そして息抜きさせる。
「てっきりジャンヌさんは甘いの選ぶかと思いました」
「勿論甘いのも好きです。こっちの、リンゴですよね。もう香りからして食欲そそられますし」
「あ、じゃあベーコンと卵のと林檎の一個ずつ。あと分厚いの二個。全部一個ずつ包んで」
店の正面ではなくむしろ隅から冷やかしにならない位置で見ていたし、てっきり見るだけか買い出しの相談くらいかと思ったのにまさかのお買い上げ!しかも一個ずつ!!間違いなくサーカス団員用じゃない。
まるで最初から決まっていたように注文するアラン隊長に、店のおじさんもそそくさとパンを包んでくれる。薄い一枚じゃ間違いなくアラン隊長のやつは油が染みるからか、五枚以上の紙を使って包んでの有料だ。
正直見てたら食べたい欲もあったからお買い上げは良いとして、せめてお金は!と私が財布を出そうとすればそこはきっちりアラン隊長に止められる。「ちゃんと自分の金で買うんで大丈夫です」と歯を見せて笑ってくれた。
いやサーカス団のお金使うかどうかを心配したのではなく!!
合計四個のパンをお買い上げしたアラン隊長は、やっぱりそれも片腕で抱えるようにして一人で持ってくれた。行きましょうかと、馬車の方へ踵を返す様子に、この店に来る為だけの寄り道だったのだと今知る。
「ほいっ。ローランド、口止め料な」
不意に一番上に乗った分厚いパン包みを一個手に取ると、まるでリレーのバトンを渡すように降ろした後ろ手に持った。
私との間の位置で、人の目にもつきにくい位置だ。突然のローランドへの呼びかけに肩が揺れると、直後には「ありがとうございます……」と潜めた声が誰もいない背後から返って来た。そっと視線だけでアラン隊長の降ろにした手を見れば、もう持っていた筈のパンが消えている。多分ローランドが受け取ったのだろう。
「また腹減ったら食っとけよ」と言ってくれるアラン隊長に、この後のローランドの食事も気にしてくれたんだとわかる。確かに夕食こそ母上への報告で食べれたローランドだけど、明日次に食事できる時間までお腹が空かないとも限らない。
「いやー、なんか美味そうな店あるなって見えたんで。サーカス帰る前にこっそり食っちゃいましょう」
「い、良いのでしょうか……わ、私達だけこんな」
「まぁまぁサーカス団の金じゃない自己負担ですし。本当はフィリップ達の分もと思ったんですけど、サーカス団で食ったら目立っちゃいますし、あとカラムは絶対寄り道で買い食いとか怒るんで」
やっぱり怒られる!?!?
遠目の暗闇と小さなまだら灯りの中であのパン屋さんに気付いたアラン隊長にも驚いたけれど、それ以上にカラム隊長が怒ると聞いて肩が上下する。確かに買い出し中で皆お腹空かせてるのに私達だけ美味しい買い物なんて怒られても当然だ。
けど、ステイルの分もと出たということはもしかしてアラン隊長がお腹空いたというよりも、私に気を遣ってくれたのかもしれない。サーカス団に量重視で買ったパンもお肉もなかなか顎に力が要りそうだし、普段の王族の食事では確かに絶対出ない。その分、アラン隊長が市場で私達でも食べれそうなものをと考えてくれたと推理する方が自然だ。つまりこの買い食いも私の所為!?
あわわと唇が躍りそうになりながら、今からカラム隊長達にどう言い訳しようかしらと考える。するとアラン隊長が「なので」とニカッとした悪びれのない顔で笑いかけて来る。
「これは俺らだけの〝秘密〟ってことで」
内緒、と示すように人差し指を口元に立てて見せるアラン隊長に、気付けば私も声を漏らして笑ってしまった。
なるほど。だからこそのローランドへの〝口止め〟だ。
ハハハッと、声が短く響いて途中から口を片手で覆う。それでも肩がぷるぷるしてしまいながら、頷きで承諾意志を返した。
なんだか皆に内緒で買い食いなんて新鮮すぎて楽しくなってしまった。ステイル達には悪いけれど、ここは買い出し特権の楽しみにさせて貰おう。ちょっと悪いことをしてる感が今は妙にワクワクしてしまう。
馬車へ戻り、ハリソン副隊長も食事は終わったと荷馬車から出てくるなり四本の骨を外に放り捨てた。……意外に結構食べていた。流石騎士。
出てきたハリソン副隊長が再び遠目の護衛に戻るべく高速の足で消えた後、入れ替わりにローランドが荷台に乗り込んだ。透明で姿は見えなかったけど、ふんわりとアラン隊長が渡したチキンステーキとチーズの香りが遠くへ移動した気がした。
運転席である御者席に戻り腰を下ろすと、アラン隊長が膝に置いた三個の内、早速卵のベーコンのサンドイッチを両手に取った。
