Ⅲ152.侵攻侍女は何もできず、
「最ッッ低!!!」
ドスッ!!!と、アンジェリカさんの拳が寸分の躊躇いもなくアレスへと打ち込まれた。
力自体はそこまでの威力はないだろうけれど、細い手の真っ直ぐな拳はきっと、こん棒というよりも槍でブッスリされたような感覚だろう。「グアッ」と唸ったアレスが大きく背中を丸めてお腹を押さえた。
本人も避けれた筈なのにその素振りもなく、女性に拳を振るい返さないのは偉いと思ったけれど、それも束の間に今度はアンジェリカさんの平手打ちまで頬にたたき込まれた。
バシーンッとこれはなかなか見事な響きに私も口端が片方だけ上がったまま引き攣ってしまう。アレスが反撃しようとなにしようとも、アンジェリカさんからのお仕置きに変更はないらしい。
アンジェリカさん以外にも一緒にアレスへ怒鳴り込みにきてくれた団員さん達は多いけれど、アンジェリカさん以外は手を出そうとするそぶりはない。むしろアンジェリカさんの連撃に、止めるべきかと丸い目でアレスと見比べていた。
そしてビンタの後もアンジェリカさんのお怒りは静まらない。アレスから「いてぇよ!!」と怒鳴られてもそれを上塗る高らかな声で「うっさい!!!」と釣り上がった目で怒鳴る。
「なにさっきの!!ジャンヌちゃんとカラム死ぬじゃん!!!なにやってんの!!」
「いや殺そうとするつもりは……」
「つもりじゃなくても死んだら意味ないっつってんのぉ!!先にアンタが一回死ね馬鹿!!!」
今度は前蹴りをすべく短いスカートをものともしないアンジェリカさんが足を上げたところでとうとう周囲に取り押さえられた。蹴りをというよりもスカートをものともしない足を上げることの方をだろうか。
落ち着けアンジェリカ!気持ちはわかる!!と二人がかりで押さえつけられる中、アンジェリカさんが若干涙目だ。細い眉の間が狭まって釣り上がっている姿に、私やカラム隊長のことも心配して怒ってくれているんだなと少し胸が温まる。いやでもなかなかの容赦なさだけど。
アレスもアレスで尋問の意図もあってか屈強な男性団員達に無抵抗に取り押さえられた。アンジェリカさんはまだ殴り足りないようにジタバタ暴れるから、女の団員さんや子どもの裏方さんが一生懸命落ち着いて落ち着いてと宥めだしていた。
こういう時にレラさんはと思ったけれど、残念ながら今はいない。他の演目の補助で忙しいのかもしれない。彼女自身はこういう揉めごと苦手そうだもの。私の隣に立つアーサーと、団員さんを隔てた向こう岸のステイルとアラン隊長もあまりの流れの勢いに言葉が出ないようだった。
アレス、一体さっきのはどういうことだ、お前の口から説明しろと、言葉を重ねる団員さん達の横を気配を消して通り、アンジェリカさんへ私から歩み寄る。
他の団員さん達が説教混じりとはいえ冷静に言及してくれる中、アンジェリカさん一人が「マジ死ね!!」と一番強烈な発言を繰り返していらっしゃる。
「あ……アンジェリカさん。すみません、せっかく私達に合わせていろいろやってくださったのに心配かけてしまって……」
「!ジャンヌちゃあん!!もぉ~~!なんであいつ殴んないのぉ!!?あとちょっとで死んだじゃん!!」
もうアンジェリカさんが怒ってくれたので……、と言葉を選びつつ声を抑える。まさかアレスは操られているので悪くないんですなんてこの場で堂々と言えるわけもない。さっき舞台裏でも演目後にどうなっているのかとか色々「どういうこと!?」と詰め寄ったり怪我ないか心配してくれたアンジェリカさんだけど、今はもう頭が汽車みたいに湯気を噴き出している。一番お怒りの相手はアレスだったのはよくわかった。
更には私達との約束通りにアレスが喧嘩の延長戦上で嫌がらせにやったと言い張れば、それを耳で拾ったアンジェリカさんが今度はバレエシューズを脱ぎだした。それを大きく振り上げて再びアレスへ突入しようとするから私も他の団員さん達と一緒に慌てて止めて、最後はカラム隊長がアレスとアンジェリカさんの間に立ってくれる。アンジェリカさんの細腕を軽々止めて靴を没収すると、再びシンデレラの王子様くらいの綺麗な手並みで彼女にはき直させてくれた。ぶーーーーっ!と頬を膨らますアンジェリカさんはそれでもまだお怒り中だ。
