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フリージア王国備忘録<第三部>  作者: 天壱
侵攻侍女とサーカス
194/289

Ⅲ118.担う者は越えられない。


─ 忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ忘れろ


『おい四十六番!!いつまで寝てる!!さっさと席に着け!!』

お前らみたいなゴミに教育してやるだけありがたく思え、と。……その常套句も耳が腐るほど繰り返された。今思えば教育というより調教だった。奴隷へ〝調教〟と呼ばれるものは、もっとえげつない洗脳だと知ったのはかなり後だ。


親は、わからない。俺がいた奴隷商は規模もでかくて捨て値商品から高級品まで取り扱っていて、物心ついた頃にはもうそこが家だった。

奴隷は赤子でも持ち込まれて売買されることもあれば、奴隷が奴隷を増やすために〝生産〟することもある。俺のいたところは両方やっていた。だから親に売られたのかそれとも親も奴隷だったのかもわからない。


奴隷っていっても全部が全部肉体労働じゃない。家畜と一緒で、赤子からの奴隷育成もやっていたそこは、ガキであるほど教育して高額奴隷に育てていた。文字の読み書きや数字に言葉遣い、掃除や洗濯に料理。成長に応じて学ばされることは増えていく。最初は全部無理矢理詰め込まれて、全部が及第点にいかなければ見切りをつけて奴隷が〝まとも〟にできることだけ徹底的に教え込まれる。どれも何も役に立てない奴は肉体労働用の奴隷にされるか夜伽を教え込まれ、それでも売れ残れば最後の最後は処分される。

奴隷の命は家畜より安い。そのくせ死んでも肉すら食ってもらえねぇ。


─止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ止まれ


『この塵が!!計算を間違えるなんざ!今夜は飯抜きだ!!』

生まれた頃から出来の悪かった俺は、なんとか残ったのが文字の読み書きと計算だけ。三日に一回は計算を間違えてボコられたが、それでも生き残ることはできた。

計算を突き詰めれば足し引きだけで済まされない。商人や屋敷や家庭の経理用の奴隷にする為に経理まで学ばされた。他の教育は全部捨てて、ただ用途を伸ばす為だけに学ばされ生かされる。高度な計算ができればできるほど、売るときの価値も跳ね上がる。


売られる為でもあそこから抜け出す為でもなく、ただただその日処分されない為に身につけた。

ガキだった俺には、あれが地獄か当たり前かもわからなかった。周りの奴隷達が不良品になって処分されるのを見る度に、ああしないと死ぬんだなと思い知らされた。

やっても言ってもどうせ無駄で、自分が処分されるだけなんだと知っていた。頭の中では「うるせぇ」といくら吐き捨てても、口では「はい」と「わかりました」「すみません」しか許されない。


起きて寝るまで机に縛り付けられて、ひたすら課せられた項目をたたき込まれる。

人どころか、俺と同じ奴隷と顔を合わせるのも寝る時と週に一回運動場に出される〝自由時間〟だけだった。俺みたいに机に縛り付けられる奴隷はそれがないと身体より前に頭が壊れる。奴隷同士の潰し合いなんか狙われるのは弱いか売れない使えねぇ奴隷だけ。俺はガキの頃でも身体がすぐ出来てたからあの時だけが本当の自由だった。

価値と同じで奴隷は年齢じゃなく、教育を終わった時点か〝売り時〟と判断されたら売りに出される。最初は少しでも高く売る為に競売に出され、いつまでも売れない場合は商品棚に放り込まれる。

愛想がなかったことと、確か一番は「子どもに経理を任せられない」と吐き捨てる客がわりといた。体格はガキの頃からでかくても、顔はガキのままだ。数年置けば売れるだろうと、店の安物棚で売られ続けた。多分、あの時が一番身体だけは楽だった。


─ 戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ戻せ


売り出される前みたいにたたき込まれることはなく、毎日経理の技能だけ忘れねぇように復習を繰り返していれば殴られることも減った。

商品になったら自由時間も外の空気を吸うこともなくなって、鎖に繋がれ狭い檻にいれられたまま暇することの方が増えた。人といえば奴隷商か、商品を見に来る客しか見ない。商品の入れ替えや仕入れ、客を見るのは良い暇つぶしで習慣になった。同じ檻に収容されなければ、他の奴隷と顔を会わせることもない。向かいの檻は見えても隣の檻は隔てて見えない。