焼き芋でも分けるように両端を持って千切ると、上手に中身ごと分けてくれた。恐らく毒味分だろう、三分の一を自分で頬張った後に残りを渡される。
私には数口かかるサンドイッチの三分の一をほぼ一口で口の中に収めてしまった。……毒味とはいえ、野菜やベーコンの端しかない部分を渡して申し訳ない。
「ん。美味いですね!俺は好きですよ」
「……!っ。本当に。ベーコンも肉厚で塩加減もちょうど良くて……アランさん、もう一口いかがですか?」
真ん中に近い方が美味しいですよ、と。期待以上にものすごく美味しかったサンドイッチに、感動を分け合うべくアラン隊長へおかわりを提案する。さっきのは絶対ベーコンもほとんど脂身の端だったし、パンの割合も明らかに大きかった。
アラン隊長は笑いながら、いやいやと手を振って自分の分厚いチキンステーキパンを私に示す。
「自分の分はちゃんとあるんでお気にせ──…………」
ぴたっと。
やんわり断られたと思えば、途中でアラン隊長が止まった。言葉だけでなく手の動きまで綺麗に一時停止する。
あまりに真正面で綺麗に固まるから、私の背後に何かと振り返るけど何もない。
アラン隊長??と聞き返し首を傾ければ、ものすごくゆっくりと私へ掲げ振っていたその手が降りた。笑っていた目がもの凄く熱視線くらい私のサンドイッチに向いている。
「……あの、ジャンヌ様。そのまま差し出して下さるのって、直で食っちゃって良いってことであってます?」
「はい。!あっ、すみません、気になりますよね。私が真ん中食べちゃいましたから……」
じゃあ反対側から、と。包みの中身だけ向きをひっくり返すべく両手で持ち直しながら、今アラン隊長が私を〝様〟付けになった気がするとこっそり思う。近衛騎士の中でもわりとすんなり砕けたり順応してくれる人なのに。
サンドイッチもアラン隊長ならわりと気軽にバクンと食べてくれるかなと思ったけれど、口をつけたところは流石に気になるらしい。もともとパンに溢れんばかりに中身を挟んでいたから包み越しにひっくり返すのは結構難し
──バクン、と。
不意に包み越しに苦戦する私の手に、アラン隊長の大きな無骨な手が添えられてすぐだった。
真っ暗で影が重なったのもわからず顔を向ければ、アラン隊長がこちらに前のめったまま大口を開けていた瞬間だった。手元まで引っ込めていたサンドイッチを、気持ちが良いくらいぱっくりとアラン隊長の歯形が私のかぶりつき跡を上塗り重なった。大きく開かれた口に、歯並びが良いなと一瞬場違いに過る。さらにアラン隊長の金色の短髪が私の鼻先に掠れた。
「……ん。確かに!すっげぇ美味いですね!!肉もかなり食い甲斐ありました!ありがとうございます!」
流石言う通り!と、満面の笑みで誉めてくれるアラン隊長の言葉になんだか顔の力が抜けてしまう。本当に清々しい食べ方だった。
食べかけは気にしないと示してくれたのか、綺麗に私の食べた中央を齧っていて、なんだか今更になってじんわり恥ずかしくなってくる。
満面のアラン隊長も、暗闇でわかりにくいけど心なしか血色が少し良いような気がするし、もしかしたら恥ずかしかったのかもしれない。なんでもないように美味しいサンドイッチを食べれたご機嫌のまま自分の包みを開く。
「ジャンヌさんも食います?結構大口もらっちゃったんで、お詫びに」
「あっいえ!……〜っ、い……頂きます……」
私はデザートのパンもきっちりあるのに!!と思いつつ、ここで断ると逆に失礼な気がしてやっぱりもらうことにする。
アラン隊長が差し出してくれるチキンステーキとチーズに、これは一口じゃ下のパンに到達しないなと今から諦める。ちょっと間違えたら崩れるか壊れそうなパンに、しっかりホールドしてくれてるアラン隊長の手を借りながら両手を添えて齧り付く。
ぱくりと、アラン隊長には敵わない小さな齧り跡をつけて美味しく頂いた。
小さい一口でも味の濃厚なチーズがチキン以上になかなかの重量感があると理解する。アラン隊長、これ食べ切ってさらに私のシナモンロールも一口毒味あるの大丈夫かしら。
自分が口を付ける前に最初の一口をくれたアラン隊長に、そういえば私も最初の一口を差し出すべきだったなと反省する。というか、……人の口をつけた食べかけを食べたり食べさせるのは王族貴族としてはなかなか御下品だ。恋人とか夫婦や家族みたいな身内ならまだしも、異性の男性になんて卑しいことを。
前世だとあまり気にしないでやっていたし、買い出しとか買い食いとか怒られないように内緒とかちょっとはしゃぎ過ぎたと自覚する。ハリソン副隊長ローランドどうか見逃して!!
