Ⅲ117.騎士と義弟は内輪揉め、
「……なァ」
「なんだ」
防犯の為、小さな蝋燭の灯りだけを残したテントに二段のベッド。
組み立て式の簡易ベッドは窮屈感さえ目を瞑れば縦にも詰められる。平均身長を上回る二人だが、横幅と体重はベッドに影響もなく収まることができた。
上段で両足を曲げ屈むようにして眠るステイルも、下段でベッドから足を零して伸ばすアーサーも大して不便さは感じない。幸いにもつい先日にシーツを全て洗濯し終えていた為、ベッドの上の清潔感は最悪というほどのものではなかった。
防犯のための小さな灯りの存在は暗闇での就寝を好むステイルには少し気になったが、それも睡眠を妨げるほどの違和感はない。むしろ現状のプライドよりは遥かに。
「ジャンヌさん、ハリソンさん達とで寝れてっかな……」
「だからお前が寝れば良かったんだ」
ぶすっ、と下段で寝転がっているルームメイトに向けステイルは不貞腐れるように寝返りを打った。
掛けていた眼鏡も固い枕元に置き、寝返るままに黒髪も乱れた彼はかなり寛いだ体勢だ。同室がアーサーであることも手伝い、身嗜みにも大して気を払わない。他の近衛騎士が自分の護衛で同室になっていれば、髪や毛布の巻き方や衣服の皺にまで気を払ったがアーサー相手には今更だった。
同じく自分の上段でステイルが寝ていることに大して違和感もなければ緊張感も覚えないアーサーは、未だに機嫌の悪いステイルの方向を仰向けに見上げながら眉を寄せる。「ざけんな」と言いながら、足の指先だけの力でステイルのベッド底を蹴った。
「男女二人だけで同室なんかして変な噂立ったらどォすんだ。つーか立てよォとしたろ」
「別に新入りのジャンヌとなら問題ないだろう。大体、どちらにせよローランドかハリソンさんも同室だった」
そしてもう片方が自分の護衛兼相部屋になっただろうとステイルは考える。
あくまで同室になるのは第一王女ではなくジャンヌ。素性を隠している以上むしろ体裁よりも、堂々と男性と同室の方がラルクや他の団員達への防衛と牽制にもなる。そうベッドに入るまで何度も小言混じりにアーサーへ言ったステイルだが、まだ首を絞められたことは根に持っていた。
もともと、アーサーならばプライドに何もするわけがないとわかった上での推薦だから余計に腹が立つ。私情も入ったのは自覚しているが、自分自身は極めて真面目だった。アーサーが困るとは思ったが、困らせようとしたわけではない。
「ならお前が」
「小さいテントに何人詰める気だ。それともローランドかハリソンさんは外で見張れと?非情だな」
言い返そうとした言葉も見事に上塗り先手を取られる。
わかってはいたがステイルに口で勝てないとアーサーは思わず舌打ちで返した。相手がステイルでなければ滅多にできない返しだ。だが、いつもより切れ味の鋭いステイルへ言葉での反撃としては最大手だった。
ベッドの下からアーサーの舌打ちを向けられ、ステイルも声には出さずともムッと唇を尖らせる。たったその一音だけで「いつまでへそ曲げてやがる」と言われているのが嫌でもわかる。
自分の理論武装は絶対に負けていないのに、それだけでアーサーへ叱られ呆れられてると確信する。ドン!と腹立ちのままステイルも拳を自分のベッドへと叩きつけ、無言の応戦をした。
既に言葉のやりとりも、喧嘩腰の締め括りも七度目だ。お互いにお互いが譲らない。口で言わないぞの合図が切って落とされれば互いが互いに負けずと口を結ぶ。十分、十五分、三十分と時間が経過した。しかし絶対にお互い寝たわけではないと理解する。
「……」
「…………」
「……」
「…………〜〜ッッいや寝れねぇよ!!!!」
俺が!!と。
先にカッと目を見開き声を張ったのアーサーだった。あまりに何の前触れもなく突然怒鳴られ、流石のステイルもビクリとベッドの上で飛び跳ねた。
