Ⅲ12.専属侍女は外出する。
「!おはようございます。外出ですか?」
早朝、外出着に身を包んだ私は同僚である侍女からの呼びかけへ笑みと共に言葉を返した。
侍女は基本的に休みというものはない。生活の保証と引き換えに主人の快適な生活を補助するのが役目だ。私自身こうして侍女として以外の時間を与えらるようになったのはここ最近からだった。
もともと侍女としての一日が馴染んでしまったこともあり、私自身も大して休みを必要としなかった。どうせ帰りたい場所もなければ、恋人もいない。
お暇を頂けたと伝えればどの侍女も羨ましそうに笑ってくれる。時間が経つのは早いもので、他の侍女達と比べても年配である私はもう城の中でもベテランに数えられる。
『家庭も恋人もいないのに何故わざわざお暇を望まれたのですか?』
昨夜、そんなことを若い侍女に尋ねられた。彼女には恋人がいて、常に恋多き人生だと語っていた。
きっとそんな彼女には、私がわざわざお暇を頂く理由どころか外に出る理由も不思議でしかないのだろう。
侍女がお暇を望む理由は「家族」か「恋人」に会いに行くという理由が多い。もしくは恋人作りか。そのどれにも縁が無い私では首を捻られることは珍しくも無い。ただでさえ、私達が働いているのは国で最も安全で鉄壁とされる城だ。普通の貴族のもとと違い微々たる額とはいえ給金を頂けることもあれば、丸一日体制でなく就寝できるほどのまとまった休息時間も得られることが多くその上で生活は保証されている。わざわざその城から出て
〝危険〟で〝汚い〟城下を女一人で歩き回ることは好まれない。
前女王の頃は、責任を持たない使用人ほど外出しそのまま逃げて帰ってこない者もいた。
治安の悪い城下よりも前女王のいる城内の方が遙かに空気も悪く、そして恐れられていた。広大な城内の至る所で血や死体の臭いが立ちこめる時期もあり、悪臭を緩和する為だけに城内に薔薇が増やされたほどだった。内部の醜さに反して、外部の煌びやかだけは年々増していた。
それでも現女王であるティアラ様のお陰で、革命後は見違えるように私達使用人も働きやすくなった。もういつ女王の気まぐれで殺されるか、いつ死体の処理や清掃を命じられるか恐れることもなくなった。
前女王の時は侍女も使用人は誰もが休息すら与えられなくなった。国も最も尊ばれる王族に尽くせる誉れ高い立場を許されながら、何故休息などを欲しがるのかと。そう考えることこそが王族に対して……いや女王に対する不敬だと声高に宣言されれば、私達もそうと頷くしかなかった。
ただ、その日を生かされているだけで感謝しなくてはならないと私自身も思うようになっていた。城の外の治安は悪くなる一方で、城で働くことでその治安からは身が守られていることも事実だった。
正気の者ほど、女王を恐れて城から何も言わずに逃げた。女王も末端の人間を追って罰するほどは興味を持たないことが幸いだった。結果、前女王の統治下でも城で働き続けた私は今では侍女の中でも古株に数えられている。よく言えばしたたかに、…………正直に言えば卑怯者だったから、ただ生き延びただけの私が。
城門をくぐる為、女や侍女だと気付かれないように服装や格好には充分気を遣う。フードや帽子を深く被り、長い髪は見えないように必ず纏める。身体の形もわかりにくいように、だぼついた上着は必須だ。本来であれば馬車を借りれれば一番安全なものの、無駄に使う金銭もない。
早足で歩き、誰とも目を合わせないように俯き気味を意識して決めていた場所へと向かう。
『ゆっくり過ごされてください!大丈夫です。どうせ使われることもない宮殿ですから』
休みを取る私へ気を遣いながら笑い混じりに言ってくれた同僚の言葉が頭に巡る。
