そして答える。
「兄ちゃん。……宜しくお願いします。今回、いつもより心配そうだったので。もしかしてちょっと危ないのかな~……とか」
さっき常連とも話してた遠征。やっぱブラッドもノーマンさんからそのことだけは聞かされてたみたいだ。
その上で、多分近衛騎士とか遠征先のことはやっぱ行ってねぇんだろう。
別に今までもノーマンさんが遠征だったことも長期遠征だったこともあったし、遠征自体が心配っつーよりあの人のことだから女王付きの初任務の方が緊張するのかなと思う。
俺だって近衛騎士としての初任務はただの城下視察でもすっっっげぇ緊張したからわかる。
けど多分、ブラッドからすりゃあ遠征任務自体が危険なもんなんだと心配になんだろう。まぁそれも行先とか考えるとあながち間違っちゃいねぇけど。
『僕の所為だったら、どうしようとか』
……知り合ったばっかの時、泣いてたブラッドを思い出す。
騎士になりてぇとは違うだろうけど、やっぱこういう時家族の力になれねぇのを色々考えちまうんだろう。俺だってしんどかったこともある。ノーマンさんも家じゃすげぇ良いお兄さんなのは間違いねぇし。
ノーマンさんの任務が危険なのは合ってる。ラジヤ帝国の属州で、敵しかいねぇような場所で女王守る為に一番命張る仕事だ。アダム達も生きてるかもしれねぇままで、また陛下が狙われる可能性もある。
邪魔な近衛騎士なんて一番最初に狙われるか纏めて始末するような罠や奇襲だってあり得る。
ここでブラッドに、任務自体は戦争とかじゃないんでとか、多分ノーマンさんは危険だから心配してるんじゃなくて役目の方でとか言えば、少なからず不安は減らせるだろう。けど、やっぱ機密事項だから言えねぇし、言う〝必要〟もねぇなと思う。
「……。よろしくっつーか。そういうのは言う必要ねぇっすよ」
泥で薄く汚れた手のまま頭を掻き、少しだけ視線を逃がす。それでも視界の隅ではブラッドが勢いよく顔を上げたのが見えた。
「勿論隊長としては全身全霊で務めます」と言いながら、けどそういう問題じゃないとわかる。ブラッドがノーマンさんを心配する気持ちはすげぇわかるけど、ブラッドが心配するような心配は絶対必要ない。
口の中を飲み込んで、それからブラッドと目を正面から合わす。真っすぐ目が合った途端、ブラッドの方の肩が微弱に揺れた。さっきまでのにこにこ顔が嘘のように強張って、緊張が顔いっぱいに走ってる。
自分の頭を掻いた手でそのまま髪を掴む。いつの間にか少しぼさついてるような気がして、最後に指を通して髪紐を取ろうとして中途半端な位置でやめる。結い直そうと思ったけど、折角の銀と蒼の髪紐が汚れるのは困る。
整える筈が逆に変な髪になった頭で、俺は「前にも言いましたけど」と口を動かした。
「王国騎士団は全員優秀なンで。俺の八番隊は〝完全個人主義〟〝完全実力主義〟の部隊ですし、全員が一人でも間違いなく強いです。……ノーマンさんも、そうだと俺は知っています」
そういう心配は、要らねぇと思う。
ノーマンさんも、他の八番隊も俺が何もしなくても戦い抜ける。絶対死なねぇとは言えねぇけど、少なくとも弟に頭下げさせねぇと生き残れないような人じゃない。
言い切った俺に、ブラッドは丸い目でぱちりぱちりと瞬きした。口も僅かに開いていて、数秒呆けたままだった。
……前に、ノーマンさんのこと大したことねぇみたいなこと言ってたけど、まさかマジで弱いとブラッドは誤解してたのかとちょっと心配になる。
ノーマンさんがそう思わせておきたいとかなら仕方ねぇけど、あの人の実力知ってる身としてはすげぇその誤解を解きたい。兄弟なら余計にちゃんとノーマンさんがすげぇと知ってて欲しい。
瞬きのまま暫くは何も言わなかったブラッドは、数秒置いてから肩がゆっくり降りた。口元から始まった笑みは、今度は何の取り繕いもない自然ないつもの表情だ。
「ほんっと格好良いなぁ……。……。……ねぇ、アーサーさん」
「なんすか?」
「彼女何人欲しいですか?」
ブッッッッッ!!!
