Ⅲ34.越境侍女は足止めされる。
「!君達は彼の仲間か?ならば話を聞かせて欲しい」
「我々は衛兵だ。これは一体どういうつもりか説明して貰おう」
衛兵、と。その言葉を向けられたプライド達は互いに返事より先に視線を交わし合った。
最初は佇みその光景を見つめていたプライド達だが、その気配にいち早く気付いたハリソンが振り返れば当然相対していた側も気が付いた。揃いの制服で、手招きしてくる男とそして圧を掛けるような低い声の男に衛兵だと名乗られれば全員が同じ状況が頭に過った。
案内人の果物屋だけが衛兵の姿に胸を撫でおろし深く息を吐く。
自分の住んでいる街の治安をわかっているからこそ、エリックの言った通り衛兵がきてくれていたことに心から安堵した。最初は本気で、一人残された不憫な男が死んで転がっているんじゃないかと心臓に悪かったが、どうやら大ごとになる前に衛兵が加勢に入ってくれたのだろうと考える。
国としての形式を持たないあくまでラジヤ帝国の〝属州〟とはいえ、治安維持組織はいる。
〝衛兵〟と呼ばれる彼らは、本国ラジヤの皇帝ではなくこの州の統括を任されている総督に治安維持全般を任されている。騎士もいなければ戦う為の兵士すら派遣されないこの地では上位の地位を持つ役職である。もし戦争の為に人員招集が本国から命じられても、奴隷に死ぬ役割を押し付ける権利も持つ。
しかも奴隷制度により奴隷狩りが横行しやすいこの地では、戦闘での技能も他国の衛兵よりも求められる。そんな人間が二名も駆けつけてくれたのならば、足元に転がっている貧困街の住民達の姿も納得できた。今までどれだけ近隣住民が貧困街への掃討や取り締まり強化を詰所へ願っても動かなかった彼らだが、繰り返された銃声とそしてたった一人に寄ってたかる大勢を前に対処せざるを得なくなるのも当然であると案内人は納得する。
良かったなぁ無事で、と他人事として一番近くにいたセドリックとエリックを労う案内人だが、返事はなかった。セドリックもエリックも、視線の先の状況を案内人よりは正確に理解できていた。
直立不動で佇むハリソンとそれに相対する衛兵二名という状況だが、その空気感は〝被害者〟に対してのものではなかった。
更には今も自分達に向けての衛兵の眼差しは鋭い。手招きしこっちへ来いと招く彼らに、ゆっくり足元を踏まないように注意してプライド達は歩み寄る。離れていた時は倒れ積み上がる人々でよく見えなかったが、近づけばハリソンが今も地面に伏した人間の背を右足で踏んでいるのがはっきりと目に入ってしまった。
「!ハリソン!踏んでる!!踏んでる!!!」
「衛兵の前で何やってンすか?!!」
「ハリソン!!今すぐその足を退けろ!!」
視界に捉えた瞬間声が上がるアランとアーサーに続き、いつもは冷静なカラムもこれには声を荒げる。
敵であろうとも安易に扱うなと、本当ならば騎士としての心構えを続けたかったが今は立場も隠している身の為そこは飲み込んだ。
しかし近衛騎士三人に怒鳴られたハリソンは小さく首を傾けるだけで、足は変わらず置いたままだ。
「捕縛している」とアーサーからの問いには一言で応えるハリソンだが、何故そう慌てるのかと思う。自分の足元で死にかけているのかと軽く視線を落として確認したが、足の裏からはしっかりと呼吸による胸の上下運動も背中を通じて確認できている。
話しかけて来た時から今も目の前で今も自分へ侮蔑に近い目を向ける男達にも最初は足を退けろと言われたが、ハリソンは退ける気が全くなかった。それが相手の神経を逆なですることになろうとも、自分の役目はあくまで今踏みつけている男を逃がさないことである。今は意識を失っているスリだが、いつ目を覚ましても逃がさない為には一番手っ取り早い方法だった。
スリを働いた少年を、仲間に回収されないように戦闘中も度々戻っては踏みつけ確保していたハリソンは、戦闘を解いたからといってそれを退けようとは思わなかった。
駆けこんでくるアーサーが「今すぐ退けて下さい!!」と叫んでやっとその足を背中から降ろし、両足で地面を踏んだ。
数歩跳びでハリソンの元へ誰よりも早く辿り着いたアーサーがハリソンの隣に並び「すみませんでした!!」と長い銀髪が前に跳ねるほどの勢いで頭を下げる。続けて、人間を踏まないように殆ど爪先歩きで進むプライドもアランに手を借り、ステイルとセドリックをカラムが支えつつ進ませ、案内人を間に最後尾では容赦なく人を踏むヴァルの肩を支えにするように利き手でがっしり掴むレオンが、エリックにも支えられながら共に後へ続いた。
「あの、ハリソンさんが、ッこの人が何か……?!俺ら、連れが一人財布すられて絡まれ」
「待てアーサー。俺が説明するから余計なことは言わず待て」
とにかく穏便にとハリソンを弁護しようとするアーサーに、ステイルが声を上げる。
アーサーの目にもそして他の近衛騎士の目にも、ハリソンと衛兵の姿は〝加害者〟への事情聴取にしか見えなかった。ハリソンの性格を考えれば衛兵相手に説明らしい説明ができなかったことは想像に難くない。
ハリソンが間違っても簡単に衛兵程度に捕らえられるわけはないが、同時に諍いを生まないとは限らない。ハリソンが多勢で襲われている姿を目撃されること前提で衛兵が駆けつけることを期待していたステイル達だったが、今はただ危機感しかなかった。