やっぱり起きてたなと思いつつ、今はアーサーが耐えきれなくなってくれたことに小さくほっと息を吐いた。
直後には外から「うるせぇ!!」と複数の怒鳴り声がテント越しに各方向から返された。既に就寝時間になっていたテントでは団員が明日に備えて身を休めている。
やべっ!とアーサーも慌てて唇を絞る。返事をした方がうるさいことも迷惑なのも騎士団での集団生活の中で理解している。すると今度は上段の方から怒声とは異なる声が聞こえてきた。
くくくくっ……と、必死に音を殺しそれでも堪えきれない笑い声にアーサーもすぐにわかった。実際に覗かずとも、ステイルが腹を抱えて丸くなっている姿が目に浮かぶ。バン!と手のひらで今度はベッド底を叩いた。もう沈黙は自分が負けたと認め、声を潜め口を開く。
「……扉越しでも緊張すンだぞ。寝顔とか見ちまったら死ぬ」
「良い年してそれだけの理由で断るな成人男性。大体ジャンヌの寝顔なら寧ろ俺よりも見てるだろ」
「やめろアレは数にいれンな」
「そうだな今のは俺が悪かった。…………いや」
ステイルも、今のアーサーの「寝れない」が今とそして話の延長線上の意味だということはわかった。
引っ張られるように無意識に自分も沈黙を破ってしまった。つい事実のままに相棒へ指摘をすれば、その切り返しに自分でも驚くほど頭が冷えた。
笑いも引き、深く息も吐ききれば仰向けにまた寝返りを打つ。
「…………さっきのも、突然悪かった。だが、本当に最善だと思ったんだ」
「あー……。……そういやお前、明日の。アレもどォせまた何か企んでンだろ」
静けた声で謝まったステイルに、アーサーも受け取る一音と共に明確にその非を肯定はしない。
ステイルが単なる口八丁ではなく本当に最善だと思ったと信じれば、それ以上自分の口から責める気も失せた。認めて謝った以上、別の話題を投げかける。
アーサーの気遣いも理解した上でステイルもすんなりと「あぁ」と思考をむくれる方向から会話の延長戦へと切り替えた。
お互い小さな喧嘩など今更過ぎて、一度落ち着いたら引き際も区切り方も顔色を見なくてもわかる。
企んでる、ともなると少し人聞きが悪いとまた小さく唇を尖らせたが今はアーサーと普通に会話できる心地良さの方が勝った。ごろりと意図せずまた横向きに寝返りを打ち、眼鏡をうっかり潰さないようにと枕元の位置から少し手でずらす。
あの時は全く指摘をされなかったが、アーサーには気付かれていたのかと少し関心し、……彼には顔色で透けていたのだろうと検討づける。
「別に大したことじゃない。わざわざ共有する必要もないことだから安心しろ」
「ンでだよ。また変な隠し事だったらぶっ飛ばすぞ」
「こんな薄いテントでもし聞き耳をたてられたら無駄になるだろ」
ドン、と軽くだが直後に下段からアーサーの長い脚がステイルのベッド底を蹴った。
まだ反省してやがんねぇのかと言いたいのはわかったが、今度はステイルも涼しい顔で口を閉じた。アーサーが怒ってくれる理由もわかっているが、本当に今回は彼が案じているようなことでもない。
そういう問題になるわけでもなく、ただ外に誰が張っているか聞き耳を立てているかもわからない今わざわざ話そうとも思わなかった。どうせその時が来たとしても、自分側の人間が慌てふためくとは思えない。
しかし沈黙で返すステイルに、アーサーも今度は流さなかった。
ガタンとベッドからひと思いに身体を起こせば、うっかり頭を上にぶつかけた。直前に腹筋に力を込めて留まり、横に転がるようにしてベッドから身を乗り出す。最初に腕を伸ばしステイルのベッドへ手をつけば、突然伸びて来たそれにステイルも思わず上体を起こした。偶然にもあと数センチで顔にぶつかりそうなほどアーサーの指が近かった。
