そして準備する。
「お迎えにいけなくてすみません。フィリップが準備に時間かかって……」
「?!おッは、ようございますジャンヌ。……申し訳ありません、少々予定より時間が掛かり今戻りました」
閉めますね、と。周囲に人の気配がないことを確認してから手早くアーサーはテントを閉じた。
外にハリソンはいるだろうとはわかったが、ローランドさえ一緒であれば問題ない。それよりもこの状況を他の団員に見られることの方が問題だった。
プライドもテントに入った瞬間に、アーサーの言った準備の意味も理解する。
彼の慌てようにまさか本当に寝坊かとも過ったプライドだが、見ればテントの中は二段ベッドのどちらも綺麗に毛布が畳まれていた。昨日と同じ服を着ている二人だが、そこには違和感を覚えるほどの乱れもない。何より、銀色の髪をひと括りにしたアーサーも、そしてステイルも髪に跳ねの一つなく整っている。間違いなく身支度は終えた後だった。
二人がテントから出なかった理由は、寝坊ではなくアーサーのベッドに平置きされた食料である。
「僕らまでサーカス団の食事を貰うわけにもいきませんから。軽食ですが、母上の宿から簡単なものだけを貰ってきました」
王族の住まう宿。当然ながら備蓄もあるそこで、第一王子が訪れればいくらでも軽食ならば用意はできた。
ただし、……他者には姿が異なって見えるステイルの表出に自分が第一王子だと理解してもらうまでに少し時間が掛かった。
護衛の騎士と侍女達にもしっかりと仮の姿も周知させてはいたが、それでも第一王子らしからぬ衣服のせいもあり最初は軽く騒がれてしまった。専属侍女が声を確認し、互いの合言葉も確かめあってやっと食料調達に及んだ。
その間、ステイル自身もまた専属侍女に御髪だけでもと身嗜みを整えられ足止めを受けた。
予定ではたった三、四人前程度の軽食をすぐ用意されて瞬間移動に戻るはずだった。しかしここまで足止めを受けるなら、明日からは仮の姿の方の宿でセドリックあたりに買っておいてもらうべきかとステイルは真面目に考える。
別に王族の宿でも料理人を起こして作らせたわけでもない、買いまれていたパンと果物そして水だけだ。
自分達の金とはいえ、サーカス団よりも豪華な食事をこっそり食べるのも気が引けた。そしてそれは、自分だけではなくアーサーとプライドもだろうと理解していた上での選択だった。
ありがとう!と見事に朝食を用意してくれたステイルに声を抑えつつプライドは目を大きく開く。空腹というほどではないが、一日三食に身体が慣れている身には朝食を抜くのも力が入らなかった。
見つからない内に食べましょうと促すステイルに、ベッドをテーブル替わりに床へ膝をつこうとすればアーサーが慌てて「ベッド座って良いンで!!」と畳んでいた毛布を持ち上げ食料以外の場所も確保した。
自分の寝床にプライドが腰を下ろすのも気になるが、彼女を床に座らせる方が遥かに嫌だった。
持ち上げた毛布をステイルのベッドまで一思いに放り投げ、自分の分のパンと果物を掴んだアーサーは、後ろ足にまたテントの入り口に立った。万が一にも覗かれてしまわないように見張りをしないと落ち着かない。
二人の配慮に甘えつつ、プライドは最初に果物を両手で持ちベッドに腰かけた。
「二人はちゃんと寝られた?昨夜、けっこう遅くにアーサーの声が聞こえたけれど」
「ええ、大したことはありません。それよりも。……ジャンヌ、何故そのような頭なのですか」
アーサーから「すみません!」と夜中に大声を出した謝罪が飛び出したのも束の間に、今度はプライドがハッと自分の髪を押さえるように両手を頭に上げた。持っていた果物がコロリと膝に着地する。
まさかむくみ隠しとも言えず、「ええと……これは」と言い訳を探す。顔が膨らんでいるのが恥ずかしいと髪で隠したが、よくよく考えれば身支度があまりに抜けているのは自分だったと思い知る。
アーサーが顔を合わせてすぐにぎょっとしたのも、自分の身だしなみの手抜きにびっくりされたのだと思えば納得できた。
衣服こそ着古した布でも、侍女にしっかりと髪を整えられたステイルを前にすれば、手櫛でごまかした自分が羞恥に焼かれる。
