Ⅲ3.副隊長は流し、
「なー、エリックの兄貴やっぱ昇格した?」
「……なんでそうなるんだ……」
溜息を一つ溢しながら、エリックは疲れたように肩を落とした。
騎士として貴重な休息日。ジャンヌ達の学校視察後も、少しずつ間は開けつつも実家に帰るようにはしていたエリックは荷物を床に降ろした。自分と同じく仕事の休みが取れた弟も、今日は久々の手足を伸ばした休日を満喫する。
早めに朝食を食べ終えた頃、帰って来た兄に最初は声を掛けた程度の弟のキースだったが、兄と共に入って来た荷物と業者には目を丸くした。
更にはせっかく寛いでいたソファーまで邪魔だから退きなさいと母親にまで追い出され立たされた。弟の自分と違い、事前にエリックから話を通されていた母親と父親は全く驚く気配もなかった。
今朝も自分達と一緒に食卓を囲った祖父母の、当時の妖精騒ぎと比べれば大した変化でもない。
それはこっちに、いや捨てない、知り合いに譲るから外にだけ出しといてくれと。業者と父親がやり取りをするのを眺めながら、キースは玄関脇に立つ兄に歩み寄る。
「いや、だってどうしたんだよこんな立派なソファー」
「お前が何度言ってもそこで寝るからだろ。冬も近づいてるんだから、なるべく自分の部屋で寝るようにはしろよ」
まったく、と。二度目の溜息を早々に吐く。
目の前では、古いソファーが街で買った新品のソファーに入れ替えられるところだった。
早朝から騎士団演習場を後にしたエリックがその足で購入した物だ。流石に持ち運ぶには重く大き過ぎた為、そのまま買った先の店の馬車を借りて家まで運ぶことになった。その為朝食終わりの時間になったが、朝からやっている家具屋のお陰でこうして当日に間に合った。
昔からあった実家のソファーはまだ使えるとはいえ、それでも大分古くはなっていた。
長男と二番目の弟が家を出てからは使用人数も減ったからちょうど良くなったが、新聞社で働くようになったキースが仮眠に使うようにもなった。更には元気になった祖父母も居間で寛ぐようになった為、新調するには良い機会だった。
せっかくなら家族全員が一緒に寛げるソファーの方が良いだろうという両親と長男の決議の元、とうとう新調された。
末の弟がベッド替わりに寝ても身体を痛めにくく、なによりうっかりソファーから落ちない広さだ。
「先月の家の塗り替えとか床の補修も兄貴持ちだったろ?最近妙に羽振りが良いし、しかも今日はソファーなんか買うからてっきり昇進したのかなって」
「俺が隊長になんてなれるわけないだろ……。副隊長になれたのだって運が良かったようなもんなんだから」
いやいやいやと首を振りながらエリックは弟の言葉に苦笑う。
しかしキースからすれば当然の疑問でもあった。ジャンヌ達が去ってから、それでも前よりも家に帰るようになったエリックは近頃目に見えて羽振りが良い。帰ってくる度にご馳走を買ってきてくれることもあれば、何かと理由をつけて家に大金を使ってくれる。
もともと家に毎月一定額を入れてはいるエリックが、更にそういう形でも補助してくれることはキースとしても助かる。兄達と違い、給料も大して高くもない自分は家に金も少ししか入れられていない。二番目の兄も仲は良いが、今はもう奥さんの家にいる上に子どももいる為なかなか実家にまで気は回せない。
だがこうして急に兄の金遣いが目に見えて自分達に還元されれば、不思議に思わないわけがなかった。まさか裏金などの汚い金とは兄に限ってあるとは思わないが、仕事柄勘繰りたくもなる。そしてエリック自身、キースの読み通り自分の金銭面での使い方が激しくなっているのも自覚していた。寧ろ
─ 城からの報奨金、これでまだ残ってるんだよなぁ……。
わざと家に還元していた。
キースからの言及を躱しつつ、エリックは頭の中だけで一人呟く。王族の極秘視察へ協力したことによる城からの正式な報奨金。
あまりにも大金だった額を騎士団経由で受け取ったエリックは、一日でも早くそれを家族に支払いたくて仕方がない。
まさか〝王族の極秘視察協力費用〟など、事実を知らない家族に言えるわけもない。そして理由もなしに渡せるほどの軽い額でもなかった。
しかし事実を知らなかったとはいえ場所を提供したのは長男である自分ではなく、実家に住む家族の方である。それを、事実を知る自分だけが丸ごと懐に入れる気もエリックにはなかった。
その為、なんとか別の形で家族に還元できればとこれを機会に家の補修や高い買い物を自ら請け負ったエリックだったが、それでもなかなか使いきれる額ではない。そろそろ残りは家族に金銭で渡したいとも考えるが、妙に大金を渡せば「アンタ死ぬの?」と逆に家族に心配をかけかねない。
