Ⅲ107.副隊長は惑う。
「頼んでる分際で随分と偉そうだな?道楽商人が」
「頼んでいるのではない、命じている。俺は前金を払った依頼人だ」
そこを間違えるな、と。セドリック王弟の声は低い。
やっぱり殺伐しているなぁと苦笑しそうなところを顔の筋肉を引き締める。貧困街に着いてからセドリック王弟の熱量は低まるばかりだ。
無理もない。名は〝貧困街〟と呈しても下級層と違い軽犯罪集団でもある。しかも目の前にいる首領は元アネモネ王国の王子だ。セドリック王弟にとっても親しくしているレオン王子を陥れた彼らを許せるわけもない。
セドリック王弟の様子が険しくなったのが、彼らとレオン王子との経緯を聞いた時だったことはよく覚えている。
チケットを購入した時にはいくらか落ち着きを取り戻して薙いでいたセドリック王弟だけど、彼を前にしたらまた再び殺気にも似た気配に研ぎ澄まされていく。
ここ最近は温厚な印象の方があったセドリック王弟がここまでピリピリとすることに、俺よりも一緒に護衛に付いているジェイルとマートさんの方が緊張しているようだった。
プライド様の近衛騎士として普段に近いセドリック王弟を知っている俺と違って、二人はセドリック王弟と関わる機会も少ないから無理もない。祝勝会でも友好的にしてくれたセドリック王弟にもまだ荘厳な印象があるのだろうと思う。……結果として、今一番セドリック王弟とまともに会話できるのも俺になっている。
「あの金は、お前らの滞在期間中は大人しくしてやることと、情報収集の協力だ。金持ちが気持ち良くなる為の自己満足に付き合ってやるとは言っていない」
「契約くらい正確に把握しろ。「お前らがこの国にいる間は、俺達も仕事をしない。裏方管理にも活動責任者にも俺から直々に命じる。お前らの欲しいサーカスの情報はくれてやるし、できる程度なら協力もしてやる」と言っただろう」
ピクリと、エルドの眉が動く。
流石セドリック王弟、よく覚えているなと思う。実際に一字一句違えずそう言ったのかはわからないけれど、確かにステイル様達から共有した情報でも情報収集とは別に協力もすると話していた。
公的な契約と違い、書面も介していないからか上手く条件を誤魔化すつもりだったんだろうなと思う。エルドの方も流石元王族というか、そういう小狡さは持ち合わせている。……実際は騙そうとした相手がただの商人ではなくセドリック王弟だから相手が悪かった。
貧困街に入ってすぐエルドいる首領テントに訪れたセドリック王弟に、最初は門番の男達も警戒した様子だった。
心なしか前回来た時よりも貧困街全体が苛立っているようにも感じた。そしてエルドは間違いなく機嫌が悪い。
一応は協力関係とはいえ、俺は騎士であることも知られているし、初日以外一度もこちらからエルドに接触しようとしなかったから警戒も当然だ。
暫くはテントの前で待たされたけれど、こうして通してくれただけ少しは協力的な意思を示してくれた方だろう。
待たされている間にエルドの弟であるホーマー以外にも、恐らくは同じ幹部だろう男女達もテントに収集された。セドリック王弟が直行したからか、後々大勢集められたのを思い返すと、恐らく元々はテントの前の護衛以外はエルドしかいなかったのだろう。
今はセドリック王弟との契約で盗みの稼ぎ報告や問題が起こらない分、人の出入りも少ないのかもしれない。
これだけ人を集めてから俺達を通したのもセドリック王弟に、というよりも……俺が一番警戒されているのだろうなぁと思う。
三年前のことを覚えられているかはわからないけど、少なくとも初日にプライド様達とご一緒した時の顔は覚えられているだろう。俺と一緒に並ぶジェイルとマートさんも同じ騎士だと推測されていてもおかしくない。
「……協力っていうなら命令と言うはおかしいんじゃねぇか?」
