Ⅲ17.宰相は努める。
「では、お言葉に甘えて失礼致します殿下」
言葉を整え立ち上がり、書類を片腕に抱え深々と頭を下げる。
一時間ほど前にティアラ様も帰られ、今は私とアルバートのみ。彼の執務室で業務を終わらせた私は、いつもならば王配であり主である彼がひと区切りつくまで付き合うところだったが今日は違った。
「ああ、ご苦労だったな」
書類を手の中で纏めながら返してくれた彼に、一足先の退勤を促された。基本的に決まった時間に仕事を終え今日の分は完了させた私だが、もう少し検討したい部分は明日に回すことにする。
扉の前まで来ても、振り返れば未だ書類数種類を繰り返し照らし合わせる彼を見ると少し申し訳ない気持ちにもなる。ここ最近は特に最上層部も含めて上層部は忙しい。
「……すまないねアルバート。大事な出発がもう明後日に控えているというのに」
「この書類はそれと別だと言っただろう。大事な日なのは今日のお前も同じだろう」
さっさと行け、と。
眉間に皺を寄せながらもともとの目つきの悪さに拍車をかける彼に、書類を睨みながら手だけで払われる。関係ない書類だと口では言っているが、結局は暫くの間の公務代理するにあたっての予定と必要書類だ。
明後日、女王であるローザ様はプライド様達と共に国外へ遠征される。ヴェスト摂政もローザ様に同行され、その間国を回すのはアルバートになる。私も、そして次期王妹となるべく勉学中のティアラ様にも暫くは並行して補佐業務に力を入れて頂くことになるだろう。
もともと王配として優秀な彼だが、女王である妻が不在の間は準備にも抜かりない。ある程度の確認や打ち合わせは通信兵の特殊能力で不在中でもやりとりできるが、特に移動中は連絡を付けられない場合が殆どだ。
代理として国を回すべくローザ様が居られる間に必要な情報を頭にいれる彼は相変わらず真面目な男だと思う。……愛妻であるローザ様と、愛する子達に関わることは特に。
まぁ、それは私も同じだが。
彼に感謝の言葉を告げ、とうとう扉を開けた。
手元の時計を確認し、今からならば間に合うだろうと検討付ける。
己の部屋である宰相の執務室で再び枚数を確かめた書類をしまい、身支度を手早く終わらせ鍵を閉める。部屋も施錠を済ませてから廊下を早足で歩む。
すれ違う衛兵や従者侍女、城で働く者達に軽く挨拶を返しつつ、やはり今夜は予定通り馬車を借りようと考える。あまり使わないが、宰相である私にも城の馬車を使うことは許されている。
事前に使うかもしれない意図を従者に伝えていたお陰で、外に出てすぐ馬車に乗り込めた。見上げた空の星々を見ると、いっそ歩いて帰れないことが勿体無いようにも思えたがここは仕方がない。
御者に行き先は我が屋敷かと確認され、私は首を横に振る。
「王都の花屋に」
笑みと共に告げる私に御者も頷いた。
開けられた扉をくぐり、馬車の中へと移る。折角友人から与えられた猶予を無駄にしない為、迅速に移動を試みる私に応えて馬車が走り出した。
……
「とーさま‼︎」
ぱたぱた!
扉が開かれると同時の第一声に、早くも頬が緩んだ。幸いと言うべきか、まだ今夜は起きていたらしい。
敢えてその場で待てば、可愛らしい足音の主は姿を現した。何度繰り返してもこの瞬間は飽きることがないだろう。
馬車とはいえ寄り道をした分、てっきり今夜はもう寝ているかとも思っていたから嬉しい誤算だ。
おかえりなさいと。寝る前とは思えない元気な声で駆け寄ってきてくれる娘を、いつものように膝を折り抱き締め……たいところだが、今は叶わない。
わっ!と声を上げたステラは私の目の前で両足を揃え急停止する。幸いにも勢いのまま転ぶことはなかったが、僅かに危うくふらついた。
「かーさまお花ーー‼︎‼︎」
去年よりまた大きな声だ。
しかしステラが振り返った時には声量など関係ないほどすぐ後ろに、呼ばれた本人であるマリアが追いついていた。毎年のことにそこまで驚かずとも「あら」と柔らかな眼差しで笑んでくれた。もうお腹も大きい彼女に、あまり無理をしないで欲しいのだが。
未だに天気の良い日は自分の足で庭を散歩もするらしい。昔からそういう少々活発な面は変わっていない。本当に寝たきりだった時期が嘘のようだ。
おかえりなさいと、迎えてくれた妻に私からも心からの笑みで返し歩み寄る。「これ全部ステラとかーさまの⁈」と期待の眼差しを溢れさせるステラと愛する妻へ、溢れんばかりの花を両手に抱え言葉を返した。
「今日は結婚記念日だからね」
年月が経つのは早いものだと、毎年思う。特に幸福な期間は早いものだ。
結婚記念日?と去年と同じ問いと共に首を捻るステラに、私からもまた一年前と同じ説明をする。うっすらとでも覚えはあるのか単に成長しただけか、去年よりは飲み込みも早かった。
