Ⅱ13.専属侍女は満足する。
『マリー、誕生日おめでとう!』
そう言って、プライド様が私の誕生日をお祝いして下さったのは当時九歳の頃だった。
予知能力に目覚め別人のようになられてからもあるが、我々使用人の誕生日を気にされるようになったのは妹であるティアラ様の影響も強いだろう。
最初、ティアラ様が乳母である専属侍女のチェルシーさんの誕生日祝いに花を贈ったと聞いた時に初めてプライド様から我々の誕生日も尋ねられた。……特に、ロッテの誕生日が既に過ぎていたことを知った時はこちらの方が戸惑うほどに狼狽えていた。
私達の名前を呼ぶようになったのもついここ半年ほど前からだったというのに、あの時のプライド様は脳天に雷が落ちたかのようだったと思う。当然のように侍女の誕生日を祝うのを楽しみにするティアラ様に反し、プライド様もそしてまだ王族になって間もなかったステイル様もそういう考え自体がなかった。
無理もない、むしろティアラ様の方が珍しい。あの御方は人知れず侍女と共に密接な生活を送っておられたから家族のような感覚だったのだろうが、通常雇い主がわざわざ使用人の誕生日を祝うどころか覚えていることの方が少ない。
当時まだ専属侍女を持たれていなかったプライド様に、そんな親しい侍女などもいなかった。……予知能力に目覚められるまでは。
『ごごごごめんなさいロッテ!来年は絶対お祝いするからね!!』
いえそんな、お気になさらないで下さいとまだ侍女として経験の浅かったロッテも見事な狼狽えぶりだった。
驚くほど早々にプライド様と打ち解けたロッテは、もうあの頃にはプライド様とかなり親しくなっていた。今思えば、当時のプライド様にとっては初めての友人に近い存在だったのかもしれない。あの御方は、それまで友人らしい相手がただの一人もいなかった。
そして三か月ほど経った頃。プライド様が侍女の誕生日を祝って下さった栄えある一人目が、この私だった。
まだ私も専属侍女ではなく、プライド様も言動が落ち着かれたこともありお傍から離れる業務も多かった為、祝われるその日まで全く予期していなかった。
誕生日についてはロッテと同じ時に答えたが、てっきり祝われるのはプライド様と侍女の中では比較年の近いロッテくらいのものだと考えていた。
両手いっぱいの花束を用意された日のことは一生忘れない。
まさか本当に侍女相手に王族の、しかもたった九歳の子どもが誕生日を祝うなどよほど仲が良くなければあり得ないと思っていた。ましてや、当時プライド様の身の回りの侍女の中では私は年配のほうだった。ステイル様の専属侍女のアルマさん達と比べればまだまだ若年だが、それでもプライド様の身の回りを世話する侍女にはロッテと年の近い若い侍女が本当に多かった。
私など、幼いプライド様には「おばさん」と呼ばれてもおかしくなかった。そんな侍女相手に、わざわざバレないように当日まで隠し、豪華な花束を用意して下さるなど想像できるわけがない。何よりこの私自身が一度も
〝自身の〟侍女に誕生日など祝ったこともなかった。
仲が良い侍女はいた。しかし、そういう発想に至らなかった。彼女の誕生日すら今も知らないままだ。
……マリー・クレランド。城下ですらない田舎の領地を司る子爵家長女である私だが、あの両親もまさか娘の行儀見習いがそのまま侍女として永久就職になるとは予期していなかっただろう。
本当ならばもう結婚して子どもの二人は生み育ている頃だ。早ければ長女か長男が結婚している。
子爵家にいた頃も大して不自由はなかった。子爵の中では栄えた方の家で、侍女も私専属が一人ついていたほどだ。勉学も教養も我ながら優秀な方だったという自覚はある。妹と弟も優秀に育ち、聞き分けも良かったから姉である私も苦労はしなかった。
寧ろ両親を困り果てさせたのが、この私の淡泊さだった。
妹が愛嬌ある女らしい淑女に育ったからか、余計に私の色恋のなさに頭を抱えていた。女性の友人はできても、異性のお相手が現れない。私自身も恋への憧れが全く湧かず、親が選んだ相手と添い遂げればそれで良いと考えていた為危機感がなかった。
「女性らしい趣味をもっと持てばときっと」と、女性教養関連の趣味を持つように指導された。ピアノもバイオリンも歌もダンスもどれも興味深くやりがいもあったが、結局女性らしい〝趣味〟と女性らしい〝思考〟は別物だった。
特に、刺繍や裁縫は時間が解ける感覚で縫っても縫っても終わりがない集中の楽しさも、そして完成した後の達成感も相まって令嬢の教養の中で最も好きになった。家を出入りした服飾職人や刺繍が得意な侍女にも暇な時間があれば積極的に教わった。……そして、好きになり過ぎて男性と関わる為の社交界関連への興味が益々薄まった。
初めて両親にパーティーへの出席よりも刺繍の続きをやりたいと断った時には、もう子爵令嬢としての人生よりも刺繍の方が楽しかった。
そして最終的に、結婚ではなく家から独立し服飾職人兼仕立屋として店を持つ計画書と出資願いを両親に提出した私は、家の縁という縁を全て総動員され王城の行儀見習いを命じられた。
