Ⅲ23.越境侍女はお披露目し、
「あの、……そろそろ出てもいいかしら……?」
狭めた肩を小さく交差させ、プライドは声を潜める。
停止した馬車の中、第一王女が身体を狭める必要など皆無だがそれでも彼女自身の意思で肩身が狭かった。視線の先にはステイル、そして近衛騎士のアラン、エリックが腰を下ろしたまま口を結んでいた。
長時間かかる旅路の中、やっと経由予定地に辿り着き小休憩を得ていたが馬車の扉は閉じたままだった。
窓辺に頬杖を突き固まるステイルが外の景色に逃げる中、既に小休憩を迎えた騎士達の穏やかな声は馬車にまで届いていた。別の馬車に滞在しているローザもまた、補佐であるヴェストと共に厳重な安全確認を終えて今は外の空気を吸っている。
アネモネ王国の馬車、そしてセドリックもそれぞれ警備に守られつつ地を踏みしめている中で、未だ開かれていない馬車は一つだけだった。
本来ならばステイルとプライドも共に外に出、王族同士の打ち合わせや挨拶だけでもするべきである。侍女に扮している以上、プライド一人が勝手に出ることも目立つ今ステイルが先に動かないとどうしようもない。しかし、ステイルは動かない。……動けない。
─ 可愛すぎるっ……
そう、道中に百は頭中で反復した言葉をまた叫び唇を内側から噛む。
視線を少しでも油断し合わせれば、慎ましやかな恰好である侍女姿のプライドが目の前に座っている。出国前にプライドの変装姿を目にした時から頭を冷やすのに苦労したステイルが、道中の間に落ち着けるわけもなかった。何度見ても、どう見てもプライドの姿が愛らし過ぎた。
元々は、女王であるローザからの提案だった。
公的には城からも滅多に出られないプライドを、秘密裏に城から連れ出し共に行動する為に侍女に扮して移動させる。ステイルの侍女として振舞えば、補佐であるステイルと共に行動しても怪しまれることはない。
公的に式典で会ったことがある王侯貴族でも侍女の顔を覚えている者など滅多にいない。主人の傍に立っている侍女服の女性を必要以上にまじまじと見ることもない。王族であれば余計にそちらの畏敬の方が際立ち、使用人に目を向ける場合ではなくなる。
道中はあくまで第一王子の侍女として振舞えば良い。オークションも使用人か護衛の同行は許される。王族の傍に紛れ込まれすには、侍女以上の隠れ蓑はなかった。
その為、出国前にも表向きは城滞在になっているプライドはステイルの馬車へ侍女として控え続けた。護衛の近衛騎士も、あくまで第一王子の護衛騎士。プライドの近衛騎士としても一部には顔が知れている彼らだが、あくまで〝騎士〟である以上別の王族の護衛に付いていても不思議ではない。特に、第一王女の片腕である第一王子の護衛であればなおさらだ。
護衛する騎士団には騎士団長であるロデリックからも説明がされている為、混乱を招くこともない。近衛騎士が守っている、そして第一王子の傍にいる侍女がプライドなのだから。
そして、だからこそ護衛対象の顔見せという意味でもステイルはプライドと共に馬車を降りるべきである。常に第一王女がどの侍女かを騎士団にも把握させておかなければならない。ちょうど今は小休憩として護衛の騎士達が全員の注目が浴びることができる。
「……~っ……そう、ですね。申し訳ありません考え事をしていました。レオン王子とセドリック王弟へ挨拶にも伺いましょう」
ごくり、と意を決するように口の中を飲み込んでからステイルはとうとう腰を上げる。
ステイルの動作に合わせ、エリックが手早く扉を内側から開け安全確認をする。今まで沈黙を貫いていた王族の馬車が開かれたことに、先ほどの騒めきがぴたりと止まる切れ目をエリック達は確かに聞いた。
馬車を降りる準備は既に御者により行われた後だった。
エリック、そしてアランと順番に降りいつもならばステイルが降りる順番で、今はプライドが一拍遅れて腰を上げた。慎重に裾を撒くし上げながら俯きがちに階段を降りるプライドに、うっかりアランは手を貸しかけたが途中で止まった。侍女に手を課すことも騎士としておかしいことではないが、なるべく目立たせない為にも特別扱いは避けるべきである。
慣れない服と靴で、するすると優雅に降りるプライドをその場にいた騎士達全員が唇を結びながら注視する。
なんの変哲もない、しかし妙に高身長の侍女の顔を確認したくて仕方がないがあくまで表面上は平然を取り繕った。出国前に一度早朝プライドの部屋へ集められた近衛騎士達と違い、自分達がプライドの姿を見るのは今日は初めてである。
しかし視界の中に入れてみれば、誰もが「おぉ」と息を漏らす。見事に見るだけならば何の変哲もない別人だと思う。
が、ステイル達には違う。目の前にいる侍女は間違いなくプライドで、侍女の服装自体は城中の侍女達で毎日とっくの昔に見飽きている筈なのに新鮮過ぎた。
長い深紅の髪を大きな三つ編みで一つにまとめ、ヒラヒラとした愛らしいレースのエプロンを素朴な侍女用ワンピースの上に纏っている姿はどう見ても愛らしかった。本来のきりりと吊り上がった眼差しも和らいで見え、元来の背の高さと姿勢の良さも手伝って第一王子の侍女という看板に誰もが疑問を抱かないほどの風格まで纏っている。
あちー、とアランが外のさっぱりとした空気にあてられながらも自分の胸元を引っ張り熱を逃がし、そしてエリックもぎこちない笑みのまま顔の火照りは誤魔化せない。
〝ジャンヌ〟とは異なる、そのままの年齢で庶民の格好のプライドは珍しい。ステイルがいつまでも目を合わせられなかったことも無理がないと思う。自分達でさえ、未だに上手く言葉にできないほど見惚れてしまったのだから。
自分達だけが目の前にいるプライドに舞い上がっていることが、エリックには気恥ずかしく、そしてアランには優越感でもあった。
なるべくプライドを直視しないように意識しつつ、ステイルは馬車酔いを疑われそうな足取りで歩み出す。
大勢の騎士達が姿勢を正し礼をする中、自分の顔色を見られないように俯きがちのまま眼鏡の黒縁を指で押さえ顔も隠した。
目的の場所は、騎士達に尋ねるまでもなく目測で充分だった。自分達の馬車が止められた位置から十メートル近く離れた位置に騎士が密集している。一つは母親達の警護だが、もう片方はアネモネの騎士隊も混じっていれば間違いなかった。
既に母上との挨拶は終えたのだろうか、と考えながらステイルは意識的に深呼吸を繰り返し首を垂直に伸ばした。馬車に座して皺が付きかけていた服を襟から伸ばし、あくまで侍女と護衛騎士を連れた王子として振舞う。