Ⅲ26.越境侍女は封殺され、
「仲が良いようで何よりだわ、愛しき我が子ども達」
視線の先には、先ほどまで宿ではなく馬車の中で待機していた女王ローザと摂政ヴェストが歩いてきていた。
大勢の騎士や使用人達もステイル達にそうしたように、また全員が一度立ち止まり深々と頭を下げる。その中で、ローザの視線は真っすぐと侍女姿のプライドへと向いていた。
ローザ自身もまた、プライドと旅途中は会話を交わしていない。ステイル越し以外、滅多に見ることができなかった娘の可愛い侍女姿は表情下で焼きつけながら優雅に笑む。その表情に、近衛騎士として控えていたアーサーはカラムの横でわずかに表情が強張った。気味の悪いものではないが、やはり女王にもなると常に人前だから取り繕い振舞うんだなと式典と同じようにまた思う。まさか真意までは知り得ない。
ソファー席から音もなく立ち上がる三人へ笑みを維持しつつ、我が子ではない王弟へ一言挨拶を交わす。式典以外でも他でもない彼がティアラの兄姉である二人と仲良く語らっている姿は、ローザにとっても微笑ましく嬉しい光景だった。
女王の仮面さえ外していれば、セドリックにも色々と質問攻めにしたいと思う程度には彼にも興味はある。何せダンスパーティーでも間違いないティアラの〝お気に入り〟だ。
ステイル達と同じくフィリップの特殊能力によってプライドの姿を視認できているローザとヴェストは、つい今しがた従者達から宿の手配が完了したことを告げられた後だった。
馬車内で部屋割りを決めた今、ローザ自らそれを彼女達に伝えるべく己が意思でわざわざ足を動かした。
部屋の準備ができたそうよ、と優雅に告げれば三人も席から立ったまま女王の言葉を受けた。最上階の部屋は女王ローザ、そして別室にヴェスト。その下の上階にある部屋一角がそれぞれステイル、そして王弟の部屋も割り当てると聞けばセドリックは短く息を飲んでから深々感謝した。王族とはいえ、他国の人間である自分が第一王子と同じ階を許されるのはそれだけフリージア王国が自分を自国の人間として受け入れてくれた証だ。そして第一王女であるプライドの部屋は
「母上と、同室ですか……?」
へ……?!と流石のプライドも、動揺のまま言葉を確認して返してしまう。
あまりの事態に表情が強張ったまま固まってしまい、すぐに驚愕を表情にまで回せない。それよりも聞き間違いを確認しようと頭が一時働くことを辞めた。これにはプライドだけでなく、その場にいるステイルとセドリックも目を見開いた。
本来、王族は家族同士でも同室ということは滅多にない。夫婦ならば未だしも、セドリックでさえ実の兄と同じ部屋で旅中に滞在することは少ない。部屋数が足りないのならば未だしも、宿丸ごと確保できた今それは考えにくい。本来ならば自分達と同階、もしくは女性であることも鑑みてローザ達と同階の別室でも良いくらいである。それを相部屋、しかも女王と共になどあり得ない。
近衛騎士のアーサーとカラムも無言のまま目くばせし合う中、ローザはにっこりと変わらぬ笑みでプライドへ肯定を返した。
「侍女の部屋に護衛を置くわけにもいきません。私の部屋であれば護衛も周囲にいくらでも置けます」
今でこそ宿の使用人達も外に出されているから気兼ねなく過ごせるが、貸切とはいえ宿という構造上その建物を知る使用人は少なからず宿内を行きかう。そうすればまたプライドは〝侍女〟として過ごさなければならない。
まさか侍女が他の王族と同じように上等な個室で騎士に守られるわけにもいかない。勘の良い使用人ならば侍女が何者かの仮の姿だと勘付く可能性もある。
しかし、だからといって第一王女であるプライドを侍女らしい狭い部屋へ押しやることも、護衛の一人も置かないこともできるわけがない。騎士にまで守られる侍女などあり得ない。
女王の部屋であれば、王族の女性が侍女を傍に置くことも不自然ではない。就寝時間ぐらいは一人で過ごしたい者もいれば、親しい同姓の専属侍女と家族のように共に過ごす主従関係もある。
女王であるローザと実際の専属侍女はそういう睦まじい関係ではないが、しかしそんな女王の個人情報を知る者など一握りである。そしてたとえ親しくなくとも、ベッドで眠る間も快適さの為に夜通し使用人に扇で扇ぎ続けさせる者も、有事の際にすぐ命じられるように傍に置く者も上級層にはいる。
旅中で侍女や従者など同行させる使用人の数も限られている中、第一王子の侍女が夜は別の王族の世話を任されることも使用人の中ではおかしなことではない。
「あの、……御言葉ですが母上。私はこれから立場を隠して動くことも多いですし……深夜にもなると母上の就寝を妨げる可能性もあります。同階でも部屋は余っておりますし……」
「構いません。それに、深夜に〝帰ってくる〟のを確認できるのならばちょうど良いでしょう。……帰ってこない日もある以上、それもわかりますから」
ひいぃぃぃいいいいいっっ!!と、プライドの背筋が反るほど伸びる。