「子どもの言葉遊びに付き合う気はない。お前も俺と気安く関わり合いたいわけではないだろう」
チッ、と舌打ちを鳴らしながらエルドが足の爪先を前後に揺らす。貧困街の中では上等だろう椅子に深く腰を降ろしながら、つまらなそうな顔で澄ませているけれど胸の中は穏やかじゃないだろう。
セドリック王弟が乱暴に彼のテーブルへサーカスのチケットを置く。
きっと相手が相手じゃなかったら、セドリック王弟の社交性でもっと友好的にやり取りできたんじゃないかとどうしても思ってしまう。いつもの彼はこんなに高圧的はないのだから。
……もしかして、以前もこれくらい高圧的にエルドへ話したのかなと考えてしまう。テントの外で待たされている間も緊迫した様子はわかったけれど、まさかこんなに敵意剥き出しだったのか。普段のセドリック王弟を知っている俺の方が正直戸惑いが大きいくらいだ。
俺だってレオン王子の一件は未だに引っ掛かっている。けれど、セドリック王弟の敵対ぶりはそれ以上だと思う。色々と同じ王族として許せない部分もあるのはわかるけれど、当事者でもないのにどうして、…………いや。
この人は、プライド様にも知り合って間もない頃に激昂して乱暴をしようとしたことがある。もう昔のことで今のセドリック王弟があの頃と別人だとはわかっているけれど、親しい相手の為にならいくらでも敵対心を持てる人なのかもしれない。……ああそうだ。そういえば奪還戦でもティアラ様の為にステイル様達にも逆らって騎士相手にも……。
「今も貧困街中の実生活を支えている女性や子どもに。……少しは労ってやることも、統率者と名乗るならば必要なことではないのか」
「知ったような口を。うちの事情でも聞いたか?」
舌打ちの代わりに今度は右足を曲げ、床を踏み鳴らす。
けれど今回は否定をしなかった。苛立たしげに顔を歪めながら頬杖を突くエルドは、一瞬だけちらりとチケットの束を見る。
そのまま口を結ぶ様子に、意外にも下の人間を労うくらいの思考はあるのかと考える。三年前に会った時はレオン王子への振舞いや、捕らえられてからの高慢な態度が目立っていた。奴隷に犯罪の片棒を担がせたくらいだし、正直周囲を顧みる思考があるとは思えない。
国外追放をきっかけに少しは改まったのかと思いたいけれど、……この態度だしなぁ。
思わず寄せそうになってしまう眉を意識的に留める。
どちらにせよ、ここで交渉にまで口を出す権利は俺にない。セドリック王弟の言葉をそこで一蹴しないだけマシだと今は思うことにする。
初日に訪れた時からセドリック王弟との契約で生活は一時的に保証されている筈の貧困街は、変わらず今日も忙しない。
浮浪児だろう子どもの面倒をみているのも女性。料理の炊き出しをしているのも、洗濯物をかき集めているのも、怪我人や病人老人の介抱をしているのも殆どが女性か子どもだ。
大人の男性もちらちらと自衛分はいるようだけれど、明らかに割合がおかしい。もともと女子どもを保護する目的の組織なら納得できるが、少なくとも俺達を襲った時は子どもを除いても男性の割合が多かった。
犯罪を自粛しているにも関わらずそれでも男達が少ないのは引っ掛かる。セドリック王弟も気付かれていたのだろう。
「大体、彼らは何をしている?女子どもが今も働き、男達は拠点で足を延ばすどころかテントで足を延ばしているようにも見えない」
「安心しろ約束は守ってる。ただの情報収集だ。金さえあれば平和に過ごせるほど甘くねぇんだここは」
踵で床を踏み叩き、示す。やっぱり機嫌が前より悪い。
情報収集……というのがまさかこちらの為にサーカスの情報というわけではないだろう。
俺達フリージア王国やアネモネ王国の入国も掴んだ彼らは、こちらが思っている以上に情報網も広がっているということか。