花嫁修行に侍女として城に仕えて淑女としての作法と在り方を学び直し考えを改めよという両親に妹達は猛反対してくれたが、私としては無理矢理結婚させられるよりはと従うことにした。結婚が嫌だったわけではないが、城で侍女として働くことは決して悪いものではない。王族の城に侍女として働いていた経験は、教養経歴として男女の目にも誉れで憧れでもある。
貴族だからといって誰もが城の侍女になれるわけではない。寧ろ上流貴族や城関係者との紹介や縁がなければ、試験を受けることすら叶わない。そんな中、私の両親は子爵という立場だったにも関わらず上流貴族に頼みに頼み込んでくれた。その労苦を思えば罰どころか私への最大の親心として受け取るしかない。
今思えば、政略結婚ではなく私の為に社交界での出会いや恋愛を重んじてくれていた両親に、あの計画書は酷だったと反省もしている。
城での試験も通り、無事行儀見習いとして侍女になることができれば、その生活も決して苦しいものではなかった。むしろ忙しなく働くのは私には合っていて、家には私が心から結婚したいと思うようになれば呼び戻してやると言われたが一生このまま侍女でも良いと思った。
無理して結婚し破断になって家の名に泥を塗るくらいなら、城の侍女の方がずっと世間体も良い。我儘この上ない我儘姫の世話役に回されてからも、その考えは変わらなかった。
寧ろ次々と入れ替わり立ち代わり去っていく侍女達を横目に、この難題をやり抜くことへの使命感も湧いてきた。歴戦の侍女にもできないというのならば、誰かがやらなければならない仕事をやり通してみせようと。きっと、最悪の場合は家に逃げ帰ることができるという甘えもあったのだろうと思う。
ほとんどの貴族出身の侍女達と違って、私は自身が望んで行儀見習いに立ったわけでもなければ家からの圧力もなかった。
プライド様の侍女はやりがいこそ感じられなかったが、それなりの緊張感は持って生活できた。第一王女付き侍女という誉れと、誰かがやらなければならない強敵に立ち向かっているという誇らしさがあった。家の期待も応えられず、子爵令嬢の分際で事業を起こそうとした私にはちょうどいい役割だ。
「マリー、誕生日おめでとう。今年からはちょっと贈り物も変えてみたの!」
「?ありがとうございます」
あれから、五年。今ではプライド様から誕生日をお祝いして頂くことに慣れてしまうなど不思議なものだ。
十四歳になられたプライド様は、変えてみたと仰りながら今年も大きな花束を用意して下さっていた。どのような物でもお祝いして頂けることが何にも勝る喜びですと続けながら、プライド様が机の引き出しから何かを取り出されるのを待つ。
最初に始めてからプライド様は一度も飽きることなく、私とロッテそして衛兵のジャックの誕生日を花束と祝福の言葉で祝って下さっていた。私すら全くしようと思わなかった侍女への配慮を欠かさなくなったプライド様は今では立派な、私など遥かに凌ぐ淑女だ。
この年になるまで、家からも流石に何度か「そろそろ帰ってこないか」と打診を受けた。もう行き遅れと言える年になるまで私が帰りたいと一度も言わなかった為、家の方が音を上げた。
伯爵家へ嫁いだ妹からも、無事家の後継者として成長した弟からも、そこまで結婚が嫌なら力になると言われたが、私自身がもうこの仕事を辞める気がなかった。第一王女の身の回りを世話する侍女という現状を伝えれば、家も強くは私を引き戻すことができなかった。両親には本当に悪いと思うが、私自身がここで満足してしまった。
プライド様の御成長を見守りたい気持ちもさることながら、……まさかのここで最愛の趣味である刺繍や被服の業務に携われるようになったことも今は大きい。
きっかけはティアラ様からのご提案。色々と行動的過ぎる姉を心配され、動きやすい服を作りたいと仰るティアラ様の提案に私は前のめりに受けた。
本来、王族の衣服などそれこそ専門職人や仕立屋に発注するものだが、王女であるプライド様がそのような運動着を必要とすること自体が認められない。ダンス用のドレスとは全く違う。
しかも、ティアラ様の御提案は騎士団のような団服。ステイル様を通じて仲良くなられたアーサー殿に感化されたのだろうとはすぐにわかったが、……それ以上に私の意欲が高まった。女性用の団服、しかもプライド様になどこのような命令がなければ作ることすら許されない。
ロッテも協力すると言ってくれた団服作りは今までの裁縫や刺繍の中でも段違いに楽しかった。
一度プライド様が袖を通して下さってからは自分の作った衣服を主人に着て頂ける喜びも覚え、昔以上に被服作業が愛おしくなった。
プライド様が成長期であることと、本当に急を要する事態でその団服が活躍することもあり、毎年プライド様の御身体に合わせて繕わせて頂きたいと願えば、プライド様も遠慮がちながらも喜んで認めて下さった。しかも、今では……