前女王の治世にはその身の回りの世話に配属されたこともある私が今勤めるのは、王宮に隣接された今は無人の宮殿だ。前女王や現摂政がまだ王女と王子だった頃には暮らしていた宮殿だが、世代交代と共に〝女王〟や〝摂政〟が住まうべき王宮に移った。十六歳の誕生日を後に離れの塔から宮殿に移られる筈だったティアラ様も、間もなく女王となり王宮に住まわれている。
今では特別な王賓が訪れる時に客室として使用するくらいだろうか。
無人の宮殿を、常にいつ何時でも使用できるよう常に完璧な状態を維持するのが私達の仕事だ。侍女しか見ないまま玄関や廊下に花を飾り、そして枯れ始める前に取り替える。一度も使われないままベッドのシーツを取り替え、埃を払い、拭き掃除を繰り返す。
誰がそこに暮らすわけもなく、ただただ無意味に管理と維持を続ける。今の陛下に世継ぎが生まれれるまではこの暮らしが続くのだろう。悪いものではない、むしろ前女王の治世と比べれば本当に気楽で、こうして外出する理由を見つけるほどに心の余裕もできるようになった。
衣食住も身の安全も確保され、給金などなくとも生きていくことに不便もない。
そんなことをぼんやり考えながら歩き続け、ようやく目的の場所に辿り着いたのは昼にも近かった。城の方向に振り向けば、城の一部が見えるのもほんの小さくで、自分でも遠くまで来れたものだと関心する。
王都から離れても、城下では比較治安の良い草原は私以外にも人が大勢くつろぎ憩い合っていた。下級層か中級層だろう少年達が駆け回り、川をまたぐ橋の上から小石や花を投げている子どももいた。
心洗われる光景を眺めながら、なるべく見晴らしの良い場所を探して歩く。以前に、同僚の侍女から恋人にデートで連れてきて貰ったと聞いた場所は彼女の語った通りに綺麗で、目を奪われた。
少し小高い丘まであがれば、草原を見渡せた。青い空と合わさって、本当に平和な時代が来たのだと思わせられる。服の内側から私は大事に仕舞っていたそれを取り出し、盗まれないように落とさないように両手で包みながら呼びかける。
「見えますかマリーさん」
そう、彼女の私物だった小さな小さな針箱に尋ねる。生前の彼女が、とても大事にしていた刺繍針の入れ物だ。
マリー・クレランド。当時、侍女として右も左もわからない私を指導してくれた先輩の侍女であり、恩人だ。当時から我が儘姫と有名で侍女から恐れられていた前女王に怯える私を熱心に指導し、侍女として育ててくれた。
ローザ女王が憔悴して亡くなり、前女王が王位を継ぐと共に私達もまたそのまま王宮勤めを命じられた。
マリーさんはともかく私は優秀だったからではなく、ただあの女王の身の回りの世話をすることを当時の王宮勤めの侍女達や女官長達が拒んだからだった。ローザ女王の死をきっかけに城を去るベテラン侍女もいれば、自ら王宮以外の配属先へ移動した侍女も多い。
それでも暫くは大きく私達の生活が変わることはなかった。侍女の仕事をこなしつづけ、マリーさんは間もなく侍女として最も立場ある女官長にまで繰り上がった。「他にいなかったので」とマリーさんの言った通りの理由で。
それでもまだ良かった。辞める侍女は多かったけれど、それだけだったから。
女王就任当初こそ「死刑」と命じられた侍女も多かったけれど、当時の摂政であるヴェスト摂政がすぐに取りやめにされ大事には至らなかった。その摂政も女王に処刑され……と言われていたけれど、投獄されていたらしいと最近わかった。
どちらにせよヴェスト摂政がいなくなった頃にはもう、前女王のいたぶる興味は私達のような下々の侍女ではなくなっていた。
それなのに、前女王が十六の誕生日を迎えた頃。
「甲高い悲鳴がクセになって耳から離れないの」と口遊むようになった。
