Ⅲ11.男爵子息は聞き、
「国際郵便機関……ああ、最近話題の」
食べ終えた食器を片付けながら、ネルはぼんやりと話題に上がった噂の機関名を口にする。
囲う数が増えた食卓は、それぞれ食べ終わるタイミングは異なる。ネルが「ご馳走様」とフォークを置いた時には、食事中なのはヘレネだけだった。
食べ終えるのが早いライアーとグレシルが調理器具や三人分の食器を洗い、ディオスとクロイはヘレネが食べ終えるのを待つ。
どちらでもないレイは食べ終えた食器をグレシルが片づけるまで触れる気もなく椅子にふんぞり返っていた。
いつもならば本を片手だったが、雨に読めなくされることを恐れて今日は最初から家に置いてきてしまった。傘をわざわざ差すのも面倒であれば、本を濡らすのも嫌だった。
一纏めに重ねた食器を、流し台に立つグレシルに手渡しながらネルは首を捻る。騎士団にいる兄にもその話題については詳しく聞いたことがない。
「確か学校と同じプライド様発案の機関ですね。でも確か、大きな建物にこの前開設したばかりだった筈でしたけれど」
「そうそうこの前の祭りの日な。摂政の御誕生日式典での大公開!国の摂政サマの誕生日もテメェの功績発表にするなんざ王女サマも結構なやり手だわな」
「!そっ、そんなんじゃないよ!!」
ガタンッ!と、思わずディオスがテーブルに手をつき立ち上がる。
何の気もなく記憶を巡らせるネルへ軽口を交えて叩いたライアーの言葉に、ジャンヌはそんな人じゃないと意義を立てる。実際、セドリックやプライド達本人からもちょうど発表する時期に叔父の誕生祭の式典があったからと話を聞いている。
「叔父さんに怒られなかった?」と純粋にディオスも尋ねたが、叔父の誕生祭をどうこうではなく王族の〝式典〟に合わせてそういった公の発表は珍しくない。その誕生日を迎える者のものでなくても、総じて〝王族〟としての功績や公表であることは変わらないと今はディオスもよくわかっている。
が、セドリックの使用人であることもジャンヌの正体も口留めを受けている彼がそれ以上を言えるわけもなかった。
それ以上言えず唇を噛むのと同時にクロイからも「ディオス!」と余計なことは言わないように声で咎められる。
うっかり変なことを言っちゃったと、ディオスも遅れてじんわり汗が染みるのを感じた。
予想外の声色で返って来たことに、ライアーも肩で振り返った。もともといつものちょっとした軽口だったのに、妙にムキになられたことの方に驚く。「どしたー?」と軽く聞き返せば、「別に」と答えたのはディオスではなくクロイの方だった。
「ディオスは王族の中でもプライド様のことセドリック様ぐらい好きだからちょっとムキになっただけ」
つんと鼻を尖らせるような口調で言うクロイに、ディオスが目が零れそうなほど丸くなる。
〝プライド王女〟の方は自分よりもクロイの方が好きなくせに!!と叫びたくなったが、唇を絞って無理矢理堪えた。今は、クロイが自分を庇って誤魔化してくれているのだと理解している。
だが言葉どころか呼吸ごと止めて我慢したあまり窒息しそうなほど顔が赤く蒸気した。その間にも、あらあらと頬に手を当てたヘレネが緩やかな食事の手を止めて弟へ微笑みかける。
「学校作ってくれた人だものね。お姉ちゃんもとっても好きよ」
お蔭でこうしてお勉強できているんだもの、と静かな声で続けるヘレネの言葉にディオスも少しだけ気が落ち着いた。
ふうーっと一度大きく呼吸を繰り返した後、素直な気持ちで姉へ笑い返した。「そうだよね」と言いながらえへへと声を漏らせば、ゆっくりと自分はまだまずいことは言わないで済んでいたのだと振り返る。あくまで好きな王族を悪く言われたからムキになっただけ。それなら何も不思議じゃない。
単純に気持ちを切り替えた様子のディオスに、クロイは小さく鼻息を吐いてから視線をライアーへと顔ごと向けた。
「ていうか、功績でいったらプライド様だけじゃなくて統括役のセドリック様もだから。国際郵便機関で一番偉いのはセドリック様だし、僕らの家で無責任なことそれらしく言うのやめてくれない?」
「何が?摂政の誕生日に主役も話題も奪ったのは事実じゃない。好きな王族なら何やっても良いの?」
「おっ、グレシルちゃん今日は俺様派?」
家の中とはいえ王族に対して誤解を招くような発言をするなと指摘するクロイに、今度はグレシルが口を尖らせる。
自分が出任せを言うことも大嘘吐きであることも自覚あるライアーの方が寧ろ全く気にしない。もともと軽い愚痴と冗談程度の自分の発言だ。
それよりも今はグレシルが自分側に付いていることに鼻の下が伸びた。最近は食べる早さとファーナム家に〝食わせてもらっている側〟二人で洗い物をする機会も増えたが、彼女の場合はライアーやレイにではなく誰の味方につくかはその時による。唯一絶対彼女が敵に回らないのは騎士団副団長の兄を持つネルにだけである。
もうジャンヌやレイ達から犯罪も陥れることも禁じらている彼女はその代わりに猫を被る言動もなくなっていた。いくら媚びへつらい可愛い子ぶっても、今は陥れるという最後の楽しみができないのだから無駄な労力もする意味がない。
ライアーからの皿は受け取り拭きながらも、言葉の投げかけは無視するグレシルは冷ややかな眼差しでクロイをその場で睨むように見る。