限られた期間にできる限り動きたい都合上、帰りが遅くなる可能性も、帰らない日もあり得る。同室が母親となれば起こしてしまう可能性もそして自分が夜遅くまで居たことも、居なかったことも知られてしまう。そしてそれこそが母親の目論見なのだと考える。
前世で門限を破って怒られた時の記憶が蘇れば、まさかこの年になってそれを味わうことになるとはと思う。
ちらりと、助けを求めるように策士ステイルへと強張った表情のまま目を向ける。個室とならばどうにでもなったが、女王と同室になればステイルの瞬間移動ですら言い訳もできなくなる。連日帰らない日や深夜遅くまで活動する日も把握される。
プライドの必死の眼差しに、ステイルも彼女が何を言いたいか理解し小さく咳を払った。「母上、一つ宜しいでしょうか」と落ち着かせた声で、ここはプライドの目的達成の為にも個室確保へ挑む。ステイルとしても、プライドの部屋が確保されている方が都合も良い。
「母上、侍女ならばここは多少狭くても侍女用の部屋に身を隠す方が良いのではないでしょうか。いっそ少し広い部屋を借りて、専属侍女のマリーやロッテと三人同室にした方が自然です。王族の専属侍女を守る為にならば、たとえば聖騎士を一人部屋前に置くくらいならば問題も」
「最も〝自然〟を望むのならばステイル。お前が侍女と同室になるか?」
んぐっ?!と、直後にステイルが封殺される。
先ほどまで黙していた叔父であるヴェストの重い声と言葉に、せっかくの理論武装も両断された。「専属侍女ということにすれば、お前の身の回りの為に同室でも角は立たない」と言われれば、口を結んだままじんわりと顔に熱が上がった。
プライドの義弟というだけでなく彼女の婚約者候補が誰か知っている叔父も母親も容赦ない。何か問題が起こるようなことは避けたいがステイルに限ってそんなことはないという信頼がローザに、そしてプライドが婚約者に誰を選ぶかを決める後押しになるならばある程度背中を突き飛ばすくらいは良いという意思がヴェストにはある。
プライドの為に説得を試みようとするのが補佐としてのステイルの役割ならば、女王の為にその説得を叩き折るのが今のヴェストの役目でもある。
一番の弱点を突いた叔父にステイルが勝てるわけもなく、次には言い返せず「いえそれは……!」と眼鏡の黒縁を指で押さえたまま目を逸らしてしまう。予想通りに黙殺された甥にヴェストも平温な眼差しで見返した。
取り敢えずそこで同室になることを前のめりになれない程度かと冷静に分析しつつ、次に別方向へ視線を向ける。
「それとも近衛騎士達の〝寝室〟にプライドを極秘裏に〝送る〟か?聖騎士もいるのならば私達も信頼して任せられるが」
「ッいえ!!自分は!!」
暗に、部屋前に護衛を立たせられないのならばいっそ寝室を騎士と一緒にすれば護衛もできて安心かとかけるヴェストに、アーサーが思わず声を上げた。
王族にも信頼の厚い騎士だが、それでも異性。護衛に立たせるのと一緒の部屋で寝るのはまた違う。しかし、女王から信頼の称号を与えられている聖騎士ならば同室でも間違いは起こらない。
近衛騎士複数人との同室であれば互いに監視し合い余計に安全だと言うヴェストに、アーサーだけでなくカラムも口は動かさずとも肩が上がった。騎士として、異性とはいえ女性の護衛任務の為に寝室でも護衛に立つことはあるが、今のヴェストの発言は確実に婚約候補者である自分達に向けての揺さぶりでもあると理解する。今もヴェストの眼差しは聖騎士であるアーサー一人だけではなく、隣に立つカラムにもしっかり向けられていたのだから。
ステイルだけでなくアーサーやカラムもヴェストに無力化される様子に、ジルベールとも異なる手腕を見るプライドはもう口が開いたままだった。
「では、部屋に行きましょうかプライド。今夜はゆっくり休んで明日に備えましょう」
異議を立てる者が誰もいなくなった沈黙で、ローザは変わらない優雅さで背中を向けた。
自分の背に付いてくるように示す動きに、プライドも首を垂らしながらも伸びた背で従った。ラジヤ帝国の属州に来ることまでは許してくれた母親だが、やはり全部容認というわけではないのだと痛感する。セドリックとステイルへ一足お先にと挨拶を告げ、女王と摂政と共に最上階へと向かった。
既に国門に到着した時点で日は沈み、宿を用意されるまでに夕食も終えた今はもう深夜に近い。
本当は今夜にでも早速こっそり動き出そうと画策していたプライドは出だしから挫かれた。明日こそという気持ちを新たに、母親の背中へ早朝からの外出許可を求める。ローザもまた、そこはすんなりと許した。
「護衛とちゃんと帰ってくるのなら日時を回っても、他に身を隠す仮宿でも構いません。ただし今夜はここで休みなさい。……長旅で疲れているでしょう?」
背中のままゆったりとした声だけを自分に向けた母親に、プライドも今度は肯定をしっかりとした声色で返せた。
自分の背に続く近衛騎士二人へ首だけで振り返り、明日こそよろしくお願いしますと伝える。
まだ顔色の戻っていない二人も、プライドのその願いには間髪入れずに頷いた。