Ⅲ156.侵攻侍女は戸惑う。
「はッ!!い…………?……?!ぁ、……あ……」
視線を入口に向けても、誰もいない。
しかし我に返ってしまった彼女は直後に周囲の環境にすぐ目を虚ろに顔から血色を失わせた。「う」と「あ」と譫言のような声を漏らしながらもうこれ以上隅がないにも関わらず更にぎりぎりまでベッドに尻をつけ後退る。どこを見ても人しかいない状況に、これが悪夢であればと言わんばかりに喉をヒクつかせた。
ガクガクと足を震わせながら力が入らない。
ぱくぱくと魚のように口を開いては閉じ、しかし返す言葉などもう見つかってもいなかった。ちらりと視線の中にアレスが入ったが、彼が自分の味方になったばかりであることも混乱する頭で思い出せず、同じベッドに横になるラルクも狭い視界に入ってこない。何故いま自分がこんな状況なのかもわからない。
「落ち着いて」と今にも気を失ってしまいそうな彼女に最初プライドが呼びかけるが、ステイルとセドリックが彼女を再び自分の背後に下がらせた。更にその前にアーサーが立ち、そしてカラムとエリックが最前に立つ。混乱のまま自暴自棄になった彼女がいつ暴れるかもわからない。
先ほどまで怯え泣きじゃくっていた女性ではあるが、ヴァルが乱暴な方法で我に返らせた今は危険人物として警戒は高まった。
声が頭に届いていない様子の彼女に、また改めてステイルが呼びかける。
「落ち着いてください。オリウィエル、僕らの話を聞いて下されば危害は加えません。貴方の特殊能力については既に把握しております」
「?!え……あっ、とくしゅ……ちがっ、違う、違うっます、わ、わた、私違う、…………違います……」
罪人であれば尋問の方法も変わる。しかし、今はプライドの予知以外は状況証拠のみ。彼女が主犯であるという確証もなければ、彼女が特殊能力かという証拠もない。
ステイルからの問いかけに、肩を激しく上下させた後初めて言語で返したオリウィエルは暗緑の髪がこれ以上乱れるのも構わず小刻みにブルブルと首を横に振る。
盗みがバレた子どもの言い訳にも、本当になにも知らないようにも取れる彼女の反応にステイルは静かに一呼吸分の息を吐いた。ちらりとアーサーへ目を向ければ、自分が問う必要もなく彼からも首の動きが返ってきた。
オリウィエルの返答よりもそちらを信じつつ、ステイルは自身の声色に注意する。視界の隅でアレスが一体どういうことだと尋ねても、今は誰も答えない。
「……改めて自己紹介致します。僕はフィリップ、貴方と話をする為にここに訪れました。ラルクに手荒な真似をしたことは謝罪します」
社交界のにこやかな笑顔を意識しながら、ステイルは心の底では安堵する。
ヴァルが行った最悪の起こし方は自分も腹立たしいが、しかし結果として彼女が質問に対する返答をできるようになったのは幸いだった。これでやっと待ちに待った彼女との会合が可能になった。
ヴァルからの反応と、何より彼女を見ればその背景に同情すべき点があることは察せられる。
しかし今は、あくまでプライドの予知と相棒の目の方を信じ、問いを選ぶ。アレスという犠牲を出してしまっている以上、中途半端な投げだしは許されない。
背中でステイルと、オリウィエルを一定距離隔てながら、エリックは手を慎重に伸ばし彼女に羽織らせた上着を落ちかけた状態から引張り羽織らせなおした。
エリックに手を伸ばされたことに一度は全身を強張らせた彼女も自分に羽織らされているものを理解し、慌てて自分でも上着を両手で引張り羽織り直した。大勢の男性の目に晒されていた事実から逃げるように、上着ですっぽりと全身を隠し蓑虫のように包む。
彼女がやっと直視しやすい格好をしたことに、それだけでも場の空気は幾分和らいだ。
ステイルの挨拶に、彼女は自分から挨拶こそ返さないがやっと現状を思い出した。
しっかりとその目に焦りを滲ませたところで、ステイルは更に言葉を投げかける。あくまで彼女の背景には触れず、気付かないふりをする。
彼女が会話できる状況の内に、今は遠回りではなく第一優先事項から問う。
「単刀直入にお願いします。ラルクと、そしてアレスの特殊能力を解いてください」