現に今、こうして少し羽振りが良くなっただけで弟に怪しまれる始末である。
もともと副隊長としてだけでなく、第一王女の近衛騎士でもあるエリックは家族が想像している以上に稼いでいる。
しかしプライド好きのキースからの言及も怖く、未だに打ち明けられないエリックはその分はこっそり貯めたままだ。結局自分が死ねばその額は丸ごと近親である家族に移るのだから良いかと考えているエリックだが、だからといってその中に今回の褒賞金まで入れたくない。
その為にこうしてジャンヌ達が去った後も頻繁に家に帰っては、小出しで少しずつ家に報奨金を還元していた。仮に「ジャンヌの家族からお世話になった謝礼が届いた」と言っても、受け取る家族ではないことはよくわかっている。特に、今日は家の補修に続いて大金を使うには良い機会だった。
「だからって俺の誕生日にソファーなんて、今までこんな高いもん買ってくれたことなかったくせに」
「誰がお前のって言ったんだ。家族皆で使うものだろ」
キースの誕生日。
色々と苦労はあったが結果的には〝ジャンヌ〟達に良くしては面倒も見ようとしてくれた弟への労いにもなる。表向きは彼の誕生日に合わせて家族全員が居間に集まるからの提供にもなり、エリックとしても都合が良かった。今日は二番目の弟も全快した祖父母に会うついでに弟の誕生日祝いに訪れるのだから。
「折角休み取ってきてやったのに」とエリックが文句混じりに言えば、キースも「そっちはありがとう」と笑いながら返した。
お互い休みの都合が合いにくい職業同士だからこそ、こうして誕生日当日に休みを合わせられたこと自体も祝うべきことだった。今までもエリックが任務で不在もあれば、キースが仕事が抜けれず不在だった家族の記念日は山ほどある。
今年は運よく休みが取れたことも大きいが、祖父母が元気になって最初の家族の記念日だ。家族全員揃って祝えるなどここ数年はなかった。
「じゃあ俺へのは?」
「成人記者にはペンとインクだな」
ケチくせー、と兄からの突き放すような言い方にキースは笑ってしまう。
ジャンヌ達がいなくなってからは、また兄も今まで通り怒らなくなった。いつもの調子の兄に冗談交じりに文句を言ってみれば「金遣い荒いって言ったのはお前だろ」と言い返される。両親や祖父母にならともかく、兄弟同士お互い別段毎年必ず祝いの日に祝いの品を贈り合っているわけではない。その時に会えたら、覚えていたら、都合があったら、金があったらの時々である。
キース自身、この年にもなってまさかの真ん中の兄まで交えた家族全員でお祝い会なんかされることになるとは思ってもいなかった。最近は真ん中の兄が顔を見せることも、やはり兄弟絡みでは殆どない。仲は良いが、男兄弟同士わざわざその為に顔を合わせるほどのこともなかった。キースとエリックもまた、次男の誕生日だからとわざわざ家まで上がり込むことはないのだから。
ソファーの新調だけで本音は満足しているキースがそのまま「じゃあインクは黒で」と兄に肩を軽くぶつければ、エリックも笑い混じりに「冗談だ」と床に置いていた荷物の内、鞄ではない紙袋の方を掴み取った。
「ほら、誕生日おめでとう。楽なのはわかるけどたまには買わないといつか穴が開くぞ」
「おっ!やった!」
ありがとう!と、反射で受け取りながら中身を確認する前に感謝をするキースは早速紙袋を開けた。
渡された時から思ったよりもずっしり重みのあった紙袋の中には、新しい服がぎっしりと詰まっていた。靴下からちょっと良い上着まで複数揃った衣服の詰め合わせはキースにとってありがたいものだった。
仕事がら外に出ることは多いが、おしゃれするのも面倒がるキースはあまり服も新調しない。着回せばなんとかなると同じ服ばかり着る上に、服の買い物に時間と金を取られるのも好まない。
これでまた暫くはなんとかなるなと思うキースは早速着替えようと思う。今の着古した服でも良いかと思ったが、真ん中の兄家族が来るのならそれなりにまともな服の方が良い。
早速自室へプレゼントを置き着替えて戻ってくれば、もう兄は両親にソファーの配置を任せて二度目の外出へと玄関の扉を開けたところだった。
ちょうど部屋から戻って来た弟に「似合ってる似合ってる」と聞かれる前から笑いかけるエリックは、そのまま手を振った。
「もう一回買い物行ってくる。件の貰ったレシピの材料もちょっと足りなそうだし、母さんもロベルト達来る前にもうちょっと料理品数多い方が良いだろって」