Ⅲ176.侵攻侍女は聞き、
「…………!お前ら、ずっとそんなとこいたのか」
着替えに戻ってりゃあ良かったのに。と、アレスがテントから顔を出してくれたのは、もう日が暮れた時だった。
毛布で身体をくるんでいた私とステイルは寒くなかったけれど、確かにアーサー達は大分冷えてしまっただろう。皆私に付き合って外でアレスとラルクを待ち続けてくれていた。
あと少し、もう少しだけ、もうちょっとと思っている間に傾きだした日が沈んでいくのはあっという間だった。
最初に毛布を調達してくれたアラン隊長を始めに、カラム隊長が団員さんのテントから暖かい白湯を貰ってきてくれたり、アーサーも団員さん達から器材借りて今は焚き木してくれたりで私達の前だけちょっとした野外キャンプのようになってしまった。
レオン達にはせめてテント内で待っていて貰うことにして良かった。
アレスが姿を現しても、毛布ぐるぐるで私はすぐに立てなかった。足に力が入らなかったのと、持ち上げるにはなかなか毛布三重は重かった。ステイルはすくっとすぐに立ち上がったのに私だけが座り込んだまま首だけを伸ばして彼を見上げた。
テントを開けた向かいの位置にいたお陰で距離を取っていてもすぐに気付いて貰えた。白湯のお陰で喉は凍ってなかったから声はすぐに張ることができた。
「話は終わりましたか」
「ああ、まぁな。だからお前ら呼びに行こうとしてやったんだろ」
いつもの調子そのもののアレスはそう言いながらテントから完全に出て手招きしてくれた。どうやらラルクも私達に話をしてくれるらしい。
すぐにテントへ向かおうと立ち上がろうにも下に毛布を引き込んで敷いていた所為もあってモタモタしてしまう私に、アーサーが背中を支えカラム隊長が手を引いてくれる。隣でステイルも早々に毛布を脱いでアラン隊長に手渡したのに、一人だるまにでもなってしまった気持ちで少し恥ずかしくなる。
なんとか立ち上がれば、巻いていた毛布が脱皮するようにすとんと地面に落ちた。アラン隊長がステイルの毛布と纏めて拾い上げてくれる。
立ち上がった私に、早くテントに入りましょうとステイルに促される間にも騎士達の行動が速い。アーサーが焚き木を踏み消して、カラム隊長がカップを回収してくれるのを視界に入れ私もやっと風に吹かれないテントの向こうへ駆けだした。
アレスが大きく開いてくれる入口から潜り込めば、中は思ったよりも暖かかった。……正確にはそれだけ外が冷えていたということなのだろう。
団長テントには焚き木できる簡易暖炉のようなものもあったけれど、個人テントで焚き木をすると窒息死してしまうから仕方がない。それでもランプのぬくもりのお陰もあって、ほっと人肌温度の暖かさに包まれた。
ラルクは、場所は変わっていなかった。変わらずベッドの上で、今は毛布も纏わず膝を抱えて座っている。
私達の方にチラッと目を向けると、そのまま顎ごと無言でこちらに向いてくれた。まだ瞳が湿っている気がして、鼻ははっきり赤い。
ふと思って入口脇に立ってくれていたアレスもみれば、彼も涙の痕が頬に残っていた。遠目では気付かなかったけれど、黄の目も薄く赤い。平気なふりはしても、ちゃんと話はできたらしい。
「なんか、気遣わせて悪かった……。いつ出て行ったか記憶もねぇ……」
「僕もだ。存在も殆ど忘れかけてた」
無理も無いけれどなかなか酷い。
ばつが悪そうに辿々しいアレスに続いて、ラルクは鼻を啜りながらはっきりとした口調だけど本当に気付いてなかったんだなと思う。私達も気疲れないようにそっと気配を消して出たからそれは良いのだけれど、存在も忘れられるのはちょっともの悲しい。