アラン隊長はきちんとそこを配慮してくれたなと思うと、ますます恥ずかしくなる。再び自分のサンドイッチを食べようと思えば、アラン隊長の爽快なかじり跡に数秒だけ躊躇う。いや、でももう開き直ろう。
唇をぎゅっと結び、それから思いきって齧り付く。かぶり、かぶりと食べればやっぱり美味しい。なんだかお腹より先に胸がいっぱいになってる気がするけれどたぶんデザートも入る筈。
そういえば馬車は動かしてないけれど、やっぱり移動しながらだと食べにくいからか、それとも私が酔わないように気を遣ってくれてるのかなとこっそりアラン隊長を隣から覗けば
「っっっっ⁈な、なんっですッか⁈」
……ものすっっごい仰視されていた。
てっきり私と同じく食事に集中してると思ったアラン隊長は、頰杖をついてこちらを見ていた。いつものにこにこじゃなくて真剣な目でじっと見つめられてたから思わず肩まで上下する。
なんだろう、やっぱり王族が食べかけを齧るのはアラン隊長も目を疑うお行儀の悪さだっただろうか。
どぎまぎしながら目を白黒させる私に、アラン隊長がやっと表情を変える。「いえ」と言いながらニッと歯を見せて笑ってくれればいつもの彼だ。
「ぼ〜っと余韻を。……あっ、もう甘いの食いたいですか?」
「いいえ大丈夫です!!そ、そうではなく馬車動かさなくて良いのかなと!」
「あー、俺は良いんですけどわりと揺れますしせめてジャンヌさんがサンドイッチは食べ終えてからの方が溢さなくて良いかなと」
やっぱり私の為だった!!!
そりゃあ御者席で盛大にサンドイッチ溢されたら困るし気を遣うわよね?!
慌ててちょっと大口でガブリガブリと食べると、アラン隊長から「急がなくても大丈夫ですよ」と気を遣われる。でもただでさえ寄り道で待たせてるのに!!
もともとアラン隊長に分けたこともあって、残りの量もすんなり食べ切れた。せめて喉を詰まらせないように最善を尽くしながら口の中を空にする。……その間、何故かアラン隊長が分厚いチキンステーキパンを大口で平らげる方が早かったけれど。
私の鳥が突いたような一口サイズ以外まるっと残っていたのに、先を越されたのにちょっぴり敗北感を覚える。単に私が食べるのが遅いのかもしれないけれど。
私が綺麗に完食したのに合わせ、アラン隊長はシナモンロールを今度は三分の一ではなく指で摘み千切った一口分だけ毒味した。サンドイッチみたいに具が全部挟まっていないだけこちらの方が毒味もしやすい。
どうぞと渡され、今度は溢す心配はないデザートパンを受け取ったところでアラン隊長は馬車の手綱を握った。
「じゃっ、行きますか。揺れますから、もし気分悪くなったら言って下さいね」
バシン!と手綱のしなる音と共に馬が動き出す。
ガタンガタンと座席が揺れながら、私は両手でしっかりとシナモンロールを握り、ひと呼吸置いた。
なんだか慌てて食べてからは味が思い出せない。もっと味わって食べるべきだったと思うサンドイッチの反省を生かし、シナモンロールはちびりちびりと慎重かつ丁寧に味わうことにする。
「あの、アランさん……」
「はい?」
ぱくりと食べては口の中に砂糖と林檎の甘さが溢れ、久々の甘味に舌が痺れそうな感覚まで覚える。
今朝から殆ど食べてなかったこともあって余計に砂糖が美味に感じる。けれど、……甘さを思い出しながらも頭には何故かまだサンドイッチを齧った感覚が繰り返し巡る。
「さっ、さささっきの……食べ合いっこも、内緒で……」
「わははっ!勿論です。折角ですし、これも俺らだけのってことで」
荷台のローランドはともかくハリソンにはバレてるかもしれませんけど、と。
笑いながら許してくれたアラン隊長に、なんだか顔が熱い。やっぱり〝勿論〟と言われるくらいにはアラン隊長も恥ずかしいことだった。
それを付き合ってくれた優しさが身に沁みつつ申し訳なくて首を窄める。……それでも、嬉しかったなぁと最終的には帰結する。
マナーとしては駄目でも、自分の口も気にせず味を共有してくれるのは、私は嬉しいし楽しい。隔たりの無さが感じるもの。
……またやってみようとしたら、困るかしら。
そんなことを、思ってはちょっとだけ覗き見る。
その時はできれば今より困られない方向でと願う。流石に舌の根も乾かない内にまたここで私の食べかけを「ひと口どうです?」と言う勇気はない。
また指に力を込め握り直したシナモンロールをひとくち齧れば、馬車の揺れと勢いが相まってトッピングの林檎に鼻先がうっかりぶつかった。