そして排す。
「まぁ敢えていうなら売買法を守らなかった彼に非があるかな」
「ここら一帯で守ってる商人を探す方が難しいだろうぜ」
アネモネ王国の人間売買自体はラジヤ帝国で〝違法〟ではない。
奴隷大国であるラジヤ帝国ではその属州も同じく売買禁止の種でもない限りどの国の人間の売り買いも自由だ。たとえそれが奴隷制を禁じている国の民であろうとも、その経緯さえ不透明であれば関係ない。
異国で罪を犯し奴隷に堕とされた者もいれば、異国で借金を作り奴隷として売られた者もいる。それは国ではなく本人の責任である。……たとえ、その殆どが実際は不当な奴隷狩りによって捕らえられた被害者であろうとも、証拠がなければ取り締まりようもない。
そしてレオンも衛兵に通報したとはいえ、その内容は「奴隷売買を行っていないアネモネ王国の人間が売られてます」ではない。そう言ったところで、衛兵は誰も動かない。
ただでさえやる気も意識もない彼らが動くのは、最低限違法行為の通報にだけである。
荷車の中で商品を確認したレオンもヴァルも、その商人の〝違法〟行為についてはすぐに気付いた。ここだけではない、罪のない人間を奴隷に堕とすことと比べたら大したことのない罪である。だからこそ荷車に入れた商人も客になった相手に隠す気もなかった。が、レオンに気付かれた時点で終わりである。
「でも良かったよ。無事、焼き印がない奴隷を確認できて」
服の下や目に見えない場所にあった可能性もゼロではない。
しかし、荷車の中を確認した時に置かれていた焼き印用の金属コテは、間違いなく〝売れてから〟つけるものだとレオンは判断した。そしてヴァルも、そういう業者が多いことをよく知っている。
焼き印は商品そのものに付けられたタグそのものだ。
客にとっては「正規の手段で買った自分の奴隷」という証拠である。
正規の手続きで奴隷に堕とされた人間は、その時点で焼き印が一つは施される。国や奴隷になった経緯や刑罰、店によって焼き印の場所も大きさも形も違う。
奴隷の正式売買を行う収容所であれば、他の店に卸すことが前提の為に最初は葉巻程度の小さな焼印で済ます。
そして一生手放す気がなければ、なるべく目立つ場所に買取直後に焼き入れる主人もいる。
しかし〝違法に狩った〟奴隷においては売られる直前まで焼き印をされないことが殆どである。
「転売する時に価値が下がるからなあ?傷も焼き印も、手がついてねぇ方が高く売れる」
「知ってるよ。君から聞いたんだから」
アァ?と、そこでヴァルは片眉を上げてレオンに目を向ける。ヴァル自身はレオンに話したことをいちいち覚えていない。酒の与太話であれば余計にである。
奴隷であれば必ず識別できるように確定した時点で焼き印をつける。
奴隷として売られた人間であれば売買が完了した時点で、奴隷として産まれたならば生まれた時点で、刑罰であれば確定してすぐにつけることはラジヤに関わらず奴隷産出国全てが決めている法律だ。
そうでなければ奴隷に逃げられた時に判別も、そして一般人を奴隷狩りすることも最低限取り締まれない。
そして実情はどうあれ、奴隷の焼き印がついていない人間を売買してはならない。というのも奴隷売買における法である。
焼き印がついていないということは、その人間は罪も正式な売買も行われていない一般人が奴隷狩りに遭ったという証拠なのだから。
しかし奴隷商人も結局は商人であることは変わりない。売れない在庫であれば見切りをつけて処分することもあれば、他の商人と交換や売り買いすることもある。そんな時、焼き印は少ない方が良い。
綺麗な身体であればあるほどに価値は高く売ることができる。その為、違法に手に入れた奴隷は買い手が見つかるまで焼き印はつけずに保留するのが最も賢いやり方だった。
人狩りが法的には禁じられている以上、焼き印のない奴隷を所持している時点で犯罪である。