それでも、本当に身体だけは楽だった。買いにくる客に良く見えるように餌も与えられ殴られることも減って鞭もなくなった。図体がでかくなるまで生かされるらしいことも聞いてたから、わりと気も楽な方だったんだと思う。他の奴隷と比べれば良い方なんだと思い込んでいた。

奴隷ってだけで最悪の立場ということも本当の意味でわかっていなかった。


『どうだい?私の──』

立ち止まった物好きにも商品の俺から断ったこともある。商人に聞かれなくて運が良かったし、聞かれてたら舌ぐらいは抜かれてた。あの時、譲らずなりふり構わねぇで飛びついていたら、全く違う人生だった。あの時は本当にそれが間違っていないと思って疑わなかった。まだ、……奴隷というのを甘くみていたのも正直あった。

あの時はまだ、自分が売れ残りの安物棚でも良い立場だと思い込んでいた。二、三年したら買い手がついて、少なくともそれまでは死ぬことも嬲られることもないんだと。檻から逃げようとも思わず、ただただ自分の身体が成長するのを待ち続けて毎日暇をした。

商品棚に並ぶまでずっと毎日教育に終われ続けていた俺に取って、年単位の猶予は初めての安心だった。数字さえ忘れず技能さえ衰えさせなければいつかは買い手がついて、餌貰いながら主人の出す書類の計算をし続けられれば良いと。……もう、生き方も死に方もそれで充分だと諦めていた。




特殊能力に目覚めるまでは。




『それでは本日の目玉商品!特種能力者!その名を皆様もご存じでしょう。大国フリージア王国で生まれるとされる神秘の存在!!皆様ご存じの通り……』

本当に、あっという間に終わった。

特殊能力を発現して奴隷商に知られてからすぐ安物棚から引張り出され、高額競売にかけられた。最初に俺が掛けられた値段の十倍以上の額から始まって更に跳ね上がった。

今まで、商品になるまで血反吐吐いて身につけたものなんか全部意味が無かった。〝特殊能力者〟というだけで価値が変わった。……〝特殊能力者〟という言葉自体、まだ知らなかった。


売れなかった時はただただ俺はその程度だったんだと思うだけで落ち込むこともなかったが、……目の前の人間全員がギラギラと目を光らせてきた時は怖じ気が走った。

初めて息が詰まって、足が震えて声もでなかった。呼吸も上手くできなくなって、息の吸い方も吐き方もわからなくなって喉はヒューヒューと音を立てるのが自分でもわかった。バクバクと自分の心臓が仕事をしている音を聞いた。

〝物〟として見られることも〝家畜〟以下で扱われることも慣れていた筈なのに、今にも涎の垂らしそうな顔で値を釣り上げ続ける連中は俺達よりも人じゃなかった。まるで今から焼いて食おうとしているような客の興奮と熱量に潰され、落札の音が鳴り響いた時には膝が落ちて動けなくなった。

首輪の鎖でずるずると引きずられ水をぶっかけられ、初めての〝主人〟に引き渡されるまでの記憶は殆どない。引きずられた時すら首が絞まったことよりも、あの視線の渦から離れられたことばかりを繰り返し頭で反復した。

息不足の頭は白くて、あのまま死ねたら楽のまま終われたんだろうなと今も思う。初めて正式な所有物になって、一番最初に知ったのは



焼き印だった。



『あ゛ッあッ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああ゛あ゛あ゛ああ゛あ゛あ゛ああ゛あ゛あ゛あ゛ああ゛あッ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッ!!!!!』

その家の〝所有物〟だという証。良くも悪くもそれまで所有物になる前の奴隷にしか会ったことのない俺は、葉巻程度の大きさしか知らなかった。あんな程度の痛みとはわけが違う。

動かねぇように押さえ込まれ、寸前まで竈の中に突っ込まれていた鉄を背中へ焼き刻まれた。ジュワジュワと焼ける音と肌から肉まで溶ける振動が四肢を暴れさせていても生々しくわかった。