国でも町でも集落でも、……貧困街でも。統治に情報が必要なのは事実だ。特に貧困街なんて非公式の民営組織、いつどんな流れで突然国や領主から掃討されるかもわからない。いや、人身売買組織に常時狙われていておかしくない集団だ。
少し自慢げに笑みを浮かべるエルドは、テーブルの上に足を乗せ出した。セドリック王弟が置いたチケットの束に靴の汚れが小さくかかり落ちる。
「……随分と己が統治に自信があるようだな」
「さぁな。少なくともお前よりは上手く回せる器だろう」
…………国際郵便機関の統括役になんてことを。
今度は隠せず眉間に皺が寄った。知らないっていうのは本当に怖い。俺の目にはセドリック王弟の姿がそのまま見えるから余計に畏れ多いことを言っているエルドが心臓に悪い。断言できる。彼はセドリック王弟の足元にも及ばない。
確かにこのラジヤの地で貧困街を統率している事実は認める。それでも、セドリック王弟はその上を遥かにいっている。今やフリージアの同盟国どころか周辺国全てが注目する機関の統括役だ。この場で俺に発言権があるなら一言「器が違う」と返す。元は王族であろうと、今は元大罪人の現犯罪組織犯だ。
たとえセドリック王弟がただの商人であろうと、エルドに彼を見下す権利はない。商人も、そして国際郵便機関もどちらも犯罪組織じゃない、人に胸を張れる職務だ。
あまりにも恐ろしく烏滸がましい発言をするエルドに、セドリック王弟は冷静だった。「ほぉ」と短く返すだけで、そこにさっきほどの怒りは感じない。
「ならば俺を敵視したいだけで、守るべき者達の気晴らしの機会を無碍にはしまい。俺が招待したいのはあくまで貧困街の住民で、お前ではない」
むしろ来なくて良い。と、断るセドリック王弟にエルドの方が顔全体に力を込める。
あまりにも正直なセドリック王弟の態度に、……やっぱり貧困街への認識とは別にエルド自体のことが嫌いなんだなと思う。貧困街の子ども達にはこうしてサーカスで気晴らしをと考えた人なのに、エルドのことは全く快く思っていないと全身で表している。いや、正確にはその隣に立っているホーマーにもか。
エルドと違って口を結んだままこちらを睨んでいるホーマーは終始無言のままだ。セドリック王弟が置いたチケットの束にも少し興味を向けているようにも見える。
ちらちらとエルドの顔色をうかがうように何度も見ては喉を上下させているから、むしろ前向きに考えているのかもしれない。
護衛である俺と違って、ホーマーは貧困街幹部の一人のようだしエルドの実の弟なのにどうにも妙だと思う。まるで発言を悩んでいるか、発言権自体がないのが当然のようだ。
「それにサーカスにもお前達は迷惑をかける身だ。席の埋め合わせくらい貢献してやれ」
チケットの置かれたテーブルを指先でトントンとセドリック王弟が叩けば、肯定の代わりにゆっくりとエルドが足を下ろした。
あー……と、こんなところでなければ俺も口が笑ってしまったかもしれない。そういえばそれもあった。
今は大人しくしている貧困街は、もともとサーカス団の近くに移ってきた側だ。恐らくはサーカス観覧に集まってくる客を纏めて盗みの標的にする為に。幸いにもと言って良いのか、サーカス団が今日まで活動停止をしていたから被害も抑えられてはいた。
プライド様達の話だとセドリック王弟を最後にチケットも完売したし、明日は客が大勢押し寄せるだろうけれど、貧困街が近い位置にあるということでサーカス団が少なからず今後の開演に迷惑を被ることになるだろう。
プライド様達が去れば、彼らはまたサーカス団を餌に金を持つ客を狙ってまた強盗まがいのことをする。それを恐れてサーカス団に近付く人間も減っていたし、今も周辺地域の宿にまで影響が出ている。
一番良いのは彼ら貧困街がサーカスとも離れた場所に再び移住してくれることなのだけど、……もともとサーカス団を餌にするつもりの彼らがそれをするとは思えない。
