Ⅲ21.我儘王女は始める。
「いや、俺は行かねぇ」
……だれ?
「知ってるんだろ女王の弱点も。お前なら」
……女王。母上…………それとも、私……?
拒絶する青年に、それでも食い下がる。裏を掻くにはお前の協力が必要なのだと、もうこの先に未来がないとわかっている筈だと詰め寄る。
茶髪の青年が、眉間に皺を寄せて沈黙で返す。頭を掻いて、目を逸らして苦しげに唇を曲げた。
差し出された手を睨みながら動かない。周囲が「早く行こう」「行くのか行かないのかはっきりしろよ」と言う中で、彼だけはこの場に残るつもりだった。……嗚呼そうだ、ここの〝女王〟は私じゃない。
だから、彼の協力が必要だった。女王の手口をよく知っている彼を味方に引き入れたかった。ただ闇雲に逃げるだけじゃ、きっと捕まってしまうから。
今までの犠牲者と同じように。
……そうだ、これはゲーム冒頭の……。
何度も、何度も繰り返した冒頭だ。結局何度繰り返しても、どこか悲しかった。…………後味が悪かったルートは、誰だっただろう。
「お前が女王にいくら尽くそうが、報われる日なんざ一緒来ねぇぜ」
言い当てられた青年が、ぐっと奥歯を食いしばる。肩を揺らし、誘いに目を合わせることもできていない。
彼は知っている、女王の弱点も秘密も何もかも。
だからこそ、女王の支配下じゃない彼を一緒に連れていきたかった。
早くしないと嗅ぎつけられると急かされる中、誘う方も諦めない。ここで彼を置けば、たとえここで逃げられたとしても、いつかは捕まってしまうことを彼女を知る誰もがわかっていることだから。
「ッ出て行くならお前らだけで出てけ。まさかここにいる全員を逃がすつもりもねぇんだろ」
どうせお前らが逃げたと知ったら女王は地の果てまで追い続ける、と。
そう頑なな青年に、彼らも首を横に振り言葉を返す。別にサーカスを捨てるわけじゃない、ただこのまま居ても一人残らず使い潰されるだけだと。その言葉に彼もぐっと顔を歪めて半歩退いた。彼自身も最初からわかっていることだから。
だからこそ今、小さなきっかけを前に反旗を翻す為に彼らは逃げ出すことを決めた。いつか必ず戻って、今度こそ仲間全員を女王の下から解放する為に。立ち向かう為に今は逃げるのだと。
女王と手先に勘づかれる前に早くと、何度も手を伸ばし誘われる彼はそれでも首を振る。駄目だ、俺はここから離れない、逃げるだけでも可能性は低いのに俺達で立ち向かえる筈がと諦めきった目で彼らを見返した。そして
「!……おい、そいつは」
青年が、一人の女性に今気付く。
ずっと交渉していた相手の背中にひっそりと隠れ小さくなっていた女性の姿に目を剥いた。彼女はまだ、この世界の残酷さも過去も何も知らない。
一緒にいた彼らに紹介され、控えめにぺこりと頭を下げる彼女に青年は腕を組む。彼らが逃げ出すきっかけになった彼女もこれから行動を共にすること、彼女もまた自分達に協力をしてくれるのだと重ねる声に、青年も口を結び黙した。
今までの拒絶じゃない、彼女を見つめ捉えそして考えている。
足手まといと言われるだろうか、部外者だからと怒られるだろうかと、鋭い目で睨まれて肩を狭める彼女に青年の呟きが耳をかすめる。
「どうりでこんだけ揃えられたわけだ」
そう言いながらちらりと彼女の後方に視線を移した。
今までも何度も何人も逃走を行っては潰えた。それを自分と同じだけ全員見てきた筈なのに、何故今回の脱走にはこれだけの面々が加担してるのか不思議だった青年にとって、全てが納得できた。
溜息交じりにも近い言葉の後、青年は改めて彼女を見る。首を前のめりに伸ばし、眉間に皺を寄せて値踏みする。少し棘も感じられる強い口調で淡々と彼女に質問をいくつも投げ掛ける。
年は、家は、家族は、恋人は、行くところは、知り合いは、と。問われる意味もわからず彼女は緊張のあまり背筋を伸ばし何度も首を振る。
一体どういうつもりだと庇われてやっと、彼女は息を吐い身を小さくし再び背中を丸めた。……そうだ。彼女は最初、彼を怖い人と思っていた。まさか、これから恋をする運命の一人かもしれないなんて思いもせずに。
彼女を背中に隠され、青年は今度は小さく俯いた。