「あの、髪は自分で解いたの、よ?ただ……鏡がないから結うのも自信がなくて」
「アーサー、しっかりと見張りをしていろ。覗かれるなよ」
しゅんと首ごとしょげさせてしまうプライドに、ステイルは先にアーサーへ断る。食事もそうだが、こんなところを見られたらまた昨夜の団長に続いて面倒なことになる。
アーサーから一言返されてから、ステイルもベッドに腰を下ろした。食事の並べられた前ではなく、プライドの隣に掛ける。「失礼します」と隣に座ることを断りつつ、そっと彼女の髪を手に取った。
本音を言えば髪くらいローランドにやってもらうなり、身嗜みだけでも一度宿に瞬間移動させるべきか考えたが諦めた。護衛中の騎士に従者のようなことを命令するのも気が引ければ、侍女に任せて妙にきちんと身綺麗になっていても髪の長いプライドは特に怪しまれる。
「あ、あのフィリップ?」
「ジャンヌは食べていて結構です。髪は昨日と同じで良いですね?」
「……はい…………ごめんなさい」
するりするりと手慣れた動きで自分の髪を手で梳いてくれる感触に、申し訳なさで肩が上がりながらも振り向けない。むしろ後頭部をしっかり向けるように座り直してしまう。まるでこれではステイルに髪をやってもらう為に来たようだと思う。
しかしステイルからすれば、最初に見た時のような手櫛で済ませただけの寝起き頭で食事を共にする方が落ち着かない。ただでさえ昨日のままの無防備な服を着ているのに、そこで寝起き眼とゆるやかなウェーブがかった髪でベッドに座られて食事など妙な緊張感を覚えてしまう。今は自分に後頭部を向けてくれる彼女の背後の方が落ち着いた。
単純な三つ編みで良かったと思いながら、深紅の長い髪を丁寧に編み込んでいく。ぱくりぱくりと、自分が髪を結いやすいように慎重に朝食を食べるプライドに気付きつつ手早く終えようと手先に集中した。……が、途中二度気付かれないように手の甲で目を擦った。
ステイルのその様子に、アーサーも口には出さず少し顔を顰める。不眠が慣れている自分と違い、ステイルにとっては連日の睡眠不足だ。
「…………ジャンヌは。ちゃんと眠れましたか」
「!ええ、ローランド達のお陰で」
どきり、と。心臓が跳ねたが、今度はなんとかプライドも誤魔化した。
眠気に負けないように話題を投げたステイルにも気付かずにまさか「よく眠れませんでした」とは言うまいと口の中を飲み込んだ。
昨夜早々に灯りを消してベッドに横になったプライドだが、ハリソンとローランドという二人が傍にいることと気まずさの所為でなかなか眠れなかった。薄く日が登り始めたと思ったところで意識が遠のいたから、きっと眠りは浅いだろうという自覚だけはある。
そんなプライドの背後で、深紅の三つ編みを無事結い終えたステイルはアーサーに視線を上げた。
途端に、パンを頬張った口のアーサーが無言で首を横に振って返す。絶対寝れてないという意思表示に、ステイルも発言の前に溜息を吐いてしまう。
「今日は公演二回終えれば良いだけですし、合間には休息ついでに仮眠も取ってください」
「えっ、いえ!本番なんだからちゃんと練習しないと……」
「無理をして失敗された方が大変です」
テメェもな。その言葉をアーサーは口の中に飲み込んだ。
実際はステイルも充分眠気に襲われている。昨夜は自分の責任もあるが、やはりもう数時間はこのままテントで寝ていた方が良いんじゃないかとアーサーは考える。
「終わりましたよ」とプライドの髪束から放しパンへと手を伸ばすステイルも、正直早朝過ぎたのも食欲もわかない理由だった。第一王子としても早い朝を習慣づけているが、サーカスの朝はもっと早い。
「おいラルク!!!肉半分消えてんのまたテメェだろ!!」
「僕じゃない、ライオンたちの分だ」
話しかけるなと何度言えばわかる、と。続く冷ややかな声色を聞きながら直後にプライド達は一斉に気配を消した。
息も一時的に止め、咀嚼も止め、声のする方向へ神経全てを研ぎ澄ます。互いに目で会話し合うつつ、誰の会話からは明らかだった。
