Ⅲ114.侵攻侍女は息抜きし、
「あ、アランさん。私も一個持ちます。三つ一度ではうっかり落とした時が大変ですし……」
「ああ大丈夫ですよ!こういうの慣れてるんで。前もチラチラッと見えますし、馬車すぐそこですから」
騎士のアラン隊長なら確かにこれくらいの重さ大したことないだろうけれど、バランスゲームに関しては食料がかかっている分手伝いたくなる。
片腕にひと箱ずつとか縦に積んでも二箱くらいならぎりぎり前が見えると思うけれど、流石に三箱ではアラン隊長は前が箱に封鎖されている。私がひと箱持つだけで難易度は各段に下がるのに、王族もしくは女性相手にそんなことはできないと言わんばかりに当たり前に全部持ってくれる。
一番上の箱がいつ落ちるか肝試しされながら見上げる私だけど、アラン隊長の宣言通りさっきと変わらない歩調で箱は全く危なげなく積まれた状態を維持していた。
「……ぶはっ」
首が痛くなるほど頂きの箱を見上げながらぽっかり口も空いていた私に、アラン隊長が急に笑った。
その時だけカタッと箱が揺れたけど、崩れるほどではない。アラン隊長がいつ溢しても受け止められるように警戒していた筈が、逆にアラン隊長を笑わせて妨害してしまったことに慌てて唇をきゅっど絞る。我ながらなかなか子どもみたいな間の抜けた顔をしていたのだろう。我に返った私に、肩を揺らしながらもアラン隊長は「いえすみません」と箱の水平を保つ。
「心配してくださってるんだな~って。ジャンヌさん、手が浮いてましたよ」
くっくっと笑いながら言うアラン隊長は、前方から来る相手も軽々避ける。
手が??と言っている意味がわからずに自分の両手に視線を落とす。今は身体の前に両手を重ねていたけれど、アラン隊長曰く「この形で」と自分の箱を持つ両手を少し位置を上げてみせてくれた。……つまり、無意識に私の両手が箱を持つ手の形に構えたままだったらしい。どうしよう恥ずかしい。
「すみません……」
じわ、と耳が熱くなるのを感じながら謝罪の声だけでも絞り出す。いやいやと笑って流してくれるアラン隊長だけど、私は自分自身に「子どもか!」と言いたくなった。
恥ずかしさのあまり俯いて歩いてしまうと、今度は正面から親子連れが横並びに歩いてきているのに気付くのが遅れた。ぶつかる前にアラン隊長が「こちらに」と反対側の肩に手を伸ばして引き寄せてくれた。私も言われてから、はっと気づいてすぐアラン隊長側に自分から寄ったけれど、……当然ながら腕が二本しかないアラン隊長は、その間箱三縦を片腕に持ち替えてくれていた。バランス大挑戦のアラン隊長より私の方が人にぶつかりかかるとか!!
流石前が本当に見えてるなぁと頭の隅で呑気に関心しつつ、また謝る。荷物も何も持ってないのだから手間を増やさないようにくらいしないといけないのに!