今までにない激痛に、馬鹿みたいに喚き叫んで脂汗を垂れ流した。殴られるよりも鞭で皮を剥がされるよりも比べものにならねぇ激痛で、水桶に顔を沈められた時よりも息が苦しく喉が干上がった。

焼き印を引かれても、のたうち回るほどの激痛は消えず暫くは叫び続けた。やっと舌が回る程度に痛みが引いた時には、そんなの言う意味がねぇとわかるのに痛みでバカになった頭で痛みの反射に「すみません」を繰り返した。懲罰を受ける度口についていた。

痛みが残る背中で鎖を引かれ歩かされ、馬車の荷台に放り込まれ屋敷に運ばれたその後は









…………後は?









「時間だ。出てこい」

…………誰かに、起こされる。ああクソ、なんだ俺……なんでこんなところに。

力の入らない足で立ち上がり、言われた通り開けられた扉を潜る。ジャラジャラと鎖の音が耳鳴りみたいに鼓膜をザラつかせる。寝起きは耳が拾ってうるせぇ。

一歩一歩、ふわふわした頭で進めばしびれを切らせた男に鎖ごと引張り込まれた。「さっさとしろ!!」と怒鳴られても今更なんとも思わねぇ。

引っ張られたまま前のめりに首が伸びて、そのまま転んで床に鼻先から額もぶつけた。「なにやってる!!」ってまた怒鳴られても答えが出ねぇ。駄目だ本当に頭が働かねぇ。曇ったみたいに何も浮かばない。最近は本当に何も考えることなくなったから、考える頭もなくなった。汚ねぇ床に突っ伏したまま首輪を引っ張られ引きずられる。……なんか、昔もこういうことあったような。

数十センチ引っ張られて首が絞まったまままた気が遠くなった時「なにやってる!」とまた別の声が聞こえてきた。

こいつが動かねぇだ傷物にしてどうするだとぎゃあぎゃあ揉め出す。


「大体テメェが殴った後にあの薬打ち過ぎたせいだろ!!!文句言うなら運んでみろ!!」

「しょうがねぇだろ!!会場であんな暴れやがったんだぞ!!俺が打たなかったら今頃客全員逃げてた!!!」

……何言ってんだこいつら?

ぼやけた頭で思う。視界もぼやけて汚い床とバタバタ動く足しか見えねぇ。声を拾いながら、言っている意味がわからねぇ。俺は、なんでこんなところにいんだ?

直前の記憶が、うまく思い出せねぇ。八つ当たりみてぇに何度か腹を蹴飛ばされても息が詰まるだけで背中を丸めることもできない。必死に頭を回しても、考えること自体が難しい。

取り敢えず早く起きないといけねぇんだともう一度床に手をついて立とうとしたら、妙に鎖が重く感じた。最近まで鎖のある生活自体がなかったからわからない。……あれ、そういやあ。


〝旦那様〟はどこだ??


『さぁ安心してくれたまえ。私は野蛮なことは嫌いでね。ここに来たからにはもう大丈夫だ。君はただ、そこにいてくれれば良い』

ズキリッと頭が痛む。意味もわからず両手で押さえれば、今度は震えが沸いた。痛覚が戻ってきたのか急に背中まで疼き出す。いてぇ、あちぃ。

頭に浮かぶのは旦那様の気持ちわりぃ笑顔だ。ああクソあのジジイ。最初から俺はあのジジイが気味悪かった。


胸の中に黒いもんが渦巻いて胃が煮えると同時に、身体が正直にガタガタと奥歯まで振動し始めた。汗がダラダラ流れてきて、一気に身体が冷えてくる。まともに自由が効かない身体の所為で堪えることもできず喉が鳴る。そうだ、なんで俺はここに()()()()んだ???

