Ⅲ120.貿易王子は足を運び、
「結構もう集まってるね」
まだ数メートルは先にあるテントを目で捉えながら、レオンは緩やかに足を止めた。
サーカス開場まで一時間あるにも関わらず、大勢の人間で賑わっていたそこは早くも一本の列が形成されていた。
その最後尾列から、少し位置をずらす。列以外にも大勢の人間が周囲に敷き詰まり同伴者同士固まっていることからも、列は前売りチケットを所持していない者のものだろうと考える。昨日幸いにもチケットを提供されたレオンだが、その後は完売してしまった為残りは当日の立ち見席しかない。
これからチケットを購入するべく並んでいる彼らの背中を見つめながら、レオンはまた背後から続いてきた訪問者に最後尾を譲った。自分達は列ではなく、雑踏側である。しかし一望しても奴隷連れが少ない分、目に優しいとレオンは思う。
当日券の列と違い、開場を待つだけの客は同伴者とまとまっていない。それぞれ開いている空間で足を止めるか、座り込みそれがまた全体の混雑の原因を作っていく。
サーカス団員らしき人間も、当日券の為の列整備はするがその周りの集まって来た客には呼びかけすら行わない。まるで祭りの大通りのような混雑に、レオン達を守るアネモネ騎士達もしっかりと護衛対象の傍に身を固め警戒を引き締めた。
自分達だけでなく、行動を共にするフリージア王国の騎士とも連携し外側を守り自らが盾となり人混みにぶつかる役も担った。周囲にはいくら肩がぶつかろうとも、自分達が守る王族には間違っても不敬にぶつからないようにと意識を張り詰める。
「ダリオ様、リオ様。ここはまだ後続が集まります。もう少し脇の方に離れましょう」
「エリック。右に逸れる方が人も少ない」
「全体的に人混みも左側に偏っているようです」
護衛対象へ少しでも人の集まりが少ない空間への避難を提案すれば、すかさず同じフリージア騎士であるマートとジェイルもそれぞれの位置から見える状況へ伝えた。
エリックよりも先輩であるマートも、ここでは後輩のジェイルと同じくエリックよりも下の立場である。隊は違えと部下に近い関係を遵守し動く。
二人からの誘導補助を受け、この場では最も上官であるエリックが「それではこちらに」と全体の進行方向を促した。自分が先頭を切る形でレオン達を混雑から逃がしていく。
エリックの誘導を素直に受けながら、妙に人の混雑が偏っているテントの左側へレオンは興味本位で首を伸ばした。
「確かに多いね。列が、というよりもあの向こうに何かあるのかな?」
「恐らくは団員テントではないかと。こういった大規模なサーカステントは、あっても団員の控室程度です。団員の練習場所や寝泊まりテント、サーカスによっては動物や器材等も別の設営テントや荷車に保管しています」
詳しいね、と。セドリックからの解説にレオンは素直に関心する。
アネモネ王国にも城下に大規模なサーカス団が訪れ行脚もするが、レオン自身は城に招き呼ぶことはあってもまだ足を運ぶまではしたこともない。そうでなくともサーカスという商売組織については理解していても、そんな裏事情までは流石に知らなかった。
レオンからの賞賛にセドリックは「昔本で読んだことがあります」とだけ答えた。そのテントの向こうに裏舞台があるのだと考えれば、自身もまた覗いてみたい欲はある。もともと高い身長のお陰で周囲よりもしっかりと人の視線の先や注目の向こうが見えるが、裏舞台には興味もあった。しかし、護衛である騎士達にこの人波を自分の我儘の為に横断させるのも気が引け、結果として首を伸ばすだけで我慢する。
昨夜宿に戻った後、瞬間移動で訪れたステイルとの情報共有を行ったセドリックとレオンは相談の結果そのまま引き続き〝商人〟としての宿屋で一夜を明かした。