けれど、ラルクが落ち着いた様子で会話に入ってくれそうなのにはほっとした。視線もまっすぐにこちらに向いて、桃色の瞳に私達を移す。
今までも何度も見せた無表情に見えるけれど、目の奥が透き通っているのはきっと気のせいじゃない。じっ、と一瞬目が合ったと思ったところで視線が移ったのを感じる。私ではなく、隣にいるステイルと目を合わせたのだろう。
ピンと糸で繋がれたような緊張感を覚えたけれど、ラルクから「それと」と口籠もり気味にまた続きか溢された。
「今日まで、君達には酷いことをした。本当にすまない。特にフィリップ、君には本当に命を奪うところだった。賭けの件も、今は持ちかけられたことにも感謝している。……アレスから色々聞いた」
それに、それにこれもと。ステイルへ最初に頭をぺこりと首の動きだけで下げたラルクは、ぽつぽつと続けて私達一人一人に妨害工作と、団長へライオンを嗾けてしまった時に止めたことも感謝してくれた。
平坦な声だったけれど、その間スンスンと鼻を何度か鳴らしていて、目を擦っていた彼が何も思ってないわけではないのはちゃんと伝わった。まるで先生に怒られた後の子どものような謝り方だった。謝ること自体慣れていないのだろう。……個人的に私への謝罪ならライオンよりもあの発言を訂正して欲しかったけれど……うん。なかった。仕方が無い、事実なのは仕方が無いし謝りようが無い。
うっかり小さく口の中を噛みながら、今は正気に戻ってくれたラルクの謝罪を受け止めた。
彼からの謝罪に私達もそれぞれ言葉を返してから、一秒の間の後にステイルが私と目を合わせた。あくまで私は侍女でステイルが主人としている以上、ここは彼に任せるのが自然な流れだ。尋ねてくれる視線に私から頷き、任せる。
「わかってくださったのなら何よりです。僕の方も貴方を挑発するべく失言はありましたし、謝罪します。……そして、色々と感情の整理も時間を要するとは理解した上で、お願いがあるのですが」
「あの女との間に何があったか、だろ。…………アレスから聞いた。質問してくれれば答える」
ちゃんと覚えてる、と。そう断言したラルクは今度は視線を逸らしたまま協力を認めてくれた。
質問してくれればという言葉に、どこから話せば良いかわからないくらいには彼にとっても長い時間だったのだろうと改めて痛感させられた。当然だ。一日二日の問題じゃないのだから。
彼からの了承も得て、やっと今回の件の全貌を聞くことが叶う。
アレスが自分の座っていただろう椅子を私の前に置いてくれ、ステイルはと思ったけれど首を振って私に譲ってくれた。ちょとんと椅子にかけた私の膝と肩に一枚ずつアラン隊長が毛布をかけてくれる。さらに立ち話をしようとするステイルに、アーサーが問答無用でぼふりと肩に毛布を掛けた。
余った三枚の毛布だけでも三人に使って欲しかったけれど、残りはそのままテーブルの上にアラン隊長が積み置いてしまった。あくまで護衛として動きやすさ優先なのだろう。
ステイルから一つ一つ質問して、それに答える形でラルクは今日までの彼女のことを説明してくれる。アレスもベッドではなく入口際に立ったままの中、一人膝を抱え続けるラルクの言葉は静かだけどさっきまでよりも流暢だった。
「オリウィエルは、団長が拾った。元奴隷の彼女の面倒を見るように、……僕が世話役を任された」
「?何故貴方を。当時から団員には女性もいたのではないのですか。普通そういうのは同性である女性に任すのが自然だと思いますが」
「女でも男でもオリウィエルは怯えて話にならなかった。それで団長が、僕に任せた。この先も、ああいう新入りの面倒は〝団長〟の役目になるから」
何人かが息を飲む音を聞きながら、私は納得する。ゲームでも、確かそう語られていた。