『今なら〝綺麗な〟状態だ』
「前に言ってたじゃないか。奴隷の扱いは僕の国みたいにまともなところは少ないって。その中で」
「覚えてねぇな」
本当に記憶にない。しかし、事実だった。
定期的にレオンの部屋へ飲みにいっているヴァルだが、ヴァル自身は酒の与太話であろうともレオンにとっては貴重な情報と価値観である。特に奴隷を〝狩って売る〟側だった人間の話など王族では滅多に聞く機会もない。奴隷を高く売る為の工夫や留意点も、商人や仲介業者へ売りつける時に安く買い叩かれる為のケチのつけられ方も、レオンにとっては無駄ではない知識だった。
本来ならば他の商業法の全てを使い小さな綻び一つでも探って商人を糾弾するつもりだったレオンだが、お陰ですぐにあらも見えた。
奴隷を売買していないアネモネ王国の人間を取り扱っている時点で商人の違法性は予想もできていた。
「?ありがとう。っていうべきかな?」
「いらねぇ。大体昨日は無駄骨だったじゃねぇか」
チッ!!と強い舌打ち音と共にヴァルは再び正面を向き直す。
覚えのないことで感謝されるのも、まさかの自分の雑談がこんな形でレオンの役に立っていることも気分が悪い。
昨日騎士を使って衛兵に通報はしたレオンだったが、結局のところ商人もしらばくれ衛兵も確証がないと荷車も確認できないの堂々めぐりだった。今日のように荷車の中身を確認などしようとすらしなかった。
あくまで通報した騎士は隠れ、レオン達は客のふりをしたまま様子を見ていたが、プライドと合流するまでそれは変わらなかった。
必死に誤魔化す商人と、連れてこられただけで現行犯でもない相手を前にした衛兵である。やったのか?やってません。奴隷を見せろ、大事な商品なので簡単には、と。そのやり取りが続き、ただ商人の営業を邪魔するだけの効果しかなかった。
最終的には商人が金を握らせ見逃されての決着。レオンが通報前に想定した通りの幕閉めだった。
レオンも期待はしていなかった為、そのまま途中でプライドと共に離脱することも躊躇わなかった。あの時の目的は店主に〝高く買ってくれるつもりだった上客が衛兵のせいで帰った〟と思わせることと〝衛兵に認知させる〟ことだけだったのだから。
「そんなことないよ。あの通報があったからこそ、今日衛兵は動いてくれたんだから」
「何処ぞの王子サマの圧力かかった書状でなあ?」
昨日のことも思い返しながら舌を打つヴァルに、レオンは滑らかな笑みで返した。
この地の衛兵がまともに機能してくれないなど想定内。違法な奴隷売買を行っている商人と認知されれば充分だった。残すは深夜、報告に行かせた騎士に正式な書状と任を託すだけだ。
滞在中である〝アネモネ王国第一王子〟による、自国の民を不当に拉致監禁と違法奴隷化している商人についての抗議文。
奴隷反対国の人間を奴隷として売買するのは違法ではない。しかし、奴隷ではない一般人を奴隷にすることは国籍関係なくラジヤあろうとも違法だ。
今滞在しているアネモネ王国の第一王子が、ある情報を得た。指定の奴隷商人がアネモネ王国の民を〝拉致監禁〟し今も荷車に閉じ込め奴隷として売り捌こうとしていると。
深夜にそれをアネモネ王国の騎士から正式に受け取った衛兵達は、当然ながら焦燥した。アネモネ王国の王族がちょうど滞在していることは一帯の詰所内で共有されている。フリージア王国と共に入国したのだから余計に重要案件として留意されていた。
衛兵とはいえ、ラジヤ帝国の支配下国のたった一つ。しかも植民地国ですらない完全なるラジヤの一部である属州である。そんなところのたかが衛兵に、アネモネ王国の王子による抗議文などとても扱いきれるものでも、そして相手になるものでもなかった。
ここでもし統治者である総督に報告しようものならば、治安維持を任されている自分達の責任にされることは当たり前。