組んだ腕を固め、肩を丸め、今まで以上に深く思考する。もう彼を置いて逃げようと言い出す仲間も出る中で、やっと彼は小さく「これなら……」と口を動かした。
突然の呟きに彼女も目を丸くする。……ゲームでは「一体どういうこと?」と心の声が呟かれていた。
二秒遅れて大きく瞬きをする彼女は、小首を傾げて彼を見上げる。どうしたと周囲もわからず問いかける中、彼は今までの歯切れの悪さが嘘のようにはっきりと彼らへ告げた。
「……よし、乗ってやる」
ついてこいと、突然切り替えた彼はそこで彼らに背中を向け、走り出した。
女王達に見つからない経路へと先導する彼に続きながら、誰もどうして急にと疑問を露わに眉を寄せ首を傾ける。荷車は置いて馬を奪おうと語る中、彼らへと別の影が近づいた。
彼女に手を貸し馬へ乗せる中、月明かりに照らされた眼光に気付いた一人が目を見開く。
低い唸り声が草木の騒めきと風の音と一緒に混じると同時に、声を張り上げた。
「ッ!まずい見つかった!走るんだ逃げろ!!!」
瞬間、鞭を叩かれた馬が高ぶった声を上げ次々と駆けだした。
姿を捉えられないほど早い影に振りかえる暇もない。上手く乗れない、首に掴まれ、そっちじゃねぇ、死んでも離すな、早く距離を離すんだと、それぞれが馬を走られる。先導する彼の馬から、絶対止まるな振りかえるなと荒げた声が飛ばされる。
追いかけてくる影に、彼女も振りかえる勇気も持てず馬の手綱を握る背中にしがみつく。恐怖のあまり目をきつく絞った。
「フリージアまで走り続けろ!!!」
始まって、しまう……。
……はやく。早く、助けないと。ここで彼らは逃げ切れる。けど、……知っている。ゲームの冒頭はどれも同じだから。
逃げるだけじゃ誰も救われない。もう、もう、彼らはこんなにも失った後なのに。それでもまだ立ち向かわないと追われ続けるしか道がない。
止めないと、彼女を。
せめて、一人。一人、彼女を止めるだけでも良いの。彼女さえ止めれば、彼女による最初の悲劇さえ止められればきっと。
この世界の、ラスボスを。
…………
……
「……ライド様、……プライド様。おはようございます、お目覚めのお時間です」
はっ、と。
降るような声に息を飲む。一瞬何が起こったのかわからないくらい、目を開いても身動ぎ一つできなかった。
自分でもわかるくらい大きく開ききってしまった目に、額の汗が伝い落ちて反射的に二度瞬きする。
まるで、さっきまで何かに追われていたような感覚に、ここがベッドの中だということに違和感を覚える。
毛布が暑くて、専属侍女のロッテに呼びかけられた返事をする前にも呆然と毛布を胸下まで捲った。専属侍女のマリーが開いてくれたのだろう窓から吹き込む風に心地よく冷やされて、やっと息が整った。
「おはよう……」となんとか言葉を返しながら、まだ起き上がる気になれない。なんだろう、起きたばかりなのにすごく疲れている。
「よくお眠りになられておりましたね。お着替えの前に身体を拭きましょう」
今日はいつもより気温が高いですもんね、と私の汗を拭ってくれるロッテに言葉を返す。
いつもなら彼女達に起こされる頃には薄々目が覚めていることが多かったのに、今日はどうやら何度か呼びかけられても起きれなかったらしい。
気付かない内に開けきった窓やカーテンに、朝日が入りきっている部屋の明るさを見て理解する。
よく眠っていたと言われるわりには、なんだろうこの脱力感。
起こしてくれたロッテが何も言わないということは魘されてはいなかったのだろうけれど、…………それにしても何か夢は見たのかもしれない。
後味としては悪夢に近そうで、あまり思い出したくなくなる。もし予知ならむしろ前のめりに思い出したいけれど。
ふーーーっ……と深呼吸で熱を吐き出す。
ゆっくりと身体を起こして、マリーにも朝の挨拶を交わしながら伸びをする。まだ頭がぼやぼやしている中で、今日の予定は何だったかしらと尋ねるより前に自分でも頭を捻らせ思い返す。……ああ、そうだ。
「今日は朝食後にまたお召し替えがありますから。その前に一度湯浴みをされるのも良いかと思います」
「ええそうね。ありがとう、マリー」
今日、私は極秘に国を発つ。その為の準備もしっかり重ねてきた。あとはもう飛び込むだけだ。
「君と一筋の光を」第四作目の世界へと。