Ⅲ31.越境侍女は苦み、
「平気ですかジャンヌ。気分を悪くされたら無理せず仰って下さい」
こそり、とステイルが囁きかけてくれる中。やっぱり顔色に出てしまったのかなと思う。
今更ショックとは言わないけれど、それでも理解しているだけと自分の目にするとでは全然違う。私やステイルだけじゃない、アーサーを含む近衛騎士も顔に力が入っているのはわかるし、セドリックは特に酷く顔を顰めている。
奴隷大国ラジヤ。その属州であるこの地は、本当に奴隷というのは当然のものだ。昨日はずっと馬車の中だったし、宿を出た時はまだ早朝だったから人通りも多くなかった。人影の少ない場所を探していた時にも視界には当然入ったけれど、これほどじゃなかった。市場の手前もまた同じだ。
けれど、市場の奥へ奥へと入れば入るほどその色は強くなってきていた。奴隷の数が多い。
単純に労働役である奴隷が働いているのが当然のように目に入れば、主人が連れ歩いている姿も多い。
殆どは下級層のようなボロボロな格好か簡素な衣服を着ているけれど、鎖は両手や両足にもしくは首に首輪をつけられている人もその全部の人もいる。正直、見ていて気分の良いものじゃない。
ゲームでも知っていた奴隷の姿だけれど、実際の人間が受けていることだと全然違う。
奴隷を複数引き連れている人もいれば、ペットのように鎖で引っ張る人も、足は鎖で繋がれてはいても両手は自由でパッと見は服装以外奴隷とわからないくらい普通に働いている人もいる。この国の人と何ら変わらない見かけの人も、顔つきや身長、肌の色から国外の人間かなと思う人も、我がフリージア王国の顔立ちにも似ている人もいる。
そういう扱いにもう慣れ切った顔の奴隷も、そしてその扱いを周囲が普通に受け入れている空間も正直耐えがたいものがある。我が国は奴隷反対国で本当に良かったと心から思う。
「大丈夫です。フィリップ様こそ平気ですか?あまりこういうのは見たことないでしょう?」
「俺は平気です。奴隷自体は今回が見るのも初めてではありませんし、……少々腸が煮え繰り返しますが健康上問題はありません」
自分でもあまり表情筋に力が入っていないとわかりながら笑みで返せば、ステイルも眼鏡の黒縁を押さえながら声を低めた。
無表情になったその顔にやっぱりステイルも、全く平気というわけじゃないんだなと思う。今までも外交で国外へ訪問したことはあるし、城へと招待されれば奴隷が使用人同然でいた国もある。お互い成人してからは特にそういう遭遇はあった。
けれど、上級貴族や王族が召し抱えている奴隷は皆身嗜みからして綺麗だったし鎖や首輪もつけていない場合もあった。城で働けるほど優秀な人間は奴隷であって扱いも丁寧だった。私やステイルが目にしてきた奴隷は殆どそういう、扱いが最上級に良い奴隷ばかりだ。だから余計にこういう人間の尊厳をそぎ落としたような奴隷は差が大きく見える。
当然知識としては奴隷のその扱いが当然とは思っていない。
隣国アネモネ王国だって昔はちらちら異国からの奴隷や犯罪奴隷もいたし、私達に至っては人身売買の巣窟に乗り込んだことだってある。けれど、この国の〝常識〟として突き付けられるのはまた違った。
無表情を維持するステイルの顔色が心配になって今度は私から覗き込めば、一度目を逸らしたステイルはそのまま視線を逃げるように近衛騎士達へ「皆さんは平気ですか」と投げかけた。
私達ほど表情こそあまりかわりない近衛騎士達だけれど、最初より口数が少ないのは間違いない。
ステイルからの心配する言葉に「ええ」と最初に断りの言葉が私達の前を歩くアラン隊長と背後のカラム隊長でそれぞれ少し重なった。続いてエリック副隊長が「自分も問題ありません」と笑んでくれる。ハリソン副隊長に顔色も変わらず至っては即答だった。敢えて言えばアーサーの声が一番低いし表情も険しい。