一瞬、昔に戻ってんのかとすら思う。俺は、競売で売られて、あの成り上がり商人ジジイに買われた筈だ。

屋敷にも連れてかれて、部屋を与えられて、鎖も外されて、最初は本気でまともな暮らしかと期待した。気持ちのわりぃニヤけたジジイにも言われるとおり従った。与えられた部屋は今まで奴隷として与えられたどの部屋よりも広くて清潔で、生まれて初めてのベッドにソファーに椅子に机や敷物に一日三食の餌もあって鉄格子もなければ窓と呼べるものもなく




壁と透明の壁の二種に覆われた〝飼い箱〟だった。




『ほぉ、これがご自慢の奴隷ですか。まさか特殊能力者とは初めて見ました』

『特別な力を見せられるとか?こんななにもない部屋でもですか?』

『ええそうです。本当に、手に入れるのに苦労しました。さぁペス。皆さんに見せてくれたまえ』


「ぁ、アア゛ッ、ああああああ゛あ゛あ゛ッッ……」

「?!おい!苦しみだしてんぞ!!本当に死ぬ量打ってねぇだろうな!?」

なんで、なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで!!!!!!!!!!!!!

頭が燃える。割れるみたいに熱くで血が逆流する。両手で押さえたまま爪を立てても痛みが紛れねぇ。いやだいやだ思い出したくねぇんだあんな暮らし!!!

勝手に頭で蘇る記憶を潰す為に喉を張る。内側から破けてもいいくらいの声で紛らわす。燻る足をバタつかせ床や鉄格子に当てつける。

息がゼェハア乱れて見開いた目の奥がチカチカする。抱える指に力を込め過ぎひっかいたら伸びきった爪がパキリと音を立てた。うまく力が入らねぇ指に頭を押さえるのを止めて掻き毟る。ああクソ思い出した。頭がおかしくなったんだ。


─旦那様は俺を観覧動物として飼った。


『……すること?そんなのないよ。君は普通に過ごしてくれれば良いんだ』

奴隷収容所の暮らしの方がまだ生きていた。

最初は楽園かとも思った暮らしだった。何もせずとも殴られず嬲られず背中の痛みさえ忘れれば、これが貴族の暮らしかと思えるほどだった。毎日餌に困らず殺されることにも怯えず屋根と壁のある場所で寝て風に晒されることもない。

たまに命じられることも特殊能力も見せろというだけだった。それだけで旦那様の客は喜び目を輝かす。生まれて初めて拍手を浴びて褒められた。今までの地獄みたいな教育がなんだったんだと思うくらいに楽な生活だった。

ベッドに有頂天になって三食の餌にかぶりついて、床に何時間手足伸ばして転がっていても殴られない。人に見られる生活も監視される生活も慣れていた俺には透明の壁も苦じゃなかった。何日か、……何週間か何ヶ月かわからねぇ間、寝て食うだけの生活は死ぬほど贅沢だった。

俺を買ってくれた旦那様に感謝すらしたこともある。言葉だって心から整えてやった。それだけ最初は安心した。

生きてるだけで死にたくなることがあるなんか知らなかった。


毎日同じ壁と同じ景色と閉じられた空間で、旦那様が見に来るか餌係が来るまで視界に入るものが何も変わらない。

何も課せられず、何もすることもなく、音もなく、あれだけ習慣化された数字にも触れず、暇には慣れてたのにあの時が充実と思うほど時間の過ごし方もわからなくなった。ただ餌を食って寝る以外になにもないで一日が終わる繰り返しは、脳が解けるには充分だった。

今までの〝暇〟なんて言葉の枠に入らない。旦那様は俺の特殊能力にしか興味はなく、会話もない。ただ箱にいれられただ何もなく〝生きていることしか〟許されない。


─ 旦那様は飽きるのも早かった。


『寒い?そうかそうか。…………あとどれくらい冷えても平気かな』

ふざけんなこっちは人間なんだ死ぬに決まってる特殊能力者かなんだか知らねぇが寒けりゃ死ぬんだよ。

真冬に暖炉もない箱の中は毛布一枚二枚で足りるわけもなかった。今までの奴隷商のどの檻だって最低限奴隷を死なさず壊さないように火くらい焚かれた。

寒いと青白くなった手足で訴えれば、むしろ新しい発見のように笑んできた。

その頃には既に俺を客に自慢しきった後だった。二度三度と足を運んでも、頻繁に俺を見に来ることはない。当たり前だ俺は本物の化け物でも伝説の生き物でも妖精でも化身でもなんでもねぇ特殊能力しかない奴隷だ。