応じなければ平和的な解決も難しい、応じてくれればこちらも法的処理は、なるべく穏便に、おおごとにはしない。そのどの言葉も浮かんだステイルだが、意図的に飲み込み閉じた。
説得文句としては必要だが、今の彼女を変に刺激するのは得策ではない。そのつもりがなくても脅迫していると判断されればまた彼女は混乱に陥りかねない。最適な言葉も除くべき言葉も精査する。本当ならばもっとじっくり時間をかけて彼女の選択肢を狭めた上で確信を付きたかったが、今は全てが限られている。遠回りしてアレスもラルクもプライドの予知も全てが叶わなければ目も当てられない。
今、自分達は奴隷被害者の保護に来たわけではない。むしろ彼女は現状加害者だ。
特殊能力という言葉を一度は否定した彼女に、聞こえなかったように再び告げる。
彼女がいくら否定しようとも、アーサーが首を振ったそちらの方が間違いない事実である。彼女の取り繕いを見通したアーサーは、今も瞬き一つせず彼女の一挙一動に注意した。さっきの混乱し怯えていた時と違う、今の彼女は怯えと共にこの場をなんとか凌ぐ為の焦りと取り繕いがわかりやすいほどに透けていた。
身体を上着で覆い小さくなった彼女は俯きながら視線を左右に繰り返し泳がせる。
「えと」「いえ」と声を漏らす辿々しさに、アランはアレスを押さえながらもまるでさっきと別人だなと考える。
テントの外でも聞こえていた時からの声の荒げようと自分本位な発言が嘘のように、今は小動物のように縮こまっている。ラルクに対しては爪まで立てることができたのも、やはり意識的に彼が特殊能力で自分には酷くてきないとわかってこその粗雑さなのだろうと分析する。
特殊能力者に対して偏見はないアランだが、しかし現実として被害者態度の彼女がやはり意図してラルクやアレスを支配下に置いていただけの相応の性格の人間だと冷たく思う。
そう考えれば、さっきまで被害者そのもので小さくなっていた女性の奥底がうっすらと見えた気もした。しかしそれが演じている上で隠しているだけなのか、それとも性根なのかはまだ判断つかない。
「わた、わたたし……そんなんじゃ……違います……と、とくしゅとか知らないですし……ぜんぜん……ら、らるくもラルクが自分から……」
「申し訳ありません。もう全て我々は存じています。アレスも今日貴方が味方に引き入れたのですよね。それに、テントの外から貴方とラルクのやりとりは全て聞こえていました」
実際は全てではない。声を荒げられた部分以外は聞こえなかった。しかし、彼女が認めるしかない状況にとすべく、笑みとともに言葉の速度に注意しながら告げた。
やっと話せるようになったと思えば全て取り繕いばかりを並べ立てる彼女に、次第に自分でも表情が消えそうになる。言葉が言葉の為にこやかな笑顔すら今は彼女に怯えさせるかもしれない、そして敵意を露わにすることもできない中で気を抜くと自分の顔が無表情に落ちてしまう。
意識的に中間の表情を作り、視界の隅にはアーサーと収める。
全て、という言葉に彼女は息が数秒止まった。
どこまで知られているのかと考えたが、もう頭が真っ白になった拍子に怒鳴られたことも思い出せなくなった彼女は全く検討がつかない。
自分にとってアレス以外誰も見覚えが無いのに、何故自分のことを知っているのかと服の中で無意味に自分の指を握っては離し弄ってしまう。もう一度顔を確認したくても、俯いた首はどうにも上がらない。ここから乗り切る方法が見つからない。
彼女が視線を落としている間に、プライドは「フィリップ」と囁く声で呼びかけた。自分も発言したいと、その眼差しの強さで伝えるプライドにステイルも頷き譲る。あくまで後方のままだが、それでもプライドは彼女にも聞こえるように声を張る。
「もし、この場でラルクとアレス……貴方が支配している全員を解放してくだされば、今日のところは私達もこの場を引きます」
今の彼女にとっておそらく最大の要望を掲げてみる。
明らかに自分達に怯えていることも、ラルクとの口論も考えれば簡単に想定できることだった。
