Ⅲ14.刺繍職人は招待し、
「ええ是非!私もマリーさんと改めてお話したいと思っていたんです」
ひと月ほど前。
レオンとの取引後、庭園を通りながら次の取引相手の屋敷へ案内されるネルは小さく胸を撫で降ろした。
もともと出会いこそ友人としてだったマリーだが、その後に第一王女の専属侍女であることを知り、ネルにとっては何となく天の上の人になってしまった感覚が強かった。しかもその後は彼女の主であるプライドが自分にとっても直属の雇い主だ。
プライドを差し置いてその傍に控える専属侍女へ容易に話しかけるほどの度胸は流石にネルにもなかった。それどころか、結局は自分と仲良くしてくれたのも主人であるプライドの命令に準じて値踏みと紹介をする為だったのではないかと考え始めていた。
そんな中、マリーと二人きりになれたこともそしてマリー自ら庭園経由を提案してくれたことも純粋に嬉しかった。
庭園の花々を眺めるだけでも心が休まれば、マリー自らが「宜しければ文通を継続して頂くことはできますか」と寄り添ってくれた。専属侍女にも少ないながら休日は存在し、もし予定さえ合えばお茶にと続けられればネルとしても願ったりの申し出だった。
声を弾ませるネルに、マリーも歩みながら互いの予定を擦り合わせる。
「また以前のカフェで宜しいでしょうか。私の実家は少々城下からは距離がありまして。もしくはネルさんのおすすめの店などがあれば是非」
「私もまだ城下に帰ったばかりで。マリーさんが御存知のようなおしゃれな店は……。!あっマリーさん、ちょうどその前日お誕生日ですよね?」
最初にカフェでお茶をした時、互いに歩み寄りながら自己紹介で誕生日も話したネルは、マリーの誕生日もしっかりと覚えていた。そろそろだと考えていた彼女の誕生日が、気付けば次会う約束の翌日だ。
ネルが覚えていてくれたことにマリーは僅かに目を丸くした。ええ、と言葉こそ冷静に返しながらもまだ知り合って間もない相手の誕生日まで気に留めているネルに関心する。マリーもネルの誕生日は記憶に留めているが、職業柄でもある。
専属侍女として殆どの日々をプライドと共に過ごしているマリーだが、希少な休日の内自分の誕生日の近接日には優先的に休日を与えられていた。
本来ならば誕生日当日に休みを得ることも可能でもある。ただマリー本人が誕生日に休暇を取ることよりも当日にプライドに祝って貰える方を優先させた結果だ。
仕事というにはあまりに充実した日々は苦でもなければ、プライドに当日に祝って貰える特別感は他に変えられない。
「でしたら是非お祝いさせてください!あまり立派なこととかはできませんけど、お祝いとか贈りたいし……!そうだ。もし良かったら私の部屋にいらっしゃいませんか?先ほど取引した品以外にもまだ沢山作品や布も置いてあって……」
もちろん他にご予定があれば、と。そこまで続けたネルは慌てて早口で取り直した。お茶する約束をしたのは午前。そこからお茶をして店を回るか、それとも直行するか、どうするにしても自分ではなく家の所有者であるファーナム姉弟に合わせる必要があると伝える。
ただお茶をするだけのつもりだったマリーを必要以上の時間を引き留めるのも憚れた。こんなに素敵な女性であれば、恋人や夫もしくは子どもがいてもおかしくないと思う。なるべく予定は彼女を優先しなければと意識するネルだが、マリーはあっさりと「いえ何も」と否定した。
専属侍女になってからは家からの呼び出しもなくなった今、プライドに祝われる当日以外は大した予定もない。自分の為に自分の時間を使うことが最上級の贅沢である。
そして、ネルが提案してくれた彼女の部屋訪問は高級カフェなど目ではない最高の訪問場所だった。
「光栄です。予定も一日空いていますのでお気遣いなく。ですが、宜しいのですか?仕事が始まったばかりでお忙しいでしょう。そんなところにお邪魔しては」
勿論です!と、ネルもそこからは迷わなかった。
約束の日までに部屋を片付けておかなければとは思うが、同じ趣味を持つマリーを招くことは考えただけで楽しい。当時売れる用に作った品は全てレオンに引き取ってもらったこともあり、今自分の部屋にあるのは全て自分の好みの品ばかりである。
安易に知らない相手へ売るには勿体ないが、マリーのように自分の趣味や作品を好きだといってくれる友人に譲るのならばむしろ望むところでもあると考える。
