そして発つ。
「~っ……お気遣い、ありがとうございます。セドリック王弟も、お身体に気を付けて下さいね。ぶ……無事を、……願って、ます……」
ぷしゅぅ~……と、途中からは口を動かしても殆ど消え入った声だった。
最初はしっかりと目を合わせていた筈なのに、気付けばどんどんと視線が自分の意思に反して落ちてしまう。これではちゃんと最後まで伝わらない!と頭では叫びながらも不思議なくらい声が出なかった。
セドリックがちゃんと聞き届けてくれたか表情を確認する余裕もなく、身体の前に結んだ手を何度も何度も結び直してしまう。ここで顔を上げた途端に「すまない聞こえなかった」と言われたら、二度言える自信がない。きょとんと困った顔をされたらきっと自分は逃げてしまう。
とうとう顔を完全に俯かせた状態まで視線を落としてしまったティアラは、ぎゅっと顔中に力を込めて目も瞑った。もういっそ次に目を開けたら彼が馬車に乗り込んでいってしまった後だったら諦めもつくのにと絶対にありえないことを思っ
「感謝する」
はっ、と。
うっかり完全に視界を閉じてしまっていたことに我に返ったティアラは大きく目を見開き顔を上げた。さっきまで背中を向け始めようとしていた彼が、いつの間にかさっきよりも近く、自分の真正面に立っていた。
視線を上げた先では、セドリックがさっきよりも熱のこもった視線を自分に注ぎ笑んでいた。うっかり心の準備もなく直視してしまったティアラは唇を結んだまま、心臓が大きく飛び跳ねるのを自覚した。胸の音を聞かれないように両手で押さえるが、それでも耳の奥では正直に鼓動は響く。
兄妹の水入らずの会話を邪魔してしまったにも関わらず、自分の身を案じてくれたティアラにセドリックも黙ってはいられない。最後は嫌っている自分へその言葉を社交辞令として言うことも躊躇われるように苦し気に顔を歪め、真っ赤に血流を増しながらそれでも優しい言葉を言ってくれたのだから。
途中からは声も見送りの声援に紛れかき消えてしまい残念ながら聞こえなかったがそれでも
「遠き地に離れても、俺もお前の無事も幸福も願っている」
「~~~っっ!!!いっ……一生の別れみたいなこと言わないでくださいっ!!!」
ティアラの口の動きは、読めていた。
ボンッ!!とティアラの顔が沸騰すると同時に、ひっくり返しかけた声が上がった。
最後まで聞かれていた!聞いてくれていた!なんでそんな恥ずかしい台詞を言うの!!と、感情がいくつも混じり、思わず余計なことを口走る。
ティアラに怒鳴られ、セドリックも思わず背中を大きく反らす。「す、すまない!」と謝罪はしたが、ティアラもティアラで両親や大勢が見ている中で叫んでしまったことに目を丸くして口を両手で塞いだ。慌てて誤魔化すように首を左右に振って「失礼しましたっ!」と第二王女として謝罪したが今にも泣きそうだった。結局また怒鳴ってしまった。
セドリックも最後の最後にまたティアラを怒らせてしまったと顔を青くしつつ、これ以上の無礼を犯す前にと王弟としての形式通りの挨拶を最後に、急ぎ自分の馬車へと下がった。
馬車の前で足を一度止める間、もう一度ティアラへ振り返りたかったがさっきとは比べようもならないほど顔が染まり切って見せられなくなった。ティアラに怒鳴られた瞬間を引き金に、頭の中で次々と過去の己の愚行の数々が鮮明に再生されてしまう。途中からはプライドにも怒鳴られているかのように錯覚すれば、この場で頭を打ち付けたくなった。
頭から湯気が放たれ、息も苦しくなる。どうしようもなく記憶が再生される頭の隅では、ティアラの言葉に「ならば自分と一生の別れは嫌だということか」という淡い期待と「ただでさえ不安なティアラに不吉なことを言ってしまった」という罪悪感までもが鬩ぎ合う。
第二王女の叫びに一度は弱まった歓声に、女王ローザが最後の言葉を告げるべく両手を広げて合図を出せば完全に水を打った。
最後に馬車へとうとう女王がヴェストと共に乗り込めば、合わせるようにステイル、セドリックもそれぞれの馬車に乗り込んだ。女王ローザの馬車とステイルの馬車、セドリックの馬車、そして最低限の使用人用馬車と積荷を積んだ馬車も続く。嵩張る荷物は全て専用の馬車に、身の回りを手伝う侍女や従者そして護衛は共に馬車。更には背後には騎士団が別の積荷と共に王族馬車へ足並みを揃える。今回は堂々たる遠征の為、特殊能力者による移動ではない馬車と馬、歩兵による移動である。
王族が馬車の中へ消えても尚、歓声は止まらない。いってらっしゃいませ、お気をつけてと声援は御者により二台の馬車の扉が同時に閉ざされても続いた。
ゆっくりと馬車が安全を最優先に動き出し、集った誰もが馬車が見えなくなるまで手を振り見送った。
庭園の向こう側へ小さくなり、城門へと向かう間も窓を覗けば城を行き交う誰もが足を止め、王族の馬車に向け深々と頭を下げ、手を振った。