「はい!私〝専属〟のマリー達にだけの特別な贈り物よ」
ロッテ達にはちょっと先見せになっちゃうけれど。と、そう困り笑いをしながら差し出して下さったのは一目で宝飾品だとわかる小箱だった。
思わず目を見張り、すぐには手に取れずプライド様の手のひらの小箱を凝視すれば、同じく専属侍女のロッテとそして近衛兵のジャックからも息を飲む音が聞こえた。
つまりは彼女達の誕生日にもこれと同じ物が贈呈されるのだろうかと、自分のことよりもそちらの方で頭が回る程度には私も戸惑っていた。
専属侍女。今年からプライド様に大任ながら光栄にも仰せつかった職務。乳母も持たず、その後も専属侍女を作ることに何故か前向きではなかったプライド様が始めて専属侍女を立てるにあたり、この私をロッテと共に指名して下さった。
お蔭で今では、業務の合間ではなく堂々と専属侍女として業務の一貫にプライド様の衣服を繕う時間を与えられている。布も糸も装飾も全て費用は必要経費として遠慮なく試行を凝らした一作を一年かけてじっくり作ることができる。もうこれ以上に恵まれた職務など存在しない。
家にも第一王女の専属侍女として仰せつかったと告げれば、初めて心から喜んで貰えた。第一王女、第一王位継承者、つまりは未来の女王であるプライド様の専属侍女であれば将来は女官長かそれに属する立場。
城で働く女性としては上層部や補佐の次点に並ぶ程度には誉れ高い立場だ。正直、そんな立場どうでも良いほどにプライド様の御側もこの職場も手放せない。
数秒間が空いてから、茫然とする私は手だけを伸ばし小箱を受け取った。「開けてみて」と促されるままに蓋を開けば、今度は目を疑った。
美しい、宝飾で彩られたブローチだ。
「どんなのが良いかしらと思って、がっかりさせたくないから正直に言わせてね。マリーだけじゃなくて、ロッテとジャックにも毎年お揃いのブローチを贈らせて欲しいの」
私にもですか、と。直後にロッテとそして珍しくジャックの言葉がかぶった。
花の形を象った美しいブローチは、花の中心に置かれた宝石だけでもかなりの額になるだろう。使用人に贈るには過ぎる上等品だ。しかもプライド様の仰りようとこの出来から考えて、わざわざ発注された世界に三つしかない品だろう。
こんな高級品をと目を皿にするロッテとジャックを前に、プライド様は必死に言い訳をされていたがそれは〝高級品であること〟ではなく〝三人揃ってお揃いにしたのは手抜きではない〟という方向の説明だった。誰も、私を含めて一人としてそんなことに不満に思うわけないというのに。
初めての近衛兵、プライド様にとって初めての専属侍女。子どもの頃から傍にいてくれた私達にだからこそプライド様の専属の証として揃いの形を贈りたかった。
毎年ブローチは変えるつもりだけど、三人お揃いなのは許して欲しいと。この上ない誉れを申し訳なさそうに語るプライド様は、じわじわと顔を火照らせていた。
「そっ、それに、これなら小さいから邪魔にならないし、もしもの時にはそれなりのお金にもなるからちょうど良いと思って……」
次第に私達から目を泳がせるプライド様の言葉を疑いたくなる。
プライド様から頂いた品を私達が邪魔に思うわけがない。しかも、〝もしもの時〟とはどういうことか。まさか邪魔に思うどころかいつかこれを私達が売ることを前提に考えられておられているのか。
こんな素晴らしい、プライド様から私達への勲章そのものを。
クレランド家でも宝飾品は比較的見慣れている。だが、そのどれよりも遥かにこのブローチが輝いて見えた。実際にそれほどの価値なのかもしれないが、やはりプライド様から頂いたということが大きい。
「いえ」と最初に断った。金銭にする可能性を否定し、そして感謝を示すべく深々と礼をする。
「心より感謝致します。謹んでお受け取り致します。生涯、命よりも大事にし家宝にさせて頂きます」
そこまでしなくても……!と声を漏らしたプライド様だったが、礼をした頭から視線を上げ紫色の瞳と目を合わせればそれ以上は否定されなかった。
唇を結び、代わりに微笑まれた。両肩に少し力を込め、気恥ずかしそうに頬が薄く染められた。
女性らしい、淑やかな笑みのこの御方に生涯お仕えしようと改めて心に決めた。
……
「マリーさん!」
カフェの前で佇み、知る声に振り返る。
侍女服ではない、私服に身を包み街中を歩く。専属侍女として立場を得てからは希少な休みにカフェや仕立て屋、食事などの買い出しや刺繍裁縫専門店など趣味の店は行くが、それも割合としては少ない。部屋でゆっくりと団服に意匠を凝らすことが一番楽しいひと時だった。
しかし今は、同じくらい胸が弾んでいる。
私に手を振り、身軽な格好で駆け寄ってくる女性へ礼をする。プライド様の直属刺繍職人となった後も変わらず私と親しくしてくれる、素敵な女性で優秀な職人。そして
「どうも、ネルさん」
同じ趣味を持つ、友人だ。
誕生日を終え、休日を与えられた私は一日後の誕生日祝いを今日受ける。