Ⅲ16.我儘王女は心が折れ、
「気に入らなかったら腕折るからな?塵が塵持ってくるんじゃねぇぞ」
その命令に、彼女はただただ頭を垂れた。
……
「プライド。……そろそろ、もうある程度は見切りをつけるべきではないでしょうか」
「お姉様っお気持ちはわかりますけれど、私もそう思いますっ……」
ステイルの低めた声に続いて、ティアラが眉を垂らしながら細い声を漏らす。……わかっている。二人が正しい。
それでも頷くことができず、私は二人から目を逸らす。昔からわかっていたことだ。所詮私自身は一人しかいなくて、全てに応えるのには限りがある。
それでも、できることならと今日まで精一杯やってきた。……なのに。
逸らしたまま、助けを求めるように部屋中の人に目を向けてしまう。それでも、今私の味方はきっといない。近衛兵のジャックも口を結んだまま目を伏せ、専属侍女のロッテとマリーも私をまっすぐ見つめながらきっとステイルと同じ意思だろう。
別方向へ向ければ、近衛騎士のアラン隊長とエリック副隊長も苦い表情のままだった。ステイルの専属従者のフィリップになんて、目が合ったと思った瞬間視線を逸らされてしまった。
まるで背後が崖になっているような感覚で、膝の裾をぎゅっと掴む。首が重く垂れ、逸らす先もない視線を最後は落とした。まさか、こんな志半ばにも至らない内に追い詰められることになるなんて。
「プライド」とステイルが無言を貫く私を諭すようにまた呼ぶ。
今度は低めた声が少し優しい気はするけれど、それはあくまで私を嗜める声色のままだった。
もうここまでなのか、今までやってこれたことを心のどこかで誇れていた自分もいたというのに
「いい加減に手紙の山全ては諦めて下さい。もはや不可能です」
ぐぬぬぬぬぬ……!!!
ステイルの言葉に、すぐには返せず俯き唸ってしまう。ぐうの一音も出てこない。唇をこれ以上なく絞る、最後の抵抗だ。
昔から日課の一つとしてやっていた手紙の目通し。返事までは書けなくても、せめて貰えた手紙の内容はしっかり読んで置くのが私にとっての礼儀だった。
重要な書状でもない限りは私が読む前に城から封筒の中身は安全性を確認されてからだし、王族宛ての一方的な手紙なんて目を通さずに処分されることなんて珍しくない。むしろそれが普通だ。
優しいステイルやティアラだって、自分宛の手紙全てには目を通していない。差出人を確認して、その中で必要だと判断した相手の手紙だけ手に取るくらいのものだ。王族に手紙なんて政略的な意図もあって大量に届くものだし、中身ではなくで「送る」という行為自体が必要な場合もある。ステイルなんて差出人の名前だけ把握して社交ではあたかもきっちり中身を読みましたよのていで会話成立できちゃったりしている。
私だって、手紙を一度目を通したらその後はステイルとジルベール宰相のチェックを受けてから処分している。それでも!!前世の名残もあってどうしても手書きの手紙のありがたみを知っている私としてはちゃんと全部読破したかった。……けど、とうとうここにきて限界がきた。
ちらりと、さっきまで目を逸らし続けていた机横に置かれた籠に目を向ける。
今までは机の上に置き切れていた手紙の束が、今は置ききれなくなって机横に積まれている。こんもりと、正直遠目で見たら手紙の山なのか洗濯物の山なのかわからない量だ。これでも読むのは速い方だったという自負はあるけれど、それでも自分一人だけの時間では読み終える枚数よりも積み上げられる在庫の方が上回った。
敗因は三つある。まず一つは、今年私は各国関係者から手紙を貰う機会が色々と多かったことだ。
ティアラの誕生日には公的には病床とされてお見舞いのお手紙、奪還戦後はご無事で何よりとラジヤへの勝利おめでとうの山。その後はプラデスト学校の創設おめでとうと、他にも誕生日とか式典はあったけれど、とにかく大量に手紙を頂く期間が多かった。
もう一つは、手紙大集合の期間の一つだった奪還戦前後。その間私は手紙に目を通すことがなかった。それでもマリーがその間の手紙を確保してくれていたから、後々に目を通すことはできたけれど。
大量の私の身を案じてくれた手紙はその期間分だけでも目を通すのにはかなりの時間が掛かった。
もうこの二点だけでも、なかなかお手紙ノルマは積み上がり続けていたけれどそれでもコツコツと新たなお手紙と併行して目を通して時間をかけつつクリアしていた。けど、最後の三つ目の要因。……これが、正直今まで手紙をなんとか少しずつ読破していた私がこうしてステイル達に諭されることになった主な原因だ。それこそが
「手紙の〝返事〟の時間が欲しければ、その分他の手紙に当てる時間を削るべきです」
「し、仕方ないですよね!お姉様せっかく学校のお友達からお手紙貰えたんですものっ!」
ステイルな的確な駄目出しに続き、ティアラからの優しい言葉にも今はただただ打ちひしがれる。
そう、最近の私は手紙を読むだけじゃない。手紙の返事書きにも追われている。
