Ⅲ35.越境侍女は論争し、
「……ということでして、今しがた急ぎ戻ってきたところです。ハリソンさんが無事で僕らもほっとしました」
にこやかに笑うステイルの締め括りを最後に、一通りの説明を互いに終えた。
スリに遭い、捕まえたところで彼らの仲間達大勢に囲まれた。来た道を塞がれた為、下見に向かおうとしていたサーカスの方へ逃げた。腕に実力があるハリソンが彼らの足止めを請け負ってくれた、と。そう、殆どは嘘偽りなく説明をしたステイルだったが、話し合いを聞いていたプライド達は顔色に出さないようにと必死だった。
ステイルの説明が綱渡りだったわけではない、問題は衛兵からの話だ。銃声を聞きつけた彼らが急ぎ駆けつけた時には、たった一人の男が倒れ伏した人間の山に佇んでいた光景だった。
しかも明らかに意識のない少年を片足で踏み付けにし、駆けつけた自分達が聴取しても名前以外は何も話そうとせず口を閉ざす。いくら指摘しても少年から足を退けようとしなければ、武器を没収しようと手を伸ばせば手を弾かれ捻りあげられた。連行しようにもこの場に佇み動こうとも逃げようともしない。
ステイル達が戻ってきたのはそんな膠着状態の真っ只中だった。
申し訳ありませんでした、彼は口下手で、スリの主犯格を確保してくれていただけで、と。ステイルも笑みは崩さず涼やかにハリソンの無実を弁明するが、胃はひやりと冷えた。
この場をハリソン一人に任せる判断自体は間違っていなかったが、衛兵よりも早く全員を片付けてしまった。二、三人はそのまま意識も残しておくように指示すべきだったとステイルは密かに反省する。
せめてハリソンが複数人に襲われているところを目撃されればそれだけで心象は大きく違ったと考える。まだハリソンのことを理解しきれていなかった自分の爪の甘さに心の中で薄く苛立った。ジルベールであれば間違いなくハリソンへこんな事態は起こさせなかったと思う。
結び目を解くように一つ一つ弁明する中、二人の衛兵と目を合わせれば眉が寄りそうになる。しかし表情筋を意識しつつ社交界に鍛えられた笑みで彼らを納得させることに集中した。時折ステイルの言葉へ挟むように「本当はお前達が彼らを襲ったのでは」と疑いをかけられればその度に言葉だけで叩き潰した。
極秘潜入の為どこまで語れば良いかわからず黙してプライド達の帰還を待ったハリソンも、自分が加害者側だと判断されたことにはどうでも良い。だが、目の前で自分の代わりにプライドの右腕であるステイルが謝罪していることには目を逸らす。ステイルの方が自分より遥かに説明に長けている為、自分から話そうとは思わない。
「なら、銃声は?貧困街連中が銃を持っているとは考えにくい。本当に牽制だけだったのか?」
「勿論です。最初に襲ってきたのは彼らの方ですから。その証拠に、彼らもハリソンさんも銃で怪我した人間は一人もいません」
そうですね?と、言いながら視線でステイルはハリソンへ軽く振り替え確認する。
ハリソンがたかだか戦闘初心者相手に銃まで使ったとは考えにくい。殺さないようにと命じた以上、銃を使うことは得策でもない。
ハリソンもその投げかけにははっきりと頷きで返した。銃どころか剣すら使っていない。全て身一つで戦って尚、殺さないようにするのは面倒だった。
ステイル達のやり取りを見守っていたアランも改めて地面に転がる男達を確認する。全員気を失ってこといるものの、重症に繋がる傷や血を流している者はいない。しかし何人かは骨くらいは折ってるかもなぁとはこっそり思う。ハリソンの容赦のなさはアランもよく知っている。
カラムも地面に伏す彼らと、そして顔を顰めてそれを見る衛兵とを見比べた。足場を無くすほどの数だが、それでもハリソンに任せた時の人数を思い返せば少ない方である。ざっと見ても何人かは逃がしたのだろうかと考える。あくまでハリソンに任せたのは足止めとそしてスリの実行犯の確保のみだ。
