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フリージア王国備忘録<第三部>  作者: 天壱
越境侍女と属州
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そして連れ込まれる。


「それでは女王陛下、お休みなさいませ」


おやすみなさい、と。

その言葉をローザとそして侍女としてのプライドがそれぞれずらりと並ぶ専属侍女達に告げた後、扉は閉ざされた。巡回する護衛の騎士達も扉の外だ。

宿全体に騎士が配備され、交代を重ねながら王族の安全と侵入者への厳戒態勢を続ける中、寝衣に着替え終えた二人は揃って寛ぐ格好でソファーに掛けていた。

宿の中でも最も豪華なその部屋は、夫婦でも使える大きなベッドが二台置かれていた。一台は急遽別室から運び、それでももともと走り回れるくらいに広々としていた寝室は狭くなった印象も抱かせない。


今すぐにでもベッドに潜り込んで今の状況から逃げたいプライドは、ソファーに掛けたまま動けない。

女王である母親より先に寝るなんてとそちらの意識が先立ち、緊張の糸で釣られているようだった。さっきまでは護衛の近衛騎士が傍にいてくれたり、着替えの時も専属侍女達が居た為落ち着けたが、完全に母親と二人きりなど十何年ぶりだろうかと考える。少なくとも自分の記憶では今世に一度もない。


まるで面接試験待ちの椅子に座っているような感覚で足の先まで神経を張り巡らせ、視線は正面に置きながらも五感全てを母親の一挙一動へと向ける。

自分のことなど全く気にしないようにソファーの背凭れに寄りかかり、「アルバートは元気かしら」と頬杖を突く女性の余裕が羨ましい。お互い人前用の化粧も落とし、寝心地の良い寝衣に着替えた今は、ローザの姿もいつもより若々しく見えた。目元の吊り上げたような化粧も落とされた為、余計にいつもの印象とも異なって見える。


思考の中では、こういう時母親とはどういうことをするものだったかを前世の記憶から必死に手繰り出す。

既に十年以上経過した頭は、前世の記憶もゲームの記憶と同じように薄れている。前世に居た自分の母親は良い意味で所帯染みた普通のどこにでもいるような母親だったが、自分がどう関わったかと考えれば子どもの頃の記憶しか思い浮かばない。事故死する前までは一緒に何かするといってもテレビを見る程度のものだったなぁ親孝行全くできてないと、現実逃避するように関係ないことばかりを考えてしまう。


「プライド?」

「!!ふぁいっ?!」

思考に全てが持っていかれそうになりかけたところで、母親からの呼びかけにプライドの肩が上下する。

しまった夢中になってた母上何か話しかけてくれてた気がするのにと、今更になって母親との会話をすること自体考えていなかったことに気付く。この年で母親とパジャマパーティーなどそれだけでもプライドの容量を遥かに超えていた。


あまりにうっかり大きな声と間の抜けた返事をしてしまったプライドは直後に両手で口を覆った。

大きく目を皿のように開きローザを見返せば、きょとんとした表情の母親は自分の倍数の瞬きを繰り返していた。いつの間にか寛いでいたソファーから身を起こし、その手にはさっきまで持っていなかったものを握っている。

「失礼いたしました」と小声の早口で取り直したプライドは、もう一度伺えますかと尋ねる。

引き攣りそうな笑顔の娘に、ローザは気付かれないように口の中を飲み込んでからもう一度言い直した。


「髪。解いてもいいかしら?」

そこに座っていてくれれば良いから。と、そう続けながらローザは手に握っていた王族用のブラシをプライドへ見えるように示して見せた。

しかしローザのその行動と問いに、プライドはすぐには理解できなかった。髪ならば寝衣に着替えた時に専属侍女達にとっくにやってもらえた。もうブラシを通す必要もなく自分の髪は整い切っている。

しかも、もし過去最高に髪がこんがらがっていたとしても、寄りにも寄って女王に解いてもらう必要などない。自分で満足いくまで解くなり、侍女を呼べばいいのだから。髪を解いて貰うのなら、母親よりもティアラやステイルにの方がずっと慣れている。

ぽかんとさっきまでの緊張が嘘のように顔から力が抜けてしまえば、ローザが「……だめ?」と眉を垂らしてきた。人前では見せない、子どもっぽい母親の態度にプライドもはっと目が覚める。中途半端に話を聞いていなかった上に、またもや質問に答えていないと気付き慌ててソファーにぴしりと座り直しながら声を張った。


「は、はい!大丈夫、です。……けれど、母上、その、わざわざやって頂くなんて畏れ多くて……」

「良いじゃないこういう時くらい。明日からはどうせ夜遅くまでだったり帰ってこないのでしょう?これでも昔は得意な方だったのよ」

おどおどと返す娘に、許可を得たローザは迷わず歩み寄る。

今夜という日をどれほど待ちわびていたか気取られないように弾む胸を抑えながらも、口元は正直に緩んだ。ルンルンと気を抜けば鼻歌を歌いかけるほどの笑みに、プライド一人が身構える。

まさか記憶もないほどの幼い頃は、毎日のようにローザに髪を解かれていたのだと知る由もない。


ゆっくりとプライドの背後に回り、自分と同じウェーブがかった髪を手に取るローザはするりと昔と同じようにブラシを通した。昔よりも遥かに長く伸びた髪は、ブラシの通りも心地良い。

自分の髪を解くよりも遥かな幸福感を両手のひらで感じながら、繰り返しプライドの髪を解く。頭では一か月ほど前にジルベールから提案された時を思い出した。プライドの予知報告と、それに伴い彼女をミスミ王国のオークションへ同行させるのはどうかという提案だ。