私達が学校へ極秘視察を終えてもう三か月が経とうとしている。その間アラン隊長やカラム隊長、フィリップにセドリックからと様々な取次方面から手紙が届くようになった。
一応名目上は殆どが「ジャンヌの親戚であるアラン隊長」に渡す為に預かったものだけれど、実際は当人がそのまま城にいるから皆直接私に届けてくれた。セドリックなんて使者使えば良いのにわざわざその足で渡しに来てくれちゃったから本当に申し訳なかった。
セドリックが預かってくれたのはディオスとクロイから受け取ったファーナムお姉様からの手紙。……と、後々からはディオスから。
ディオスは私の正体も知っているしセドリックの使用人中はたまに会ったりもしてるのに、会う回数が少ないからか手紙もまた別で書いてくれるようになった。ファーナムお姉様からは学校でどんなことあったかとか、最近は食卓がにぎやかよとか、そっちの生活はどう?的な一番健全且つほっこりするお手紙だった。
そしてディオスは一枚の便箋に何度も「会いたい!」「クロイも会いたがってるよ!」と書いてあって、これは返事を書くより直接会いにまた言った方が正しい気がした。取り敢えず今週末一回会いに行く時に手紙の返事も持っていく予定だ。
カラム隊長が預かってくれたのはネイトからの手紙。中身はカラム隊長が自分の部下になったぞみたいな言い回しと一緒に先月お願いしたゴーグル発注への苦情。
いろいろ苦言が混ざっていたけれど、彼の性格を鑑みると結局のところ〝カラムとは定期的に会えて仲良くしてます〟と〝ゴーグルめっちゃ作ってやったから感謝しろ〟と〝返事よこせ〟の三つだろうか。
ちょこちょことカラム隊長に頼られたとか褒められたことも書いてるから、取り合えず彼が楽しそうに過ごしているのはよくわかった。
更にアラン隊長からは、……まさかのレイから。これは本当にびっくりした。
何かあったら苦情は私にとは言ったけど、こんな短期間にグレシルが何かやらかしちゃったのかと本気で焦った。一応ディオスとクロイは「良い子だよ!」「ちょっと口悪いけど」くらいしか言ってなかったしファーナムお姉様からも仲良くわいわいやってると手紙は貰った後だったけど、まさかライアーとスキャンダルや事件でも起こしたらと正直内臓という内臓が全て急冷された。
けど中身を読めば、……まぁ、まぁもう当然ながら苦情という苦情はあったけれど「野ネズミが口ごたえをしやがる」とか「ネズミと犬がライアーに丸め込まれて俺様に」とか、わりと日常のわいわいした出来事の報告に思えた。
最後には「今のところ問題なし」と急に突き放した締め括りだったから、結局はグレシルもライアーも自分も元気という報告として受け取った。
そして、フィリップが預かってくれたのは私の数少ない女友達アムレットからの手紙。……これが一番すごかった。
もうアムレットからの手紙というだけでわくわく燥いだ私だけれど、中身を読めばもうどんな勉強よりも難しい問いが投げかけられていた。なんと恋の相談だ。
パウエルともお兄様とも仲良くやっているという旨と並んで、パウエルが将来の夢を話してくれたけど自分がどう応援すれば良いかこっそり悩んでいるらしい。
パウエルが前より頼ってくれるようになって嬉しいけど、勉強だったら自分よりも同級生のファーナムお姉様という特待生がパウエルにはいる。けどファーナムお姉様は優しくて美人でしかも学校では殆どパウエルと一緒で……!!と、パウエルのことを考えればファーナムお姉様に勉強を見てもらうように勧めるべきだと思うけれど、アムレットとしてはこれ以上ファーナムお姉様とパウエルの急接近が怖いらしい。
しかもクロイにも何故か恋心がバレたかもしれないらしく、ファーナムお姉様がどれだけ素敵な女性かと揺さぶりをかけられたと。まさか私が学校を去った途端にそんな甘酸っぱい恋愛イベント発生中だなんてと暫く手紙に噛り付いた。生中継して欲しい。
パウエルからも手紙は届いたけれど、宛先は〝フィリップ・ジャンヌ・ジャック〟の連盟とはいえ内容の殆どはステイル宛ての内容だった。
そして悲しいことにパウエルからは全く甘酸っぱいイベントの内容はなかった。いや元気に楽しく学校で生活してるしディオスとクロイもネイトとも仲良くなれて嬉しいとか衛兵関連の選択授業はどれも自分に合っているとか全部嬉しい内容だったけれども。
……こうして、ありがたいことに頂いた手紙の返信はどれもものすごく悩むし時間も掛かった。
パウエルへの返事はステイルに任せたけれど、それ以外の手紙全て〝ジャンヌ〟として偽装しつつ、彼らの想いに応えた手紙というのは結構苦労する。特にアムレットからの恋の相談についてはしっかりした返答をしたかったから余計頭を悩まされた。
そして手紙の返事を書くのに時間を掛ければかけるほどその間も日々〝フリージア王国第一王女〟宛ての手紙は嵩を増していく。ここ最近は手紙の返事に根詰め過ぎて、ステイルとジルベール宰相チェックに提出する手紙も殆ど出せないほどの状況だった。
そして、この山である。