Ⅲ25.越境侍女は腰をおろす。
遠い過去には国としての名もあった、現ラジヤ帝国のとある属州。
小さな国土で弱小国だった地が、他国の侵略を受け国としての形態を失うのは抗えない流れだった。侵略で国土を広げていたラジヤが相手であれば当然だ。
遠い昔に属州と慣れ果てたその地に、国王はいない。当時の王族の血を引く人間は大々的に処刑された。新たにラジヤ側から立てられた統括者である総督も、ラジヤ帝国の尺度で見れば悲しいほど小さくそして低い立場の存在だ。
通貨はラジヤだが、物価はラジヤと比べても半分以下に低い貧しい地でもある。
ラジヤからの命令通り民からは税と、そして奴隷をつくり育て集め輸出する奴隷生産の地。
罪を犯せば殆どが奴隷落ちもしくは罰金。ある程度の罪は体罰よりも金を払えば償える。金がなければ奴隷という名の強制労働者になる中、犯罪抑制と金で許される治安の悪さが同時に混在する。
唯一金どころか弁明も許されない罪は、皇族・王族への武力行使や無礼を含む不敬。皇族や王族に武器を掲げて見せるだけでも敵意として、居合わせた人間全ての手により殺処分が認められている。ラジヤの皇族を前にうっかり横切った浮浪児が不敬として射殺されることも各支配下では珍しくない。
いくら治安が悪かろうとも、選ばれた一族だけは特別を維持される。彼らが不敬と呼べば、全ての命は無に帰する。
人間を〝商品〟として割り切った上ではそれなりに経済も成り立っている。
周辺国の一つとしてフリージア王国も数えられるが、殆どが奴隷容認国。自分達のような奴隷生産国もある中で、特に他国への引け目もない。特に隣国であるミスミ王国は、経済発展の恩恵をくれる相手だった。
年に一度の催しをきっかけに、その期間の前後には王侯貴族というこの上ない上客が自国に訪れる。ミスミが栄えれば栄えるほど、ミスミ王国の催し中心地である城下とも近接した位置にあるラジヤの〝州〟は経済が回る。
ミスミ王国へ商品を流すこともあればミスミ王国から商品を流されることもある、表面上は理想的な協力関係である。
ミスミ王国の防衛意識により国境は高い壁で隔てられ、各所に入国門が設けられているが、多くの物資や人の行き来を円滑にしたい門兵により入国検査もない、ほぼ存在するだけの素通りが実状でもある。
あくまで、ラジヤ帝国の一員として。過去の国名を呼ぶどころか知る者はその地にも滅多にいない。
〝パボニア〟……そう、ラジヤの州名として過去の国とは異なる名で呼ばれる地は、主に奴隷とそして旅客の一時滞在の宿泊地として栄えている。
中でも〝ケルメシアナ〟と呼ばれている首都はミスミとの国境にも近接した地として、今も多くの旅客で賑わっている。
その日も大仰な馬車や馬が群をなして訪れたが、それ自体は珍しくない。特に今はミスミ王国の催しで、招待された王侯貴族がこぞって滞在することも珍しくない。しかしそれでも国門を守る衛兵達の誰もが目を剥き緊張を走らせたのは、相手が決してこの地を踏むことがないと思われていた国だったからだ。
フリージア王国。古来からの奴隷反対国。
つい最近本国ラジヤ帝国からの侵略も跳ねのけ、そしてつい最近には下した大国だ。
その結果ラジヤ帝国への入国無条件許可を得た王族へ慣れた対応ができる者は一人もいなかった。不興を買わぬよう、敵に回さずに済むようにとこれ以上なく丁寧な対応を行い、フリージア王国アネモネ王国それぞれにこの地で最も上等な滞在宿を案内した。最大脅威である国に、自分達が不興を買うなど許されない。
「思ったよりも治安は良いようで安心しました」
「ええ、それに良い宿が貸し切れて良かったわ」
侍女達により荷解きを終えられ寝室となる部屋を待ち、広間のソファーに腰を下ろしていた彼女は柔らかな笑みで隣に座る王子に笑いかけた。
ラジヤの支配下として決して裕福な国とは思っていいなかったが、帝国からの恩恵と隣国ミスミ王国からの経済影響のお陰で栄えた地だ。
フリージアもそしてアネモネ王国も、王族の一時滞在には不自由ない宿を確保できた。あくまでこの地への訪問ではない、経由地ではある為属州にも宿の提供は義務ではないが、護衛や使用人もまとまった場所に寝泊まりできる大きな宿を丸ごと確保されたことはフリージアにとってもアネモネにとっても、そしてこの属州パボニアにとっても幸いだった。
堂々と無条件での入国を許されたフリージア王国と連帯したアネモネ王国だが、その地に足を踏み入れるのは殆ど全員が初めてだった。
事前情報も殆どない中、ラジヤという響きからも治安の悪さに不安を覚えたが実際は他国と変わりない程度には治安も良く、栄えている。少なくとも馬車の中から覗く光景だけで判断すれば、奴隷制度を除き他国と大して変わらない。