眼鏡までひっくり返されそうだとアーサーの長い指に届かない位置まで掴み移動する。その間にアーサーの腕だけでなく肘までがベッドに乗り上げ、とうとう顔から肩まで自分のベッドに上がって来た。
言わないからといって直接昇ってくるなど思わず「子どもか!」とステイルも声が上げて目を剥いた。
しかし、むすっと唇を結んだアーサーは蒼の眼光を真っすぐにステイルへと照準を合わせる。ステイルと同じく就寝する為に身支度を終えた後だったアーサーは、長い銀色の髪が解かれたまま目から顔にもかかっていた。
寝惚け眼だったら女か幽霊の類だと間違えそうだとステイルは心の中で唱えながら、アーサーを睨み返す。高身長のアーサーが、自分のベッドを足台にしている結果今はステイルのベッドに上体ほどんどが乗り上がっていた。
このまま乗ってこられたらベッドが壊れかねないとステイルは頭の隅で冷静に状況を把握する。
「……本当に別に大したことじゃないぞ」
「ン」
前もって断るステイルに、アーサーは完全には乗りあがらない代わりに自分の耳を向けた。
耳打ちなら聞かれる心配もないだろと暗に示すアーサーに、ステイルも肩を落とし息を吐く。起こした上体を少し潰し、うつ伏せの体勢からずりずりと腕の力でアーサーへと近づけた。
傾けられた耳が銀色の長髪に隠れて薄暗い中ではよく見えない。適当に当てをつけて手を伸ばし、銀髪の隙間から探り当ててすぐ耳を摘まんだ。反対の手で邪魔な銀髪を左右へ払ってやれば長髪の姉妹よりも犬の毛並みでも払っているのに近い感覚だとこっそり思う。
それから自分も口を近づけ、念には念を入れ囁く息の音で説明した。こそこそと例えテントの中で耳を立てていようと聞こえない声量のステイルに、アーサーも聴力を集中させて眉を寄せた。
聞けば確かに、納得はする。なるほどだからと、今日の時々ステイルに見えたわざとらしさや取り繕いの笑みの裏を正しく理解する。
しかし最後に「問題ないだろ?」と溜息混じりに締め括られた瞬間、アーサーはべしりと軽くステイルの脳天を叩いた。
拳ではなく三指の腹で掠れる程度の衝撃は痛みも大してなかったが、それでも突然叩かれたステイルは反射的に頭を押さえる。遺憾の意で睨んでみれば、アーサーの方が先に自分を睨んでいた。
「だァからそォいうことも先言え」
「……問題ないだろう。今回は誰に責任を言及されるようなことでもない。何より、ジャンヌも皆がすぐ気づくことだ」
「一瞬でも嫌な思いさせたくねぇだろ。せめてジャンヌさんにはきちんと明日言え。飛び出したらどォすんだ?」
「…………わかった」
てっきり「なんだ」と安心されて終わると思ったのに怒られ、ステイルはうつ伏せから一度ベッドに顔面ごと潰れた。
これくらいは及第点だと思っていた分、これも駄目だったのかと落ち込みたくなる。それだけ自分は信頼がないのかと、方向違いに思考とへそを曲げたくなる。
突っ伏すステイルへ更にアーサーは「別に信じてねぇわけじゃねぇけど」と眉を寄せた。言われずともステイルが落ち込んだ理由は理解した。
確かにステイルに問題ないことも、自分が何かする必要もないことはアーサーもわかった。言う必要ないと思われたのも納得はできる。しかし、そういう考え方がやっぱりプライドと似てしまっているとも思う。アーサーとしては、できればそこはお互い影響し合って欲しくない。
ここで説教するのがステイルの方か、もしくはジルベールだったらうまく例え話ができるのにと思うが、残念ながら自分ではあまり良いたとえが思いつかない。もしプライドが崖から飛び降りたら、と言おうと思ったがそうなったら追いかけて飛び降りるのが自分とステイルだと自覚もある。
「あとは。平気か?何か他に企んでンことは?」
「ない。……多分。お前こそ平気か?空中ブランコ、アランさんと急ごしらえだろう」
「まぁアランさんとなら平気だろ。カラムさんの方はアンジェリカさんがちょっと心配だけど」