毛布にくるまってガタガタ震えて懇願しても、冷えた餌以外与えられない。熱が出てぶっ倒れてもただただ観察されるだけだった。

固形物の餌なんざ喉を通るわけもねぇ。無理矢理食ってもすぐ吐き出した。なんでいきなりこんな目にと思っていたら、旦那様が本性だろう冷たい目で「友人が君と違って珍しい特殊能力の奴隷を買ったらしい」「君の特殊能力はフリージアではさして希少ではないそうだ」と溢した。知るかよ俺は俺以外の特殊能力者に会ったこともねぇ。

やっと、この暮らしが天国なんかじゃねぇことも、旦那様がまともじゃねぇことも理解した。


─ 旦那様は逆らうことを許さなかった。


『ああそうかそうか。それが君の本性か。いいねぇ、そっちの方がフリージアの化け物らしい』

ざけんな気狂いジジイ顔も見たくねぇ死ねと。見られねぇように壁を覆えば、それから三日間水すら与えられなくなった。飢え死にかけて動けなくなったところで、無理矢理餌を飲み込まされて生かされる。俺を殺すも生かすも主人次第なんだと思い知らされた。


口汚く怒鳴り散らしてやっても愉快に笑うだけだった。もっと早くそういう姿を見せれば見世物としても楽しませることができたのにと手を叩かれた。

特殊能力で壁を叩き壊せば、ためらいなく撃たれた。ぶっ倒れて目を覚ませば暴れないように暫くはベッドに縛り付けられ治るまで起き上がることすら許されなくなった。

なんで閉じ込められているのが外部と指一本でも繋がれる鉄格子じゃなく密閉された透明の壁だったのかそこでやっと理解した。

競売に掛けられた時からずっと旦那様は俺の特殊能力を警戒していた。逃げる可能性を知られた日から、食事の全てに薬を盛られた。食わねぇと死ぬのに食ったら手足に力が入らなくなる。

奴隷教育時代のたった一時間の自由もない。外の天気も季節も時間も何もわからないままにただただ息が詰まる箱の中で生かされる。

死んでやろうと思った時、箱の中には死ねるようなものが何もないと気がついた。特殊能力がようやく役に立った。破片で首をかっ切った。薄れる意識の中で、……なんで死のうと思ったのかも思い出せなかった。


─ ……嗚呼、そうだ。俺は。


「ッどうせ売られるのが嫌でまた暴れてるだけだろ!!良いからさっさと引き渡してこい!!」

「俺一人でできるかよ!!お前もついてこい!!」

俺は、また売られた。

今日、ついさっきの筈の記憶をやっと思い出す。また〝死なせてもらえなかった〟俺はそのまま旦那様……あのジジイに奴隷商へ引き渡された。これ以上傷物になって価値が下がる前にと売り飛ばされた。


あの気狂ったジジイとの生活から解放されるのは良かったが、……またここに戻ってきちまったんだとわかれば安心なんざできるわけがなかった。

もう何日か何年ぶりかもわからないその舞台に上げられ、悪夢みてぇに同じ売り文句で目の前で値段を煽られた。あの変態ジジイの時ほどの最初から高額じゃなかったのは、唯一同じ文言の中で〝中古〟だと付け足されたからか。

不思議なくらいに今回はあの気味悪ぃ目の渦に何も感じなかった。最初の時はあんなに吐き気で立てなくなったぐらいでも、今日までの生活と比べたらなんとも思わなくなった。むしろこの雑多の中に俺の卸値を待っているジジイがいるんだと思った瞬間、胸糞悪くなって胃が煮えくり返った。

視界が真っ赤になって、気がつけば喉を張り上げて暴れてた。獣みてぇに吠え、繋がれた両手も届く限り床も柱も台も壊しまくった。何人かに床へ押さえつけられて、特殊能力をなんでも良いから触れるもの全部に使いまくった。あの場にいる全員死ねば良いと思った。……そっから、記憶がない。