「どうせ皆、王族の肩書きと見かけに騙されてるだけよ。容姿が良ければ何やっても綺麗に見えるもんなんだから」
「わかる!!俺様も美人なら何でも許せちゃうぜ??もちろんグレシルちゃんにもな」
「男も女もガキにも見境ねぇ変態は黙ってろ」
相変わらずグレシルの発言に食い下がるライアーを今度はレイが刺す。
ファーナム兄弟のことが嫌いではないグレシルだが、遠慮はしない。時々話題に出てくる〝セドリック様〟や〝プライド様〟という天の上の人間相手に妄信するお花畑な頭を覗けば、壊せない分徹底的に否定したくなる。
所詮王族貴族といっても自分達と同じ人間であることに変わりない。しかもその美貌で有名なセドリックやプライドを慕うと聞けば、大半以上は見かけに騙されていると本気で思う。実際、自分がひと目会った時もただ見てるだけだった。
ファーナム兄弟が学校でお世話になったというセドリックも、民への好感を得る為にていの良い同情相手にディオス達を選んだのだろうと思う。プライドに至っては開校時に遠目で見ただけ。学校を作ってくれたから慕うなどと言っても、そのプライドが本当に〝民の為〟に作ったのか〝民からの支持〟や〝自分を良く見せる為〟に作ったかはわからない。
本当に〝貴方の為〟にという言葉を使うのなら、間接的に金持ちの権力の象徴のような建物を作ることも、その功績を国中に大声で自ら広める必要もない。人身売買に売ろうとしたにも構わず自分を逃がそうとナイフで健闘してくれたり、汚い道端で泣き喚いている元罪人に何の所縁がなくても生きる道を差し伸べてくれるようなそういうのを
『大丈夫ですかグレシル?今度は離れないでください』
『戻ることはできないわ。だけど一度だけ、特別の可能性をあげる』
「特に女なら、綺麗に見える為だけに何でもやるの」
〝善人〟と呼ぶのだと。
そう思いながら、彼女は視線をまた皿へと戻した。
静かに零された言葉は独り言のようだった。彼女の発言に「そんなことないよ!」と一番に声を張りたかったディオスだが、今度は思いとどまった。自分の思ったことを間違いとは思わないが、またうっかりジャンヌとプライドとセドリックとを重ねて言ってしまったらと考えると安易に言い返せない。
クロイも、ディオスと思ったことは同じだ。少なくとも自分達が知る王族にそんな人はいないと思う。だが、もし自分が直接会ったことがなかったら今のグレシルとライアーの発言に納得していた気もした。
黙りこくってしまった双子に、グレシルもそれ以上は言葉を続けない。
食器拭きに集中しながらも、今こうして自分が話に水を差しても許されるのも結局は自分の容姿もあるのだと思う。少なくとも斜め上で未だにによによと自分へにやついた眼差しを向ける男は間違いなくと。
自分がいくら辛辣な発言をしてみせてもライアーには全く効いた試しがない。
「少なくとも私がお会いしたプライド様はそんな人じゃないわよ。とても素敵な人だったわ」
重くなってきた空気に、居間のソファーへ腰を下ろすネルは窓を開けるような声で投げかけた。
王族御用達の刺繍職人であるネルは、この場で唯一プライドに会ったことがあると自他共に公言できる人間だった。縫いかけの刺繍の続きを始めるその指の動きには何の惑いもなかった。
自分もグレシルの語る〝女〟ではあり、同時に「綺麗に見える為ならなんでも」とは思わない。しかし、実際にそういう女性が多くいることも経験上知っている。
刺繍やドレス、小物も自分を着飾る為に、自分を美しく見せる為に望む女性が殆どだ。
口元を笑ませたまま、他人の意見は他人の意見として受け止める。ただ、事実として自分が目にしたプライドを思い返せば容姿とは関係なく可愛らしくて、そして優しい人だと思う。
ネルの言葉に「ですよね!」と両手を握り声を張るディオスは、目を輝かせた。ちゃんとジャンヌじゃないプライドもわかってくれている人がいるのが嬉しくなる。
そこでネルからの一手に続き、大人であるライアーは話題を変えるべく「あーそれにしても」と無駄に大き目の声を言い放った。
「国際郵便機関ねぇ?俺様もやろっかなー。国の金で国外行き放題じゃねぇか。給料も良いなら最高最高」
「ふざけんな国外でまた捕まりてぇのか」
「いやあの時はお荷物がいたからよ。喋らねぇ重くねぇついでに最悪見捨てて放っぽれる御手紙サマならそう簡単に捕まらねぇよ」
ライアーの軽口に、レイが眉間を急激に狭める。
たった一度国内の城下で行方不明になっただけで六年も掛かったのに、国外で行方不明になどなられてはたまらない。
いっそ自分も同じ職に就ければ良いが、今は国からの命令で学校で問題行動無しで通い続けなければならないレイにはできない。せっかく最近は荷運びの仕事で飲む金と貢ぐ金を得て満足していた筈のライアーに、もう飽きたのかと言いたくなる。
背中越しでもわかるレイの不機嫌な圧に、今度はグレシルがちらちらと振り返る。レイの家でもことあるごとにライアーとの口喧嘩で発火することは珍しくない。
しかし、そんなレイの苛立ちに同じく気付いているライアーの方は全く気にしない。
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