提供された宿と全室も、衛兵や騎士により安全と隠し穴等の有無も確認されたが本当にただの上級層向けの高級宿だった。
王族である彼女が過ごすにも、そこまで窮屈を感じさせない広い空間と家具が揃っている。今も部屋の壁際には護衛も立ち、馬車から荷運びする従者や侍女が行き交ってはいる。幸いにも今は宿の人間も全員安全確認の為に一時的に出払っている為、プライドも羽を伸ばし広間のソファーに堂々と寛ぐことも許された。安全確認を終えた後はもう二度と滞在中堂々と「プライド」と呼べない今、貴重な時間でもある。
この四日間の旅路で、プライドの仮の姿の正体が第一王女であることを周囲も理解し、更にはステイルを含む彼女の正体がわかる男性陣もまた見慣れた。
出発時が嘘のように、いつも通りに接して笑いかけてくれる彼らにプライドも肩の力が抜ける。彼女自身もまた、今の自分の格好が大分馴染んでいた。
安易に皺もつけられないドレスと違い、汚れることが前提である侍女服は布からして過ごしやすい。前世で着ていた衣服にも近い感覚の着易さはプライドも今世で私服でも良いのにと思う程度に気に入った。
自分に似合っているかどうかは置いても、子どもの頃から大好きな侍女であるマリーとロッテとお揃いだということも得した気分だった。ネイトのカメラが今もう一個欲しいと思う程度には。
「レオン達の宿が近くなのも嬉しいわ」
「俺もです。セドリック王弟、お前は本当にこちらの宿で良かったのか?」
「ええ、オークションではレオン王子に同行させて頂きますが、あくまで私はフリージア側の人間ですので」
王族の足でも移動が不可能ではない距離に構えられた宿を把握するプライドに、ステイルも同意すればそのまま自分の隣に座る王族へと投げかけた。
レオンと共にオークション参列をする為にフリージアとも旅路を共にしたセドリックだが、あくまでフリージア王国側の人間という意識は強い。レオンからも女王ローザからもどちらの宿でもと許可は得ていたが、セドリックは即決だった。
何より、今最も自分がこの国で傍に居て守りたい相手は目の前の侍女姿の王女だ。なるべく物理的にも近くにいるに越したことはない。今もここに居られず、自国で王妹となるべく努力を続けている愛しき女性の為にも。
心強いわ、とセドリックの言葉にプライドも今は第一王女としてクスリと笑んだ。今こそこうして自然体で言葉を返すプライドだが、実際はまともに会話を交わしたのも今日が四日ぶりである。移動中は常にステイルの専属侍女として言葉を慎んでいたのだから。
プライドの言葉に、セドリックは改めてじっと彼女を正面から凝視した。燃える瞳にあまりにも真剣な眼差しで見つめられ、しかも唇を結ぶセドリックにプライドもキョトンと目を開く。「どうかした?」と何か心配ごとでもあるのかしらと首を傾けて見せればセドリックは「いや」とはっきり首を振り、不躾に見つめたしたことを一言謝罪してから口を開いた。
「やはり見れば見るほどプライドだと思ってな……。変な言い回しにはなるが、声までお前だともうその姿でもプライドにしか見えなくなってきた」
「まぁ、……貴方はそうよね……」
あはは……と、セドリックの率直な感想にプライドも枯れ気味に笑ってしまう。
今日まで旅中も直接会話を交わすことがなかったプライドだが、ステイル越しで顔を合わせるだけは何度もあった。移動中、野営の日もあれば確保できた宿の都合上で王族だけでも宿に泊まった日もある。そんな中、ほとんど常にステイルの傍に立っていた女性は発言こそしなくてもそれ以外の全てがセドリックには〝プライド〟だった。
セドリックとレオンは、フィリップによる特殊能力はまだ受けていない。しかし、セドリックにとっては記憶内のプライドと全く同じ身長体型に照合される上に仕草や癖も全てが全くプライドと同じ彼女は、もう服装姿は関係なくこの上なくプライドだった。
むしろ目の前の彼女がプライドと別人だった場合の方が、自分は混乱たかもしれないとセドリックは静かに思う。
プライドもそうであることを理解した上で、やはりセドリックの記憶力は神がかっていると思う。
常人が聞けば意味不明にしか聞こえないセドリックの言い分に、ステイルも今は関心するように二人を見比べた。セドリックと違い、プライドの正体がそのまま目に映っているステイルだが、そうでなければフィリップの手によりプライドは間違いなく別人の顔に作り替えられているのだから。それをそこまでプライドだと断定できるのは素直に流石だと思う。今、彼女の姿がそのまま見えているのは自分と近衛騎士、そして
「仲が良いようで何よりだわ、愛しき我が子ども達」
フフッ、と静かにそれでも響く声が掛けられ、ソファーに掛けていた三人は揃って姿勢を正し振り返った。