そして恐れる。
「どう思います?フィリップ殿。プライド様の予知も御存知である数少ない情報共有者として御意見があれば」
「?!じじ、自分に、ですか……」
ぎくりと身体ごと揺らすフィリップは思わず喉を反らす。
第一王子の専属従者、そして今回プライド達のお忍びの協力者でもある彼もプライドの予知については知っている。
しかし、まさか自分にまで意見が振られるとは思わずティアラとジルベールの今の会話も殆ど耳から通り抜けていた。単なる茶飲み話ならばむしろ話を振られる時の為に耳を傾けても、政治など自分には最も遠い世界とすら思う。難しい話を始めた時点でフィリップには「アムレットもいつかこういう話するようになるのかなー」と妹の未来に思いを馳せるくらいだ。勉強家の妹と違い学のないフィリップには国外の話や法律もよくわからない。
しかしジルベールに話を振られたというのに「聞いてませんでした」では済まされない。嫌な汗が額に噴き出すのを感じながら必死にそれらしいことを思考を回す。
明かに焦り出したフィリップに、ジルベールもすぐに彼の状況は察した。自分達と違い民の中で生きている彼ならではの視点を聞ければと思っての投げかけだったが、結果として困らせてしまったことに苦笑しつつ自ら助け船を決める。
「ラジヤ帝国で興行の為に滞在中のケルメシアナサーカス。団員に大いに慕われる団長。その団長を追い出したラルクという青年。そしてプライド様の予知におけるサーカス団の〝奴隷被害者〟は未発見。新たな予知で救われたのは奴隷商に返り討ちに遭いかけたアレスという青年。……これがどう、繋がるものかと私めも想像力が足りませんもので」
まだ現場にいるプライド達から共有されていない情報も多い中、ジルベールは部分部分に重要情報だけを並べてみる。
謙遜を加えながら彼が想像も断りもいれやすいように投げかけたジルベールに、フィリップだけでなくティアラも自分なりに想像力を膨らませ推理した。ジルベールや兄がたどり着けないのならば自分にも難しいとは思うが、それでも気付けることがあればと頭を働かす。
そうですね……と、言葉を曖昧に繋げるフィリップもまたジルベールからの配慮に応えるべくその情報だけで自分なりの感想くらいはと口を動かした。
「お話を聞いた限り、その団長が奴隷を〝奴隷として〟サーカスに置いている人という気は、あまりしません……」
「ほう?」
騙されやすい自分では参考にもなりませんが……と続けて口を濁すフィリップに反し、ジルベールの目は興味に光った。期待以上に面白い意見が出たと、一口分味わったカップを置いて彼に続きを促した。
ティアラからもどうしてかしらと金色の瞳を丸く向けられる中、フィリップは一度喉を鳴らした。学のない自分の予想など当たるわけがないと思いながらも、後頭部に手を置きながら視線が少し落ちてしまう。
「私の、前の雇い主だった奥様のお話になりますが、……。雇い主もお気に入りがいればいるほど、良く見られたがる節があります。不遇の立場の人間を、その……もし本心では良く思ってなくても、表向きはむしろ大事にするかなと……」
ジルベールの目の所為で、うまくいつものような優雅な従者の話し方もできない。
本来はむしろ話し好きのフィリップだが、従者として整然としている意識の中ではむしろ口数は少なくなる。なのにジルベールには本当の姿が見られているという恥ずかしさと緊張感で、口下手になってしまえば余計に汗が首まで垂れた。
大したことを話していないのにここまで上がってしまう自分がまた恥ずかしい。
フィリップの意見にティアラも真剣にふんふんと首を縦に振りながら耳を傾ける中、ジルベールも一意見として落とさず思考に加える。
当然自分がそうであるように、本音を言えば「人を騙す者ほど裏の顔を隠すのも上手いものですよ」「奴隷であれば主人の望む通り振舞いバレないようにも命じられればできます」と反論もすぐ浮かぶが、今はフィリップの大事な意見だ。ここは否定するよりも、新たな疑問点を深堀することに舌を動かす。あくまで補足を望むまでにとどめ、揚げ足取りにはならないように。