今年も屋敷中に飾ろうと相談しながら三人でともに居間へと向かう。途中ステラが花束を運びたがってくれたが、居間まではこのまま運ばせて貰うことにする。今回は特にひと固まりになっている所為で、一本すら片手で抜くのは私でも少し苦労だ。来年からはまた小さい束ごとに纏めてもらうことにしようか。
最初の一年目は、侍女達が運んでくれると言ってくれたのも断った。マリアと共に分け合いながら共に運びたかった。
今年は彼女の分も私が運ぶが、マリアは花束よりも遥かに重要で重くそして愛しい存在を宿している。
一度テーブルへ慎重に花束を置けば、侍女が用意した花瓶へ花を生け始めた。リボンを解かれ、包みから露わになる花の本数にステラが途中で数え切れず目を回した。最終的に「いっぱい!」と最初の感想に帰結する。
数本はステラの部屋にも飾ろうと言えば、早速自分で選びたいと花を吟味し始めた。ひっくり返した危険性も鑑みた花瓶の大きさを踏まえ、五本までと言えば余計に彼女の小さな眉が間を狭めた。花の種類も多く注文してしまった所為でどうにも決めかねてしまっているようだ。
真剣そうなステラと花を見守りながら、マリアにソファーを勧める。最初の頃は花束を一晩はそのまま飾ったが、今は少しでも早く長持ちするように屋敷中へと彩る方を優先させるようになった。明日からは屋敷のどこにいても花が目に入るようになるだろう。
「素敵なお花をありがとう」と、擽るような声で笑いかけてくれる彼女へ返事代わりに額へ口付けを送る。薄桃色の髪を手で梳きながら、やはり彼女が起きてくれている間に帰ってこれて良かったと思う。
最近は特に身体のだるけや眠気に襲われることが多い筈の彼女だ。明日アルバートにも改めて感謝しなければ。
「アルバートが気を利かせてくれてね。彼とローザ様からも言付けを預かっているよ」
結婚記念日おめでとう、と。そう告げればマリアは嬉しそうに頬を緩ませた。
その笑みを目にする度に、やはりあの時決意して良かったと思う。ステラと、そしてこれから生まれてくる子の存在は当然のことながら、……幸せそうな彼女が証明してくれる。
慰めや言葉だけでなく、本当に彼女は私との婚姻を望んでくれていたのだと。当初は結婚する覚悟もなく共に生きていければそれで充分だと思っていた頃を思い起こせば、本当に長いこと彼女を待たせ続けたものだ。
そして彼女も、よくずっと待ち続けてくれたものだと思う。
「……明後日。ローザの〝仕事〟もあまり大変にならなければ良いのだけれど」
今年は貴方のパーティーにも王族の出席は難しそうね、と。ステラの前、あくまでローザ様の遠征公務を伏せて口にするマリアは小さく溜息を吐いた。
使用人達には未だしも、まだ子どものステラの口からはいくら口留めをしても女王の公務内容や王族の情報が流出される恐れもある。
ローザ様が公務でミスミ王国へ行かれることは、今や城の上層部も把握している。女王の不在、そして安全に往復できるようにと城中が今や忙しない。アルバートだけでなく、ローザ様もいつもにも増して忙しく過ごしておられる。
時折時間を見つけては我が屋敷にも訪れて下さったローザ様達だが、少なくとも遠征が終えるまでマリア達が会うことはないだろう。私も、遠征に同行しない以上は基本的に直接はお会いできない。
「確か、ステイル様も今回ご一緒なのよね?プライド様やティアラ様と離れてご心配ではないかしら」
「そうだね。だが、今回はステイル様自身もお望みらしいから大丈夫だ。良い〝買い物〟でもできれば気がまぎれるだろう」
そして妻もまた、プライド様の同行については知らない。
それに関しては城の上層部すら知り得ない情報なのだから当然だ。固く厳重な城に守られている筈の彼女が、その外に出てくるなどどういう理由であれ知られるわけにはいかない。
今回はローザ様と、そして療養中のプライド様代理にステイル様が同行されるというのが表向きだ。そして我が国がオークションに参加と知る情報通の国々はその参加者が誰かも明確にはまだ知り得ない。
〝買い物〟と題したオークション参加。ステイル様もそれには前向きに興味を持たれていると言えば、当時話した時もマリアはすぐに納得してくれた。ミスミ王国のオークションは大陸一の規模、実際ステイル様単独での同行を命じられてもあの御方は興味を持たれはしただろう。……まぁ、それでもプライド様から離れる方を危惧された可能性は充分以上あるが。
「けれど、プライド様は同行されないで正解だわ。地図も見たけれど、……近くにあの国の属州もあるから心配で。まだ一年も経っていないもの……」
やはり、察しが良い。