「……すまないが、一つ尋ねて良いだろうか」
ステイルと衛兵が互いに情報と食い違いを整頓し終えた時、セドリックが軽く手を挙げながら一歩前に出た。
やっと衛兵も納得し「後始末は我々がする」と話がまとまり出した時だった。プライドの予知が気になる上、これ以上目立ちたくもないステイルも肩から力が抜けたところだったがセドリックの声にまた静かに息を吸い上げる。今のセドリックが無駄にことを荒げるとは思いたくないが、それでも折角のまとまりに水を差された感覚に皮膚が警戒でヒリついた。
尋ねるセドリックへ一言返す衛兵に合わせ振り返れば、顔の筋肉が緊張を抑えている。背後に並ぶアーサーも全く先が読めず唇を結びセドリックの動向を見る中、こっそりレオンの隣まで下がったプライドは耳打ちし合う。レオンとのひそひそ話も背中を向けているセドリックには届かず、そして王族である彼を騎士も止めはしない。
「彼らは、……この者達は全員どうなる?」
「部外者の知ったことではない。ここからは我々の領分だ」
「お前達は被害者なんだろう?まさか今更全て擦り付けただけだから許してやってくれとは言わないな?」
セドリックの低い声での問い掛けに、衛兵二人は眉を寄せそしてもう片割れは首を捻ってみせる。
まさかここまで来て彼らに情を掛けるのかとステイルも口の中を飲み込んだ。気持ちはわからないこともないが、しかしここはフリージアでもハナズオでもない異国だ。
貧困に喘ぐ民がそうでもしないと生きていけないとはいえ、ここで自分達の基準を押し付けることは法が許さない。
〝揉めるな〟と、声には出さず口の動きだけで彼へ釘を打つステイルに、セドリックは首を横に振りながら「そうではない」と両者へ断った。彼らの行先を案じたことは否定できないが、今止めたのはそこではない。
セドリックは静かに路地の壁へ背中をもたれかけて倒れている青年の一人を指差すと、「彼に」とゆっくりその口を動かした。
「少し、話をしたい。彼だけで良い、連行先でも構わないから話をさせて欲しい」
勿論この場でも構わない。と、そう続けるセドリックに今度は衛兵も顔を見合わせた。
これから連行すると言ったにも関わらず、何故その他大勢の中のたった一人を指定するのかわからない。しかも指し示された先の青年はハリソンに踏まれていたスリの実行犯ですらない。
駄目だ、我々の領分だ、話がしたければ後で詰所に問い合わせろと。そう拒む衛兵にセドリックは更に一歩二歩と前に出る。
「そこを頼む」「時間は取らせない」と続ける彼に何故その青年だけをとステイルも仲裁する前に示された先へ振り返る。壁にもたれかかったまま俯いている為、顔は見えないがそれでも全く覚えのない青年だ。
しかしセドリックがわざわざ大勢の中から指名したということは何か理由があるのかとも考える。彼の記憶力の凄まじさはセドリックもよく知っている。
ステイルだけでなく、セドリックの指名を聞いてからアランもそっと後ろ歩きで衛兵に気付かれないように気配を消してその青年へと近づいた。
衛兵がセドリックと問答をしている間に顔を覗き込んでみれば、呼吸もしているが気を失っているのは間違いない。アランから手を振られ意識はないと伝えられるステイルは、すぐに話を聞けそうにないなと思考する。ならばここでどこの詰め所に収監予定か聞き出すか、もしくはセドリックに手を貸し青年一人だけでもと説得するか、最終手段としてはハリソンか自分が気付かれないように攫うかも視野に入れた。が、ふとそこでプライドに目が止まる。
気付けばさっきまでレオンと話していた様子のプライドが今は自分に手を振り、招いていた。
自分が気付いた時にちょうど「フィリップ様!」と呼びかけられれば、しまったと早足で彼女に駆け寄った。