待ち合わせは以前にも会ったカフェの前。その時には交換する手紙も持っていきますねと約束した二人は、ゆったりとした足取りで庭園を抜けていった。
次の約束を交わしたところで、これから向かう先を思い返したネルは一瞬だけ心臓が低く動悸した。さっきまでの楽しい会話から現実に引き戻されれば、鼓動の音は正直だった。
どうなさいましたか、と尋ねるマリーへ苦笑まじりに首を軽く左右に振る。マリーがどうしたわけではない。
「この後の取引もマリーさんが一緒で本当に心強いです。交渉は何度か経験していますけれど、流石に城に住まれている貴族がお相手なんて」
「胸を張って下さい。貴方の味方は未来の女王です。僭越ながらクラーク副団長よりも更に御力を持った御方です」
そうですね。そうです。と、直後には二人ともフフッと笑ってしまう。
あの兄の存在を更に上回るぞと告げるマリーの発言に虚をつかれたネルもさることながら、マリー自身も少し自分の主人自慢をしてしまった自覚を持つ。マリーの発言がお互いで楽しくなってしまった。
妙な緊張感が捻じれたように笑いの沸点が低くなり、更には距離の近い女性同士並べばその空気感の方が勝った。
くすくすとネルだけでなくマリーにしては珍しい笑い声を漏らしながら女性二人は少し軽くなった足取りで次の交渉へと向かった。
……
「どうぞマリーさん。今、他の人達は学校で留守だからお気遣いなく」
失礼致します、と。それでも頭を深々と下げて玄関を通るマリーは礼儀を忘れない。
ヘレネ達により無事家へマリーを呼ぶ許可を得た家に今は誰もいない。
折角のネルの友人ならゆっくり気兼ねなく過ごしたいでしょうというヘレネの提案に、ディオスとクロイも反論はなかった。自分達がいない時に他の人間が入ることは不安もあるが、ネルの話すマリーという〝侍女〟には二人も覚えがあった。プライドに紹介されたこともある、彼女の専属侍女だ。
ネル自身はマリーが城の侍女であるということは伏せていたが、城に刺繍を卸し更にはプライドに会ったことがあるというネルが城で働いている侍女のマリーと仲良くなったと考えれば双子も納得できた。まさかプライドに会っただけではなく、直属刺繍職人にまでネルがなっているとは思いもしない。なによりネルの知り合いであればとやはり信用が強かった。
元学校講師であり、プライドの紹介であり、騎士団副団長の妹であるネルの友人であれば信用は間違いない。ライアーとレイに家の留守を任せるよりははるかに信用できた。
「あの、こちら、家の方々にご挨拶代わりに預かって頂いて宜しいでしょうか。贔屓の店でケーキも紅茶も美味しいんです。人数を聞きそびれてしまったので大きめのケーキにしました」
「えっ!?ありがとうございます!皆甘いのは好きなので、きっと喜びます!」
マリーが改まるように差し出した箱に、ネルの目が皿のように丸くなる。
今回はマリーを家まで案内だけの用事だった為、身軽だった自分と違い妙に荷物が多いと思ったがまさか自分達への手土産とは思いもしなかった。そんなことならば道途中で自分が持てば良かったと後悔しながらも、慎重に並行を保って箱と紙袋を順々に受け取った。
テーブルへ置き、断りをいれてから中身を確認すれば一目で高級菓子店のものだと確信できた。最近は涼しくなってきていることから全員が帰ってくるまでは崩れないとは思うが、それでもなるべく涼しい場所へとそそくさ避難させる。
一緒に食事を共にする中で、ディオス達だけでなくお向かいであるレイ達の食の好みも大まかにはわかってきているネルだが、全員がケーキを喜んで食べる部類である。
更には、放っておけばこっそりつまみ食いをしてしまいそうな面々もいるなと思えば、避難させた箱の上にペンで直接「ネル・ダーウィン」「気を付けて」「食べないで下さい」と注意書きを残した。
これは夕食の後に全員で食べようと決めながら、次に紙袋の中身を温める。ぴっちりと容器に詰められた紅茶の銘柄は、やはりどれも上級層の人間でなければ手を出さないような品ばかりだった。ネル自身、実家で兄が買ってこなければ一度もお目にかかることはなかった。
「こんな高級品ばかり良いんですか?ケーキまで……今日はマリーさんの御誕生日祝いでお呼びしたのに」
「いえ、自宅にお邪魔するのですから当然の礼儀です。是非、今度会った時に感想をお聞かせ願えれば充分です」
Ⅱ594-2