Ⅲ98.侵攻侍女はとび、
「ケルメシアナサーカス二部緊急光栄決定ー!!チケット販売中ー-!」
「さあさあ待ちに待った伝説のサーカス団の開演だ!!当日券は会場でしか買えないっ!明日世にも稀な奇跡と魔法を目にする機会を逃しちゃ一生の損害だ!!」
響く大声で、被り物をした男達が触れ回る。
アレスの響く発声に、団長もまた両手を広げ主張した。声の大きさには定評のあるアレスも、そしてこの道が長い団長にとっても馬車で進みながら口頭のみの宣伝で回る。
下働きの面々が張り紙まで及んでいない地区に辿り着いてから、馬車を止めた。宣伝回り用の馬車は何度も塗り直しを施されながら使われてきたケルメシアナサーカスの宣伝煽りが描かれている。どんな客にも興味を引くように絵を主軸にした看板代わりだ。
振り返る客へ公演の日時と代金を声だけで宣伝し続けるのは、それだけでも喉を酷使する労働でもある。
金と時間があれば配布用のチラシも用意しばらまいたが、昨日の今日の思いつきでは下働き全員がどれだけ数優先にしても間に合わない。
サーカス団団長馴染みの印刷屋へ頼むのにも急過ぎる。結果、今回の宣伝はチラシを諦め全て街中に可能な限り張りつけることに徹底し、触れ回るのは声と宣伝馬車のみでの行脚になった。
「……アレスさんが入団するより前からこっちが主流になったっつってたよな?」
「ああ、あの団長の発案だと。経営が厳しい時期があったとも言うから節約の意味もあったのだろう」
アレスにとってはもう慣れたこと、そして団長にとっては寧ろ醍醐味である宣伝だがこの地道過ぎる広報をしくじれば並行して客の数にも大きく影響させられる。
声だけでは届かない、馬車の古びた絵だけでは興味ももたれない。そんな中、客の足を止め興味を引かせサーカス団の公演に見たいと、この場で券を買わせる為の手法の一つこそが。
「さぁさぁさぁさあご覧じろ!!我がケルメシアナサーカスはとうとう空を支配した!!!」
演目の一部披露である。
団長が合わせるように示す手を天高く掲げたその瞬間、一人の女性が空に舞う。
凄まじい速さで空へと跳び上がった女性は空中でくるりと弧を描く。敢えて見せつける為に編んだ髪を全て振りほどいた女性は深紅を、そして観客には茶に見える髪を風圧と共に広げ空に波立たせた。手入れの行き届いた髪はどんな色でも快晴に映え、太陽の光で輝き艶を際立たせる。
最高到達点は出店など優に見下ろすほど高く、浮遊時間も長い。
何も知らない客が影や騒ぎに顔を上げれば、人間が宙に浮いているのだと錯覚するほどに優雅さだった。あれはなんだ、今度はどういう仕組みだ、今度こそ特殊能力者でも手に入れたかと、小さなきっかけは大勢の通行人の足を止め、そして集めていく。
朝でも大勢が行き交う市場を選んだお陰で、店を出す商人だけでなく、朝食や買い出しの客もまた当然気が付いた。仕事へ行く途中で買い出しを澄ます人間も多い。
厚い化粧で素顔は隠していたが、その身体つきや動きから若い女性であると誰もが理解する。
ケルメシアナサーカスの常連も、また新入りが増えたのかと思えば足を止め歩み寄った。遠目にみれば本当に羽でも生えているのか、どうやって吊り上げているんだとも考えさせられても、近くで見ればその足元にトランポリンがあったのだと確認できる。
サーカス団から持参した簡易トランポリンは設営に時間もかかるが、子どもの玩具とも異なる演目用の大道具だ。
女性が空を飛ぶタネを理解した客にもすかさず「本番はこの倍以上の巨大なトランポリンで披露します」と被り物の団員が説明すれば、また別の興味を抱く。
持ち運べるだけの規模のトランポリンですら空中で自在に浮かぶ女性が、これ以上の威力のトランポリンでならばどんなものを見せてくれるのかと誰もが期待する。
単に跳ねて宙返りするのだけではない。空中に上がる間に前方宙返りを二回決め、落下と共にまた後方に二回宙返りしてみせる。
時には両手を開いたまま捻りを加えてみせれば、わっと客は沸き上がった。
前方に、後方に、捻りを加え、両膝を抱えて小さくまわり空中でぱっと両手で開き花咲かす。頭から落ちたと思えば直前にくるりとまた回転し足で着地する。まっすぐと姿勢も足も伸ばしたままくるりと人形でも投げたかのような姿で回る。
どんな体勢であろうとも空中の間で難なく披露し続ける女性は、回転していない時は客への笑顔も忘れない。集まって来た子どもへ時には手を振り返し、最高到達点でまた客が増えたと確認すれば大技を披露してみせる。
団長に支持された通りの技披露とタイミングだったが、その指示全ては効果的に機能した。
空中で前転や後転、ひねり技や抱え込みなどがどれだけ難しい技なのか、彼女にはあまり実感はない。秘められたラスボスチートの戦闘力でどのような空中技もできてしまう彼女には、難易度の感覚も殆どない。しかし、もし前世の自分が客の方だったらどれもきっと目を輝かして拍手を絶やさなかっただろうと客の眩い目を見ながら考えた、……瞬間。
「!?~~~~っっ?!!!」
急に視界に入ってしまったそれに、頭が真っ白になった。
最高到達点から回転をいれるつもりが、そのまま背中から落下するだけで済ませてしまった。ボンッとトランポリンに受け止められた彼女だが狼狽のあまりそのまま次の踏み込みを前に踏む。トランポリンの跳躍のまま、空中で今度こそ一回膝を抱え込み宙返りを入れた後は地面に着地した。