最初は予知に戸惑い、しかもラジヤ帝国の支配下州に娘を連れて行くなどと考えたローザ達だったが、同時にプライドの予知も捨て置けない。彼女しか情報を確かに持ってはいない以上、直接赴きたいというプライドの意思も理解できた。

そこをまるで狙ったかのようにジルベールから提案された表向きは城にいると見せかけるという案と、そして〝女王が直接監視して下さればこれ以上の危険は〟という言葉。

自分の知らないところでプライドがどうなったかもわからないよりも、自分の監視下で捜索させた方が安心であることは間違いない。自分だってもう二度とプライドを失いたくはないのだから。そして



『公的以外でプライド第一王女殿下と共に旅ともなれば、親子としても良い機会にはなるかと』



やり方によっては水入らずでひと時をお過ごしいただくことも。と、今こうして同室にする提案もジルベールからのものだった。

そして今、ローザはこれ以上ないほどに今のひと時を満喫している。プライドの髪を解くなんて何年振りかしらと思いながら、やっと久々に親子らしいことができたと噛み締める。

娘が寝衣姿で一緒の部屋に居て、今はどれだけ顔が緩んでも他に目撃される相手もいない。こうしてプライドに背中を向けられていれば自分が娘の髪を解くことだけで緊張しているのも気付かれずに済む!と完璧な状況を作り上げた。


どこか不思議と心地良さを感じながら不動で固まるプライドは、そんなやり取りが自分の知らない場所であったことすら知らない。

得意だった、ということはティアラが小さい頃はよく髪を解いてあげていたのかなと考える。

母親が背後に立つだけで、ふわりと薔薇のような香りが鼻を擽りドキドキしてしまう。ぴしりっと姿勢が伸びたまま唇を引き結び、正面の壁を無意味に凝視する。


「……ミスミ王国の競売は一週間後。滞在はこの宿のままで良いけれど、オークションが終われば長居はできません」

「はい。……わかっています」

静かな声で告げるローザの言葉に、プライドもピンと自分の中の糸を引き締める。

ミスミのオークション目当ての滞在者が多い為に宿泊施設が多いこの付近は、ミスミ王国敷いてはそのオークション会場までも馬車で当日でも着く距離だ。

プライドの目的と、表向きはラジヤ帝国の地を今後経由利用するにあたっての視察の為に早めの滞在を行っているだけ。そしてオークションが終わればもう、この地に止まる理由はなくなる。


「侍女として。……自由に尋ね回りなさい。決して正体は気付かれないように」

ケルメシアナサーカスについても、王族である立場から探ることは宿の人間にもできなかった。

フリージア王国の王族が探っていると知られれば、それだけで動きにくくなる。身分を隠した立場だからこそ、水面化で、調査することも可能になる。

ローザの、言葉に息の音と共にまた一言の承知を返したプライドは口の中を飲み込んだ。

正体を知られてはならない。それは、プラデスト潜入よりもはるかに深刻な課題だ。正体を知られれば第一王女が城に居ないことも敵の巣の中にいる事もバレ、そして調査が知られれば攻略対象者を救うことも難しくなるかもしれない。


「危険なことは近衛騎士に任せなさい。ステイルにだって本当は危険なことをさせたくないのだから」

プライドがある程度身を守る術に長けていることは、奪還戦前からある程度察しがついている。

何故彼女がそこまでの腕を磨いたのかはローザにもわからないが、中途半端な腕を持てば逆に危険にも首を突っ込むのではないかと不安もある。それでなくともプライドの補佐であるステイルにも剣を握る機会など来て欲しくないというのが本音だった。


変わらず一言で承諾を返すプライドの背中を見つめながら、ふぅと気付かれないように息を漏らす。

技術に長けているのは父親の血かしらと考えながら、自ら民を救う為に動きたがる性格もやはり自分譲りではない。だからこそ寧ろ羨ましい。深紅の髪と紫の瞳を受け継いだ通り、父親似の娘だ。

しかし、女性として成長した今は顔付きも自分に大分似てきた。目つきや表情は父親似だが、やはりそれも全て引っくるめて本当に本当に……



「……因みに、プライド。聖騎士と最優秀騎士とステイル。貴方の本命はどの子かしら?」



愛おしい。

さっきの落ち着いた声色とは打って変わり妖しく低めた声で、愛しい娘の耳へ囁き問う。髪を解いていた手をそっと細い肩へと添えれば、プライドの全身が心臓と共に大きく跳ねた。ふぇっ⁈と二度目の奇声と共に、まさかの問いかけを耳が疑う。

水晶の目でぐるりと振り返れば、楽しそうに微笑を浮かべる母親と至近距離で目があった。

えっとそれは、その……と言葉を濁し溺れるプライドに、ローザはくすくすと口元を手で隠しながら笑う。


「さて、そろそろ寝ましょうか。明日は私に構わず先に出て良いわよ。市場の食べ物には気をつけてね」


遊んでる……!!!

そう、何事もなかったかのようにブラシを化粧棚へ置きに離れる母親を見ながらプライドはじわじわと顔が熱くなるのを感じた。まさかこの歳で色恋沙汰で母親に弄られるとは思ってもみなかった。

おやすみなさいませ!と。蝋燭の灯りをベッドから遠いものから消し、自分のベッドへ向かう中もプライドは母親に顔を向けられなかった。揶揄われたことの恥ずかしさもさることながら、これ以上探られたくない気持ちもあり目が合わせられない。

お休みなさい。と、くすくすと笑い声と共に返す母親はまるでクリスマス前の子どものような声だった。

最後の灯りを消し、毛布の中に肩まで潜り込む。母親の方を向けられないまま、それでも目をぎゅっと閉じれば薔薇の花の残り香がふんわりと髪についたまま自分を包んだ。


薔薇の香りに薄く抱かれたまま眠りに落ちる感覚は、どこかプライドには懐かしさが燈った。


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