ぶつりと途切れてこのままだ。時間と隔絶されたあの箱の生活がどれくらいの期間だったのか、わからねぇ。


……「引き渡し」ってことは、あんだけ暴れても俺の新しい〝飼い主〟は現れたのか。

気付けば、またずるずると引き摺られている。頭がいてぇまま今は繋がれたまま引っ張られる両手と両足をバタつかせる。「離せ!!」とやっと舌が回ったら、俺を引き摺る奴のどっちかが「ほら薬抜けてんだろ!」と怒鳴った。薬……また薬か。

薬漬けの生活だったのに、まだ薬が効きやがるのか。ずるずる引き摺られながら、獣そのもので床で暴れ続ける。特殊能力出して床に縫い止まろうとしたら、まだ上手く特殊能力も出なかった。パキリパキパキとすぐに引き摺られるまま剥がれ折れる。ああクソ今度こそ死んでやる。

できれば大勢を道連れにして。そう頭に浮かんだら、歯を食いしばる。死ぬならなるべく早く死にてぇ、買われるのも飼われるのも弄ばれるのも嫌だけど何よりもまたあの焼き印が待っている。その前に絶対死ぬ。もうあの痛みは二度と嫌だ。死ぬよりも嫌だ。

「ア゛、ア゛、ア゛ア!ア゛!!ふ、ざけんなこのクソ野郎共!!!離せ!!テメェら全員殺してやる!!!誰があんな!あんな!!もう!!!」



「おおっ!!また暴れてたか!素晴らしく元気が良いな!」



ハハハハハッ!!とジジイらしい嗄れた声とわざとらしい舐め腐った喋り方に、……一瞬血が凍った。

本当にまたああいうジジイが現れたと思う。気付けば喉も肺も止まって、冷たい汗がぶわりと噴き出した。

背中から引き摺られるままそこで止まり、今度は床へ野郎二人に押さえつけられる。目を声の方向に向けるのもできねぇ。駄目だもう直視もできねぇ。

すぐに暴れる筈が、たかが似たようなジジイの声だけで身体が凍り付いた。このままいっそ心臓も凍って止まれば良い。目を開いたまま瞬きもわからなくなる。

背後で俺の引取りと支払いが行われる音を聞きながらどうやって逃げ……いや違う逃げるじゃねぇ死ぬ、いや殺、駄目だまた頭が馬鹿になった。

ジャラジャラと鎖じゃねぇ、金を数える音が繰り返される。奴隷についての文言を聞いても頭に入ってこねぇ、それよりもこの後が来るのが怖い。嫌だあれだけはもう、どうやれば、どうやれば俺は今死ね


「ああいやいや焼き印なんてとんでもない!もうそんな金もないのでね、前の所有者痕もこちらでなんとかします。この子はこのまま連れて帰ります」

空っぽの、声が出た。

焼き印、って言葉に心臓が気持ち悪く脈打った瞬間に続く言葉に耳を疑う。それだけは逃げようって思ったのに、いきなり無しにされて気が飛ぶ。無意識に目が疑うままに声の根源に向かっていた。


やっぱり、初老のジジイだった。姿勢だけは良いにこにこと笑うジジイはどこか覚えもあるような感覚と白々しさもあったが、あの変態ジジイほどの気味の悪さはない。

上等な服に身を包んでいるのに、財布代わりの革袋は随分古く、汚れていた。床に押さえつけられたままの俺の視線に気付いて見下ろしてきた途端、へらへらした笑顔で手を振られた。そこでやっと乾いた目が瞬きを思い出す。何年ぶりの瞬きだ?


奴隷商どもに無理矢理起こされ、立たされる。両手と両足の鎖と、首の枷がついたまま、鍵を持った俺の飼い主になったジジイに突き飛ばされる形で引き渡される。手足の力が入らないまま転んで今度は地面に両手をついた。けど、……今回は本当にこのまま焼き印が無いらしい。