ラルクはサーカス団団長の後継者だ。訳ありだった入団者がサーカス団で団員としてやっていけるようにサポートするまでも団長の仕事だと。だから団長は、彼に団員の世話を任せてみた。後継者になる彼への課題でもあったのだろう。まさかその相手が悲劇の元凶になるとは知らず。
それにゲームでは語られなかったオリウィエルの過去だけど、ラルクも奴隷だったからこそ奴隷として逃げてきた彼女の気持ちもわかってあげられるときっと団長も思ったのだろう。
そうして、団長に命じられた通りオリウィエルがサーカス団で団員としてやっていけるように補助や世話を担ったラルクは、……彼女に触れてしまった。いつまでも外に出ようとしない彼女に、せめて外の景色だけでも気晴らしにと説得してその手を取った瞬間だったらしい。
「……一瞬で、彼女が世界の中心になった。寸前までたった一歩でも外の空気を吸わせてみようと思っていたのに、急に彼女の望む通りこそが正しいと思った。僕が彼女を守ってやらないとと、……気持ち悪いほどの幸福感だった」
ぞわりと、ラルクの言葉に全身が鳥肌立つ。
交互に毛布を掴む手で引き寄せ、肩が丸まる。それでも身震いしてしまい、奥歯を噛んだ。
嫌悪そのものに表情を歪めるラルクの横顔を見つめながら、きっと私も似たような顔をしているだろうとわかる。
一番に最低の既視感と、そして同時にオリウィエルのあの状態と操られたラルクが怖いくらいに適合してしまったのだと理解する。意図せずの共依存だ。
ゲームで、彼女が何を言おうとどんな非道を命じようと、冷たい表情や恍惚とした怪しげな笑みで鞭を鳴らしていた彼を思い出す。
彼女に命令されることが幸福で、それを間違いとは疑わない彼はゲームであればキャラクターで済んでも現実であれば異常だ。彼女に魅了で操られ、非道なことに身を染めることできっと人格そのものも歪んでいったのだろう。今よりも更に深く、捩じ曲がった底にまで。
そしてラルクはその瞬間から、彼女の世話係どころか完全に彼女の奴隷同然に振る舞ってしまった。彼女の為にではなく、彼女の望むままにできる限り彼女が部屋から出ずに何もせずに望んだ生活ができるように尽くし続けた。
「今思えば、オリウィエルも最初は大分戸惑っていたような気はする。けど奴の主張は一貫して「部屋から出たくない」「誰にも会いたくない」だけだった」
それ以上をラルクも求められたことはない。彼女の為に食事を運んだりと身の回りの世話はしていたけれど、本当にそれだけだった。
夜は一人で寝るのが怖いからと彼女が寝付くまで傍に寄り添い続けたけれど、ただ手を握っている程度で子どもの世話みたいなものだったらしい。……そしてラルク本人はそれ〝以上〟のことで慰めても良いくらいの心境だったと。淡々とした口調とジトリと黒ずんだ眼差しで言われた時は私の方が身が強張った。
肩から腕を擦るだけでも足りず、靴ごと椅子に足を畳んで縮こまってしまう。ぞわぞわと足先まで気持ち悪くて交差した手で肩を掴んだまま毛布ごと爪を立てる。ゲームのラルクは、とそこまで思考してしまいそうなところで必死に振り払う。嫌だ考えるのも怖い。
掴む指先まで震えてしまうと、そこで突然手が重ねられた。
肩を掴んでいた位置のまま震えた押さえつけられて、振りかえればアラン隊長だ。私の背後に回る形で両肩に置いた手を押さえつけるようにして暖めてくれる。毛布もないアラン隊長の手が私よりもずっと暖かくて、自分でもこんなに指先冷えていたのかと今知る。椅子に小さくなりすぎた私を心配してくれたのだろう。
実際、人の温度がすごくほっとする。指先の震えが止まっただけで、ほっと息を吐けた。
その間も、ラルクの返答は続く。




