Ⅲ252.転落王子は飲み込む。
「どういうことだエルド!!」
そう声を荒げたのは貧困街で一人だけではなかった。
一度人払いされてから再収集を受けた貧困街。老若男女関係なく住民総勢が集まり、高台代わりの瓦礫上に立つエルドを見上げた。毒井戸の報復にと武器を握ったままの男達も多い中、幹部に守られながら腕を組み立つエルドは憮然とした態度で彼らを見渡していた。
今ではもう彼ら大勢の前に立つことは初めてでもない。何より、彼らの反感は予想通りだった。
首領による招集に、毒の犯人が捕えられている筈の場所に集まれば誰の目にも覚えがない高くも強固なドームが築き上げられていた。
早速この壁を壊そうと武器を掲げる男達もいたが、それを止めたのもエルドだ。
やめておけ、手を出すなと制止の声に振り返れば、そこで告げられたのが犯人の報復保留だった。
しかも場合によっては解放する可能性もあると告げられれば、血気盛んな男達だけではなく女子どもも黙っていられない。「冗談じゃない!」「なんで!」と怒りの眼差しを首領を通し、犯人へと向ける。
エルドが決して許すわけがないとわかっているからこそ、疑念も苛立ちを嵩を増す。納得できる説明を貰えないと振り上げた拳を下ろす気にもなれない。
「あのクソガキぶっ殺さねぇと俺達の気は済まねぇぞ!!」
「俺の女房は三日間も生死を彷徨ったんだ!」
「うちのじいちゃんは死んだ!」
「子どもを二人も亡くしたのに!!どうして許されるんですか?!」
いっそこの悲痛な叫びを直前フィリップ達に聞かせてやりたいと思う。
しかしこれ以上面倒ごとを彼らの前で言われるぐらいなら、無言のまま貧困街から追い出す方が良かった。
早くもうんざりとした息を吐きながら、髪を掻き上げて耳が痛い。「俺だってぶっ殺すつもりだった」と呟いたが、独り言の声は騒動の中では誰にも聞こえない。
もともと井戸の毒の犯人を調べるように指示を出したのも、井戸を張るように指示したのも、見つけたら公開処刑の為に連れてこいと命じたのも自分だ。予定外の資金援助があったからこそできた部分も大きいが、それでもひと月もかけて調べてきた労苦が水泡に帰すことになる。
腕を組みながら雑音に聞こえる貧困街の声からは「それでも許せってか?!」「お前の言うことには従ってきてやった!」「お陰で犯人も見つかった!」と自分への支持も少なからず聞こえてくる。しかし、都合の良い声ばかりではなく当然罵詈雑言も混ざっている。ふざけんな、裏切り者、テメェごとぶち殺すぞと、ここにいる人間は、自分の昔いた城のように上品な人間ばかりではないこともエルドはわかっている。
割合としては半々くらいかと雑破に判断しつつ、今はどうでも良いとも思う。右から左耳へと流しながら見晴らす全員から目を逸らす。弟のホーマーも幹部として自分の近くに立っているが、これから告げる内容を知っているのは自分しかいない。幹部達も呼ばれたから集まり、いつものように首領を囲い守っているだけだ。
首領が保留と解放の可能性を示してから口を噤んで、いくら待っても騒めきは治らず寧ろ火を増し悪化するばかりだった。首領になってから自分の命令をなんでも聞くようになっていた貧困街だが、やはりこういうところは城の時と違うと思い、直後に一人顔を顰めた。最近まで思い出さなくなっていたのに、自分の過去を知る騎士達が現れてから変な既視感や想起に襲われる。
頭を痛そうにする首領にまた、一際声の大きい男から「お前に感謝はしてる!だがな?!」と雄叫びが続く。
「あのガキを見逃すなんざレオナルドなら絶対に」
「そのレオナルドが帰ってくる」
ざわっっ、と波が引くように全体が音を変えた。
前首領の名を出してしまった男に、直前まで顔色を変え「やめろその名は」と止めにかかる者も全体が息を引きエルドを凝視した。耳を疑い、そして互いに顔を見合わせ、杖を付く者はフラつき倒れかけ、誰もが息を呑む。
エルドからはもう語られないだろうと思われていた男の名に、今までの不満が一転する。期待と疑いに変わり、戸惑いだけが統一した感情だった。
細い喉を強く張ったエルドの言葉に、今度は数十秒で騒めきは静まった。「どういうことだ?!」という幹部達からの声を最後に、全体がその返事を求め心臓が動悸する。これもまた当然のようにエルドの想像通りだった。貧困街で生きた者ならば誰もが想像できた反応だ。
静まり、息を呑む音がいくつも聞こえる中で、エルドはあくまで平静に見えるように意識しながら言葉を選ぶ。いくら金を積まれようとも力で圧力をかけられようとも決して貧困街の誰も譲らない仇だが、よりにもよって唯一とも呼べるカードを切られたと改めてエルドは思う。
「正確には帰ってくる〝可能性〟がある。あの毒ガキの解放と引き換えに、例の商人達が首領を解放すると約束した」
首領を自由にできたらその時はガキを自由にしろと、それが向こうから提案してきた条件だと話せば今度は全体が反発よりも困惑した。
同じ解放でも、代わりに前首領が解放されるという条件は見過ごせない。貧困街の誰もが、首領が奴隷収容所に収監されたことも今は知っている。