城門に辿り着けば、そこにはまた別の人だかりができていた。ただの見送りではない、フリージア王国の馬車とは異なるアネモネ王国の馬車と警護に付く護衛のアネモネ王国騎士達だ。
窓越しにそれを確認したステイルは、手筈通りだと静かに確認する。今回のミスミ王国までの遠征に参じるのはフリージア王国だけではない。セドリックが同行の約束を交わしたアネモネ王国もまた、フリージア王国と同じ目的地の為共に移動することが決まった。
一度示し合わせるように動きを止めた馬車は、御者と護衛の騎士同士で挨拶と確認を取り合う。
互いに経路と目的の経由地、そして本物であることを確認し終えた後に再び馬車は動きだした。馬車の中から王族同士が顔を合わせるのは、次の休憩地からである。安易に王族同士がどの馬車にいるかを知られるわけにもいかない。
二国の王族馬車が並び移動する姿は、城下へ降りれば一層の注目を浴びた。
その馬車に誰がいるかは知らずとも王族の誰かだろうと、民は手を振り帽子を取っては頭を下げて見送った。安全の為に内側からカーテンが閉められ中に誰がいるかはわからずとも、そこに王族がいるというだけで民の心は跳ね上がった。
今は歓声を上げてくれる民に手を振れないことを悪いとは思いつつ、ステイルはカーテンの細い隙間から目を凝らし外を凝視する。
「無事、アネモネ王国と合流できましたね。今のところ全て順調です」
「そうね。……あの、ねぇステイル?」
「ちらりと窓から見えましたが、騎士の代表はカラム隊長のようでした。隣に騎士団長も」
「あの、ステ」
「やはりアネモネとはこういう連携もしやすくて助かります。新兵合同演習でも交流があるお陰でお互い顔でも認識ができますから」
「ステイル???」
窓の外を凝視しながら、ステイルは平坦な声で言葉を続ける。
自分に話しかけてくる相手に目もくれず、窓の向こうを凝視する。いや、……窓の向こうへ逸らす。自分の向かい席に座る彼女を直視できず、必死に平静を保とうと無表情を保ち続ける。
しかし、目の前に座る人物は一向に目を合わせてくれないステイルに不安が過る。
この馬車にステイル達より先に控える前からなかなか目を合わせてくれなかった。ステイルだけではない、護衛で馬車に乗り込んだエリックもアランも殆ど目も合わせず会話すらしてくれない。そんなに何か悪いことをしてしまったか、それともそんなに今の自分の格好がまずいのだろうかと鏡をもう一度確認したくなる。
いや!大丈夫!大丈夫!と、最後に見送りで褒めちぎってくれたティアラの言葉を思い出しつつ、彼女は自分の両手首をぎゅっと握り心を落ち着けた。馬車がゆっくりと進み乗り心地良く進む中、深く呼吸を繰り返した彼女はもう一度「ステイル」とさっきよりもはっきり通る声で呼びかけ、そして率直に尋ねた。
「私、そんなに侍女らしく見えないかしら……?」
「~~っっ……。いえ、とてもお似合いです。とても」
弱弱しい声に、ステイルは早口でなんとか返せたが、頬杖を突く振りをして手の甲で自分の唇を押さえつけた。まだ、直視できない。
奥歯を噛み締めながら、顔の火照りを必死に抑えるがそれでも色に出る。ここまで破壊力があるとは自分でも予定外だったと今日だけで五十度目にはなることを思う。他と違い、プライドだけは宮殿から出る時点で偽装に入らないといけなかったとはいえうっかり心の準備もできていなかった。
これから道中ずっとこの姿の彼女と共に行動するのかと思うと心臓が持つか自信がなくなる。今ここに居ない相棒に「早く来い!!」と心の中で叫ぶ。アーサーがいれば自分も少しは落ち着ける。しかし交代の時間まではまだ遠い。
今同席する近衛騎士のエリックとアランも、未だプライドの姿には慣れなかった。つい数か月前までは〝ジャンヌ〟として庶民の格好をしていた彼女だが、今回は十九歳の年齢のままである。しかも、自分達には目の前の侍女が〝プライドにしか見えない〟のだから。
似合うと言ってくれながら、未だに目も合わせてくれない三人にプライドの首が悲しく垂れる。
こんなことになるのなら、少し馬車が狭くなってもロッテかマリーにも同乗してもらうんだったと思う。ステイル達王族組が馬車に乗り込むよりも前に、彼女達侍女や護衛は馬車に控えていたが、今回王族として同行しないプライドには侍女の同行がない。彼女達は使用人専用の馬車である。
そして、プライドの従者的立ち位置でもあるステイルも今回この侍女は使用人馬車に一人だけ。初老に近い最年長侍女を長旅に同行させることをステイル自身が気遣ったこともある。王族として身の回りのことをされるのは慣れているステイルだが、基本的に自分のことは自分でできる。侍女が一人いれば充分だと判断した。
そして一番は、目の前にいる自分の〝侍女件付き人〟と今後も自然に行動を共にする為である。
「レオンやセドリックにも、早く挨拶したいわ」
休息地点が待ち遠しいと。一人、馬車前で挨拶もできなかったプライドは気を取り直すように小さく呟いた。
第一王女プライド・ロイヤル・アイビーのお忍び遠征が、始まる。