今回はボカンと別の音が三回聞こえてきたから、団員さんの誰かからまた拳が降らされたのかなとアレスに思う。
「カラムも怒りなよ!ジャンヌちゃんあとちょっとで串刺しだったしぃ!アレスが割るの遅れてたら今ごろジャンヌちゃん怪我じゃすまなかったよぉ?!」
「憤りについては否定しませんが、私個人の不注意も大きいと自覚しております。それよりもアンジェリカさん、本当にこの度はご協力頂きありがとうございました」
どうやらアンジェリカさん達の判断ではあの氷柱破壊もハリソン副隊長でも私でもなくアレスが自分で割ったと思ってくれているらしい。……多分、アレスの特殊能力にそこまでの瞬発力はないと思うけれど。
第一部の時の集中力を使うといっていたし、よしやるぞと思ってすぐにパリンと砕けるわけではないだろう。アレスの言い分だと私が本当に空中に上がるのは予想外だったらしいし、きっと取り消そうと思ったところであの一瞬には追いつかない。氷を張ることは同じ特殊能力者でもできる場合は多いけれど、その氷を砕くことはできない人の方が殆どだ。
カラム隊長からの大人の対応に私も感謝を示すべく一緒にお辞儀をすれば、傍に立っていたアーサーまで勢い良く頭を下げてくれた。「お疲れ様です!!」と喉を張るアーサーの声に押されるように、アンジェリカさんの目がぱちりと丸く瞬きし、……直後まだ鋭くとんがった。
「~~っ!!むしろジャンヌちゃんが私の代わりに事故りかけたから怒ってるんじゃん!!!一瞬本気でアレスが私と間違ってやらかしたんだと思ったんだからぁ!!」
もぉぉおおお!!と、直後にアンジェリカさんが両腕を広げて私を抱き締めてくれた。
あまりに突然のことにびっくりして身体が強張ったままむぎゅううううっ!と腕で締め付けられ、自分のことより最初にナイフが飛んでこないかの方で心臓がヒエッと跳ねた。幸いにもアーサーかカラム隊長が止めてくれたからか、相手が女性だからか不発で終わったけれども。
私はアンジェリカさんに圧迫されて視界が真っ暗で見えない。……というか今、アレスが自分を狙ったとか聞こえた。アレスとアンジェリカさんは仲が良いのか悪いのか。少なくともアレスはアンジェリカさんにはあんなことしない、……と拳と平手もらってもやり返さないところからみて思うけれども。
ただそう考えると、カラム隊長との空中技相手が私で良かったとこっそり思う。
アレスにとっては失敗させる為だけだったらしいし、私じゃなくてアンジェリカさんでもカラム隊長の失敗には繋がる。ハリソン副隊長も護衛対象ではない私相手に動いてくれたかはわからない。騎士だし危険な目に遭う女性を助けてくれる筈……とも思うけれど、ハリソン副隊長だからなぁぁぁぁああと失礼ながら思う。いや、本当に護衛して頂いている身としてはありがたい限りの鉄壁ぷりなのだけれども。
アレスもアレスで、団員さん達から折檻を受けている音が殴打音で心配になる。あまりやる過ぎはしないで欲しいと、あちらにも待ったを掛けようとしたその時。
「アレス!!!ああ良かった元気そうだな!!みんなして一体どうしたんだ?!」
「!!団長~~~っ!!!」
ベリッ!!と、まるでガムテープかのような勢いで私を抱き締めていたアンジェリカさんに自ら引き剥がされる。
ぐいっと両肩を掴むまま剥がされ、勢いのまま背後へ倒れる前にアーサーとカラム隊長がすぐに背中を支えてくれた。
正面を見れば、アンジェリカさんの首ごとの横顔が目に入った。きらきらとした視線は私にではなく声のした方向へと向いている。
私も視線を追うように顔を向ければ、予想通りの人物が大きく手を振ってこちらに駆け寄ってくるところだった。クリストファー団長だ。
当然ながらその背後には保護者ならぬ護衛としてエリック副隊長と騎士のジェイルとマート、そしてセドリックも付いてきてくれている。まだ終演までは少しあるし、きっと団長に付き合ってきてくれたのだろう。
軽やかな声には反して、団長が血相を変えていたのが近づいてくるごとにわかる。パタパタと駆け出すアンジェリカさんに軽く手を振って返すけど、向かうのはアンジェリカさんではなくアレスに一直線だ。