プライドの提案に、オリウィエルもわかりやすく数センチ顎の角度を上げた。今の彼女にとって一番の望みはそれである。
一度、口がゆっくりと開かれた。何かを言おうとしたが、しかしそのまま声もでなければ動かない。
プライドは騎士の隙間から注意深く固唾をのんで応答を待ったが、しかしそこから続きはいつまで経ってもなかった。
プライドにとっては最低限ラルクとアレス、そして他にも支配された人間が過去にもいるならばその全員だけでもまず救いたいと思っての提案だったが、返事すら貰えなかった。ラスボスの彼女を思えば、頑ななのはゲームの強制力もあるのかとまで考える。
もとより頼むだけで聞いてもらえるとは思っていなかったが、今の彼女ならば応じてくれるかもと思ってしまった。
結局簡単には手放さない。しかし、ここで何もできずに諦めるわけにもいかない。
プライドからの提案にも応えないオリウィエルに、ステイルは小さく肩を落としてから次の策を考える。口を動かしながら、頭では次の一手も思考した。
「……ちなみに、この事実を知るのは我々だけです。ですが、このままラルクだけでなくアレスもとなると、我々もサーカス団に事情を説明せざるを得ません」
なるべく、なるべく脅迫に聞こえないようにと考えながらもやはり加減が難しい。
平和的な発言では彼女は全て知らぬ存ぜぬで偽り通そうとし、そしてはっきりと言葉の刃を構えればまた混乱して会話もままならない。
そう考えながらのなるべく平和的な説得に、オリウィエルは言葉よりも先に首をいやいやと横に振り出した。
それがそのまま、自身の行いを認めたことになるとは気付かない。
カラム達も、先ほどまでのステイルの決めつけたような言い方が全て彼の計算だったことをそこで確信できた。
流石ステイル様、と言葉にはせずに畏怖をする。カラムですら、今のステイルの問い方が言葉こそ最善を選んでも今の怯える彼女にはあまりに決めつけ過ぎではないかと案じた。
しかし、余裕のない彼女ははっきりとサーカス団員に知られたくないと拒絶を露わにする。「だめ」と掠れた音で最初に唱えた。
「駄目……それ、それだけは…………お、お金…………お金ならいくらでも払います……。あの、特殊能力者なら他の…………あ、アレ」
「失礼ですが。その提じている金銭も、そしてアレスも、貴方の所有物ではありませんね」
わかっていながらも、今だけはステイルも彼女の言葉を上塗らずにはいられなかった。
今、操られているとはいえこの場の数少ない味方を売り飛ばそうとしたようにしか聞こえない彼女の発言と視線に、侮蔑を表情に出さないように抑える。それでも少なからず声に抑揚が減ったステイルの発言に、オリウィエルも微弱に震えを取り戻してしまった。
彼女の発言に、さっきまでは奴隷被害者の可能性にいくらか同情の気持ちもあったセドリック達も嘆息をそれぞれ飲み込んだ。
金銭ですら、彼女のものではなくこのケルメシアナサーカスのものであることは間違い無い。そして、やはり彼女は特殊能力者という存在も知っている。
てっきり相手の目当てはと当てを外したオリウィエルは、また震える唇を閉じてしまった。沈黙が一分近く続き、そこでステイルは一度目と閉じた。
会話中もずっと回していた次の最適手段に結論付く。
「……ダリオ。すまないが、代わってくれるか?繋いでくれれば良い。あくまで丁重に、そして絶対に触れるな」
「!わ、かりました……」
この場で同じ王族として権限を持つセドリックに場所を入れ替わる。
あくまでその場の繋ぎ、そして万が一にもオリウィエルが話せなくなる発言をしても責任を問われない自分と同じ王族に托す。
プライドの予知通りであれば彼は触れられても大丈夫だとわかっているが、プライド自身が確証がないと言っていた以上はやはり触れないようにと念を押す。彼が情報を引き出してくれれば幸運、しかし一番大事なのは今の彼女に質疑応答の形でもこれ以上の言い逃れの手段を考えさせてはならないことだ。
ステイルからの使命にセドリックも頬に汗を一筋伝わせながらも応じた。
