのは自分だけだと考える。算段が整うまでなるべく会話を引き延ばせと心の中でセドリックに念じるが、しかしそうこうしている間にも衛兵はしびれを切らしてきた。


いい加減にしろ、これだけの人数を回収するだけでも時間がかかる、暴動騒ぎの主犯にされたいかと。最初よりも強い口調になり出す中、それでもセドリックが一歩も引こうとしないことが今は幸いだった。

耳ではセドリック達の会話を聞きながら、動かせる手札と状況をステイルはもう一度高速で精査する。王族と配達人は全員姿を変え、そして近衛騎士達はまだ状況を正しく理解していない。自分でさえプライドに教えられるまで気付けなかったのだから当然だと考えながら、そこで最適の人物へと目が止まる。


「─ッカラム、さん」

今度は間違えないと、意識的に呼ぶ口を切りながら彼を呼ぶ。

抑えた声でありながらも、さっきから挙動のおかしい王族達に注意していたカラムはすぐに自分と視線を合わせた第一王子の指名に気が付いた。アーサーへセドリックへの護衛を任し、返事を上げる代わりに素早くステイルの傍に身を寄せ指示される前に耳を近づける。

察しの良いカラムに感謝しながらステイルはプライド達へ許可を目で確認し、彼へ今度は自分が耳打ちした。


ステイルから状況を簡潔に説明されたカラムもまた、驚愕も早ければ理解も早かった。赤茶の瞳を大きく見開き、プライド達がさっきから気にしていた方向を一度振り返った。頬に冷たい汗が伝いながら、続けられるステイルからの指示を黙して聞いた。

エリックはまだ戻らない、と。近衛騎士が一人少ない状況を確かめながら今度はアランとハリソンへその場でサインを送る。ただ一か所に集まるだけならばまだしも、こそこそと仲間同士で固まるのを繰り返しては怪しまれる。


カラムからのサインに、王族側の異変には気付いていたアランとハリソンもすぐに気が付いた。

カラムからの指示を受け、アランは覗き込んでいた体勢から腰を下ろす。セドリックが指名した青年の隣に肩が触れるほど接近しつつ、衛兵へも注意を払う。

ハリソンも気配を消しつつプライド達の護衛に距離を詰めた。あまりに距離を詰められ、さっきまで成り行きを眺めていたヴァルもハリソンへと舌打ちを溢した。しかしハリソンは目すら合わせない。不快な相手には変わりないが今は任務の方が優先である。むしろヴァルが邪魔だと言わんばかりに更に足を前に踏み込めば、ヴァルの方が道を開けるように一歩下がりレオンの背後に回り込む形で避けた。


アーサーもセドリックの背後に付く中、まだ状況も把握できないまま王族の護衛を固めつつ視線を背後に向ける。すると、さっきまでステイルに耳を傾けていたカラムが真っすぐに歩み寄って来た。

セドリック一人に対し、騎士二名。ならば自分がプライドの元へ下がっても良いだろうかと歩み寄ってくるカラムを凝視しながら思うアーサーだが、カラムからの指示はない。口で尋ねるわけにもいかずサインで尋ねようかとも過るが、今はカラムの判断を信じ、ぐっと拳を握りながら姿勢を正した。


セドリックと半ば口喧嘩になり始めていた衛兵も、また一人自分達に近付いてきた男性に途中で気付く。言い返そうとした口が止まり、カラムへと目を向ければセドリックもそれを追うようにして振り返った。

カラム殿……!と声を漏らすセドリックに、カラムは一度目を合わせると託された役割通りに歩み寄る。突然のカラムの参加に戸惑うセドリックだが、彼とそして後方のステイル達の眼差しに意図を汲み取り余計なことは言うまいと口を閉じた。


「お話のところ失礼致します。私からも少々宜しいでしょうか」

整えたカラムの言葉に、衛兵はもう半ばうんざりと顔を正直に顰めた。

さっきまで物理的に首を伸ばすほどに自分達へ食い下がった男性が一歩下がったのは良いが、今度はまた別の男である。いい加減にしてくれと口が滑りそうなのを耐えながら、新たな交渉人に向き直る。