米俵担ぎのように片方の肩に箱三個を縦に抱えるアラン隊長はもうそれだけで曲芸のようだった。しかも、私に気にされないようにか「こっちの方が歩きやすいですね」とそのまま片腕に箱三個、もう片腕で私の肩を引き寄せて歩く。ばっちりエスコートしてくれるアラン隊長が格好良いと思いつつ、荷物がない時よりもしっかりホールドされているのがちょっと恥ずかしい。せめてちゃんともう正面は向いておこう。
「いや~それにしても思った以上に金余りましたね。結構量は買ったと思うんですけど」
「この街自体、物価が安いですから。大国ラジヤとはいえここは属州ですし、……人件費の関係もあるのでしょう」
話題を投げかけてくれるアラン隊長に、さっきの二店舗の総額を思い返しながら最後は声が小さくなった。
アラン隊長の纏め買い上手もあるんだと思うけれど、本当にフリージアの城下と比べれば格安で手に入ったと思う。
ラジヤの本国になればこれほどにはならなかったと思うけれど、全体的な稼ぎの平均額に合わせて売れる値段で売っていることと、そして大量生産するに必要になる人件費も関係しているのだろうと思う。
さっきのパン屋も、そしてお肉屋さんも売るのは恐らく一般人だったけれど背後に奴隷らしい人がいた。調理場にいけばもっといるかもしれないし、接客を任せられない分奴隷が荷物持ち以外にも調理の大部分を担っている可能性は高い。
奴隷は一回買い取りにお金を払えばあとは殆ど食費だけだ。奴隷という敷居自体も値段も低いこの国では奴隷を買って、面倒なことや重労働は全て任せてしまえる。人を雇うよりもずっと安く済むし自分も楽ができる。
結果、人件費が削れた分、売る自分の店の商品も安く済ますことができる。そういった関係の安さもあるのだろう。
つい正直に暗い話題に繋がる返しをしてしまった私に、アラン隊長も「あー」と小さく音を零した。ここは良い買い物できましたねくらいで済ませれば良かったと後悔してももう遅い。申し訳なくなって肩を狭めてしまう。
「……そういえば、ジャンヌさんは大丈夫ですか?こっち来て日は経ちましたけど、初日よりは慣れました?」
「!ええ……はい。元々奴隷については勉強はしていましたし、少しは。……良い気分にはなれませんけど」
初日に奴隷ばかりの環境に表情が硬くなってしまったことを思い出しながら、音には出さず息を吐く。
アラン隊長達は遠征とかの関係で大丈夫だと言ってくれていたけれど、まだ王族の私達のことは気にしてくれていたんだなと思う。
我が国だけでなく遠征や要人警護で国外に出ることもあるアラン隊長達は奴隷制度の国自体初めてじゃない。それに比べて平和に王族として生きて来た私達はそういう酷い現実を知ってはいても目にすることは少ない。
それでも、初日と比べればまだ良くも悪くも心の準備ができた分見慣れた方だと思う。馬車で進む間も、宣伝回りの時も、やっぱりどこに行っても人が多ければ奴隷も多いけれど、それでも視界に入っても調子を崩すことはなくなった。ただ、このまま麻痺させてはいけない。
「人件費がいくら削れたところで、負担が減ったのではなくあくまで肩代わりさせているだけですから。それに、奴隷が負担を減らしても結果としてその所為で働き先を失うのもまた民です」
今のパン屋だって、もし仮に奴隷を三人所持しているのなら奴隷がいなければ一人二人は雇用が空いたかもしれない。そうすれば奴隷になることなく一般の民が雇われて自力で稼いで生活をできたかもしれない。
結局は奴隷を得たことで人件費がなくなっても、民全体で見ればその分働き口を減らして民の立場が今以上に十かゼロかに追いやられる。
教師からも習った知識をしっかりと頭に循環させながら、決してこれが商業の理想形ではないと自分に釘を刺す。レオンだって、民自身の働き口確保の為にもと奴隷制を撤廃していった。
気付けば声を抑えた分少し強い口調になってしまった私に、アラン隊長は「そうですね」と柔らかい声で返してくれた。アラン隊長の方へ視線を向ければ、変わらず三箱抱えながらも落ち着いた表情で前を見ていた。
「自分も任務で色んな場所回りましたけど、やっぱ自分の国に生まれて良かったと思いますよ。奴隷みたいな扱いだって奴隷制じゃない地ならされないとも限らないし、なら無いに越したことはありませんよ」