どちらにせよまた商人としてサーカス団に訪れなければならないのならば、自分達を移動させるステイルの負担を考えても宿を維持する方が賢明である。
今朝はアネモネの騎士から保護した奴隷被害者の報告も受け、命に別状はなく返還に応じられることへの安堵と、逃亡処置をかねてと考えられる〝不良品〟であったことに煮える感覚も覚えたレオンだが、それでも概ね予定通りに進んでいることには満足した。明日にでもちゃんと店が潰えていることも確認できれば良いと思う。
「チケットを持たず入れない者や子どもはこういったサーカス団の練習や裏舞台を見る為にこっそり忍び込んだり足を運ぶことも多いと市場でも聞きました」
「ああ、だから開場前からこんなに人が多いんだね。……?あれ。そういえば彼らは……」
大勢の混雑ですぐには気づかなかった。
ただでさえ自分達以外にもざわざわと話している人間で雑音は多い。更には人の気配に囲まれた状況で、もともと口数の少ない人間がいつの間にか消えていても気付くわけもなかった。ただでさえ護衛対象である自分達は騎士に囲まれて人混みを進んでいる最中だ。
どこかな、と。騎士の誘導に足を動かしながら、きょろきょろとレオンは首を回した。レオンの呟きにセドリックもハッと息を飲み歩きながらも慌てて見回す。確かにレオンの言う通り、同行していた人数が三人減っていることに気が付いた。
まさか何か、もしやラジヤのと。不安で血色すら悪くするセドリックだが、レオンは騎士達同様そこは冷静だった。自分以上に高身長の彼ならすぐに見つかる筈だけどと考えながら、会場テントでもその裏側に通じる側でもない全くの別方向へ見当をつけ目を向ける。
「…………ああ居た居た。多分、見えないけどセフェクとケメトも一緒だよ」
帰ってはいなかったことに安堵しつつ、滑らかな笑みでレオンはゆっくりと腕を振った。
途端に人混みの向こう側から目つきの悪い友人が嫌そうに顔を顰めた。
隷属の契約で暴力を振るえない分、舌打ちを何度も鳴らしながらも肩から突っ込みねじ込むようにしてレオン達へ直通距離で向かって行く。いつもならば退いていく人も今は態度の悪い他人に冷たく、わざと気付かない振りをしてその場に立ち続ける為にレオン達の元へたどり着くには時間がかかった。
しかも自分一人ならばまだ良いが、両手に繋がっている二人の内まだ小柄な一人は人と人の隙間に挟まりなんどもつんのめる。途中からは手を引くのも面倒になり、仕方なくケメトを肩に担ぎ上げ自分の胴回りに引っ付くセフェクを身体の一部のように腕で抱え込み大股でずかずかと突っ切った。
ヴァル達がやっと合流できた時には、レオン達は既に人混みから少し距離の取れた端に陣取れた後だった。会場テントの入り口にはまだほど遠いが、それでも目で捉えられる位置である。
他の早い者勝ちで埋まるチケットと異なり、団長から与えられた特別な前売り券は最前列の為別段前を陣取る必要もない。
「結構時間掛かったね。君、今回はその姿失敗だったんじゃないかい?」
「そうよ!!いつのヴァルなら顔出すだけで皆離れるのに!!」
「うるせぇ!!そもそもテメェらが腹が減っただ喚きやがったからだろうが!!」
ヴァルだってお酒買ってたじゃない!!と直後にはセフェクが更に噛みつく。
続いて両手が塞がっていたヴァルに代わり未開封の酒瓶を抱えていたケメトは、少しでも機嫌を直すべくヴァルへ酒瓶を持ち上げた。「どうぞ!」と雑踏の中でも聞こえるように声を張れば、ヴァルも顔を凶悪な顰めながらも乱暴にそれを受け取った。
しかし今はその険しい凶悪な顔すらも、セフェクやケメトそして周囲の人間にはたんなる不機嫌な男の顔にしか見えない。一般人以上の恐怖感は皆無だった。
フィリップの特殊能力により姿を別人に帰られたヴァルは、人混みの中ではただただ不利だった。出店で食べ物を買いたいと主張した二人に、本人もいつもの調子でレオン達から離れ単独行動をしたが、人混みの流れに沿う屋台までの道のりと違い、その後の逆流は力尽くでなければ難しかった。