まさかの団長の登場に団員さん達もアレスを締め上げる手を緩める。
ラルクのことを考えるとまさかと思い、私も間に入るべきかと身構えたけれどアレスは丸い目で団長を見返すだけだ。そこに敵意の欠片も感じられない。
「団長聞いてくれよ!アレスの奴がジャンヌ達と喧嘩しただかなにかは知らねぇが舞台中にアレだぜ!!?あと少しで事故もあり得たってのに!」
「喧嘩??ああ~喧嘩か、なるほど……舞台中お前の様子がおかしかったのはそれでか。妙に今日は様子がおかしいと思ったんだ。熱でもあるのかと……」
幹部のミケランジェロさんの怒鳴り声に、団長さんはきょとんとした顔で力なく口をぽかりと開いた。すごく怒っている幹部に対し、団長さんはむしろ拍子抜けといわんばかりと表情がやわらいでいく。
そうかそうかと言いながら、腕を伸ばしアレスと団員の隙間へいれるとそのまま眼前にまで立っていく。ラルクであれば突き飛ばすが鞭を振るうくらいの近さだけれど、アレスからは氷を出すそぶりもない。自分より背の低い団長を真っ直ぐに黄の瞳に映している。さっきアンジェリカさんのビンタ後からさらに頬が殴った後のように赤く腫れているし衣装もひしゃげて肌けていた。
舞台中おかしかった、という言葉にその時にはまだ舞台上に合流していなかった私が首を捻ると、団長の傍に立つエリック副隊長とセドリックがこちらを向いてわかるように頷いてくれた。
気になって、ステイルと一度目を合わせてからそっと団員さん達の隙間を通り抜けてセドリック達への合流を図る。……けれど、団長の傍だから当然団員さん達もこぞっていてなかなか奥に入り込めない。
その間、団長さんは「どうしたこの痣は」「赤く腫れてるのは」と暢気にアレスを心配している。アレスの状態を知る身としては責められるよりは良いけれども。団員さん達もまるで仲裁に入られた小学生のように押し黙ってしまった。
「喧嘩か。まさか舞台では仲良くしなければいけないと昔言ったのを忘れたかアレス。演者がこの顔は頂けないぞ?終幕挨拶には出られそうか??兜はどうした?まぁアレで腫れは大概隠せるだろうが……」
「団長。わりぃ、俺……でもよ、団長もなんでオリ……、……いや。なぁ団長ちょっと話せるか?ラルクと、…………あの夜のこと」
団長を前に襲いかかるどころか歯切れが悪くなるアレスは、肩も丸くなっていた。腫れた頬を指で擦られ汚れを拭かれながら、途中で言いかけた言葉を飲み込むと今度はちらちらと周囲に目を向けだした。
染めた髪をガシガシ掻きながら、恐らくはオリウィエルのことを話そうとしているのだろう。関係の浅い私でもわかるアレスにしては珍しくしおらしい態度に、団員さん達も首を捻るか目配せし出した。
あの夜、という言葉に団長さんも察しがついたのが短く息を引くと、そこで団員さん達を払い出す。「さあまだ舞台は終わってないぞ!」「あとは私に任せてくれ!」「すまないな!私とアレスで話をさせてくれ!!」と笑顔で両手を高く掲げて見せれば、それだけで詰まっていた団員さん達の足がゆるやかに下がりだした。まさに鶴の一声だ。
さっきまでぎゅうぎゅうで近付けなかったセドリックとエリック副隊長のもとへもたどり着ける隙間ができた。
流石にすぐに解散とまではならないまでも、団長さんの笑顔と「さあ行った行った!」と勢いだけの人払いに、団員さん達も怪訝な顔はしつつも持ち場へと戻りだした。
怪訝な顔も団長の態度というよりも、アレスの態度に向けてに見える。彼らからすれば急に特殊能力で新入りと喧嘩して団長きたら泣きついてで意味が分からないのだろう。アンジェリカさんなんて、殴りかかった時と同じくらい目がつり上がってアレスを睨んでいた。
人の数が減っていくのとアレスが大人しく頭を掻いているのを目で確かめながら、私はやっと近付けたセドリックの隣に立つ。団長の護衛を任せたエリック副隊長共々行動するように機転を利かせてくれたのだろう彼にお礼を言ってから、声を潜める。
「ダリオ、舞台でアレスの様子がおかしかったというのは本当?」
「猛獣使いのラルクではなくてか?エリックさん、貴方の見解もお聞かせ頂けると幸いです」
問いかける私に続きステイルがエリック副隊長にも投げかける。