改めて我が妻の察しの良さを知りながら、私は言葉だけでは平静に返しつつやはりプライド様が無事ご帰国されるまでは隠し通さなければと思う。
地図を見れば察することではあるが、マリアの口振りでは恐らく経由するだろうことも彼女は読んでいるのだろう。フリージア王国とラジヤ帝国の条約締結内容は国中に広まったことだ。今回女王が移動する以上、直線距離を望むであろうことは少し考えれば想像つくことだ。
しかも実際はプライド様も同行され、ミスミの手前であるその属州に数日滞在まで確定している。
愛する彼女と、彼女のお腹の子の為にもそのような心配しかない情報は告げられない。
プライド様が予知された〝ケルメシアナサーカス〟については、あれから私もいくらか情報網を広げ式典でも少し探りをいれてみたがやはり新しい情報は見つからなかった。
ミスミ王国であればまだしも、あのラジヤとは我が国の同盟国も関わりを断じ始めているから余計にだ。奪還戦後には余計にその風潮が強まった。
奴隷制反対国の我が国としては幸いでもあるが、……まさかこのような事態で弊害が出るとは流石の私も読めなかった。
ただ、ミスミ王国の大きな催しや祭りの時期に合わせて訪れる大規模なサーカスがあるとは聞いた。
隣国であれば、可能性は高い。ああいう集客が命に関わる事業は、人が集まるならば見逃しはしないだろう。だが、残念ながらそのサーカスを目にした者は私の情報網下にはいなかった。
庶民を対象にした催しで、社交界の一部では〝野蛮〟〝低俗〟〝下品〟と揶揄されるものだ。貴族や上級層でもそういう民衆娯楽に理解や興味のある家も当然あるが、やはり逆もいる。
実際にはサーカスという組織によって規模も方向性も営業方針と異なる。有名なサーカス団を王族が足を運び観覧に行くことも、城へ呼び寄せることもある。
貴族にも地位とは別に下から上までいるように、ああいう娯楽もものに寄ると私は思うが、きっとそれも少数派なのだろう。
下級層出身の私には抵抗がなく目にできるものも、生まれてからずっと貴族として育てられた人間には抵抗があるのも無理はない。
マリアも、貴族の中ではそういう抵抗はない方だが〝サーカス〟というものに対しては「見てはみたいけれど、ステラの影響に良いかは少し心配」と語っていた。確かに、子どもが目を輝かせるような娯楽の印象もあれば見世物にされた弱者を嘲り笑うような印象もある。
私自身、まだそういった娯楽は目にしたことがないから何とも断定はできない。我が国の城下に訪れるサーカスでさえ感想はその時や質により評判は異なる。
プライド様がライアーから聞いた通り大規模なサーカスであれば、余計にそのどちらかに大きく偏っている可能性は大きいだろう。……しかし。
「ローザも、ステイル様も。……本当ならラジヤと関わらないで済めばいいのに」
「そうだね。……けれど、大丈夫だ。我が国には、優秀な騎士団もついている。昔と違い、今はフリージアの味方も多い」
腹部を優しく撫でながら眉を下げるマリアの肩へ腕を回し、ソファーのまま抱き寄せる。頬同士が触れ合う感触を確かめながら、彼女の心配が少しでも薄れるようにと声を最大限和らげる。
彼女が友人や恩人を心配する気持ちは痛いほど私もわかる。しかし、大丈夫だという確信もまた確固としてこの国にはある。
プライド様が同行されるということも事実であれば、……騎士団以外にも心強い者達があの御方の傍にいることもまた事実。
通信兵も共に居り、プライド様自身も我々の協力を仰いでくださるならば、我々もまた全力でそれにお応えできる。
「そろそろ移動しよう。ステラ、もうお花は選んだかい?」
「決めたっ!」
吟味した花をわし掴み、私達へ振り返るステラは満足げな笑顔だった。
その温かな表情にマリアも晴れたかのようにクスクスと笑い声を漏らした。思い出したように私を上目で見上げると「夕食にスープだけでもと作ったの」と嬉しい言葉をくれる。ステラからも自分も手伝ったと声を上げるのを受けるあたり、それが今夜まだ起きていてくれた理由の一つかもしれない。
ありがとう、早速頂くよ。そう、彼女達と共に食堂へと向かうべく立ち上がる。
自分の部屋の花瓶に飾る筈の花を侍女に預けず鷲掴んだ手のまま「ステラも食べるの一緒にみる!」と私の裾を掴んだステラは、まだ眠る気はないらしい。
「とーさま明日も今日くらいに帰ってくる?」
「明日はどうかな。アルバートさんとの仕事がまだ忙しいから」
「じゃあ今日っ!とーさまご本読んで!」
「ステラ、父様にスープを食べて貰ったら寝る約束でしょう?」
明日からは今日癒された分倍以上働こうと心に誓いつつ、両腕に繋がる幸福達と共に歩き出す。
あの御方が遠征に出るまで。そして〝遠征中〟もまた常に御力になれるように休養へと努めた。
 