隷属の契約さえなければ腕でも肩でも足でもナイフでも使って道を開けさせたかったと、ほんの十数メートルの間に百は考えた。いっそ特殊能力でまた地割れをとも考えたが、その場を去る為ならばまだしも暫くここにいなければならない現状では無駄に人混みの雑音を騒動にかえ自身の耳を痛めるだけである。
酒の栓を歯で抜き、ぐびぐびと怒りのままに喉へ流し込む。まだサーカスが始まる前から雑踏に殺気まで零すヴァルは、セドリックからの「ご無事で安心致しました」の言葉も完全に無視をした。
「僕らはわりと面白かったかな?道を開けてくれる人もいないけれど、逆にわざわざ集まってくる人もいないから」
「!確かに。市場で少し慣れてきましたが、やはり注目を浴びないというのは新鮮です」
そうレオンとセドリックの王族会話にヴァルはケッと吐きつけた。
ヴァルと同じく姿を変えているレオンとセドリックにとって、自分達が歩いていても全く注目されない感覚は新しかった。本来ならばたった五人の護衛では隠しきれないほど注目を浴びる二人である。黄色い悲鳴と歓声が上がり、一目見ようと人の流れが自分達へと集中することが当たり前になっていた彼らにとって雑踏の中をただ進むのも貴重な経験だった。本当ならば存在と一声で道を開けてくれるのだから。
「でも、君達さっき市場でも食事買っていたじゃないか。どうしてわざわざ出店でまた買うんだい?」
「知るか。セフェクなんざ妙な人形まで買いやがって……」
「!!こっ、これは別に良いでしょ!!記念にって言われたら欲しくなるじゃない!!隣の的当てと比べたら絶対手に入るし……」
「サーカス見てねぇうちから記念もクソもねぇだろ」
何よ!!と、水をかけたかったが人の目があり過ぎて流石に堪えた。可愛らしい狼の人形を抱えながら、代わりに拳でぽかりとヴァルの横腹を叩き目を尖らせる。
ここに来る前にも宿から向かう途中の市場で食事を済ませたヴァル達だったが、サーカスのテントに近付いた途端に市場とは別で設営された数々の出店にはまた別の魅力があった。
全て、サーカス開演の情報を聞きつけた商人の設営出店である。
ケルメシアナサーカスの集客のおこぼれを得ようと出店を周辺に立てた彼らの戦略に、綺麗に吸い込まれていったのがセフェクとケメトだった。開場前にも関わらず大勢が集まっている数々の要因の一つでもある。市場とはまた違った商品や出店を目当てに集まる子どもや親子も多い。王族のレオンやセドリックにとってはあまり違いがわからない市場と即席の出店だが、その限定感やサーカスという祭りの高揚感に押されて財布の紐が緩む客も多い。
結果、ケメトはサーカス前の高揚感に流され見かけの奇抜な菓子に目を奪われ、セフェクはテントやライオン、ピエロや象などを模した非公式グッズに目を奪われ続けた。セフェクの方は一度はケメトから「サーカスを見た後だと欲しいのが変わってるかもしれませんよ!」とやんわり今買うのは止めたが、そこでヴァルが購入を決めた。
人形など買うこと自体に否定は抱くが、この人混みを帰りにまたかき分けて出店に来させられる方が倍面倒である。しかも、こういう祭り系統の出店は少し目を離した先から売り切れている場合が多い。売り切ることが最大目標の店は、在庫も大して抱えていない。そしてそれを見て喚くのがセフェクだ。
「珍しいじゃないか。買ってあげたということはわりと君もこの空気にあてられてるんじゃないかい?」
「ア゛ァ゛?テメェの土産をテメェで選ばせただけだ。セフェクがああいう邪魔になるもん最近になって欲しがるようになりやがって」
「セフェクのお部屋、僕も昨日初めて見ましたけどすっごく可愛かったんですよ!」




