Ⅲ33.越境侍女は問い、
「なんだその女」
眉を寄せ、怪訝に睨む男性は私へ首を伸ばした。
開いた扉から一歩も動かないまま、突然話しかけてきた私へ訝しむ。当然だ、さっきまでステイルと話していたのに突然私がしゃしゃり出てきたのだから。
あくまで仮の姿は付き人で、立場は侍女。第一王子そして今は商人の。それを頭に置き直しながら、私は彼と目を合わす。
今、彼が佇むその先たった数センチの隔たりの向こうの空間に彼女がいるかもしれない。それだけで動悸が全身に広がり響いた。
突然すみません、と。謝罪し頭を下げる。アレスと、彼の名を頭の中だけで唱え、もう一度改めて依頼する。
「会えませんか?団長さんではなくとも代理の方に」
「ふざけるな。あんなの代理じゃねぇし、誰が外部の奴に会わせるかよ」
私の話をうわ塗る言葉も、話し方は大分柔らかい。
まるで小学生を叱りつけるような言い方は、彼なりの女性への節度だろうか。それとも仮にも〝客〟になる可能性のある相手だからか。
さっきまで記憶の波に目が回っていたけれど、こうやって相対すると今は彼の設定やルートがじわじわと蘇ってくる。
アレス、と。その名をうっかり言わないように留意しつつ状況を精査する。
彼はまだこのサーカスにいる。団長が不在。そして、全てを証拠付けるのはテント向こうにいる〝代理〟に当てはまる人物。
具体的な年数はわからない。だけど今がゲーム開始前であることは間違いないだろう。
「今その方は何をされていますか?貴方方に何か強要などは……?」
「……お前。どこまで知ってる?誰から聞いた?」
ジトリ、と黄の眼差しが段々さっきとは比べ物にならないほど鋭くなっていく。私を見る目が変わっていくのを肌で理解した。
「そういや団長に会いたがってたな?」と溢す、私を探る目だ。
無理もない。自分でもこんなことを言ったら良い顔をされないのはわかっている。けどさっきまでテントの中に戻りそうだった彼が、とうとうテント一歩前に出てきてくれた。
もう中には通してもらえないとわかった以上、怒らせても今は彼から情報を与えてもらいたい。
ステイルも目を見開いた後、じっと私とアレスを見比べていた。話の間に入った時点で、一度は私を呼び止めようとしたアーサーやカラム隊長も今は無言でこちらの様子を伺ってくれている。エリック副隊長やアラン隊長からだけじゃない、レオンやセドリック、ヴァルからも全員の視線を四方から感じながらも今は振り返れない。
「ユミルか?アンガス?ビリー?クリフ?リディアのやつか。連中全員一緒か?場合によっちゃ帰さねぇぞ」
次々と上がっていく名前に私は口を結び首を横に振るう。
荒れる口調のアレスにセドリックがとうとう「すまないが話を」と心配してくれるように一歩分足音を同時に鳴らすけど、それも「アンタは黙ってろ」とアレスに一蹴された。
雲行きが怪しくなれば、自然と近衛騎士達もさっきより私側に音もなく近付いてくれる。肩が触れる感覚にちらりと目を向ければ、アーサーがぴっしりと私の傍に肩がくっつくほどの至近距離でアレスに警戒を向けていた。
「お前」とちょうど私の肩へ手が伸ばされた瞬間、アレスの腕が伸び切るよりも先にアーサーの手がそれを一瞬で掴んだ。さっきまでは黙していた相手が突然迎え撃ったことにびっくりしたのか、アレスの黄の眼光がアーサーに向けられた。睨まれても全く動じないアーサーは腕を掴んだまま蒼の瞳に彼を写し返す。
「すみません。けど、女性に触れンのは失礼ですよ」
「アンタらの方がよっぽど失礼だろ。いきなり来て人ん家の事情ズカズカ探りやがって」
離せと。乱暴にでも腕が引っ込ませる動作をすればアーサーも手から解放した。
放された後も不快そうにアーサーに掴まれた部分を反対の手で払う彼は、舌打ちを零しながら改めて睨み上げてきた。高身長に属する彼だけれど、アーサーを始めとして今は彼より背が高い人が多過ぎる。
