Ⅲ15.専属従者は心配し、
「今月、って……だからってなんでフィリップがそんな緊張してんだ?」
溜息混じりにソファーの方向を眺めるパウエルは、カーペットの上に座りながら頬杖を突いた。
視線の先では久々に休日が合った友人がべったりと倒木のように転がっていた。仕事終わりの時間帯であれば深夜に会うことも珍しくない二人だが、休日が合うのは久々だった。
手土産に家から焼き置きされたパンをかごに入れて持ってきたパウエルは、腹でも減ってるならとその内の一個をフィリップの口に近付ける。ふんわりと蜂蜜の香りもするパンに鼻を揺らし次の瞬間には手に取らずフィリップは直接パクついた。一口目を何度も口の中でかみ砕き、飲み込んでからやっと咥えていたパンを自分の手に持ち直す。
「だって道中で危ない目遭わねぇかとか事故とか病気とか水が合わねぇとか道に迷ったらとはもうそりゃ心配で心配で……」
「フィリップは行かねぇんだろ?城内の手入れだけなら楽なもんだろ」
そりゃそうだけど……。そう言葉を溢したところで二口目を頬張る。
フィリップが城で使用人として働いていることは知っているパウエルだが、第一王子の従者とまでは知らない。城なんて広い場所に住んでいるどこかの貴族の従者をしていても、その雇い主までは大して興味もなかった。どうせ自分には程遠い世界の人間だ。
今までも貴族の従者や様々な仕事を重ねてきたフィリップが何故留守を頼まれただけでこんなにも緊張するのかと不思議だったが、今やっと正しく理解する。
緊張しているのは留守業務ではなく、外出する主人の方だ。もともと世話焼きのフィリップが、自分の主人のことも心配するのは珍しくないがそれにしても今回はいつもよりも重症だなとこっそり思う。
それだけ今の雇い主が良い奴という証拠だと思えば安心もできたが、一体どんな奴なんだとも思う。城でどんな仕事してるかは「今までの従者と似たようなもん」と答えてくれるフィリップだが、雇い主については守秘義務があると言って全く口を割らない。先月には「パーティーの残り物貰えた!」と意気揚々と料理を抱えてきたことを思い出せば、悪い扱いどころかかなり可愛がられているとは思う。
当時ちょうど帰っていたアムレットと一緒に自分もわけて貰えたが、今まで食べたことのない料理や菓子もあり余計に雇い主への謎が深まった。しかもその雇い主のお気に入りはコレと勧められたのは甘いパンだ。確かに癖になるくらい美味しかったが、女なのか男なのか余計謎を極めた。
とうとう今月、フィリップの雇い主はラジヤ帝国の属州へと遠征に向かう。
ステイル達のラジヤ遠征へ同行はせずに済んだフィリップだが、遠征の日が今月に迫り心配しないわけがなかった。自分も協力らしいことはできるし、遠征中も会えないわけではないが、それでも付いて行かないことも日を増すことに罪悪感もある。が、やはりアムレットやパウエルと離れることと比べると留守番が良い。
毎日のようにラジヤ遠征の為の下準備に余念がないステイルは、ここ最近は特に留守の間分もと摂政業務補佐にも余念がない。自分の休息時間を削ってでも摂政である叔父に「他にも僕にお手伝いできることはありませんか」と求めては、逆に休めと窘められるのを今週だけで五度フィリップは目撃した。ああいう人の手伝いを自分からしたがる性分は昔から変わっていないと思う。
「城に住んでるような貴族なら護衛もしっかりつけてる筈だろ。フィリップが一緒に行かなくても充分頼りになる奴ら一緒なら安心だろ」
「あー--うん……。護衛はそりゃつけてくみたいだけど……」
すっっっっげぇ大勢。その言葉を飲み込んでから、フィリップは最後の一口を頬張った。
