Ⅲ30.貿易王子は味わう。
「うん、果物も美味しかったね。歩きながら食べられる料理が民に人気なのも納得だよ」
そう、人生初めての歩き食いを体験したレオンは手をハンカチで拭いながら滑らかに笑んだ。
市場の手前での聞き込みから、セドリックによる交渉により街に滞在しているサーカス団の元へと案内されているレオン達は、ステイルとセドリックにより調達された食料で小腹を埋めたところだった。
買い物した玩具を騎士に持たせた今、手ぶらで歩いていたレオンは歩きながら食べることは新鮮ではあったが大して難しくもなかった。手や口元を洗えないのと、フォークやナイフを使えないのは不便だが、今回のような片手で食べられるような食べ物であれは問題ない。
自国であるアネモネ王国でも旅行客目当てにこういった食べ物を売っている店は多いが、その場で味わうことはあっても移動しながら食べることはなかった。串が喉に刺さったら危ないという理由ももちろんあるが、王族として食べ歩きなど下品という意識も当然あった。しかし今は姿を変えた仮の姿だと思えば、その意識に咎められることもない。
外での食事は気分も良く、更には生活で忙しく移動する時間と食事の時間両方を同時に済ませたい民にとっては需要が高いのも頷けた。貿易商が盛んなアネモネ王国でも、こういった食べ歩くことができる料理をもっと推奨して広めていくべきかともレオンは考える。
しかし、最初に串に刺さった川魚を食べた時は、食べ終えた塵をどうしようかと首をくるくる回した。市場の奥へと進んでいるにも関わらずゴミ置き場が見当たらず、道案内をする男に「ごみ箱はどこに」と尋ねれば返事を受ける前に一番近くに控えていたアランに「あ、自分が回収します」と手を差し出された。
直後には道案内の男から「その辺に捨てとけ」と言われ、隣に歩いていたヴァルが肉を噛み切ったまま残された串を道端に放り捨てるのが目に入った時は少しだけ考えも改まった。塵を回収する機能か、そういった仕事を構築しなければ、この市場の通りと同じように、美しいアネモネ王国の城下も港もあっという間に塵に埋まるかもしれないと思えば慎重になる。便利さには対価もやはりあるのだなと考えながらレオンは隣に並ぶヴァルへと顔を上げた。
「君が以前言っていた通りだね。手軽に食べられる果物の方がずっと良い」
「覚えてねぇな。どっかの坊ちゃんがひと月熟成させねぇと食えねぇもんやでかい種と皮が分厚いだけのを自慢しやがったことしか記憶にねぇ」
覚えているじゃないか。そうレオンは小さく笑いながら数年前のヴァルとのやり取りを懐かしく思い出す。
もうその頃にはヴァルも大分自分と気軽に話すようになってくれていた頃かなぁと思いつつ、指摘されると少し恥ずかしい。当時は珍しい果物や美味しい果物もとにかくアネモネ王国を中心に民に流通させ、そして国外にも輸出し広めたいと考えていた。が、ヴァル達に出した時はどれもなかなかの不評だったのをよく覚えている。
城の保管庫でじっくりと適温で熟成させた果物も、料理人の手により見事に皮と種を取り除かれた果実もどれも間違いなく甘く、美味だった。ケメトもセフェクも美味しい美味しいと言ってはくれた。が、皿に出されるまでの工程を語れば全て「金持ちの道楽」「余裕がある連中の食い物」とヴァルには一蹴されてしまった。
そして彼らの指摘通り民間では殆ど広まらず、王侯貴族間だけで好評だったことはレオンにとっても良い勉強だった。
それを踏まえると今食べた果物は皮もむきやすく、そして手も汚れにくくて良かったなと思う。
「そこの強面の兄ちゃんも商人なのかい?」
レオンとヴァルの会話に、すぐ目の前で道案内に進んでいた男も軽く振り返る。
明らかに商業に携わっているらしい会話と、自分を道案内に動かさせたやり手のセドリック。そして腕の立ちそうな男達まで引き連れた彼らが、それなりの地位の人間だろうことは男にも想像がついた。果物の話題にも色々取り扱っているらしいことを聞くに、自分と同じ果物屋なのかと考える。
投げかけられた言葉に、最初反射的にレオンは目を丸くした。ヴァルと道案内の男を見比べ、そしてすぐに気が付いた。
「あっ」と音には出さず口だけを小さく動かすと、すぐににっこりと笑む。その笑みにヴァルがケッと吐き捨てる中、レオンはなだらかな声で男に言葉を返した。
「はい、実はそうなんです。この国に訪れるのは初めてで、美味しい果物を食べられて良かったです」
そうかい。と、軽く返した男はそのまま後頭部を掻いてから正面に向き直った。
最初に見た時は妙な組み合わせの面々だと思ったが、少なくとも〝強面〟の男の方は思ったよりは警戒しなくて良さそうだと考える。愛想も良いし言葉遣いも丁寧だ。
寧ろ、その隣に並ぶ〝地味〟な男の方が遥かに性格も口も悪い。