真っすぐに衛兵へ目を合わすカラムは、進み出るついでにセドリックの背後に立つアーサーの肩を二度叩く。同時にびしりと肩が限界まで上がるアーサーはそれだけで更に二歩下がった。セドリックのことも無礼にならないようにそっと腕を伸ばし共に下がらせながら、ここはカラム一人に任せるべきだと理解した。

なんだ、君も何かあるのか、もう行って良いから退いてくれと。さっきまでセドリックの背中についていた男よりは身体つきも比較細身の男性に、衛兵も息を吐く。

少なくとも〝ダリオ〟と呼ばれていた男よりは話も通じそうで、そしてその背後に立っていた銀髪の男よりは強そうにも見えない。

しつこい自称被害者を鬱陶しくなってきた彼らに、カラムは常に真っすぐ整った背筋を意識的にも伸ばしながら彼らを見据えた。


「失礼ですが、身分証明をお願い頂けますでしょうか」


低い、探るようなその眼差しと発言に衛兵ははっきりと眉が吊り上がった。

どういうことだ、何故こちらがと。今度は自分達になすりつける気かと声を強めて返すが、カラムは動じない。真っすぐに佇みながら自分よりは背も劣る衛兵に「証明して頂けませんか」と再度問いかける。

衛兵は、雇用主によって立場こそ違う。しかし、領地での犯罪行為を取り締まる側であるのならば間違いなくそれは公的立場の衛兵だ。その制服そのものが、どこの家の衛兵とも異なり彼らの公的立場を充分示すものにもなる。そんなことは騎士であるカラムも聞くまでもなくよく知っている。

だがそれでも敢えて尋ねれば、衛兵の一人が腹立たしさを抑えながら制服の中から証を取り出した。目印代わりにもなる制服と異なり、今度こそ正式な領主に与えられた衛兵証だ。それをカラムの眼前へと必要以上の近距離で突きつける。

これで満足か?!と声を荒げる衛兵に、カラムは瞬きだけで返した。口を閉じたままじっと衛兵証を見ればそこには入国した時に掲げられていた旗と同じラジヤ帝国の紋様が描かれている。断定はできないが、その精巧さから本物だろうと判断しつつカラムは再び視線を衛兵に向けた。



「交渉したい」



「ハァ?」

唐突な提言に、とうとう衛兵の一人が間の抜けた声を漏らす。

せっかく衛兵としての証拠を見せたというのに謝罪もなければ今度は交渉と言われる。この男は礼儀も知らないのかと考えながら、もう実力行使すべきかとも思考が傾く。手に持つ槍を握り直し、いつでもカラムに向けていいように腰から下を先に身構えた。

証を一度制服の内側に戻した方の衛兵がそれに気づき、片手で止める。だが、不快に思うのは同じだった。「さっきの青年のことか?」とカラムへ睨みを強めながら声を低めた。しかしたかが二人程度相手に怖気る騎士でもない。

ステイルに託された任通り、挑発気味の自分へ意識を集中させる彼らへ声色は変えずに言葉を続ける。


「落ち着いた場所で話がしたい。この場に倒れている彼らも全員連れて行こう。条件次第で今回の実行犯を見逃しても良い」

「何を言っている?お前達の手は必要ない、彼らの処分は我々の」

「その制服と身分証も、入手方法によっては見逃そう。身分を偽るのはラジヤでも違法だ。……君達も、貧困街の人間だろう」

はっきりと断定した言葉に、今度は衛兵二人もすぐには返さなかった。

ぐっと歯を食いしばる男と、そして眉間を狭めながらカラムを睨み返す男は今度は目くばせもしない。お互いの出方を確認するまでもなく、相手が明確な敵だと理解する。

この場で口封じできれば幸いだが、目の前の男をどうしたところで仲間を総ざらいした黒髪の男が残っている。言いくるめる自信はあっても、たった二人で戦い勝てるとは思えない。