ステイルやプライドですら彼女に応じさせることができなかったのに、自分にできるかと不安になりながらもステイルが後退するのに合わせて一歩前に出た。
あくまで壁になってくれるカラムとエリックより前には出ないようにと注意しつつ、彼女の視線まで腰を落とし目を合わせる。
不意に相手が別の男性になったことにオリウィエルは身を固く更に縮こまったが、セドリックからの丁寧な呼びかけにそれ以上の怯えまでは至らなかった。
「ジャンヌ。……ちょっと良いですか」
外に、と。潜ませる声でプライドに呼びかけながら、後退と同時にアーサーの袖を引っ張った。暗に「お前も来い」の意思表示にアーサーもすぐに理解しステイルを追うようにして下がる。
プライドもステイルに促されるまま後退する。
彼女に聞かれないよう距離を取り、更に入口にまで出ればもう一人護衛の騎士のマートとも合流する。既にヴァルの胸ぐらから手は離していた彼は、深々とプライドとステイルへと頭を下げた。
テントに寄りかかりプライド達へ片眉を上げるヴァルは、今はマートからも離れた位置のまま動かない。どうせプライドの声は聞こえる程度の距離の上、今も自分にへばりついたセフェクとセフェクにへばりついたケメトで動きにくい。
どうだい、と代わりにレオンが進捗を問いかける。ヴァルの隣からプライド達の方へと歩み寄ればステイルは難しい顔で首を横に振って返した。
しらばっくれた上に言い逃ればかりである彼女を詳しく説明するよりも、今はプライドに声を潜め向き直る。
「彼女が二人を操っていることは確証がとれました。ただ、これ以上の言及は、正直……ある程度厳しい言葉や条件を突きつけずには難しいでしょう」
ステイルの言葉に、プライドは口の中を飲み込んだ。
プライド自身もまたそれはわかっている。ステイルが敢えて言葉を選んでくれていたことも理解している。
しかし、彼女はまたパニックを起こしかねない。会話にならないだけではなく、あの悲鳴を思い出せば軽い気持ちで頷きたくはなかった。
ゲームでは知らなかった情報であろうとも、彼女が奴隷被害者らしいことはほぼ確定である。
てっきり、オリウィエルが憮然とした態度で足を組んでいると思っていた。
自分達が現れたところでゲームのように「ラルクの特殊能力を本当に解いて良いのかしら?」や「私が死ねと言えば彼らは」という揺さぶりをはじめに、ラルクやアレスを使って彼らを人質かつ協力者にして暴れ出すか逃亡も鑑みた。最悪のタイミングでラルクの特殊能力を解いてしまったことによる、サーカスを巻き込んだ破滅も考えた。
だからこそ、ここまで入念に慎重に手段を選んだ。だからこそ冷静な話し合いと対立の場をここまで整えた。本来ならば今も加害に笑んで自分達を見据えていた筈のオリウィエルが今、怯え泣いている。
下唇を小さく噛みながらのプライドの苦しげな表情に、ステイルも声を低める。
自分もまた、彼女の心に傷を抉りたいわけでは無い。しかし彼女が黒で間違いないことも、そして今後プライドの予知のように被害を広げる可能性のある人間性も、少なからず垣間見えてしまった。
「俺も不本意ではありますが」とあくまで自分も苦肉の決断であることを断りながら、それでも彼女に提案する。独断で動かず、相棒とプライドの意見も確認した上で実行するしかない。自分だって本当はこんなことをやりたくは
「〝ヤツ〟を呼びましょう」
……ないのだから。
「や、つ…………って」
まさか、と。プライドも予想にしなかったステイルの提案に、気付いた瞬間顔が青くなっていく。
ステイルが「ヤツ」呼ばわりする人間など限られている。その中で今、この場を切り抜けられる人間といえば一人しかいない。
ステイルのこの上なく低い声と、その表情にアーサーも、そして遅れてレオンも思い至った。ステイルが不本意と言いながら、それでも助力を必要にする人間。
「あの男ほど懐柔と誘導に長けた人間はいません。ジャンヌが呼べば、間違い無くこの場に駆けつけ状況を打破するでしょう」
フリージア王国宰相ジルベール・バトラー
天才謀略家の召喚に、プライドはヒクついた笑みで頷いた。