「ちなみに、団長にお気に入りがいるという前提はどこからでしょうか?確かにそういった相手には自分を良く見せたがりますね。アレスのことでしょうか?」
「あっ、はい、あとラルクもです。追い出した主犯で団長には庇われていると聞きましたので、よほどラルクがお気に入りか……もしくはラルクを快く思っている団員に配慮してのことかと……」
団長を助ける為に奴隷商に殴り込んだアレスも、それだけ慕う理由があると思う。しかし、団長を追い出したにも関わらず未だにサーカス団を追い出されないラルクも、フィリップにとっては不思議だった。
普通そんなことをしたら一番に追い出されるのはラルクの方だ。
団員も全員団長を慕っているなら、ラルクを放り出すのも簡単である。それなのに庇うということは、団長にもそれなりの理由があるのだと考える。
今までいくつもの雇い主の下で働いてきたフィリップは、下の人間がどれだけ主人の匙加減で解雇されるかも冷遇されるかも知っている。だからこそ自分もなるべく雇い主に好かれやすい皮を被っている。そんな自分にとって、雇い主を放り出して尚逆に庇われる団員なんてすごいを通り越して理解の範疇を越える。
「もしくは弱みでも握られているのか……」と素直な感想を続ければ、ジルベールも小さく苦笑った。ジルベールもまた、不遇な立場を追いやられる者の身はよく知っている。
団長にそれほどまでのお気に入りが存在するか、そして彼がプライドの予知するような悪逆に身を染めるような人間ではないかはまたこの場で確定するのは難しい。自分達は会ってもいない。
そして団長がラルクを庇うことは既にジルベールも引っ掛かっている。しかし、フィリップからの発言は充分にジルベールには有力な一考になった。少ない情報でフィリップがそれに疑問を抱くということは、当然サーカスの団員もまたそこに疑問を抱くと考える。
そしてそれは、団長を非常に慕うアレスもまた同様である筈だとも。
「なるほど。ならば、何故アレスはラルクを追い出そうとはしないのでしょうねぇ。事実を知り、自分を慕う団長を追い出すような人間。団長が庇おうと到底許せるものではないと思いますが……」
「!アレスもラルクのことを庇っているということでしょうかっ?」
「ええ、しかしアレスはほんの一年ほど前に入団したばかりの青年という話です。一年未満か過ぎたかは明確ではありませんが、元サーカス団員の話ではその頃には既にラルクは贔屓する女性一名以外とは一線を引いていたと」
仲良くなりようがない。
新たな議題に短く手を上げて声を出すティアラに、ジルベールも否定はせず情報だけを並べて思考する。ティアラもひらめきが空振ったことに少し肩を落とし、両手でカップを一度持ち紅茶を味わった。今は気心知る相手しかいない分、持ち方にも遠慮しない。
やんわりとだが、第二王女の意見をすんなり流してしまうジルベールにも、そして自分の意見をあっさり覆されても全く不快を示すそぶりもしないティアラにも、フィリップはまじまじと見比べてしまう。
ステイルとも仲が良いなと思ったが、この宰相さんはティアラ様ともかなり仲が良いんじゃないかとそちらの方が気になる。もともと、休息時間にわざわざ第二王女から遊びにきて寛ぐほどの気安さだ。王女と宰相というよりも、もっと親戚くらいの距離の近さだと思う。
「団長を知るには、まずその二人を把握する手もありそうですね。いえ、むしろ団員全員をでしょうか。ラルクが匿う女性というのも、その女性を団長がどう考えているかも気になります。そもそも、何故彼女だけがサーカスに従事せず匿われることを許されているのか」
まだ白黒を断定できない団長を怪しめば、自然とアレスとそしてラルクにも焦点が合う。数珠繋ぎのようにラルクが匿い贔屓しているというだけの情報の女性もジルベールは訝しむ。