最初から足止めの為に長々と順番に食らいついてきたのかと考えながら、ギロリと本性を露わに衛兵を名乗った男はその後方を睨む。自分達に向けての眼差しが全員とっくに衛兵を見る目ではなかった。

いっそ目の前の男を人質にするかと考えながら、自白せず噤む。せっかく本物の身分証を出しても騙せなかったことに歯噛みしながら殺気を先に零す衛兵だが、向けられたカラムの方が行動は早かった。

返事をしない彼らに確信を持ちながら、二人の内の一人に距離を詰める。ステイルが前に出た時から常に先んじて話を請け負っていた方の衛兵だ。もう片割れよりは比較冷静で、そして身分証を見せろと言った時にも動じなかった。自分でも、ステイル達からの言葉がなければ騙し通されていただろうと思う。フリージア王国であれば気付けたかもしれないが、まだ肌も馴染んでいない異国の衛兵の身分証もカラムは今回目にするのが初めてだったのだから。しかし


「我々は事情があり、目立ちたくはない。…………貴方も、知られては困る立場なのではありませんか?」

そう、ひっそりと潜めた声を衛兵一人にだけ聞こえるように囁きかける。

前髪を指で払い、息遣いすら注意し彼一人にだけ届く声で告げたカラムに、衛兵を装った男は息を飲む。考えるよりも前に、その言葉に目が仲間の片割れに向いた。


大丈夫聞かれていないと、仲間の顔色を見て小さく胸を撫で降ろすが、一番の脅威は今自分の耳元にいる。

さっきまでは衛兵として堂々と張っていた胸が背中ごと丸くなりかける。誰だ誰だと必死に思考を回すが全く思い出せない。衛兵ではないこと以上にバレたくない過去に、制服の下が滴るほど湿って来た。

この場で暴れてでも耳元の男の息の根を止めたいが、ちらりと目を向けた先にあるカラムの表情は静まり切っていた。油断の欠片も微塵もない、敵へ相対した時と同じ眼光に男も勝手に身体が強張った。じんわりとまるで纏っているかのような覇気に、この場で暴れるどころか身が竦む。

あくまで、目の前の男達が衛兵でも交渉相手でもなく、衛兵の制服を盗み未成人の青年に犯罪を唆した恐らくは貧困外の幹部層だろうと、カラムは検討づけて彼らを捉える。その貧困する立場は同情の余地があるが、それを自分達は手は汚さず他者にやらせることには軽蔑すら覚えた。


二分経っても男から返事はなく、喉を鳴らす音しか返されない。自分より上の立場である仲間の出方を待つ男にも注意しつつ、あえて黙秘を貫く男の方にカラムは声を潜めたまま「このまま本物の衛兵を待ちますか」と問い掛けそして







「ホーマー・アドニス・コロナリア殿。……その過去を、私の口から仲間に知られるのは本位ではない筈だ」







脅迫であると理解しながらカラムが告げたその名に、男……ホーマーは発作のように動悸が止まらない。

知られたくない、仲間には、こいつは自分の手には負えないと。そう今にも一人逃げ出したくなりながら、血色が悪い顔で両目を極限まで見開いた。

人質ともなる仲間達大勢が今も地面に伏し、これだけ時間を稼いでも誰一人隙を突くどころか逃げようとすらしない。本当に全員気を失っているのだと思えば、余計にこの場で全員を逃がすのは不可能だ。

どうする、ホーマー、と。追い詰められた緊張感に耐え切れず隣の仲間がそう投げかければ、もうどうしようもない。仲間を置いて行くわけにもいかない。今度こそ本物の衛兵を呼ばれれば、全員が犯罪奴隷堕ちも免れない。



「約束は必ず守る。君達の本拠地へ連れて行ってくれ」



そう、元王族ではなく貧困街の一味として今度はそのままの声で要求したカラムへ、選択肢など残ってはいなかった。


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