テントの入り口に立っていたアーサーから、口の動きと指差しで猛獣小屋の方を示される。自分達の方に近付いているのではない。全員が集まっている食堂テントではなく、ラルクの扱う猛獣達のいる小屋にアレスが怒鳴り込んだところだった。怒声の理由も、アレスの怒鳴りを聞き終えた後のいまは考えるまでもなかった。
「ルイス達が人間用に分けた肉をやることねぇだろ!!」
「料理長が人間にしか気を回さないのが悪い。さっさと練習に戻れ」
「夜に大テント荒らしやがったのもテメェだな?!グレの大道具今から塗り直しすることになったのわかってんだろ!!」
「うるさい知るか。ペンキをあんなところに置くなと言っておけ」
やっぱりテメェじゃねぇか!!!とアレスの怒号が続く。それに対してラルクの声は耳を澄まさなければ聞き取れない域だったが、人の出払った外ではしっかり拾えた。
二人の歩速を教えるようにわかりやすく自分達のテントを横に抜けていく。猛獣小屋から大テントへ去っていったのを確信するまでは、覗くアーサーだけでなくプライドとステイルも身動ぎ一つせず沈黙を貫いた。アーサーから二本指で丸を示されてから、二人揃ってごくりと食事の続きを喉に通す。
「……ジャンヌ。そういえば、小耳にいれておくことがあります」
息を吐き切ったところで呼びかけるステイルに、プライドも振り返る。
なに?とアレスの怒鳴り声で完全に目が覚めた目でステイルを見つめ返す。口元に片手の平を当てながら尋ねるプライドに、ステイルはそっと耳を借りるべく彼女の髪を耳にかけ直した。失礼します、と一言と共にプライドも自分からステイルへ耳を傾け聞く体勢になった。
こそりこそりと、少し距離を開けているだけのアーサーにすら拾えない声で囁いたステイルにプライドの目はみるみる内に丸くなる。「それって!」と途中声が上がったが、それでもステイルから落ち着いた眼差しで返されれば途中で口を噤んだ。
「大丈夫です。ジャンヌも御存知の筈です。ただ、前もって話しておくべきだとアーサーに言われましたので報告したまでです。ジャンヌは御自身のことだけお考え下さい」
「……そういえば、ヴァル達は?リオやダリオにも昨夜会ったのでしょう?」
ステイルの言葉に頷きで返してからのプライドの確認に、ステイルも小さく笑んだ。
「今日来るのよね」と彼らも客としてとはいえ訪れてくれることも彼女の安心材料になるのならと、そう思いつつ「勿論です」と潜めた声と共に彼女の分のパンを握らせた。
食事の続きを促し、昨夜瞬間移動で彼らと行った情報共有を分かち合う。
レオン達とセドリック達の聞き込み調査の状況と、そしてセフェクケメトも昨晩からヴァルと共に宿に合流していると。セドリックによる貧困街の招待も恐らくは成功だと言われれば、プライドもパンをぱくつきながらも肩が下りた。少なくとも授業参観の危機は免れた。
パンと果物、そして水と。きちんと朝に軽食を取った時には、プライドだけでなくステイルも静かに頭が回り始めた。
また大テントから人が出てこない内に、そっとアーサーが開けたテントの入り口を潜り外に出る。予行練習の時間まで、なに食わぬ顔で訓練所へ戻ろうと大テントの前を早足で横切った時。
「レラちゃ~~ん!!どうしよぉおお!!衣装また入んなくなっちゃったぁ~~!!」
「あ、あああアンジェリカちゃん落ち着いて!今すぐ私直すから!ねっ、ねっ!!?」
「だから食い過ぎんなっつったろブタ女!!!!」
「アンジェリカさん、衣装を着るのはまだ早過ぎます。調整するのならその間だけでも練習をしましょう」
「アンジェリカさ~ん、いい加減練習してあげてくださいよ~。流石にカラムが可哀想すぎますって。同じ新人のアランなんてとっくに訓練所ですよ?」
「「「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」」」
「…………だい、じょうぶよね?きっと」
「まだ、予行練習までも時間はありますし……」
「取り合えず、訓練所急ぎましょう……」
大テントから聞こえてくる騒ぎ声に、三人は押されるように急ぎ訓練所へと逃げ込んだ。