自分が知っているだけでも騎士隊という規模だ。しかもステイルはともかく彼が傍から離れたがらないプライドの傍には近衛騎士もいる。その中の殆どが隊長格であれば、聖騎士までまじっている。間違いなく自分一人程度が付いて行ったところで足手まといになる気しかしない。
寧ろ時折見せるステイルと聖騎士の手合わせを見れば、今のステイルも自分より遥かに強い。だがどちらにせよ、アムレットの女友達であるジャンヌがラジヤに狙われていることは事実。しかもプライドはステイルと違い、か弱い王女様だ。奪還戦でもラジヤに酷い目に遭わされたと聞けば、心配にならないわけがなかった。
今月に待っている空白期間を考えれば頭が重い。留守を守るということは当然その間ステイル達の安否もはっきりとは知ることもできない。せっかく会えた友人と王女が危ないところに行くなど、どれだけの数の護衛を連れても心配にならないわけがなかった。
どうにも言葉の歯切れが悪いフィリップに、パウエルも肩を落とす。自分が家に入った時には昼過ぎにも関わらずこの状態でぐだっていたフィリップだが、家中の掃除も洗濯も洗い物も全部終えてるのを見れば、全部終わってからやることがなくなっての心配になったんだなと察する。
「休みの日くらい昼まで寝てりゃあ良いのに」
「だってアムレットが帰ってくるから嬉しくて嬉しくて……やっぱ家中綺麗な方が嬉しいだろ?」
「先週も先々週も同じこと言ったよな??」
学校の寮に住んでいる妹が帰ってくる度にお祭り騒ぎになるフィリップに呆れてしまう。
一緒に住んでいたのだから今更小綺麗にする必要がわからない。もともとフィリップの家は整頓されている。自分だって一緒に住んでいるリネットが帰ってくるという日はなるべく家中の掃除には気を遣っているが、それでもフィリップは大袈裟な方だと思う。
フィリップとパウエルの休みが重なった今日、アムレットも合わせて学校後に帰宅を決めていた。いつものように学校まで迎えに行きパウエルと三人で街まで帰ったが、今は家にいない。その為、手持無沙汰になったフィリップは無駄に家事を隅から隅までやってとうとう心配がさく裂していた。アムレットの前ではこんな心配する姿など見せられない分、今の内の悩みでもある。
先月は配達人の子ども二人のお祝い会やアネモネ王国国王の式典やプライドの専属侍女であるマリーの誕生日祝いなどもあり明るい話題も多かった。王族とはいえ専属侍女にあんな高そうなブローチを贈っていたと知った時は目が飛び出ると思った。自分やかき集めた従者達の顔が大好きだった前奥様でもあんな高いブローチを出したことはない。
ステイルから「なんならお前も〝専属〟だな?」と言われた時は思わず全力で首を横に振りまくってしまった。相手がただの雇い主だったらむしろ全力で食いついたが、昔の友人にそういう形でがっつくのは嫌だった。
「……!ああほら、アムレット帰って来たぞ」
「!おかえりアムレットー----!!!」
玄関の音を皮切りに、軽く首で振り返るパウエルと殆ど同時にフィリップも身体ごと起き上がる。
ばったりと倒れた姿から、ソファーにきちんと座り直すフィリップはさっきまでの暗い表情が嘘のように明るい顔だった。こういう切り替えができるフィリップをこっそり尊敬しつつ、ちょっとくらいアムレットにも見せてやっても良いのにともパウエルは思う。
玄関が開かれ、「ただいま」とアムレットが姿を現せば兄とパウエルが二人で手を振っていた。一緒に街に帰って来た時点に予期はしていたパウエルの来訪にも大して驚かない。兄の外まで響く熱烈歓迎にはやめてと言いたいが、今更の為今日は割愛した。
玄関の扉を閉めながら二人に笑いかける。
「パウエルもいらっしゃい。兄さん、ちゃんと休めてた?」
「アムレットの顔見れた時から兄ちゃん元気いっぱいだぞ!!!」
「おかえりアムレット。これ、いつもの。アムレットは毎日食ってるだろうけど」