「自分達は国外遠征とかで目にしたこともありますから」
「今回のように経由地として身を寄せた国が奴隷制度の国だったこともあります。アーサーとハリソンも、確かあったな?」
軽く手を振って見せてくれるアラン隊長にエリック副隊長も頷く中、カラム隊長が捕捉しつつ途中からアーサーへ顔ごと向けた。
ええはい、と。すぐにカラム隊長に返事するアーサーだけど、やっぱりちょっと表情がぎこちない。私達の視線に気まずそうに首の後ろを摩るアーサーは少し視線を外してから、今までも数回そういった経由があったと教えてくれた。……それでも慣れる慣れないのは別なのだろう。
カラム隊長もアーサーの顔色を見て「無理はしないように」と肩を叩いた。その途端大きく肩を上下したアーサーは、直後にはがくしと力が抜けたように首が垂れた。カラム隊長に見通されちゃったことに落ち込んでいるのかもしれない。
それでも「すみません」と謝るアーサーはさっきより強張った力が抜けたようで少し安心する。
ふと視線が気になって目を向ければ、ステイルがじっと見上げながらアーサーへ今は眉を寄せていた。
きっと私へと同じで心配しているのだろう。少し歩並みを緩めてアーサーの近くまで後退したと思ったら、肘で突いていた。突然の攻撃に一瞬眉間に皺を作ったアーサーも、ステイルの顔を見たら口の動きだけで返していた。はっきりはわからないけど「平気だ」と答えたのだろうと、長年の経験でなんとなくわかる。
そして一番顔色が悪いのは私、ではなく間違いなくセドリックだ。
「大丈夫?」と小声で呼びかけてみたら返事はしてくれたけれど、表情は険しいままだ。
セドリックの場合は故郷が奴隷生産国にされかけた過去もあるし、余計に嫌悪感が強いのだろう。今も鎖をジャラジャラを鳴らしながら歩く奴隷とすれ違っては痛々しい表情に顔を顰めた。
「全く理解できんだけだ。奴隷などという階級を作ったところで何を得られる?彼らは己が逆の立場になった場合を考えられんのか」
「?おお、なんだ兄さん、奴隷のいねぇ国から来たのか??」
鬱憤を晴らすようにはっきりと声を張ったセドリックの発言が、案内のおじさんにまで届いた。
この案内も直接交渉したのがセドリックだったこともあってか、おじさんも声だけで彼だとわかったらしい。セドリックと同じくらい声を張り返しながら首ごとこちらに振り返った。
セドリックも思わずの発言だったのか、戸惑うように身体を微弱に揺らして唇を結んでしまう。「すまない」と仮にも彼の生活基盤を否定したことを謝罪したセドリックだけど、おじさんは慣れたことのように「いやいや」と大げさに見えるくらいの動きで手を振った。
取り敢えずここで怒っていなくて私もこっそり安心する。せっかく案内を引き受けてもらえたのに今放り出されたらどうしようもない。
やっと市場を抜けて、人通りの少なくなってきたから余計に声も先頭まで届いてしまったのだろう。さっきの市場に反して閑散とした場所で、ここで道案内放棄をされても絶対サーカスに辿り着ける気がしない。
「まぁまぁそう悪いもんじゃないぜ?そりゃ奴隷なんざなりたくてなりたいもんじゃねぇけどな、俺らにとっちゃ安くあがる労働力だ。それに奴隷も奴隷で、大概は餌は与えられれるし着るもんも一応与えられる。見てくれが良かったり技術や頭がありゃあ重宝される。仕事も強制的に与えられてその代わり生かされる。働き口もなく飢え死にするよりはずっとマシだろ??」
……うう。この上なく奴隷制度側の意見だ。