前は、背中の火傷にのたうちまわってこのやり取りを見る余裕もなかった。

それではこれで、と。帽子をとって礼をするジジイは、そこで受け取った鍵を隣に立っている優男に手渡した。多分ジジイの連れか、従者かそれとも俺と同じ




「ラルク。彼の手はお前が引いてくれ」




鎖もここで解こう、と。……言葉が、続いた。







…………







……














「………………………ぁ。……」


また、あの夢だ。


「……、…ぁ…っ。……ガ……ハ、ァッ…………ハッ……」

ぼんやりと、うすぼやけた視界で夢だとわかった瞬間に、息が詰まった。仰向けのまま腕で目を擦って拭う。……ああクソ。なんで毎回この夢ばかり。


何度も意識して呼吸を深くし整える。浅い息から酸素を肺まで届かせる。ゼェゼェと自分の息の音がうるせぇ度に、一人のテントで良かったと思う。

まだ、あの時の夢を見てうなされる。テントの外がまだ暗くて、夜なんだと確かめてほっとする。まだ起きなくて良いことと、……外の時間がわかる場所にいることに。

擦っても、拭っても、まだ目が滲む。奥まで熱い。汗で全身気持ちわりぃのに、顔もだ。こうなるとまずい。今日は結構深い夢見たから大分引き摺ってる。ふざけんな今日本番だぞ、早く寝ねぇといけねぇのに。もう一年経つんだぞ。

汗で湿ったベッドを、自分から毛布ごと転がり落ちる。床、床、床が良い。今日はもう床で寝る。

最悪のことが蘇って、気分が悪くて吐きそうだ。何度吸っても息が苦しい。意味も無く足をバタつかせて、喉ごと古傷を掻きむしる。駄目だ、もう思い出すな。もう、違う、違うちがうこと思い出さねぇと



『さぁここが今日から君の家だ!歓迎しよう!!なぁにすぐに仲良くなる!!』



「っ団ちょ…………ハ、っ……っクソッ……」

記憶を、塗りつぶす。

思い出す前に、あの卑しい気味の悪いジジイを思い出すより前に、他で潰して消す。本当、本当に駄目だあの夢だけは。

結構深く見てた気がするのに、目ぇ覚めてから思い出すのは一番クソな部分だから始末がわりぃ。

背中まで熱い。汗じゃない、もう痛くねぇ筈なのに虫が這いずってるみてぇに疼くしまた焼かれてるみてぇに熱い。もう、焼き潰したのに、出てくんな。

夢が襲う、悪夢に飲まれる。死ね、夢でも死ね。駄目だまた寝れなくなる、寝れても続き見る絶対嫌だ。




『君は希望だアレス』




「……ーーっ……団っ……ッすまね……っ……」

ズビッ、と鼻を啜る。ここにいねぇのに、自己満足でまた謝って、……また何も出来ず明日になる。

止まらない水に、目ごと両手の根で押さえつける。未だに本人には言えてねぇし言えねぇ。俺が言っちゃいけねぇのに、あのくれた言葉を思い出す度に胸が潰される。言われた時は光って見えたのに今は縄だ。悪夢に水をかぶせたつもりなのに逆に首を絞められる。また死にたくなる。このままだと大声で叫びそうで、隣に聞こえる前に奥歯を食いしばる。

やっぱ奴隷商に捕まったの、思ったより引き摺ってんのか。もう団長が帰ってきたのに、それでも見るのか。いつまで見るのか、…………見ねぇ日は、くるのか。


「……っ……ひ……、ぐッ…っ……、……っ」

食い縛っても音が漏れて、暑いのに毛布を頭から被る。

手探りで探してもなくてベッドに落ちてたのを引っ張り込む。ガキでもねぇのに何度この年で泣かねぇといけねぇんだ。泣きたくねぇのに涙が出るし喉が攣る。

頼むから誰も起きてこねぇでくれ。毛布に隙間を作らねぇように身体全部包まって足も背中も丸めて蹲る。

頭でごちゃごちゃ考えて潰しても、やっぱり目を閉じると裏側にあの光景が映る。一生これ以上の地獄を見ることはねぇだろう。





─俺はまだ、あの時貰った役割すら果たせない




「…………〜〜っ……死ね……ッ……」

毛布を握り、反対でシーツに爪を立てる。

音を殺し声を殺し、自分自身に吐き捨てた。


本日二話更新分、次の更新は火曜日になります。よろしくお願いします。

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