あっけらかんと綺麗ごとで片付かないというように断ってくれるアラン隊長は、やっぱり大人だ。本当にその通りだと思う。
差別だって我が国はただでさえ特殊能力の存在で他国から受けやすかった。奴隷制度がなくても同盟国が増えても我が国だってまだ成長途中だ。
少しでもそういう弱い立場の民が追い込まれることを減らす為にも、そのきっかけになる制度や風習は無くすにこしたことはない。大国である我が国だからこそ、奴隷制度がなくても国は発展できるのだと世界に見せつけられるくらいにならないと!!アラン隊長に我が国に生まれて良かったと言って貰えるのも、王族としてこれ以上の言葉はない。民がそう言ってくれる国にする為に私達王族はいるのだから。
やっぱり私達王族よりもずっと現実を目にして死地に踏み込んでいったんだなと、当たり前のことを改めて思いながらアラン隊長の男らしい横顔を見つめる。
ちゃんと前を見ないとと頭ではわかっていたのに、朗らかな表情に反してオレンジ色の瞳は真剣に見えて目が離せなかった。途中「あっ」と両眉が大きく上がったと思えば、そこでパッと支えられていた肩の手も離される。正面を向けば、もう馬車の前だった。
「ハリソン悪い、もうちょっと任せて良いか?」
店の小さなランプと星明りだけの真っ暗な視界で、アラン隊長が両手に持ち直した三箱で荷台に呼びかける。
ハリソン副隊長からも一言合意が返ってきたけれど、荷台の奥にいるのだろうハリソン副隊長の姿は目を凝らしてもよく見えなかった。アラン隊長が降ろした箱を一個ずつ荷台へ積んでいく中、ブチッとまたお肉を食いちぎる音と、うっすらと紫色の眼光だけが鋭く見えた気がした。……ハリソン副隊長と同じ目の色の私も、夜中でこう見えているのかしらと思うとちょっぴり心配になる。
今はアラン隊長以外には別人に見えている筈だけれども。夜中の自分の目つきは気を付けようとこっそり思う。
「ジャンヌさん、あっちあっち」
荷を置き終えたアラン隊長が楽しそうな笑みで市場を指差した。さっき買ったお肉屋さんでもパン屋さんでもない方向だ。
時間からして三十分も経っていないし、ハリソン副隊長の食事時間確保に気を遣ったのだろうか。
よくわからないまま店の灯りに目を絞りつつアラン隊長に手をとられ、また足を運ぶ。何か買い忘れたものがあったかしら。
店が並ぶ通りは灯りがそれぞれある分歩きやすいけれど、看板や店構えがわかりやすくしてあるわけじゃないから近くに行かないとなかなかわからない店も多い。
パン屋ほど馬車から離れてない距離で立ち止まれば、さっきのとも趣向が少し違う料理系統……言ってしまえば総菜パンの出店だった。
さっきのパン屋がシンプルなパンばかりだったのに対し、こちらはサンドイッチやハンバーガーにも近い形状の完全食形態のパンが多い。もちろんその分単価は上がっているけれど。
「美味そうですよね。どれが一番好きですか?」
「ええ、本当に。サンドイッチが美味しそうですね。特にこのベーコンと卵のが。アランさんはどれがお好きですか?」
デザート系も美味しそうだったけれど、お肉とパンを見た後だからか興味もそっちに移ってしまう。彩りも他のパンよりも鮮やかなのも魅力だった。
やっぱりハリソン副隊長の食事時間の為に市場探索かと思えば、食べ物の店を選ぶのがなんともアラン隊長らしい。
私からの問い掛け返しに、アラン隊長は「自分はこっちの分厚いのですかね」と指差せば、私の選んだサンドイッチの倍以上の大きさだ。フランスパンのような固くて丈夫そうな厚切りのパンの上に、さらにこんもりとお肉とチーズがかかっている。バーガーというよりもパンを皿代わりにしたチキンステーキのような印象だ。アラン隊長らしさすさまじい。
私もあまりの迫力に押されてしまった「すごい迫力ですね……」と月並み過ぎる感想に、アラン隊長も笑い声で返してくれた。
「てっきりジャンヌさんは甘いの選ぶかと思いました」
「勿論甘いのも好きです。こっちの、リンゴですよね。もう香りからして食欲そそられますし」
「あ、じゃあベーコンと卵のと林檎の一個ずつ。あと分厚いの二個。全部一個ずつ包んで」
ほえっ?!
うっかりアラン隊長に流されるまま林檎のシナモンロールの香りにときめいていたら、そのままお買い上げ決定してしまった。




