Ⅲ122.侵攻侍女は控え、
「……なんか、びっくりするくらい集まってきているわね」
うわぁぁ……と、プライドの顔が強張っていく。
舞台袖からピラリと幕を数センチほど捲れば、覗ける範囲だけでも満席と立ち見の客まで確認できた。気付かれないうちにもすぐに幕を閉じ身を引いたが、それでも布一枚向こう越しにしっかりと騒めきが漏れてくる。
頭では理解していても、数に怖じけてしまう自分が信じられず、強張ったまま口が引き攣り笑った。サーカスのテント分など、式典と比べれば少人数だ。子どもの頃から大勢の来賓を前にしてきたプライドにとって大して珍しくもない数である。むしろ少ない。
「ジャンヌさんはこんぐらいの数余裕だと思ってました」
「ええ……なんだか、アレとは気分がまた違って」
幕から一歩後退れば、アーサーに背中が軽くぶつかった。
反射的に両手を肩に添えるようにして受け止めてくれたアーサーに「ごめんなさい」と一言謝り、胸を押さえる。直後に深く息を吐き切った。
これから自分は王女でもなければ、むしろ新入り未熟者として客の前に立つ。そう思うだけで大衆を前にした時よりも心臓がバクついた。
ラルクとステイルの賭けを抜いても、自分の所持金からチケットを買って観に来てくれた客の大事なサーカスの時間のいくらかを新入りの自分が浪費する。その事実の重さを前世の庶民感覚を持つプライドは知っている。
「大丈夫すよ。ジャンヌさん予行練習も成功ばっかでしたし、衣装もか、かわ……」
ゴグン、と直後に喉が鳴らされた。
最初は落ち着かせてくれる声を掛けてくれていたアーサーが、だんだんと肩に添えてくれた手もじゅんわり熱を持ってきているのが肌を通してわかった。途中からは声も掠れたまま止まったアーサーへ振り返れば、顔色まで熱っている。
プライドと目が合った途端、アーサーの熱が更に悪化した。一度はもう目にした筈のプライドの衣装と化粧なのに、それでも今自分が言おうとした言葉を考えたら急に鼓動が早まった。
衣装が似合ってる、となら言えたのに、〝可愛い〟ともっと良い言葉を言おうと思ったら一気に口が悴むように固まった。
猛獣使いのようなチョッキ姿のプライドは可愛らしいが、衣服単体でいえば可愛いという系統が合っているか自信がない。
更には化粧は舞台映えになるように強い印象の化粧の為、可愛いより格好良いと言った方が正しいかと頭が一瞬言葉を躊躇わせてしまった。彼女全てひっくるめてなら可愛いと思うのに、しかし衣装や化粧単体だと違う感想になる。自分でもよくわからない。取り敢えず可愛いと言うのも恥ずかしい。
急に唇を結んだアーサーを見つめながら、元気付けようとして逆に緊張が伝染してしまったのだろうかとプライドは首を傾ける。
プライドが疑問いっぱいの表情になってしまったことに、アーサーも口の中を噛んだ。勢い余って血の味がしたが、今はそんなことよりもプライドにちゃんと最後まで伝えるべく自身を奮い立たす。
「似、合いッます、し……!!」
「!ありがとう。アーサーのその衣装もすごく素敵よ」
絞り出すように言ったアーサーの言葉に、プライドもほっと息が出た。
ぐっと拳を震わせるアーサーは、それでもやはり言葉を尽くせなかったのが歯痒く眉間に力が入ってしまう。格好良い、とせめて言い直したいが、可愛くみえるのにそう言うのは嘘な気がして言いにくい。
しかしプライド本人はアーサーが一生懸命褒めようとしてくれたのだろう気持ちが嬉しく、自然に肩からも力が抜けた。昨日自分が気にしていた分のフォローだろうかと思いながら、改めて向き直りアーサーを上から下まで見る。
サーカス本番の為に着替えから化粧や髪までセットを終えた今はプライドだけでなくアーサーも本番の身支度は終えていた。
空中ブランコに出演する為、今は動きやすい本番衣装に身を包んでいる。
「その衣装、アランさんとお揃いあって良かったわね」
「はい。わりと動きやすいです。……なんか、服の構造わかりにくくて落ち着きませんけど」
腹出てますし、と。
露出された腹筋を自分で摩りながら溢すアーサーは、言いながら首を捻る。ズボンはまだ良い。太い黒のベルトを乗せ、ギラついた刺繍こそ施されているが着ている分は肌触りも悪くない。それよりも問題は上だ。
素肌の上にジャケットのような衣服、袖は長いにも関わらずそこから前は布を交差するかのようにして身体に巻き付けている。結果として腹も見えれば胸元もばっかりと開き、横腹もチラチラと見えている。