滑らかな笑みで笑う男は、体格は細身に見えるが人相が悪い。口を結んでいる間は誰にも話しかけられることはないだろう顔つきだった。さらりとした赤い髪は整えられているが、鋭い焦げ茶色の眼光からは彼の上品な口調も柔らかな声も想像できない。
隣に並ぶ、更に高身長の男は身長こそ一目を引くが、ただの大木のような印象が強い。茶色の髪と黒の瞳も、そして顔つきもぺったりとしたどこにでもいそうな顔の男だ。
今も、市場の中央を通る中で他の面々に混じっていなければすぐに見失うと思うほどに顔に印象がなかった。しかし表情をぐわりとこの上なく歪ませる時の人相の悪さは、腹の黒さを感じられた。
黙っていても対照的な二人だが、口を開き喋らせれば今度は正反対の印象で対照的だと果物屋の男は思う。
まさに、フィリップへ注文した二人の希望通りの印象だった。
姿を変えられる際、レオンは〝怖い顔で赤い髪〟を望み、ヴァルは〝世界中のどこにでもいそうな顔〟を望んだのだから。
施された後も結果としては二人とも鏡を見た時に異論はなかった。レオンからすれば今までの人生で向けられたことのない周囲の反応は全て新鮮で、そしてヴァルにはこの上なく都合の良い皮だった。この国へ来るまで、セフェクとケメトからは不評だったが行動のしやすさはフリージアで確認済である。
「〝ダリオ〟は今度こそお手柄だね。僕らは道案内を頼んでも断られちゃったから」
「ありゃあテメェが結局舐められただけだ」
「それは君も同じだと思うよ?」
チッ。と直後にはヴァルから舌打ちが強く溢される。
セドリックの功績を素直に褒めるレオンだが、彼も店主に道案内を交渉したところで断られていた。「あそこは近づかない方が良い」と切られ、ヴァルに至っては人相の迫力のなさと失礼な口が相まって無視である。
レオンの人相の悪さは、既にのんびりと店の玩具について雑談していた時の滑らかな笑みと柔らかい印象に払拭されていた。
姿は変えられたところで声も喋り方も相手に与える印象全てを変えられるわけではない。
「そういえば、ケルメシアナサーカスについて君もエリックから聞いたかい?」
「あー?知らねぇな」
エリック、と言われたところでどの騎士かはぼんやりとあたりが付いたヴァルだが、彼と直接話したことも殆どない。特に今回の潜入についての情報を聞いた覚えは皆無だった。
プライドを通して聞いているかもと思ったレオンだが、騎士達と共に共有されているプライド達と違い、ヴァルはあくまで知っているのはプライドの目的くらいのものである。そして、それ以外はたとえ説明されようとしたところで興味もない。プライドが助けたいという目的には準じても、その助けたい彼らをヴァル自身は心からどうでも良い。
ヴァルからの反応に「そっか」と短く返したレオンは軽く振り返ってから、言葉を選び説明した。正確にはエリックが身内から聞いたというこの地の〝大規模サーカス〟について。
その説明を聞きながら案内役の男は「ああそりゃあ間違いない」とだけ振り返らず相槌を打った。もともと小規模サーカスならば探せば他にもあるが、大規模なサーカスなどケルメシアナくらいのものである。
レオンの話をあーあーと適当に音を漏らして聞きながらヴァルは耳を掻く。この後に役立つならと移動ついでに聞いてはみたが、やはりどれもどうでもいい情報だった。結局はそのサーカス団を根こそぎ解体すればそれで済む話じゃねぇかと結論付ける。
明らかなヴァルの興味の薄さにレオンは軽く肩を竦めて返した。
「まぁ、直接話を聞いてみれば事実もわかるね。こうして初日から見つけられたのは幸運だったよ。だろう?」
ジャンヌ、と。そう言葉と共に今度は上半身事ごと振り返る。ヴァルも釣られるように首を回してみるが、プライドからの返事はすぐにはなかった。
数秒置いてから「ええ……」と微かに放たれたが、それも周囲の声にかき消される。十人規模で歩いている彼らは市場の中心地を進みながらも人並みに飲まれることはないが、さっきから会話をしているのはレオンとヴァルだけだった。
気付けば最初は先頭を歩んでいたセドリックもプライド達の位置まで後退し、今は案内人に続く先頭はヴァルとレオンだった。
正確には〝平然としているのは〟この二人だけ。他の面々はそれぞれ呑気に会話をする気にはなれない。それよりも遥かに市場の奥に進んでからの光景に注意を奪われた。
なるべく安全な、人通りの多い道が多い経路を選んだ案内人により、市場の奥へ奥へと進んでいくそこかしこに存在する
〝奴隷〟に。
「まだ慣れないかな」
「奴隷国の坊ちゃんとは違ぇんだろうよ」
あくまで〝容認〟国だよ。
そう訂正をするレオンの言葉も、今のプライド達には入ってこなかった。
昔から奴隷反対国であるフリージア王国。同盟、和平、友好国には奴隷国も含まれる。しかし、あくまで奴隷〝容認〟国が殆ど。
完全なる奴隷国の日常を目の当たりにするのは、この日が初めてだった。