噴いた。思いっきり。すげぇ勢いで。
器官の変なところに入ったのか、げほげほとその後も咳き込む。思いっきり背中が丸まって、さっき飲んで潤した筈の喉がすっげぇ乾く。いま、すっげぇ真面目こと言ったのに。
もしかして今のも全部冗談と思われたのか。そう思いながら必死に呼吸を落ち着ける間もブラッドからは「大丈夫ですかー」と伸びやかな声を掛けられる。
「何言ってんすか」と、すげぇ咳混じりのゲホゴホ声で途切れ途切れに言えば「えー」と少しつまんなそうな声を返された。マジでコイツ本気なのかふざけてんのかたまにわかんねぇ。
「だってアーサーさん絶対人気だしー。特定の彼女がいないなら、もしかして選べないのかなーって。プリシラさんとか、すっごい美人ですよね」
「っ……ゴホッ……い、いや、まず複数いらねぇっす。あと、プリシラさんって恋人いるってこの前アンタが言ってませんでしたっけ」
「別れたそうですー。あ、これ秘密だから不死鳥さんも秘密で。あとー、僕的にはソフィアさんって人もすっごく良い人だと思うんですよ」
「あ゛ー-……知ってますその人。確か、昔ガキの頃……何度か遊んだことある人だと……」
「ですよねー!良かったー。ソフィアさん、アーサーさんはもう覚えてないと思うって言ってたんでー」
いや昔遊んだダチくらいは覚えてます。
嬉しそうに言うブラッドに言いながら、今度は俺が項垂れ俯く。本当にすっげーガキの頃だし、寧ろあっちの方が俺と遊んでたの覚えてたんだなと思う。
店にそういう昔遊んだダチが来てるのは気付いてたけど、全然話さねぇしもう忘れてるだろと思ってた。直接よく話すダチからも話題がなけりゃ、俺も全然近況すら知れねぇし。
他にも次々と客なんだろう女の名前を挙げられると、今度は本気で知らねぇ名前まで出てくる。マリアとか、そっち言われると客よりジルベール宰相の奥さんの顔の方が真っ先に浮かぶ。あっちはマリアじゃなくてマリアンヌさんだけど。
「あとー、シュリーさんとかもそろそろ子ども欲しいってー。アーサーさんが子どもの頃、お父さんの馬勝手に借りて乗せてくれた時その後すごーく怒られたとか」
「‼︎‼︎そ!れはガキン頃で‼︎‼︎馬は勝手にじゃねぇし怒られたのはそっちじゃねぇすから‼︎‼︎」
だああああああああああああああ‼︎‼︎
すっっげぇ昔の恥ずかしい思い出までほじくり返された。一気に顔が燃えるみてぇに血まで熱くなる。
その乗せた相手がシュリーだったのはうっすらとしか覚えねぇけど、父上に怒られたのはすっっげぇ覚えてる。父上が休みで家に帰ってきてて、馬借りるのは許可貰ったけど一緒にダチも乗せたら死ぬほど怒鳴られた。
一人で乗るのと人乗せるのは別で、慣れねぇ相手が落馬したらどうするって。
ちゃっかり俺とダチを降ろした後に鼓膜破れる勢いで怒鳴られたから良かったけど、そうじゃなかったら馬ごとひっくり返ってた。
本人から聞いたのか、それとも他の奴らからか、まさか母上か。そう考え出した矢先にブラッドから「良い思い出だって言ってましたよー」って言われても俺はひたすら顔が熱い。両手で覆ってその場に疼くまる。
「やっぱり小料理屋とかって人との交流が多いし結婚相手とか?見つけやすいんですかねー。ほら、クラリッサさんとロデリッ」
「ちょっ!!!待っ!!知ってますし言わなくて良いンで!!!!」
母上から聞いたンすか⁈と畑中に響く声で思わず叫ぶ。親同士のンな話改めて聞きたくねぇ!!
蹲った体勢から跳ねる勢いで立ち上がる。にこにこと変わらないいつもの調子で笑うブラッドから「常連さんに」と言われると、マジで俺より店の客とか情報通になってる気がする。いくら常連でもンな話簡単に触れ回ったりはしねぇのに。
「あ、僕そろそろ戻りますね。じゃ、アーサーさん畑がんばってくださーい」
「……お疲れ様です……」
なんか、またすっげー疲れた。
くるりと背中を向けるブラッドに、思い切り振り回されたような気がしながらも手を振った。ノーマンさんもわりと振り回されてんのかとか勝手に想像する。ぴょこぴょこと足を小さく跳ねさせながら去るブラッドが楽しそうだからまぁ良いけど。
そう思った矢先に、まだ三歩しか進んでねぇのにぴたりと足を揃えて止めたブラッドに「あ、そうだ」と言われ反射的に身構える。まだ何かあんのか?!と心の中で叫びながら、背筋が伸びた。
また無理難題聞かれんじゃねぇのかと、こっち振り返るブラッドを瞬きの忘れた目で見返す。
「僕のこと、敬語無しで良いです。格好良い不死鳥さんになら弟みたいに呼ばれたいな〜なんて」
「?わ、かりました。……」
「わーい」
ンじゃ次に会ったらと。
そう約束して、今度こそブラッドを見送った。最後に振り返り様に見せたはにかむような笑顔は真っ直ぐ本物だった。
さっき常連との話を気にしてたのかなとか思いながらも首を捻る。別に距離置いたつもりはなかったけど、そう思われてたなら悪かったかもしれない。
最初は何の話してたんだっけと半分忘れそうになりながら、取り敢えず汲んできた水で手を洗う。それでもなんだか余韻で頭がクラついて、結局畑に撒く前にバケツに頭丸ごと突っ込んだ。
Ⅱ432-2