最悪の場合は衛兵全員が極刑か奴隷堕ち。王族相手に穏便に揉み消す為には、自分達でなんとかするしかなかった。「この辺じゃよくある違法行為だからどうしようもない」などと通じる立場の相手ではない。
「これでも平和的に解決したつもりなんだけど」
「脅しの間違いだろ」
これが事実であれば両国間における許されぬ問題であり、ただちに指定の商人への事実確認を求める。こちらも国全土を巻き込む事態は可能な限り避けたい為、早々に商人の罪を明らかにし相応しい厳罰と違法奴隷の解放、そして我が国の民を返還すれば自分一人胸に今回は留める。……そう、記載された書状に衛兵達が急ぎ動くのは当然だった。
ちょうど一般人により通報された商人である。間違いなく黒であれば、捕らえる理由などいくらでも作れた。
たまたま噂を耳にした第一王子が心に留めてくれるのならば、小悪党一人相手にも総出で検挙から厳罰そして解放と返還まで済ませるのなど軽いものだった。
このまま放置すれば、今度は国王が出てきてもおかしくない事態である。
そうすれば国家規模の問題に自分達も巻き込まれることになる。
いっそ、衛兵にとっては商人への容疑など真偽はどうでも良かった。どの奴隷が正規でも違法でも、とにかく商人を捕まえ奴隷を全員解放しアネモネ王国の人間をこっそり書状の主に返せれば良い。
書状の内容自体は第一王子の立場としては当然の糾弾。実際に必要な真偽の確認はレオン自身の目で済ませている。書状を受け、衛兵達がどう動くかはあくまでラジヤの問題である。
事実、これをもし衛兵が総督に報告すれば衛兵を処分する以外結果は変わらず、そしてもし本国まで書状の内容がいこうとも、たかが奴隷商一つを庇う大国ではない。
その州ごと罰し、やはり結果は変わらない。大ごとになるまえに鎮火か握りつぶすのが通例である。
アネモネ王国第一王子の抗議文は、小規模の奴隷領を潰すには充分過ぎる威力だった。
「早朝からくだらねぇ見せもんに付き合わせやがって……」
「ごめん。どうしても自分の目で確認したかったから。奢るから許してよ」
高級店はどこだ、と。食事をご馳走する意思を見せたレオンに、ヴァルは舌打ちだけを鳴らしながら飲食店を探す。
まだ午前である所為で、高級店はあまりやっていない。プライドに任された聞き込みの前に腹を膨らませたいが、いま店を開けているのは屋台が精々だった。
奴隷市場から一時的に離れ、通常の飲食市場へと移れば奴隷市場よりも遥かに健全な賑やかさに包まれた。
高級店ではなく市場で済ませようとするヴァルに、市場の全部買い占めろと言う意味かなとレオンはぼんやり考える。早朝に外食など滅多にしないレオンには、高級店が早朝に仕舞っているイメージがない。
ヴァルも仕方なくの市場だったが、そこで食欲をそそられる匂いが鼻を掠めればもうこれで良いかと投げやりに考える。明け方まで開く酒場ならぎりぎりまだやっているかとも考えたが、わざわざ高級店を探す為に歩き回る方が面倒になる。もともと今は金に困っていない。
腹が膨れれば一緒だと、いつもの思考で市場を闊歩する。
初日にも回ったが、様々な料理や果物がひしめき合う市場は活気に満ちていた。取り敢えず酒は売っていないかと、ヴァルがぐらぐら揺れながら大柄な身体で人混みを進む。その背後をレオンもちょうどいい壁代わりにして付けば
ドン、と。急に立ち止まったヴァルの背中にぶつかった。
レオンも市場を眺めよそ見をしていた。
「ごめん」とぶつかったことを謝りながら、なにか目ぼしい店でも見つかったのかと背中から顔を避けて出す。しかし彼の視線は左右の出店どれでもなく、正面へと向けられていた。正確には、正面上空に。
「なにやってやがる主……」
うんざりとした低い声の先、レオンも正面を見ればに宙を舞う女性へ自然に視線が向いた。
この上ない〝見せ物〟に向け、再びヴァルとレオンが早足になるのは同時だった。