単純に恋慕であれば簡単だが、同時にそんなラルクと彼女をサーカス団員が今の今まで容認していることも気になった。
プライド達からの現在の情報では、サーカス団は資金繰りも上々とは言えない。そんな中で、働かず食い扶持だけを増やす女性が認められるのはどうしてか。そこまで思考すれば不明なのは団長一人ではなくなってくる。
団長の行動を認め、ラルクの贔屓を認め、一人囲われる女性を容認し、明らかに団長の消息不明について自分達の知らないなにかを秘匿しているアレスのことも容認し続け、一か月近くも収入のない生活を続けテントを張り続け、今も団長の帰還やラルクの怪しさに何も不満を上げない団員全てがジルベールは引っ掛かる。
団長を慕っているから。あくまで団員というその他大勢の一人だから。幹部の言うことだから。ラルクの猛獣が怖いから。……そんな理由で何も考えずただただ〝一か月もの間〟待ち続け、そして団長が戻ってきても事件解明を誰も強く求めない。
団員が大勢所属するサーカス団で、そのようなことが本当にあり得るのかと。ジルベールは口を結んだまま眉が寄った。
人心掌握術に自信がある自分でさえ、それだけの大人数へこれだけの穴だらけな隠し方をして疑念をもたれず反感も追及も逃れるなどできるか断言できない。サーカス団が崩壊していないのが不思議なくらいである。
実際、出ていったサーカス団員もその全員がサーカス団を見捨てたのではなく団長を探しに出ていた。
畏怖を覚える人望とも、目に見えない鎖にも感じられる。ひと月も収入も将来の見通しもなく放置され待ち続け戻ってきても納得できる説明も解決も得られないにも関わらず彼らが団長に従っているとしたら、それは忠誠や信頼というよりも。
「…………サーカス団員全員の出生と入団にも探りを入れるよう、ひと案提じてみるのも良いかもしれませんねぇ」
ぼそり、と。呟くジルベールの声はひとり言のように小さかったが、ティアラとフィリップには薄く届いた。
女王と定期的に連絡の取れる王配アルバートへ、そしてステイルが何かしらで自分の元へまた訪れればその際にでも、と。そうぽつぽつ続けるジルベールの眼光にフィリップは息を飲む。
いつもの柔らかな切れ長の眼差しが今だけは恐ろしく研ぎ澄まされているのを直視してしまった。自分に対しては常に優しい物腰の男性が、やはりこの国の宰相なのだと思い知る。
「そうですねっ!」と明るい声で返すティアラと違い、青ざめた顔色になるフィリップにジルベールもそこですぐに表情を切り替えた。にこりと優雅な笑みを浮かべ、紅茶を改めて手に軽く掲げて見せる。
「ありがとうございました、フィリップ殿。貴重なご意見、心より感謝致します」
「いっいえ、自分程度で宜しければ、……」
「これからも色々フィリップの御意見も聞かせてくださいねっ!」
はい喜んで、と。言葉こそ整って返しつつ、フィリップは和やかな二人の態度に遅れて心臓だけがバクバク鳴った。
まるで再び休憩時間を始めたように「ティアラ様、そういえば妻から預かった茶菓子があるのですが」「是非っ!!」と何事もなかったやり取りをする二人はどちらもさっきまで国と王族の機密情報について話していたようには見えない。
さっきも、自分の単純な意見がどうなればジルベールから「団員全て容疑者」と言っているような提案に繋がるかもわからない。ただ、
「フィリップ殿、侍女に預けた菓子があるのでティアラ様にお願いできますか」
「あとお茶のおかわりもお願いしますっ」
自分には想像もつかない頭脳を持つ宰相と、その彼に微動だにせず平然と振舞う王女。
こんな凄まじく優秀で底知れない大物とずっと一緒にいたのだと思えば、自分の友人があれだけ優秀でそして肝の据わった男になるのも少し納得できた。
あいつほど腹黒い人はいないだろうけど、と。……心の中だけで呟きながら、フィリップはおやつの準備に取り掛かった。
本日二話更新分、次の更新は木曜日になります。