あくまで可能性と提示されても、前首領は解放されたらすぐにでも貧困街に戻ってくる筈だという期待は全員が確信に近い。前首領レオナルドがそういう男だと誰もが知っている。
おぉ……と早くも僅かに胸の浮き立つまま声を漏らす者まで現れる。その音を拾ったエルドは更に低めた声で「つまりは」と続ける。
「あのガキに指一本でも出せば首領は帰ってこねぇ」
それでも良いか、と。
感情の乗ってない声で告げるエルドに、貧困街全体がとうとう口を閉ざし言葉を無くす。脅迫にも聞こえる宣言に誰も言い返せなくなった。
毒の犯人が目と鼻の先にいるのならばと手足が疼くが、自分一人の意思で殺せなくなった。更には己自身もまた迷いが生じる。殺してやりたいが、それを上回り前首領を取り戻せるのならばと過るだけで武器を握る手が弱まる。
前首領さえが戻ってくれば、それだけで自分達が奴隷狩りに狙われる危険性も薄まる。首領を取り戻せるならばそうしたいのは貧困街の総意だ。
エルドから「どうせ毒の被害はこれ以上はなくなる」「今までの生活が欲しいだろ」と言葉を重ねられれば、屈強な男達も太い喉を鳴らす。
「首領が戻ってこなかった時にガキを殺せば良い」
立てた親指で背後の土壁を指し示しながら、はっきりとまだ殺すことも視野に入れていると示す。自分だって主犯に情があるわけではない。
相手は首領と同じ特殊能力者、触れたら毒にかかる生き物だと、ジャンヌ達から聞いた情報も開示した。途端に「どうりで!!」と、一人が声を上げた。
今日まさに、何か飲まされた覚えも打ち込まれた覚えもないにも関わらず毒に侵された張本人だ。幸いにも部外者からの解毒薬で助かったが、いまだに本人はいつ毒を受けたのかもわからなかった。
そんな有害な相手が今壁の向こうにいるのかと、また別の騒めきが湧き上がる中でエルドの声は涼しい。別に殺す方法がないというわけでもない。やり方などいくらでもある。具体的に「その時はあの毒井戸に逆さ吊りで沈めてやれ」と声を張った。それを聞けば、彼らも皆今度は文句を言わずに周囲で目配せし合う。
確かに、その時に……と首領の慈悲の無さが、主犯を庇っているわけではないのだと決定付けられた。
「エルド。……良いのか本当に?」
あんな奴ら、と。今まで一人で高い位置に立っていたエルドに、段差へ足をかけ呼びかけたのはホーマーだ。
しかしちらりと目を向けたエルドは腕を組み直し、一音返すだけだった。エルド一人の交渉と、貧困街全体を巻き込んでの交渉ではわけが違う。余計な期待を持たせれば、首領が取り戻せなかった時にその鬱憤は主犯だけではなく首領にも少なからず向く。
しかし、エルドの目は濁ってはいても迷いはなかった。あの商人と侍女が何者かはまだ見当もついていない。しかし、フリージア王国の騎士が協力の意思を示しているのを目の当たりにした今不安はない。「よく考えてみろ」とホーマーへのみ届く声で視線を返す。
「〝あの〟化け物騎士で、こんな特殊能力まで使う連中だぞ?」
見ろ、と。苦々しげに顔を歪めた直後、今度は顎で振り返るように背後の土壁を示す。
タイミングから考えてもフィリップ達の仕業だとはエルドも想像できている。最初はあまりの光景に絶句と嫌悪で声が出なかったが、化け物の特殊能力は王子だった頃は新兵合同演習で、そして貧困街の住民になった後も嫌気が刺すほど見慣れている。こんな化け物が少なくとも一人はいるだけで、充分な〝可能性〟だ。
全員が騎士なのかはわからないが、特殊能力者まで含まれたフリージアの騎士達ならば可能だと思う。信頼、と呼ぶには異なる。憎しみが強く、仄暗いそれは
『この度は私の大切な婚約者が、随分とお世話になりました』
たかが王族に産まれただけの女如きに自分達が敗れた要因だ。
思い出すだけで苛立たしい、胃が煮え繰り返る記憶を噛み締めながら澱んだ目が翡翠に沸る。今回はその騎士が更に数も増している。侍女だろうと商人だろうと、あの化け物達を従えれば大概のことはできるに決まっていると考える。
「奴らが収容所を敵に回そうと俺達には何の痛手もない」
「で、本当に返す気か?あのガキを殺したいのはお前も」
「勝てると思うか?こっちは首領が戻ってきたところで化け物一匹で、あっちは何匹いると思う⁇」
ぐっ……とこれにはホーマーも口を閉じ、飲み込んだ。
断言と苛立ち混じりの声に、エルドの目が釣り上がり見開かれる。組んだ腕の形のまま指が食い込んでいた。ギリリッと歯を食い縛る音が漏れる。
貧困街の前、幹部達の前だからこそ自分の意思のように振る舞っているだけで、彼にとっても現状全てに納得しているわけではない。一番良いのは首領を解放してその上で、約束を踏み倒し毒井戸の主犯を嬲り殺すことなのだから。
しかし、フリージアの騎士達を相手に、自分達が勝てるわけがない。そして奴隷収容所と異なり、自分達はフリージアの騎士が殲滅しても問題ない存在だ。
「騎士が他国の塵を掃除しただけ」と。……そう判断されることを、過去に王族だった自分の感覚だからこそ確信を持つ。
今の自分達は、最下層の人間なのだから。