クッション材の上に綺麗に二本の足で着地した彼女にずっと観覧していた客は拍手を惜しまず鳴らしたが、傍で見守っていたステイルとアーサーは被り物の下で僅かに目を丸くした。
団長とアレスから、疲れるか目が回ったらすぐにトランポリンから降りて休憩を取るように言われていた彼女だが、今の今まで休憩無しで軽々大技を放っていた。そんな彼女が急に足を休めたことも、仮面の下の肌が紅潮し汗が滲んでいることにも気が逸る。
本来の彼女であればこの程度が負担にも疲労にもなるわけがないことも、二人はよく知っている。
どうかしましたか、タオル使って下さいと、声を抑えながらも二人が彼女を気遣う中で、団長とアレスはやっと休んだかと逆にほっと息を吐いた。
本来ならば目が回って当然、もっと細かく休憩を挟むつもりだったというのに彼女がいつまでもトランポリンから降りようとしないことの方がいっそ心配だった。
さぁ続きが見たければケルメシアナサーカスへ!!チケットは速い者勝ちだ!!と、ライオンの被り物の団長が前売りチケット売買を謳いながら客の列を整頓する。虎の被り物のアレスも先頭の客から順々にチケットを売り続ければ今度は彼ら二人の方が忙しくなる。
手を休みなく代金とチケット交換に動かすアレスの横に団長は一度並ぶと、笑顔を絶やさぬままぼそりとアレスへ囁きかけた。
「……いやすごいな彼女は。本当に侍女か?騎士が化けているんではないか」
「だから言ったろ。侍女っつってもただもんじゃねぇよ。多分特殊な訓練を受けてる」
早口で驚きをそのままに吐露する団長に、アレスも客と客の合間に早口で言葉を返した。直後には「どうも」と一言かけまた次の客へとチケットを売り捌く。
ステイルからトランポリン演目を提案された時は、それだけ身のこなしに自信があるのか程度しか思わなかった団長だが、アレスにはある程度は想像もできたことだった。
ジャンヌの身体能力自体は奴隷商人と奴隷狩り相手にすら圧倒したのを一度目撃している。その上で雇い主であるフィリップの提案であれば間違いなく「この女はこの程度は難なくできる」と思って当然だった。
サーカスには安全確保とポールや肉体芸、空中演目の為もありトランポリンは常備されている。
しかし今はトランポリン単独の演目持ちはいない。あくまでトランポリンは安全や器具へと飛び移る為にしか使用されていない。そんな中でジャンヌのトランポリン単独は用具も手間もかからず都合も良い。女性であれば花のある格好である程度の技ができればそれだけでも客は沸きやすい。
しかし、まさかトランポリンの大技まで難なくできるとはアレスも思わなかった。
トランポリン設営後から、練習と実力確認として客を集める前に練習はさせたが「そこで前回りできるか?」「捻りをいれるのは」「膝抱え込んだまま今度は後ろに」と言うだけで全て簡単にやり遂げてしまった。アランが演目持ちの鼻を次々とへし折ったのと同じである。
アランの時も思ったが、彼女も彼女で間違いなく化け物じみているとアレスは思う。フィリップから侍女とは聞いている団長も、恐らく主人を守る為に戦闘訓練でも受けたのかそれとも過去には自分達と同じ経歴持ちかと考えるが、…………まさかそのトランポリン自体今世では彼女にとっても初めてだとは二人も夢にも思わない。
プライドの戦闘力や子どもの頃からの脚力と空中技や飛び降り前科を見て来たステイルにとっては、トランポリンならばプライドにとって容易いものだろうというのは殆ど確信だった。
「ジャンヌさん、大丈夫ですか。申し、すみません。もっと早々に休憩を挟むべきでした」
「水、飲んでください。足とか捻りました??」
だからこそ、明らかに豹変した彼女の様子が気に掛かる。
ステイルに続き、アーサーが今度は水の入った革袋を差し出せばプライドもタオルで首を拭いながら受け取った。水筒を持った手の甲でちゃんと化粧が落ちていないか確認し、言葉にするよりもさっきのアレは悪夢だったと思いたい。
ちらっと目を向ければ自分に大勢の客が注視しているのは見えるが、誰も知らない顔だ。しかし、絶対さっきのはという確信がプライドにはある。
水で喉を潤し、服の隙間を指先で引っ張り空気を入れ替えながら今だけは自分は被りものや仮面ではなく化粧で良かったと思う。あくまで客の前で演目する側と正体を隠す側の違いだが、今の団長やアレス。そして被り物のステイルとアーサーのような状態では酸欠になっていた自信がある。
跳ねている時は疲労も感じなかったが、足を止めた瞬間にどっと冷や汗と共に発汗してきた。息も整えながら、心臓が運動とは別の意味でばくばくいって酸素が足りない。
汗を拭き終えたタオルを両肩に掛けながら深呼吸を繰り返したプライドは、そこでやっと言語を発する為の息を吸い上げた。
「大丈夫……。あの、今実は遠目に」
「~~ッヒャッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!」
ドキィッッ!!と、聞き覚えしかない高笑いにプライドの肩が大きく上下する。
汗で熱を逃がした筈の顔を再び真っ赤に染めながらぎこちなく首を回した。声の方へおずおずと振り返れば、空中で目撃してしまったのと変わらない人物が人混みをかき分け姿を現したところだった。
自分達を前に腹を抱え大爆笑するヴァルと、滑らかな笑みで手を振ってきたレオンが。