人ん家、という発言に私は彼とその背後に聳え立つテントを同時に捉える。確かに言う通りだ。
一度口を閉じる私に、アレスから「誰から聞いた?」「せめて目的だけでも言え」と逆に質問が重ねられる。けれど、それについては私も私で安易にまだ言えない。最後に「名前ぐらい言えねぇのか」と舌打ち混じりに言う彼にやっと、これならと静かに息を吸い上げる。
「ジャンヌと申します。突然申し訳ありません、失礼は承知の上です。せめて今いらっしゃる団員のお名前だけでもお伺いできませんか」
「僕はフィリップです。侍女の無礼は主人である僕から重ねて謝罪しましょう。もともと僕が知りたかったことなので。純粋に開演を待ち遠しくする身として、せめて団員や演目など少しでも詳細を知りたいと考えたのですが、何か知られたら困ることでも?……せめて、貴方も名乗るくらいはして頂けたら」
食い下がる私に、今度はステイルが一歩前に出た。
上手く私を庇いながらアレスへの弁解と、そして自分の意見として改めて尋ねてくれる。
腕を組んだアレスは左足へ軸を傾けながら口を開いた。
「……アレスだ。演目も団員も宣伝まで話すつもりはねぇ。開演後に客としてならいくらでも紹介してやる」
だから今は帰れ。と、一応誰かから聞きつけたという誤解は解けたのか、改めて落ち着いた声色で返してくれた。
開演後に……と、それを言われればもう取り付く島もない。ステイルがちらりと私へ目配せで確認を取ってくれた。
私からあくまで、侍女として礼をするように頷き、ここは一度撤退を決める。
わかりました、お忙しいところ失礼しましたと。そう引いてくれるステイルに合わせ私も姿勢を低く、一歩を引いた。
私達から引く意志を見せれば、アレスも組んでいた腕を降ろした。「わかったんなら良い」と独り言のように零し、また入っていた入り口へと後ろ足で戻った。テントの入り口を捲り上げ、頭上で持ち上げたまま私達をざっと見やる。
「……さっきの話は、忘れてくれ。アンタらには関係ねぇ、こっからは別世界の話だ」
『あそこは別世界だった』
……また記憶の中のアレスと、重なった。
彼が、主人公に告げた言葉だとすぐに理解する。ゲームでも彼はこのサーカス団をそう呼んでいた。
扉を下げ、完全にテントの向こうへ消えていった後も暫く私達はその場に佇み続けた。耳元でステイルから「回り込みますか」と尋ねてくれるけれど、首を振り唇を結んで断る。テントへ背中を向け、さっきまで見守ってくれていた皆の方へ身体ごと向けた。
アレスに、はっきりと線引きをされた。ここで追えば調査どころじゃなくなってしまう可能性が強い。今は先ず彼から足を掛けていく方が良い。……それに、何より。
『団長もいねぇ』
思い出した彼の設定と団長の不在。ただの留守か、もしくは。……そしてアレスが〝代理〟に思い浮かべたであろう、彼女の存在。
先頭の位置から来た道を戻ることで最後尾になる。案内役だったおじさんを再び先頭に「ほら帰るぞ‼︎」と急かされるようにして私達は歩き出した。数十歩先に進んでから、私は歩みは止めずに肩ごと軽くテントへ振り返る。
視界に収まりきらないほどの大規模テント。開演にもなれば大勢の客を収容できるそこと周囲に、今は恐らくサーカス団員だけだ。
彼の言葉通り、きっとあの一枚先は私達の常識も及ばない別世界そのものなのだろう。そう考えれば、第四作目のゲームの設定も重なりまるで魔物が封印でもされているような異様な場所に思えて仕方がなくなってきた。
「……彼が件の内の〝一人〟ですか。それとも、新たな……?」
充分以上テントから距離を取り、また人の気配がない道へ入ってからステイルに再び囁きかけられ、肩が上がった。