倒れた背中を踏まないように留意しつつ、瞬間移動は使わず最後は大きく飛び跳ねアーサーの隣に着地したステイルは「失礼しました」と眼鏡の黒縁を指で位置を直してから向き直った。
状況説明ならアーサーにも問題なくできると思うが、嘘が苦手なアーサーに現状を上手く説明できるかはまた別の話だった。
後方からカラムが「私が説明を」と王族に直接説明の手間を考えて名乗り出たが、ステイルが軽く手を挙げて断る。こういう役割こそ自分の仕事だと、にっこりとした笑顔を作れば間近で見たアーサーは苦手なその顔に若干眉が寄った。しかし自分は邪魔しないようにとハリソンの腕の袖を指先で引っ張り、共に三歩後退する。
アーサーからの無言の指示に、ハリソンも従い足を後方へと動かし、また人を踏んだ。
お互いの事情確認をやり直したいと願うステイルに、衛兵二人も互いに顔を見合わせてから応じた。ステイルが交渉する間にプライド達もやっと人が転がっていない地点へと到達した。
「エリック、今のうちに送迎頼む。多分結構長くなるから」
「お忙しい中巻き込んでしまい本当に申し訳ありませんでした。エリック、丁重に頼む」
ステイルから自分達がスリの被害者でそこから大勢に囲まれたことを衛兵に語られる間に、アランが果物屋の店主の肩を叩く。それにカラムも全面的に同意すれば、素早く隣に並び頭を下げた。
案内人も、往復中殆ど共に行動をしていたエリックをこの後も付けてくれると聞けば文句なく、三度連続で頷いた。とにかく衛兵も来て貧困街の連中は全員気絶しているのなら仲間が駆けつけるか自分の顔を覚えられる前に早々に逃げたい。人の良さそうなエリックが共にであれば、安心もできた。
セドリックから貰った代金をスられていないかと懐を服越しに押さえ、叩きながらもともとの依頼主であるセドリックにも目を向けた。「じゃあな兄ちゃん!」ともう自分の役目は終えたことを告げる言葉を掛ければ、最後尾のヴァルと最後の人を跨ぐ着地で転びかけたレオン。そして二人へ顔を向けていたセドリックが身体ごと大きく振り向いた。
「待ってくれ!」と一瞬ステイルと衛兵の会話も止めるほどの声を上げ、駆け寄った。
突然セドリックに迫られ、まさかまだ面倒ごとかと逃げる準備をするように案内人は一歩下がり背中を大きく反らす。セドリック自体には何もされていない案内人だが、しかし今回の騒動に巻き込まれた原因である。
すぐに息のかかるほどの距離まで迫ったセドリックは、懐に手を伸ばしながら「ここまでご苦労だった」と笑いかけた。
「本当に助かった、感謝する。果物もとても美味だった。これは不安な思いをさせてしまったせめてもの詫びだ」
どうか受け取ってくれ、と。その言葉と共に財布の一つから取り出した一握り分の金貨に、案内人の全身が飛び跳ねた。
何かの冗談か、それとも偽金かと当然のように頭に過る。もしそうならば自分が案内前に貰ったものも偽物ではないのかと、無意識に懐を服越しに再び押さえようとすればそれよりも先にセドリックに浮かせた手を取られた。そのままガチャリと手に握らされた金貨に、目が皿のように丸くなる。
最初に道案内の代金として買わせた果物の三倍や十倍どころの額ではない。金勘定に慣れた頭でも計算しきれない数字になる額の金貨は、手を開いてまじまじと指で突き見ても間違いなくこのラジヤ帝国での通貨。そして歯で噛めば金貨であることも間違いなかった。
この州に着いた時点で持参した資金の一部を宿でラジヤでの通貨に換金したセドリックには大した額でなくとも、果物屋で細々と営業している男には全くの別物だった。
言葉も出ず、金貨を噛んだ形のままぽかんと口まで力なく開きっぱなしになってしまった案内人は最後に言い捨てようと決めていたは「二度と来ないでくれ」の言葉も出なかった。
「お、おう……」と返事かどうかも危うい言葉を漏らし、手の中の金貨の輝きに目を奪われたままエリックに背から促され歩き出す。
……セドリック王弟、もしかしてお金の使い方あんまり知らないのかな。
そう、心の中で呟きながらエリックは苦笑まじりに案内人の送迎へ進んだ。
今回は一般人としてのお忍びの為に資金もある程度自分で持っている彼らだが、本来なら王族が直接買い物で代金のやり取りをすることはない。従者や護衛などの付き人が代わりに持たされた代金を払うか、もしくは城へ直接請求をするように指示されるのが基本である。
しかも今はラジヤ帝国の通貨の為、余計にセドリックがその価値をきちんと把握しているのか怪しいと考える。基本的にたとえその国の紋章や通貨の証が刻まれていなくても、素材そのものが価値を保証するのが金銭というものである。本来ならば謝礼としても一枚でも充分過ぎるほどの価値になる金貨を一握りなど、同じ王族のプライド達でも目にすれば理解できる大金だった。
戻ったら何気なくセドリックへ金銭のやり取りについて助言をすべきかと考えながら、エリックはそろそろ懐に仕舞った方が良いと案内人に助言をする。まるで今気が付いたかのように案内人は大急ぎで懐へ突っ込んだ。
その様子にもエリックは、痛いほど気持ちがわかると心で唸り口を結び一人頷いた。なるべく早々にプライドの護衛に戻りたいと今から気が急きながらも、この壮絶すぎる謎体験をしてしまった一般人を無事にこれ以上心労を掛けずに店へ送り届けることに専念する。
まさか、絶対的な記憶力を持つセドリックがこの国での通貨の価値を完璧に把握したその上で握らせたとは思いもしない。
金銭価値の理解と金銭感覚はまた、別のものだった。