今までは足蹴か城から追い出す程度で済ませていた女王が、侍女を「気に入らない」という理由だけで次々と手にかけるようになった。
目が気に入らない、顔が気に入らない、醜い、存在が嫌と。本当に、幼少時の頃と似たようなくだらない理由で侍女の処分を決め、不敬罪や侮辱罪と銘打ち殺していった。その場で女王に斬りつけられた侍女もいれば、女王の連れる衛兵に髪を引っ張られたまま拷問棟へ連行され帰ってこなかった者もいる。
マリーさんは前者だった。
当時、前女王が初めて刃を向けた侍女を庇い、先に斬りつけられた。女王の侍女殺しで最初の犠牲者だった。
あの時の恍惚とした前女王の笑みと、冷たくなったマリーさんの姿は今でもよく夢に見る。
理由なんかない、ただ殺したかっただけなのだと使用人の誰もが理解しつつ、刃向かえる者などいるわけもなかった。誰もマリーさんと同じ道を辿りたくなかった。…………私も含めて。
結局、行くところも帰る場所もないからと逃げる勇気ももてず侍女として空気に徹し続け、目の前で殺されていく侍女全てを見殺しにし続けた私が今では城でも長いベテランに数えられ、上の立場を与えられるようになった。
立場が上になればなるほどに、望む配属先に移動できる。無人の宮殿勤めを望んだのも私自身だ。
革命で、城内部に招き入れられていたラジヤ帝国の兵が突如として「ティアラ王女と手引きした者」を排除するべく暴れ出した。立場の低い私達使用人も「怪しい」「目についた」と理由で次々と虐殺のように標的にされた。
騎士団が駆けつけてくれるまで地獄のような光景だった筈なのに、今思えば…………妙に私は落ち着いていたなと自分で思う。
もう、人の死に慣れすぎてしまった。城に来る前にも母や父、そして妹達の死も目にして、城で働いてからは侍女達と続けたせいで、あの頃にはもうどうも思わなくなった。ただ逃げて、逃げて、ラジヤの兵から私を庇って撃ち殺された衛兵にも驚きこそしても、足を止めずに逃亡してしまった。けれどあそこで足を一度でも止めたらきっと私も死んでいただろう。革命後に死体安置場で探し、同僚だったらしい衛兵に聞けば「ジャック」という名前だった。昔、私がまだ侍女を始めた頃に同じ宮殿で働いていた衛兵だと、そこで気付いたが罪悪感すらわかなかった。
「不思議ですよねここもフリージアなんです。城下で、……私達が歩いてこれるような距離に、こんな綺麗な場所があったんですね」
マリーさんの遺品に、独り言のような声で呼びかける。
マリーさんの亡骸は、家に引き渡されることはなく処分された。マリーさんは貴族だったけれど、当時最初の犠牲者だったマリーさんは身体の損傷から家に返せる状態の亡骸ではなかった。
あくまで「侵入者に殺された」とされたマリーさんだったけれど、…………今思えば不幸中の幸いだった。その後から侍女の死はその数の多さからステイル摂政の命令で「盗みを働いた」「女王に毒を盛った」と罪人と刑罰として処理されることも増えたから。
マリーさんの家も、城に断られればそれ以上亡骸を要求してこなかった。けれど、私物だけでもどうかと望まれて私が遺品を纏めた。きっと女王の報復が怖かっただけで、マリーさんの死に何も思わなかったわけではないだろうと思う。
取りに来たのも使用人ではなくわざわざマリーさんのご家族で、本当にマリーさんは裏家業に殺されたのかと引き渡し役の私は尋ねられた。
……女王からの報復が怖くて口を噤んだ私に「形見にどうか」とマリーさんの針箱をお願いしたら許してくれた、マリーさんと同じ優しい人達だった。