まさかエルドにその罪悪感があるとは思わないけれど、ここで言い訳をしないあたりは潔い。重ダルそうに腕を持ち上げ、やっと初めてチケットの束を手に取った。まさかこの場で破られないよなと少し胸がハラつきながら、口の中を噛んで様子を見守る。
バララララッと券の枚数を確かめるように指で遊び捲るエルドは、どこか手慣れている。眉間は酔ったままそれ以上は粗末に扱うそぶりもなかった。
「…………これじゃガキの数にすら足りねぇ」
「選別はお前に任せる。住んでいる者達のことは首領であるお前が把握している筈だ。彼らに気晴らしのひと時を提供することもお前にしかできん。足し引きもできない子どもでもあるまい」
発言に反応するようにピクリとエルドの肩が揺れ、そしてセドリック王弟が背中を向けた瞬間。……ドカ、とテーブルが蹴飛ばされた。
セドリック王弟も突然の大きな音に振り返る中、俺達護衛も反射的に身構える。さっきまで足を乗せていたテーブルはエルドに乱暴に蹴飛ばされたとはいえ、そのまま倒れただけだった。単なる八つ当たりか、セドリック王弟に飛ばすほどの脚力もなかっただけか。どちらにせよこちらに害はない。
エルドの傍に立っていた幹部も、武器を構えはするがかかってくる気配はない。むしろエルドの顔色を窺うように視線が俺達にではなくエルドに集中している。
チケットの束を手の中で握りつぶしたまま、深く座っていた上体を前のめりに屈める彼からは、歯を食い縛る音が微かに聞こえて来た。
屈め俯いて顔が見えないが、握る拳にも座ったまま地面を噛む靴にも、丸めたまま震わす背中にも殺気に近い憤りが滲み出ている。
最後の最後の挑発めいた言葉が発火点に届いてしまったのかと考えつつ、わなわな震える彼の前に俺は立ちセドリック王弟を下がらせる。
セドリック王弟も予想しなかった反応の大きさだったらしく、大きく見開いた目の焔が揺れていた。ジェイルとマートさんも並ぶ中、幹部の方はまだ俺達よりもエルドを注視するばかりだ。
エルドが激昂し出す前にこのまま撤退することも視野にいれつつ、じりじりとセドリック王弟を下がらせることを優先する。
券の束を渡した後である以上、できればここで交渉決裂は避けたい。セドリック王弟も、最後は軽口のつもりでここまで怒らせるつもりはなかっただろう。決裂させたいわけじゃない。
エルドとは相いれなくても、貧困街の女性や子ども達を招待したいのは本心だ。ラジヤの現実を目にされて、その上で今彼ができることを正しく選んだ結果だ。
俯くエルドと、膠着する幹部。時間をかけてセドリック王弟を出口の前まで下がらせたところで俺達は足を止める。ここで撤退か修復かを決めるのは俺達騎士じゃない。
ぐしゃりと、エルドの手が動いた。俯いたまま自分の前髪を鷲掴み、ギシリと髪の痛む音まで沈黙した空間では耳に届いた。
「…………用が済んだなら、さっさと帰れ」
ぼそりと、呟きのような声もはっきり届く。
霞ませながら低めた声は、決裂にも思えたけれど少し違う。どちらかというとこの会話に対しての言葉だろう。
握ったチケットの束をそのままに、空いてる手で空を横に払う。エルドのその動作の直後、初めて幹部達が動いた。
武器を構え直し、俺達へと向き直る。「出てけ!!」と声を張る中に、やっぱりホーマーは入っていない。彼だけは変わらず気まずそうに口を結んでエルドの傍に立つだけだ。
「あの侍女にも言っておけ。せいぜい嗤いに行ってやる」
ハッと。
最後に顔を上げたエルドが鼻で笑ってこちらを見たのは、俺達がセドリック王弟と共に外へ締め出される寸前だった。
少し不出来な嗤いを浮かべた彼は俺達を見下しているようで、……口角の震えははっきりとわかった。
来月4月2日に書籍10巻が発売致します。
活動報告本日更新致しました。
何卒、確認頂けますと幸いです。