アーサーのその衣装を見ながら、確かに彼には理解しがたいデザインだろうとプライドも理解する。ティアラと行ったアネモネ王国の服飾店に売っていそうだと思う。更には、服が上下揃って鮮やかな深青色でギラギラとラメのように光り輝いて、王侯貴族のパーティーのようにも見えた。
スポットライトに反射させる為の必要工夫だとは予行練習でアーサーも理解するが、それにしても派手過ぎると自分で思う。似合わないと袖に通す前から諦めていたアーサーだが、露出部分は未だにどうにも落ち着かなかった。着ているのか肌けているのかはっきりしたい。
「けれど格好良いわ。流石アーサーね」
「ッい゛!え、……〜っっ、……ありがとうございますすンません……」
さらりとまた褒められたことに反射的に否定したが、直視したプライドの笑みを見た途端顔ごと逸らし腕ごと使って覆ってしまう。
アーサーとしては何百鏡を見ても自分には似合わない。よくわからない服自体格好良いとは思えない上に、ギラギラピカピカしてるのも変だと思う。ギラギラ素材など自分は着る機会もなければ、派手な刺繍も入ってステイルが着りゃあ良いのにと思う。
しかし、目の前のプライドは間違いなく偽りない心からの笑みだった。
真っ赤になったままアーサーが恥ずかしがるのも気に入らないのもわかるプライドだが、サーカスの衣装としては普通に格好良いに入ると思う。タイツのようなレオタードよりもずっと自分は好ましい。
ジャケットのような衣装も、鍛えられた身体を見せる露出も、まるで前世のアイドルのステージ衣装のようだと思えた。もともと顔も整っていれば、騎士として鍛えられた身体のアーサーなら似合わないわけがない。それは、同じ衣装のアランも同じだろうとも。
プライドの護衛の為に誰よりも先に着替えを済ませたアーサーが今はプライドに付いていた。ステージの出番もプライドと同じく後半の為、今は身支度を終えて比較余裕もあった。
「それにお化粧するアーサーってなんだか新鮮で。すっごくお似合いで格好良いわ」
「っっっやめて下さい……!ほんっと化粧とかマジ似合わねぇですしアランさんは殆どまんまなのに俺だけ!!団長さんがなんかすっげー塗りたくってきて」
「おいアーサージャンヌ!幕前でいちゃついてんじゃねぇ!サラマンに燃やさせっぞ!!」
続くプライドからの猛攻褒め攻撃に、堪らずアーサーが座り込んだところだった。アレスからの怒鳴り声に、それでもアーサーは顔を覆い動けない。
化粧など今までの人生で縁の無かったアーサーにとって、塗られた違和感も凄まじければ鏡も直視するのも恥ずかしかった。
貴族や王族ですら男性でここまで派手な化粧はしないことをアーサーは式典でよく知っている。女性のような鮮やか過ぎる化粧に、紅まで唇に塗られる時は抵抗までしてしまった。どうせ仮面をするんだから化粧なんかしなくて良いじゃないですかと言い張ったが、団長には届かなかった。
しかもその後に会ったアランの化粧は、あくまで男性の化粧の域だったから余計に恥ずかしい。なんで自分だけと思いつつ、こんな女みたいな顔をプライドに見られているのも本当は嫌だった。
しかしプライドからすれば、もともと整った顔立ちのアーサーに化粧も似合うと本気で思う。アーサーを前に化粧が乗りに乗ってしまった団長の気持ちも理解できた。今の派手な衣装には当然顔も負けないように派手な化粧は必要だとも考えれば、むしろアーサーはサーカスとしてはこの上なく正しい格好である。
そして、そんな褒め合う二人を前に本番前で忙しないアレスが苛立ち怒鳴るのも当然のことだった。
プライド達と同じく身支度こそ終えたアレスは自分の準備こそ問題ないが、化粧が自分でできる人間が少ないと裏方の仕事にも回されていた。
普段の彼からは想像できない衣装で歩き回るアレスに、プライドも顔を上げたところで怒鳴られたショックも抜けてしまった。
誰?という言葉を飲み込み、口端の引き攣ったまま足だけを幕の傍から離れるように動かした。
アーサーもプライドに腕を引っ張られ、よろよろとだが幕から退く。プライドが動くと共に護衛としてなんとか顔は上げられたアーサーだが、火照りが抜けない今はプライドからの視線を向けられるだけで心臓がバクついた。観客全員に注目されることよりも、プライド一人に見られる方が遥かに緊張してしまう。
「なんだどうした緊張しているのかアーサー!汗を掻きすぎると化粧が落ちてしまうぞ?!」
「ッ団長?!なに堂々と舞台裏に出てきてやがる!なんで出る気満々なんだ!!」