マリーさんは自分のことをあまり話さない人だったけれど、時折刺繍で心を安らげていると話していた。マリーさんを助けることもできず、今更死の真相を話すにもマリーさんの家がどこにあるかもわからない私にできることは、せめて自由になった今マリーさんの遺品を少しでも自由な場所に連れてきてあげることだけだった。
ずっと城で、私達の誰よりも女王の下で働いて、好きな時間は侍女部屋にこもって刺繍をするだけだったあの人を、死後だけでも連れ出したかった。亡骸もなくどこかに墓を立てられたあの人の魂が、本当はどこにいるのか私にはわからないから。
「マリーさん。…………幸せって、生きるって何なのでしょうか」
答えのない問いを、空に投げかける。
平和な国になり、侍女としても平穏と立場を確保できた今だからわからない。ずっと、生き抜くことだけが目的だったから。
家柄にも恵まれたマリーさんが侍女として頑張ることに意味があったのか、結局庇った侍女も殺されたのにマリーさんが死ぬことに意味があったのか、…………大勢の侍女を見殺しにしてまで私が生きる意味はあったのか。
今誰も住まない豪奢な宮殿を磨き、掃除し、ただ不変を守り続けるだけの人生に、幸せなんてあるのか。
死の恐怖がない。けれど、生きる幸せも感じない。
平和な治世になった今、空虚な私はきっと永遠にこの問いを続けるのだろうと風の音を聞きながら思った。
…………
……
「……ッテ…………ロッテ……ロッテ?ロッテ??」
はっ!と、思わず肩を上下して全身が揺れる。
しまった少しぼんやりしてしまったみたいと、瞬きを繰り返した。まだ頭が冷め切らない感覚に、まさか髪を解きながら寝てしまったのだろうかと考える。
目の前にはプライド様が心配そうに目を丸くしながらも私を見つめておられた。失礼致しましたと慌てて謝罪する私に「大丈夫?」と言葉を重ねながら、顔を覗かれる。
「もしかして体調とか?今日はマリーが休みだし、無理はしないでね」
「!だ、大丈夫です。本当に失礼致しました。マリーさんがおられない分、しっかりと務めさせて頂きます」
姿勢を正し、声を張りながら笑ってみせる。自分でも少し強張った感覚の顔の筋肉に、不思議に思う。何か悪い夢でも見たような感覚だった。いくらなんでも寝惚けるほど気を抜いてしまうなんて、それこそマリーさんに顔向けできない。
侍女に、休みはない。けれど城で働く侍女の私達は就寝の為のまとまった休息時間は与えられ、立場が上になればお暇も難しくない。そして専属侍女の私は給金やたまの休息日も許される。マリーさんも今日プライド様の御許可の元、楽しみを過ごされている。
「昨日はロッテも頑張ってくれたから、その分今日くらい気が緩んじゃっても良いのよ。毎日二人とも頑張ってくれてるもの」
フフッと笑われ、途端に私も釣られてしまう。髪を解く手にしっかりと意識を張り巡らせながらも、……やっぱりこの時間が好きだなと思う。ついつい夢心地になってしまうくらいには。
「マリーさん、今日は楽しんでおられると良いですね」
「そうね。楽しみだと話していたもの」
マリーさんの貴重なお休み。
私にとって侍女の先輩であり憧れの恩師でもあるマリーさんが心安らかに楽しめるように、私も専属侍女として意識を新たに深紅の髪へとまたブラシを通す。
「そういえばロッテは休み、何をしたいか決めてる?」
「とても綺麗な草原のある広場を知ったので、ピクニックにでも行きたいですね」
「!もしかしてデート??」
「いいえ。一人でのんびり」
今回は、と。その言葉を飲み込んで、笑ってしまう。
連れて行って貰ったのが侍女務め後の夜だったから、今度は太陽が昇っている時に、馬にではなく自分の足で行きたくなったとまではプライド様相手にもまだ言わない。
私だって、マリーさんだって、侍女のお休みという自分だけのお楽しみはあるのだから。